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第4話 置いてきぼり

「置いて行かれたな、じゃないよ!!!」


 動揺した犬井さんが声を上げたことで、周囲の視線が彼女に集まる。


「ま、まぁ、落ち着こう」

「勝手に一人で落ち着かないでよ! なんで百瀬くんは落ち着けるの!?」

「それは僕も分からない」


 彼女は狂ったように僕の肩を揺らす。


 頭が全く追いつかない……強烈な眩暈と底から上がってくるような吐き気でひっくり返りそうだ。


「とにかく、パニックになったって状況が良くなるわけじゃないだろ」

「でも! 追いかけないと!」

「お、落ち着け! まずは落ち着いて、それから考えよう」


 何とか宥める……ガクガク膝を笑わせながら。





「……終わったな」

「終わったね」


 僕らの修学旅行は台無しになったにも拘らず、憎らしくも空は相変わらず晴れていた。いっそ曇りや雨であれば、まだ僕の気は晴れただろう。


「その、ありがとね。お菓子だけじゃなくて、水も貰っちゃって……」

「気にしないで、僕も飲みたかったし」


 近くの自販機で水を2本買って、駅前のベンチに腰掛ける。


「これからどうしようか……」


 震えの静まらない手で水を一口飲む。


 どうすれば追いかけられる? 他に置いて行かれた人は?

 そもそも何故僕らは置いて行かれた? 確認はしなかったのか?


 考えれば考えるほど事態の深刻さにため息が漏れる。


 雲は相変わらずゆったりと流れている。ゆったりと流れられる事に、なんだか怒りを覚えた。


「犬井さん。学校の連絡先か、泊まるホテルの名前って覚えてない?」


 学校に連絡すれば、先生が僕らを回収しに戻るかもしれない。

 ホテルの名前が分かれば、そのままタクシーで合流できる。代金については全く問題にならない。


 僕の質問に彼女は勢いよくスマホを出す。

 光のようなスワイプで連絡先を一通り漁っているようだったが――


「……ごめんね、分かんないや」

「だよなぁ……」


 一縷の望みは打ち砕かれ、また水を飲む。あと一口で空になりそうだ。


 旅行者や地元の人が駅の前を行ったり来たりする中、黄昏る僕らに気に掛けるものは誰もいなかった。


 もっと時間に気を使っていたら、こうして置いて行かれることは無かったんだろうか。


……どの道死ぬなら誤差みたいなものか。





「……」

「……」


 バスが完全に見えなくなってからしばらく経ち、僕らの間にはこの世の終わりのような静けさがあった。

 互いに手を伸ばせば届く距離にいながら、無限の隔たりがあった。


 頭の上を覆う青空は、どんな曇天よりも暗く感じた。


「あーあ……おしまいかぁ。修学旅行」


 犬井さんは深く背をもたれて、独り言をブツブツと呟く。その顔には壊れた自嘲の笑みが張り付いている。


「そんなに楽しみだったの?」

「えっ!? あっ、な、何でもないよ!」


 抜けていた魂が戻ってきたように生気を取り戻すと、彼女は首と手を振って必死に否定する。


「グルメを食べて回りたかったんだ」

「……どうしたの?」

「よかったら聞かせてよ、修学旅行で何がしたかったとかさ」


 お互いに話せばこの散々な状況の中でも幾分か気が紛れると思い、話を振る――


「私、修学旅行に……みんなが持ってるみたいな思い出が欲しかったの」


――そんな予想が外れたことは、すぐに分かった。


「私ね、中学の頃の修学旅行に行けなかったんだ。家の事情があってさ」

「……」

「林間学校とかの行事もできなくてさ……仲良くなった子に気を遣わせちゃって。それでいつも気まずくなっちゃって、あんまり話せないの」


 話せば話すほど、彼女は追い詰められていくように声が強張っていく。


「それでね、今度こそ絶対行くって決めて、バイトを頑張ってお金を貯めたんだけどさ」


 彼女の雰囲気は暗い、なんて言葉では表しきれないものだった。


「一回、全部……無くなっちゃってさ」


 一瞬、悔しそうに奥歯を嚙み締める。


「へそくりの封筒が空になってたの。いつも肌身離さず持てって話だよね、あはは」


 それを皮切りに犬井さんは嗚咽のように喉が震えて、絞り出したような声で言った。


「それからまたバイトして、何とか期限までには間に合ったんだけど、今度はこれだよ、あはは……」


……話なんて振るんじゃなかった。


「……その、ごめんね。私が一緒に回りたいって言って、振り回したばっかりにこんなことになっちゃってさ」


 あはは、と強がりを口にする彼女の口角は僅かに上がっていた。それで彼女は笑っているつもりだったのだろう。


「その……犬井さんが悪い訳じゃない」


 あとは勢い任せだった。自分が何を言っているのか、何を考えているのかも分からなかった。今日はこんなことばっかりだ。


 さっきまでは邪魔者だった犬井さんを、僕はどうしてまた慰めているのだろう……始めからこんな事すべきでないのに。


「僕の時間管理が甘かったんだ、自分を責める必要はないよ」

「そんなことない! 私が、間違えて……」

「間違えてなんかないよ……とにかく、何とかするよ」

「でも、私が足引っ張ったせ――」

「うるさいな!」


 どんどん卑屈になる様子に思わず声が大きくなる。

 こんなに声を出したのはいつぶりだろう、五年や十年なんてものじゃない。


「ご、ごめん……ごめんなさい」


 声を上がり、犬井さんは手で顔を隠して体をビクッと縮こまらせる。


「ごめん、大きな声出して」


……どうして耳でなく、顔を隠すのだろう?


