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第8話 ラーメンと店主の気持ち(0円)

 犬井さんに連れられるままに向かったのは駅ビルに併設された大きなショッピングモールだった。


「ここのフードコートのラーメンが美味しいんだって!」


 彼女の足取りは軽やかで、僕は追いつくのがやっとだ。


「めちゃくちゃ人が多いな……」


 夕食時という時間帯もあるのだろうが、どこもかしこも地元の人や外国人が入り乱れている。

 東京でも、こんなに混むのは新宿のような都市部だけだ。正直、福岡を舐めていた。



「うん、遥野さんが言ってたのはここっぽい!」


 ラーメン専門のフードコートで犬井さんが足を止め、指さしたのは『らーめん 白月』。

 明るい灰色と白を基調とした外装に、鉢巻きを巻いて直立した豚が腕を組んでいる看板が特徴的なお店だった。


「……美味いっていう割には空いてるな」

「そんなこと言わないで入ろうよ!」


 目を輝かせながら一足先に入った犬井さんに続いて、僕も足を踏み入れる。

 ほんのり甘い香りが漂う店内はテーブルにカウンター、椅子、全てが白と黒で統一されて小奇麗な印象だ。


「「らッしゃいませぇ!! 空いてる席へどうぞぉ!!」」


 厨房から威勢のいい掛け声……これ、どこかで聞いたな。


「分かりましたぁ!」


 それに犬井さんは小学生の挨拶みたいに大きな声で応じる。普通、こういうのは会釈するくらいだろう。

 時々彼女が見せるこうした部分については、個性が強いと言うべきか、ズレていると言うべきかが分からなくなる……どちらにしろ同じ意味ではあるが。


「……まぁ、元気な分にはいいか」

「? どうしたの?」

「なんでもない」


 案内されたのにこう言うのは失礼だと思い、はぐらかすと彼女は少し目を細める。

 が、テーブル席に着いてメニューを開くと、そんなことは頭から抜けたように目を輝かせる。


「とんこつラーメン、のりとんこつ、塩とんこつ……全部美味しそうだね!」

「……そうだな」


 犬井さんがメニューを占有して、全く内容が分からない。

 仕方なく立って覗こうとした時、犬井さんは気づいたようにメニューを開いてテーブルに置いた。

 メニューは端から端までとんこつ、とんこつ、とんこつ。それと替え玉無料。よくある博多ラーメンの店みたいだ。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 ニコニコした店員さんがやって来ると犬井さんはメニューを取り、僕はまた読めなくなった。


「犬井さんはどれにするんだ?」

「えっ? 選んでいいの?」


 口では遠慮がちに言う犬井さんだが、口の端から溢れる涎は抑えが効いていなかった。


「もちろん」


 ここまで来て選ぶなだなんて残酷だ。


「じゃあね、のりとんこつ! 百瀬くんは?」

「……僕もそれにする」


 店員さんの時間を取らせるのは悪いからと、適当に注文すると店員さんは厨房へ向かっていく。


「楽しみだね!」


 待ちきれないのか、犬井さんは箸を割りながら満面の笑みを浮かべる。


「……そうだな」


 何というか、小学生の面倒でも見ている気分になってくる……悪い意味ではなく。


「はい、犬井さん」

「わっ、ありがとっ!」


 コップに水を注いでソワソワしている犬井さんに手渡すと、一息で飲み干した――僕の分を注ぎ終えるよりも早く。


「……おかわりは要るか?」

「あっ、今度は自分で入れるから大丈夫!」


……クラスで飼っているペットの世話係の気分だ。


「のりとんこつ2つ、お待ちどぉ! 嬢ちゃんにはサービスだ!」


 そう言って店員さんが持ってきたうち、片方は温玉やチャーシューなどトッピングがメニューの写真より数段豪華だった。


「わぁ! ありがとうございます!」

「いいってことよ! 嬢ちゃん、元気だったしよ!」


 犬井さんの声が聞こえたのか、厨房から返事が聞こえる。

 来世は元気な女の子になりたいな……来世?


「……」

「百瀬くん、大丈夫?」


 そうだ、僕は死ぬんだ。絆されたり、余裕がなかったりで忘れていた。

 犬井さんには死ぬなと言われたが、やはりそんなことは出来ない。

 今日だけでも置いていかれて、酔いで吐きそうになって、良いことなんてちっともない。


「百瀬く~ん?」


……それにしても、どうして今まで忘れていたんだろうか? 高1の頃からずっと考えていたというのに?


「……トッピング、あげよっか?」

「は?」


 ハッと気が付くと、犬井さんは心配そうな顔で僕を見つめていた。


「私だけ……いっぱいおまけして貰っちゃったしさ」


 犬井さんは居心地が悪そうに頬を指で弄っている。

 なんだ? 僕はおまけが貰えなくて拗ねていたとでも思われているのか?


