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第3話 バスは去ったけれど、梅が枝餅は甘かった

 通りに面した店で梅が枝餅を注文すると、ガラスの向こうでおじいさんが慣れた手つきで油を塗ると、金型に餅と餡子を放り込む。


 香ばしい匂いが漂う中であっという間に焼き上がり、レジのおばあさんが包み紙に挟んでくれた。


「はい、お待ちどうさま! 梅が枝餅2つ、300円ね」

「ありがとうございます」


 きれいな丸に焼き上がった表面は満月を思わせる質感で、じんわりとした温かさが紙越しに伝わってくる。

 暖簾をくぐって外へ出ると、犬井さんは店の脇に腰を下ろして流れる雲を眺めていた。


「ほら、犬井さん」


 良く焼けた方を差し出すと犬井さんは目を丸くしたが、すぐに複雑そうな表情へ変わる。


「……受け取れないよ」

「どうした? アレルギー?」

「そうじゃなくって!」


 彼女は俯き、しばらく考えると決心したように口を開く。


「……訳があって私、お金がないの」

「気にしないで、お詫びなんだから」


 強引に梅が枝餅を押し付けて、人ひとり分空けて隣に座る。


「本当に、さっきはごめん。邪魔だって言うつもりはなかったんだ」


 嘘八百もいいところだ。けれど、嘘も方便だ。


「そんな、大丈夫だよ……」

「それに、その……女の子と話した経験が無くって、恥ずかしかったんだ」


 これは本当だけれど……かなり情けない話だ。


「……大丈夫だよ、分かってるからさ」


 そう言って犬井さんは小さく笑ったが、どこか浮かない顔だった。


……待て、分かってるって何だ。少し失礼だな。


 それから彼女は手に握る梅が枝餅に目を落とした。


「じゃ、じゃあ……食べても大丈夫? この先でお金、返せる見込みないよ?」

「望むところだ」


 そうして犬井さんはペコリとお辞儀をし、恐る恐るといった様子で口にした。


「……甘い。美味しい」


 フフッと口元を押さえながら犬井さんは言葉を漏らした。

 熱々の梅が枝餅は表面はパリッと焼けていながら中はモチモチとしていて、具の粒餡は犬井さんの言う通りにほんのり甘かった。


「……んふふっ」


 モグモグと口を動かす犬井さんの顔には徐々に笑顔が戻っていた。


 それでふと――


「……やっぱり笑ってた方がいいや」


 そう思った。沈んだ表情でいられるよりかは、こっちの方が何倍もいい。


 それにしてもこんなことを思うなんて、僕は心の奥底で彼女に情を抱いているとでもいうのか? 出会って1時間やそこらだというのに?