 違和感の正体を知りたかったが、今はそれよりも考えるべきことがある。


「とにかく、怒っているんじゃないんだ。まず、帰る方法を考えよう」

「えっ……」


 何とかすると言ってしまった以上、責任を取らなければ。


「新幹線の切符って、未成年だけでも買えるのかな?」


 怯えた様子を何とか別の方へ持っていこうと軽口を叩いてみる。



「私は……歩くかな。ほんとにお金無いから」



 ブラックジョークの類いの、悪い冗談だと思った。


「ここから東京って、どれくらいかかるかな。アキレス腱、着くころには無くなってそうじゃない?」


 彼女がベンチから立ち上がって準備運動を始めた時、少しずつ冗談じゃないと分かってきた。


……本当に冗談じゃない。


 犬井さんの問題は金か、それなら解決策はある。


……けれど、本当にこれでいいのだろうか?


 ここで渡したら、これは何のための修学旅行だろう。


「犬井さん、帰るならこれを使ってよ」


 せっかくバイトで貯め……いや、これでいいはずだ。どうせ死ぬことに変わりはない。


「帰るって……ええぇ!?」


 中に隠してある薬だけ取って差し出すと、犬井さんは目を見開く――


「これ、百瀬くんのお財布だよね!? 何考えてるの!?」

「もう必要ないものだから受け取ってよ。50万くらいあるからさ」


 ――渡された財布と僕の顔を行き来する。


 口座にはまだ100万円が残っていたはずだ……銀行は見当たらないが、探せば見つかるだろう。


……残りは完全に母さんの遺産だ。使うのは気が引けるが仕方ないか。


「受け取れないよ! 百瀬くんの大切なお金でしょ!?」


 そう言って犬井さんは財布を突き返す。


「それに、受け取っちゃったら百瀬くんはどうするの!?」

「大切なんかじゃないよ。どうせ、僕には使いきれないんだから」

「でも、ダメだよ! これは、百瀬くんの!」


 なんとか押し付けようとしても頑なに拒まれるのが、次第に鬱陶しくなってくる。


「いいんだよ。死ぬ僕より、生きる君が使う方がいいに決まってる」

「そんなこと……えっ?」

「……あっ」


 また口が滑る。一日相手をしたせいで頭がくたびれているのだろう。


「ねぇ、死ぬってどういうこと?」


 言うつもりはなかったが、もう隠しても仕方がない。


「……自殺するつもりなんだ」


 言い切るより先に犬井さんはツカツカと僕との距離を詰める。


「……どうして?」


 その表情は、天真爛漫、パニック、鬱屈のどれとも違う。神妙、というのだろうか。


「生きていて、いいことが無いなって思ってさ」

「……それで死んじゃうの?」

「十分な理由だよ。生きていても苦しいだけだよ」


 駅前の人通りが増えだす中、犬井さんは僕の手を握る。力が入ってとても痛い。


「でも、ダメだよ! 死んじゃうなんて!」


 彼女は声を上げた、人目も憚らず。


「……財布はあげるから。もう放っておいてよ」


 口にはもっと気を付けるべきだった。そのせいで変に踏み込まれてしまう。


「嫌だ! 絶対受け取らないし放っとかない!」

「面倒だな! お互いにそれで良いだろ!」

「良くない!!」


 犬井さんは僕の胸倉を掴んで、自分の目線の高さまで無理矢理僕を引き下ろす。


「じゃあさ! もし、今ここで私が突然倒れたらさ、百瀬くんは助けてくれる!?」

「ちょっ……犬井さん、落ち着いて」

「私なら、百瀬くんを助けるよ!!」


 気が付けば辺りには喚き合いを見守るギャラリーができている……一体なにが犬井さんをここまで熱くさせるのだろう。


「……分かったから、一旦手を離して」

「絶対分かってない!」

「いいから……周り見て」

「なんなの!? ……あっ」


 犬井さんは横目で一瞥すると人だかりにハッとして手を離す。


「とっ、とにかく……」


 彼女は深呼吸をする。そうして声は小さくなったが、落ち着いてはいなかった。


「いなくならないでよ、寂しいじゃん」

「……」

「せっかく声掛けて、回ってくれて、ちょっと仲良くなれたと思ったのに……死ぬなんて言わないでよ」


 仲良くなったつもりはないが……とにかく、僕は何も言えなかった。


「……分かったよ、死なないから」

「本当に?」

「本当」


 そうして、僕はまた嘘を吐いた。


 どんな悶着があろうと、これまで準備してきた僕の意思は変わらない――



「……うん!」



――少ししか。





「じゃあ、これからどうするか……」

「……」


 帰ることは変わらないが、人が増える以上はしっかりと計画を立てないといけない。


 これまでの疲れで霞む目で乗換案内のアプリを開いて、『太宰府』と入力する。


「ここから家までは……7時間か」


 バス、新幹線、普通電車……この疲れで乗り換えはキツい。


「あのさ……」

「あぁ、犬井さんも置いて行かないから大丈夫だぞ」


 ズキッと頭が痛みながら犬井さんへ目を向ける。

 彼女は落ち着かない様子で両手の指先を合わせて、もじもじとさせていた。



「……ちょっと提案があるんだけど、いいかな?」

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