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異世界のんびり鍛冶屋『ひっそり暮らしたい刀匠の異世界工房』  作者: 常陸之介寛浩㊗️オリコン週間ランキング9位㊗️


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第2話 鍛冶場を作るには、まず斧がいる

 朝は、思っていたより冷えた。


 焚き火の残り火が灰の中でかすかに赤く息をしていて、その頼りない色を見つめながら、俺は肩を回した。背中が痛い。岩の下は雨風を避けるには悪くなかったが、寝床としては最低だ。地面は硬いし、薄い布を一枚敷いたくらいではどうにもならない。何度も目を覚ましたせいで眠った気も薄い。


 ただ、不思議と気分は悪くなかった。


 昨日の夕方、この森に放り出された時はさすがに頭の中が白かったが、一晩、火を見ながら考えたことでやるべきことは整理できている。


 水場は見つけた。周辺の木と土の様子も少し分かった。遠くには鉄分を含んでいそうな赤茶けた崖も見えた。何もないわけじゃない。むしろ、鍛冶屋の目で見れば、手をつける余地が山ほどある。


 問題は、全部がまだ「余地」の段階だということだ。


 炉がない。金床がない。炭もない。まともな刃物もない。工房どころか、まだ小屋一つない。


 つまり、今の俺は鍛冶屋以前に、ただの手ぶらの男だ。


「……先に順番を間違えるな」


 自分に言い聞かせるように呟き、灰をかき分けて残り火に息を吹き込む。火種が明るさを取り戻し、小枝へ、枝へと燃え移っていく。火が安定するのを確認してから、沢で汲んだ水を少し飲んだ。腹は減っているが、食料についてはまだ考えない。考えたところで今すぐ何かが湧くわけでもないし、空腹より先に片づけるべきことがある。


 拠点だ。


 今日やるべきことは明確だった。まず、この森の中で腰を据える場所を決める。次に、最低限の雨風をしのぐ場所を整える。そして、その横に鍛冶場の種を作る。


 順番は大事だ。鍛冶屋は勢いで火を入れているように見えて、実際は段取りで半分が決まる。土台が悪ければ何をしても狂う。火床の位置、風の抜け、炭の置き場、水との距離、作業動線。工房というものは、刃物を打つ前からすでに始まっている。


 岩陰を出て、昨日のうちに目星をつけていた周辺を歩き回る。沢から近すぎる場所は駄目だ。水は必要だが、近すぎれば湿気が溜まり、土も緩みやすい。逆に遠すぎても面倒になる。何度も水を運ぶことになるのだから、往復の負担は馬鹿にできない。


 地面を靴先で踏む。沈み込み具合を確かめる。草の生え方を見る。少し高く、緩やかに傾斜している場所がいい。豪雨でもない限り水が溜まらず、かといって強すぎる斜面でもないところ。加えて、背後は岩や太い木で塞がっていた方が落ち着く。開けすぎている場所は風が強く、夜も心許ない。


 何カ所か見て回った末に、沢から少し離れた小高い場所で足を止めた。


 背後には背の高い岩場があり、片側には太い樹が二本、ちょうど壁みたいに立っている。正面は緩く開けていて見通しがいい。風も真正面から叩きつける感じではなく、横からほどよく抜ける。地面も比較的締まっていた。


「ここか」


 誰に言うでもなく呟く。


 完璧じゃない。そんな場所はこの状況で望むだけ無駄だ。だが、水場との距離、地盤、見通し、風。全部を合わせれば、今のところ一番ましだった。


 ここに仮の小屋を作る。できれば寝る場所と火を扱う場所は少し離したいが、最初から贅沢は言えない。まずは雨風をしのげる屋根。それと、土を掘って火床にできるスペース。そこまで作れれば上出来だ。


 そう思って周囲の木に目をやり、すぐに現実に戻された。


 切る道具が足りない。


 腰にある小刀だけでは話にならない。細枝を払うくらいならともかく、柱にする太さの木を倒すのは無理だ。倒せたとしても、枝を払って整えるだけで日が暮れる。整地だって同じだ。根の張った草を剥がし、地面を均すにも、もっとましな刃物が要る。