「いい。それは店主さんから犬井さんへの気持ちなんだ。僕が貰うのは違うだろ」


 それに、疲れでそこまで食欲がない。


「へぇ、そうなんだ……分かった」


 驚いたような表情をした犬井さんだが、じっと器に目を落とすと嚙み締めるように微笑む。


……とりあえず、考えるのは後にしよう。


「じゃあ、食べ――」

「おう、坊主! 良い事言うじゃねぇか!」


 手を合わせた時、店主さんがどんぶりを持ってやってきた。

 どうやら厨房に聞こえていたらしい、なんか恥ずかしいな。


「坊主にもサービスだ!」

「いやいや、悪いですよ」

「いいんだよ! どうせタダだし!」


 どんぶりを置き、すぐに背を向けて立ち去る店主さんの背中は、少し大きく見えた。


「……申し訳ないなぁ」

「わぁ! 良かったじゃん、おかわり貰えて!」

「は? おかわり?」


 どんぶりへ目を落とす――


――替え玉じゃねぇか。


「おじさんの気持ち、だよね!」

「……そうだな」


 店主の気持ち、0円。果たして素直に喜んでいいのか……

 何も分かっていないであろう犬井さんの笑顔が眩しくて、とても痛い。


「……じゃあ、食べようか」

「うん!」



「「いただきます」!」



 箸を割ると、時間差で昇った湯気と共に、臭みのないとんこつのほんのりと甘い香りに鼻孔をくすぐられ、唾液の分泌が増えるのが分かる。


 たまらず麺をすする。固ゆでの極細麵は噛むとプチプチと弾けるような歯ごたえで、スープがよく絡む。

 乳白色に濁って、器の底を隠すスープをれんげで掬い、口へ運ぶ。スッキリしていながら濃厚な豚の旨味とまろやかさ、そこに微かな甘みがある。


「……美味いな」


 食べきれるか不安だったが、この味なら替え玉も問題なく食べられそうだ。

 ひとまず、口直しと休憩を兼ねて水を一口。その傍ら、犬井さんはどうだろうと目を移す。


 彼女は夢中で器に向かっていたが、視線に気がついたのか、ハッと顔を上げた犬井さん。


「? どうしたの?」


 視線はさておき、幸せそうに頬張る口元に青ネギの切れ端が付いているのには気が付いていないようだった。


「……なんでもない」




「ごちそうさまでした!」

「……ごちそうさまでした、美味しかったです」

「またのご来店お待ちしてます!」




「……食べ過ぎた」

「えぇ~~? 私はまだまだ食べれるよ!」

「嘘だろ? 替え玉して、スープも飲み干したのに?」

「うん! おじさん、いい人だったよね!」


 ラーメンを食べ終えた僕らはショッピングモールを抜けて、街の明かりで輝く通りを伝ってホテルに向かっていた。


 酔っ払いの笑い声、クラクション、路上ライブ。相変わらず駅前は賑わっているが、それでも夕方の喧騒からは噓のように落ち着きを取り戻していた。


 そんな東京でもよくある光景を犬井さんは目に焼き付けるように、せわしなく首を動かしている。


「なんか、キラキラしてておしゃれだね!」

「そうだな」


 空返事に不満なのか犬井さんは僕の前に駆け出し、ニヤニヤした表情で後ろ歩きで僕の表情を窺いだす。


「さては、そんなに思ってないね?」

「……思ってるよ」


 エネルギッシュな犬井さんの相手をするのも一苦労だ。一体、どこにそんな元気があるんだ。

 夕飯を食べてから、一日の疲れが一気に戻ってきた。とっとと風呂を済ませて寝たい。


「ねぇねぇ、百瀬くんはホテルに着いたらどうする?」

「シャワー浴びて寝る」

「……そっか、大変だったもんね」


 そう言うと、犬井さんはどこか物足りなそうな笑みを浮かべた。


「……どうしたんだ?」

「百瀬くんと今日のこと、おしゃべりしたいなぁーって思って」


 冗談じゃない。


「……明日ならいくらでも話すよ」

「明日だと忘れちゃうじゃん! 今日がいいの!」

「忘れるくらいなら、大したことないだろ」

「そんなことないもん!」


 腕を組んだ彼女は不満そうにプイーッと口を尖らせる。勘弁してほしい。


「じゃあ、遥野さんに話せばいいだろ。呼ばれてたし」

「百瀬くんともしたいの!」

「はぁ……」


……聞かん坊の保育士にでもなった気分だ。


「旅行は明日もあるんだ。今日は休んで、明日に備えよう、な?」

「は~~い」


 僕らはホテルに着いたのは、そんなやる気のない返事と同時だった。

 シャンデリアの温かい光がガラス張りの入口から漏れ、中では椅子に座る遥野さんがこちらに気づいて手を振っている。


「じゃあ、私は遥野さんのとこに行くから、またあとでね!」

「あぁ、部屋は742だから間違えるなよ。それと、遥野さんにラーメンと泊めてくれたことのお礼を伝えといてくれ」

「うん、分かった!」


 そうして僕らはホテルに入り、二手に分かれた。




……これでようやく一人になれる。

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