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第6話 博多への道でも相変わらず車酔いはする

 待つこと約20分。バスを逃した後の待機列で僕らは一番前に並び、押し合いへし合いの末になんとか乗り込む。

 乗り込む人は相変わらず多くバスの中は窮屈だが、僕らは隣同士で座る。


「付き合わせちゃってごめんね。百瀬くんのお金なのに……」

「気にすることはないよ、どうせ使い道はなかったし」


 申し訳なさそうな口調ながらも、犬井さんの目はどこか輝いていた。

 僕はそんな彼女に一瞬だけ目を向けて、視線を窓へ移した。

 視線に気づいたのか、犬井さんのニコッとした表情がうっすらと窓に映った。


「楽しい修学旅行にしようね、百瀬くん」



 バスが発進してから10分ほどが経ち高速道路に乗ると、窓の外で景色が現れては消えてを繰り返す。

 大人しかった犬井さんは痺れを切らしたのか、彼女のお喋りのギアは上がっていた。


「バス、すごい速いね!」

「そうだな」

「……」


「百瀬くん、見て! あの大きい建物って何だろね?」

「何だろうね?」

「もう! 百瀬くん、見てないじゃん! さっきからずっとスマホ見てさ。私、話し相手がいなくて暇だよ~!」

「そうか」

「そうか、って! なにか話そうよ!」


 犬井さんは肩を押しつけて主張してくる。正直、すごく息苦しい。

 それに、話をするのはいいが、僕にはやることがある。


「今、泊まるホテルを探してるんだよ」


 完全に虚を突かれた顔だった。


「あっ……そっか、探さなきゃだもんね。忘れてた」


 犬井さんは元の位置に戻ると、膝に握った手を押しつけるが、我慢ができなかったようで彼女はポケットからスマホを取り出した。


「じゃあ、私も泊まる所を探すよ!」


 そう意思を表明し、彼女は検索バーに文字を打ち込み始める。やることを見つけた彼女の目はどこか輝いている。

 しかし、こういった調べ物は一人だけで十分だ。


「いいよ、二人がかりでやっても意味はないし」

「百瀬くん相手してくれないじゃん! 私も何かしたいの!」


 僕がしなくていいと持ち掛けても、犬井さんは拗ねた子供のように聞かなかった。


……犬井さんが色々話しかけてきた時、余裕がなかったとはいえ、流石に素っ気なかったな。


 次に話を始めたら、ちゃんとこっちも話題を出して対応しよう。



「う、うわぁ、なにこれぇ……」


 スマホを使いだして早々、犬井さんは小さな声を漏らす。


「どうした?」


 僕が尋ねると、犬井さんは挙動不審にスマホを隠し――


「えっ、あっ! な、何でもないよ! 気にしないで!」


 そう口にする犬井さん、動揺の仕方が尋常ではない。

 それに、犬井さんの言う「気にしないで」は気にしないといけないものだ。


「悪いけど、ちょっと見るぞ」

「あっ、ちょっ、ダメっ!」


 必死になって画面を隠そうするが、なんとか覗き込む――



『ホテル 高校生 男女 泊まり』



――彼女のスマホの検索バーに、そう書かれていた。


「……」


 検索結果には宿泊の可否に混じって、場違いな体験談のリンクが――しかも一つだけ、紫になっていた。



『おやすみなさい、じゃ終われない夜もある――飢えた彼が獣になった日』



……なんだこれは。

 書いてあることは分かるが……なんだこれは。



 画面から目を上げると、犬井さんはみるみるうちに赤くなっていく。プルプルと震えて、涙が浮かんできている。

 僕はスマホから目を逸らす。何というか、すごく申し訳ないことをしてしまった。


「……タイトルがアレなだけで、内容は……ちゃんとしてたよ。多分」

「……」

「百瀬くん、なんか言ってよ」

「……ごめんなさい」

「謝んないでよ! 余計恥ずかしいじゃん!! うわぁ~~ん!!!」


 犬井さんは耐えきれずに顔を覆い、体を振って激しく悶える。

 そこまで恥じらうとは、体験談は一体どんな内容なのだろうか――とそんなことを考えている場合ではない。


「犬井さん、ちょっと」

「何!? 今はヤダ!!」

「周りの人……」

「えっ?」


 犬井さんはハッと顔から手を放し、あたりを見回す。

 混雑した車内。当然、前の席や隣の通路にも乗客はいる。


『バスの中ではお静かにお願いします』


 機械的な肉声。変わらず高速道路を走行している中、車掌さんのアナウンス。

 バスの中は僕らを抜きにしても騒がしいとはいえ、これは僕らに間違いない。



 泊まれるホテルが見つからないまま、僕は一旦スマホを閉じて窓をボーっと眺めることにした。

 傾き始める夕陽の色に染まる美しい景色を期待したが、道路の両脇には仕切りがあり、地平線や住宅の群れを見ることは叶わなかった。