 つまり、鍛冶場を作るためには木が要る。木を切るには斧が要る。だが斧を作るには、鍛冶場が欲しい。


「……面倒くさいな」


 思わず本音が口からこぼれた。


 けれど、こういう入れ子の面倒くささは嫌いじゃない。道具を作るための道具が必要で、さらにその道具を作るための最低限の設備が要る。職人の仕事は、だいたいそういう遠回りでできている。最初から理想の環境なんてない。ないなら、今あるもので一段ずつ上がっていくしかない。


 俺は昨日のうちに拾っておいた石や鉱石まがいの塊を、岩陰に持ち帰って並べた。灰色の硬い石、黒い石、赤みを帯びたもの。金属光沢とまでは言えないが、割れ口に鈍い光を返す石もある。昨日は暗くてざっとしか見られなかったが、朝の光の下で改めて触ると、それぞれの性質が少し見えてくる。


 小刀の背でこつこつ叩いて音を聞く。鈍いもの、軽いもの、妙に詰まった響きを返すもの。手応えのいい石を選んで割ってみると、中心にわずかな金属質の筋が見えた。


 完全な鉄鉱石かどうかは分からない。だが、使える可能性はある。


 問題は、今の俺にそれをまともに精錬する設備がないことだ。


 ならどうするか。


 答えは単純だった。最初から完璧を狙わない。


 まず必要なのは名刀じゃない。切れ味も美しさもほどほどでいい。とにかく木を倒し、枝を払えればいい。理想の斧ではなく、今の環境で作れる最初の「雑具」がいる。


 そうと決まれば、手は早い。


 岩陰のそばに昨日作った焚き火を少し広げ、石を並べ直して簡易の火床らしき形にする。風を受けやすいように片側を浅く掘り、小枝と乾いた枝を細かく組んでいく。本当ならもっとしっかりした炉壁が欲しいが、今は温度を少しでも上げられれば十分だ。


 木炭が欲しい。だが、本格的に焼く設備はまだない。仕方がないので、よく乾いた硬めの木を選んで火の芯に使い、少しでも熱が逃げにくいよう周囲を石で囲う。即席もいいところだが、何もないよりはましだ。


 火が落ち着いたところで、金床代わりに使えそうな石を探す。平らで、ある程度の硬さがあって、叩いても割れにくいもの。近くで見つけた黒っぽい塊は、叩いた感触が悪くない。完全な金床の代わりには遠いが、叩き台にはなる。


 これで最低限の形だけはできた。


 次に柄だ。斧にするなら、短くても握りやすい木がいる。しなりすぎず、軽すぎず、節が少ない枝を選ぶ。森を歩き回って見つけた若木を倒し、使えそうな部分を切り出す。小刀で削る作業は面倒だったが、今は我慢するしかない。


 作業の合間、何度か自分の手元を見て苦笑した。


 日本にいた昨日までなら、こんな粗末な準備で刃物を作ろうなんて思いもしなかっただろう。材料の素性も怪しい。火の温度も読みにくい。道具は足りない。柄の削りも雑になる。鍛冶屋として胸を張れる状態じゃない。


 だが、だからといって手を止めても何も始まらない。


「今欲しいのは、出来のいい斧じゃない。斧そのものだ」


 口に出すと、少し頭が整理される。


 何を作りたいかじゃない。何から作るべきかだ。


 今の俺が打つべきなのは、見栄えのいい刀でも、人に見せて感心される刃物でもない。生活を始めるための道具。木を切るための斧、枝を払うための鉈。工房を作るための手足になる雑具だ。


 火床へ石を放り込み、熱の上がり方を見ながら、使えそうな鉱石めいた欠片を火にくべる。正直、鍛造というよりは試行錯誤に近い。だが、赤くなっていく色を見ると、それだけで心が落ち着いた。やはり俺は火を見ている時がいちばんまともだ。