 よく考えろ、修学旅行が終われば二度と顔を会わせることのない他人だ。

 自殺を抜きにしても、どうせ残りの春休みの間には忘れられているだろう。


……多少は妥協したっていいか。


「え?」


 梅が枝餅が残り一口になった時、素っ頓狂な声が上がる。


「は?」


 何事かと横を見ると、犬井さんは大事故でも起きたように目を大きくして僕のことを見つめていた。


「その……笑うがどうって?」


……最悪だ。


「言ってない」


 僕は顔色一つ変えず、落ち着き払って答えた。


「一番って」

「言ってない」

「言ったよね!」

「言ってない」


……顔色一つ変わっていないと思う。落ち着き払っていたはずだ、多分。


 一方で犬井さんははにかむと、ちょっかいのボルテージが上がっていく。


「なぁに? 百瀬くんってば、そんなに私のことを?」

「はいはい。言いました言いました」

「顔真っ赤で言っても説得力ないよ! それに耳が赤いし!」


 犬井さんはニヤニヤしながら顔を近づけて来た。どうやら調子を取り戻したみたいだ。

 とはいえ、僕の頬を指で突く彼女の顔も少し赤かった。


 ……やはり、あのまま捨てて来ればよかった。面倒臭いのを拾ってきてしまった。


「ねぇねぇ、百瀬くん! 私に何かして欲しいこととかある? 言ってごらんよ! ものによっては聞くかもよ?」

「じゃあ静かにしてくれ、蒸し返さないでくれ」

「えぇ~」


 そう声を上げて、彼女は最後の一口を食べ終えた。

 彼女に絡まれてからというもの、ロクなことが一つもない。一緒に回らないかと誘われたとき、怖気づかずに断れば良かった。


「頼むから、本当に」

「は~い! 静かにしま~す!」


 でも、今日の内は犬井さんを振り払えそうにない。

 どうか明日の自由行動にはついて来ないでくれと祈りながら、僕は最後の一欠けを口にした。



「見て見て百瀬くん! お猿さんが自転車に乗ってるよ!」

「……そうだな」


 梅が枝餅を食べ終えて散策を再開する中、犬井さんが指差したのは山場を迎えた猿回しだった。

 逆立ちをしたり、竹馬に乗る度にギャラリーから拍手と歓声が上がる。彼女も例に漏れず大きな拍手を送っている。


……懐かしいな、子供の時に見たっけか。


「百瀬くんってさ、表情が硬いっていうか……あんまり笑わないよね?」

「それがどうかした?」


 フィナーレが近づいて観客たちのテンションもピークとなる中、犬井さんは心配そうに僕の顔をじっと覗き込んでくる。


「ずっと不機嫌って訳じゃないんだよね?」

「うん」

「百瀬くんさ、ひょっとして修学旅行は楽しくない?」


 正直に言えば、あまり楽しくはない。けれど、それでいいはずだ。グルメに観光、友達がいなくとも楽しむ方法なんて沢山ある。

 ただ、正直にそう言うのは楽しそうにしている犬井さんには悪い。


「……笑うのが苦手なんだ」

「じゃあ練習してみようよ! 百瀬くんの笑うところを見てみたいからさ!」


 そう言って、犬井さんは自分の口角を指で吊り上げて笑顔を作って見せた。


……何というか、彼女はすごく明るい人だ。僕なんかには勿体ないくらい。


「……後で練習しておく」

「えぇ~! 照れ屋なんだから!」


 猿回しが終わって芸人さんが集金を始めたとき、スマホの着信音が鳴った。


『修学旅行は順調か? 彼女作って楽しんでこいよ! 父ちゃんはお花を摘んでいます!』


 父さんからのメールだった、内容は相変わらず最低だ。ご丁寧に画像も添付して、風情もクソもない。


 まぁ、返信は後回しでも大丈夫だろう。有給を取っていつもみたいに朝から酒を飲んでいたし。

 アプリを閉じ、ホーム画面に表示されている時刻を確認する。


「そろそろロータリーに向かおう」

「えっ、なんで!?」

「集合時間、置いて行かれる」

「えぇ~まだ居たいよ……って置いて行かないで!」


 渋る犬井さんを放って行こうとすると、彼女は駆け足で後をついてくる。


 2時45分、集合まで残り15分だ。



「あれ、バスがいないね?」

「おかしいな、場所はここだったと思うけど」


 10分前に駅前のロータリーに着き、辺りを見回すが修学旅行のバスが見当たらない。

 確認のため地図アプリを開くが、ここがロータリーで間違いない。


「時間、間違えちゃったのかな?」

「いや、合ってるはずだ」


 こういう時の当然の行動として、集合時間と場所をRUINのグループで確認するというのが浮かぶ。


……よく考えたら僕はグループに入っていなかった。目立たないように生きる上での弊害だ。


「……犬井さんは修学旅行のしおりって持ってる?」

「あるよ! えっとね……」


 そう言って犬井さんはフリースのポケットに手を突っ込む。

 だが見つからなかったようで必死に内ポケットを探し、それから焦ってもう一度外のポケットをまさぐりだした。


「……バスの中みたい」

「……おぉう」


『しおりは肌身離さず持ち歩く物だろ』と言いたくなったが、僕が人の事を言えた立場ではなかった。


「犬井さんはクラスのRUINには入ってる?」


 僕がそう問うと、彼女は首を横に振る。確認する術は無しか。

 藁にも縋る気持ちで僕もブレザーのポケットを漁った。だが、やはりしおりは無かった。


「集合時間と場所は覚えてる?」


 こんな踏んだり蹴ったりの状況でも、しおりの内容は何となく覚えてる。

 3時に駅前のロータリーに集合。それから出発して1時間ほどでホテルに着く予定だった。


「ええっと、3時にこのロータリーだったよね?」

「だよなぁ……」


 2人で情報を照らし合わせても、結果は何一つ変わらなかった

 今は集合時間の10分前だ。今頃はバスが来ているはずで、何かがおかしい。


 辺りに同級生はいないかと通りで歩く人を探している時、犬井さんが僕の肩を叩く。


「ね、ねぇ、百瀬くん……あ、あれ見てよ」


 僕の気が立っていく中、裏返った声に呼ばれて振り向くと犬井さんは震える指で遠くを指さしていた。その顔は血の気が引いて、体はわなわなと震えていた


 通りを横断する道路の奥、霞んで消えるかのギリギリのところに細長い車両が見えた。


「あ、あのバスってさ……」


 ぼんやりと見える白いボディーに緑とオレンジのボーダー、僕らが乗ってきたバスにそっくりだ。


 それが3台連なって遠くを走っている。間違いなく団体様のバスだ。つまり――


「……置いて、行かれたのか」


 どうして順調に進まないのだろう。


「置いて行かれたのか、じゃあないよ!!!」

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