 決してホテル探しを諦めたわけじゃない。

 こうしている理由はつまり――酔った。万物が流転して、諸行無常が直接頭で響いている。


「……えへへ、怒られちゃったね」

「そうだな」


 彼女は何というか、とにかく良く笑う。くだらない事やバスを逃した時、騒いで怒られた後でも。


「なぁ、犬井さん」

「なに?」


 いつだって笑えるのが、時々羨ましく思う。


「犬井さんって、どうしていつも笑っていられるんだ?」

「どうしたの、いきなり?」


 犬井さんはふっと微笑んで首を傾げる。


「その、少し気になって……」

「ふぅん……変なの」


 犬井さんは口を尖らせ、含みのある表情で僕を見る。

 こんなことを聞くのは僕らしくないのだろうか。


「うぅ~ん……難しいね」


 腕を組んで首をひねり、結構本気で考えているようだった。


「なんだろね。落ち込んで暗い顔しても、どうにもならないしさ。それなら、とにかく笑った方が……なんかいいじゃん?」

「そう?」

「そうだよ! ほら、百瀬くんも笑ってみてよ! ニコッと!」


 そう言うと犬井さんは僕の頬に手をあてて、口角を上に引っ張り上げた。


「うわ~硬いね~百瀬くんの表情筋」

「……悪かったな」


 ピッと手を離す彼女の表情は憐れんでいるような、それか諦めたようなものだった。


「……百瀬くんってさ、笑ったことはあるよね?」


 バスの進行方向をボーっと見ながら、犬井さんは心配そうに聞いた。


「何を失礼な……」


 そういえば、笑うってどうすればいいんだろうか?

 もちろん僕にも当然感情がある。喜怒哀楽はあるし、他にも色々ある。恥じるし、焦るし、不安にもなる。

 ただ、笑うことだけは全然出来ていない。



 そうなったきっかけは、心当たりがある。

 多分、そうなったのは……母さんが他界したことだと思う。

 ソファーで横になると静かに眠って、ずっと眠ったままだった。



「お~い、百瀬くん?」

「……やっぱりさ、一つだけお願いって聞いてもらえるかな?」

「えぇ~、バスが行っちゃった時はあんなこと言ったのに~?」


 ニヤニヤしながら、犬井さんは胸元を守るような仕草をしてみせる。


「やっぱり、百瀬くんも男の子なんだね!」


 彼女は目を少し細め、冗談交じりの挑発的な表情を浮かべる。


「そういう意味じゃない。こっちのお願いも聞いてもらえば、晴れてお互いにフェアだろ?」

「そう……なのかな? でも、私にできることなんて……」

「大丈夫。犬井さんならできる、と思う」


 おちゃらけた様子から一変して、犬井さんは肩をすくめて真剣になる。

 果たして、こんな頼みを言っても大丈夫なのだろうか?


「正規の旅行には戻れないし……せっかくだから長めの旅行をしてやろうと思うんだけどさ」

「えっ、やったあ!!」


 犬井さんは腕を空に向かって振り上げた。が、すぐにハッとして――


「……って喜んで、いいんだよね?」

「そこは喜んでくれると助かるんだけど、そうじゃなくて」


 どうにも、彼女がいると僕は調子が変になってしまうみたいだ。


「? あぁ、お願いだよね! うん、何でも言って!」


 ニコッと微笑んだが、犬井さんはどこか不安そうだった。

 やはり、頼むべきじゃないのだろうか。それに、馬鹿にされたりしないだろうか――



「笑わせて欲しいな……なんて」



――少しでいいから、犬井さんみたいに笑ってみたい、だなんて。



「えっ? 今すぐ?」

「そんな急ぎじゃないよ。旅行の途中に、一度だけでいいからさ」


 犬井さんはピンときていない様子だった。


「百瀬くんって、もしかしてロマンチスト?」

「……犬井さんみたいに笑えるようになれたら、少しは人生もマシになるんじゃないかってさ」


 犬井さんはニヨニヨと得意げになって僕の頬をツンツンと突いてくる。


……やっぱり頼まない方が良かったかもしれない。


「やっぱり、今のナシ」

「あっ、ゴメンゴメン! 冗談だよ!」


 彼女は指を離し、仕切り直すため咳払いをすると、彼女は強気に胸を叩いて口を開いた。


「任せて! 絶対に笑わせてみせるからね!」

「……それならいいな」

「あれ!? 何か変な意味が混ざってない?」


 困惑する犬井さんをよそに、バスは高速道路を抜けて住宅街に出た。目的地の博多はもうすぐだ。



 この旅が終わったら、僕はどうなるんだろうか……考えても仕方ないか。


 とりあえず、父さんには連絡しておこう。



『かくかくしかじかで、修学旅行が長くなりそうです。迷惑をかけてごめんなさい』

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