 即席の木の枝を使って熱した塊を取り出し、石の上へ置く。槌の代わりになるものとして選んだ丸石を振り下ろす。


 鈍い音が鳴った。


 感触は悪くない。完全に駄目でもない。表面の脆い部分を潰しながら形を整えていく。もう少し細長く、片側に重みを寄せて、刃先になる側を薄くする。石の叩き台は弾きが足りないし、丸石の槌も力が散る。苛立つほど非効率だ。だが、文句を言っても槌は増えない。


 何度も火に戻し、また叩く。


 汗が額を伝って目に入った。拭う暇も惜しんで打つ。温度の見極めは難しかったが、手元の様子と音を頼りに少しずつ形が見えてくる。斧頭と呼ぶには貧相で、鉈と言うには厚みが足りない、中途半端な代物だった。穴をあけて柄を通す余裕はない。なら割り柄式に近い形で縛るしかない。


 これも本来なら気に入らない。


 気に入らないが、今はそれでいい。気に入るかどうかより、使えるかどうかだ。


 刃先をできる限り整え、柄に当て、布と紐で仮留めし、さらに蔓を裂いて巻き締める。見た目はひどい。子どもの工作みたいだ。だが、握った時の重みと重心だけは少し考えた。多少なりとも振れる形になっていれば御の字だ。


「……雑だな」


 自分で作っておいて、ついそう言ってしまう。


 だが、雑なりに一応は刃物だ。ゼロより遥かにいい。


 その即席の粗い刃物を持って、俺は拠点に決めた小高い場所へ戻った。まずは細めの木から試す。狙いを定め、振り下ろす。


 ごつっ、という嫌な手応えが腕に返ってきた。


 食い込みが浅い。刃の角度がまだ甘い。重みの乗り方も微妙だ。二度、三度と打ち込んでようやく木肌が割れ始める。切れないわけじゃない。だが、使いやすいとは程遠かった。


 枝払いも同じだ。振り抜きが鈍く、小枝には食い込むが少し太くなると急に抜けが悪くなる。柄の締まりも甘く、使っているうちにわずかにずれてくる。何より、打っていて気分が悪い。道具が手に馴染まず、仕事の流れを邪魔する。


 それでも俺は何本か枝を落とし、細い木を一本倒した。


 倒せる。作業は進む。だが、遅い。いらない力を使う。疲れが溜まる。これでは駄目だ。


 木の切り株に即席の斧もどきを立てかけ、俺は深く息を吐いた。


 道具の出来は、そのまま仕事の質になる。使いにくい道具は、作業者の体力を奪い、判断を鈍らせ、最終的には仕事そのものを雑にする。現代日本で散々見てきたことだ。包丁でも小刀でも鉈でも、まともな道具が一つあるだけで人の動きは変わる。


 逆に言えば、今のこの代物では限界がある。


「……駄目だ」


 思ったよりは使える。だが、こんなものに妥協していたら、この先ずっと仕事が濁る。


 俺は粗末な刃物を握り直し、その刃先をじっと見た。火は足りない。叩き台も足りない。整形も焼きも甘い。全部分かっている。分かっているからこそ腹が立つ。


 そして、その苛立ちがそのまま次のやる気になった。


「やっぱり、まともな炉が要る」


 独り言は、森の中へ素直に消えていった。


 小屋を作るために斧が要る。斧をまともにするには炉が要る。なら、次にやることは決まっている。


 もっと使える土を探す。炉壁になる石を集める。あの赤茶けた崖も見に行く。少しでもいい鉄が取れれば、今よりましな道具が作れる。


 結局、遠回りに見えても答えは同じ場所へ戻る。


 火床だ。


 俺は地面に立てた粗い刃物を引き抜き、空を見上げた。陽はまだ高い。今日のうちに、もう少し動ける。


 寝床も大事だ。食べ物も必要だ。だが、それでも優先順位は変わらない。


 まずは炉を作る。


 話はそこからだ。

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