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第16話 犬井の変身と準備

 このまま旅行を続けるべきか、それとも幕を下ろすべきか。


 犬井さんとこの旅を続ければ、僕はきっと何かを見つけられる。そんな気がする。


 けれど、そこには危険な罠がある。不明瞭で中途半端な希望だ。

 中途半端、これが何より危険なんだ。苦しみは据え置きなのに、皮算用を繰り返して期間だけが伸びる。

 ギャンブルと一緒だ。希望なんか考えずに、最初から手を出すべきじゃないんだ。



 バスに置いて行かれた時点でとっとと死ねば良かった、今になって強く思う。



「それにしても遅いな……」



 集合時間から、もう20分が過ぎている。連絡はない。

 幸い買った雑誌を読んでいたから退屈は少なかったが、30分以上は待っている気がする。

 こう感じるのは僕が集合よりも早く来てしまったのが原因だろうが、それはそれとして遅れているのは事実だ。


 犬井さんは服を選んでいるのだろうか、ご飯でも食べているのか、それとも迷っているのか。


 彼女は今、何をしているのだろうか……いや、考えるのはよそう。



 昨日もそうだが旅を始めてから、僕は死ぬことを忘れてしまうことがある。

 今日の朝なんて特にそうだ。本屋で気がつくまで、すっかり忘れていた。

 きっと僕は中途半端な希望を持ち始めているのだろう。悪い兆候だ。


 置いて行かれた時、犬井さんに計画を話してしまったのが良くなかったんだ。


 出来るだけ不自然なく距離を取ろう。あわよくば嫌われて、誰にも思われること無くコンパクトに死のう。


 それにしても……嫌われる、か。

 想像するとチクリと胸が痛む。けれど他に道はないんだ。


 ただ、もう少しだけ続けるのもアリかもしれない……本当に少しだが。



「お待たせ! ごめんね百瀬くん!」


 店内に流れる明るい音楽に負けない、柔らかく弾んだ声。


「大丈――」


 振り返った瞬間、息が止まった。目に飛び込んできたのは、赤らめた頬を掻いて、慣れない笑い方をしていた犬井さんだった。


「……どう、かな?」


 羽織っているカーディガンで隠れてはいるが、白いシャツは鎖骨と首筋が露わになっている。それを引き立たせるように明るい金の髪はポニーテールにまとめられている。

 膝に届く丈のスカートはスベスベとしたコートみたいな生地で……なんて言えばいいんだ?


 これまでは……悪く言えば、底抜けに明るいアホの子という印象だった。

 それが今は一端のお嬢さんと言う感じだ。


 通り過ぎる人全員が犬井さんに一度は目を奪われている、気がする。


「……」

「黙ってないでよ……恥ずかしいじゃん」


 何と言えばいいかが分からない。


 袋を地面に降ろした犬井さんは腕を後ろで組んで肩を揺らし、つま先で地面をグリグリといじっている。


 近い言葉は山ほど浮かぶ……いや、浮かばない。

 言おうと言えば言えるのだろうが、それを言うのは僕の身に余る。ちょうどいい言葉がない。


「まぁ……悪くない、と思う」

「もうちょっと何かない……かな?」


 犬井さんは不満そうに目を細めた。

 二重否定は肯定だろう。これ以上、僕に一体なにを求めているんだ。


「そうは言われても……服のことは分からないし」

「分からないなりにさ!」

「……次は服とかを入れるバッグを買おうか」

「ちょっ! 行かないで! ごまかさないでよ~!」

「置いて行くぞ、全く」





 雑貨屋やカバン売り場を転々としていると、5軒目で品揃えのいい店を見つけた。メーカーだけでなく価格帯も幅広く、安いものもいろいろ取り揃えている。


「ここでバッグを探そうか」

「うん、ここ色々置いてるし良さそうだね!」

「じゃあ、各自で探すってことで……」


 そう言って犬井さんと別々に行動しようと思ったが、彼女は何も言わずについてきた。


……もう、いろいろ面倒だ。別行動は諦めよう。切り替えろ、僕。


 さて、買うのはリュックサックにすべきか、ボストンバッグか、それともスーツケースか。

 スーツケースは歩きの移動や容量の面では便利だが、階段だったり、交通機関を利用する際が面倒だ。

 それに、僕は1つ持っている――今頃はクラスメイトとバスの旅行を満喫しているだろうが。

 とにかく、これはなしだ。


 そうなると、択はリュックサックかボストンバッグか。

 リュックサックは家にいくつかある、旅行用みたいに大きなものはないが。

 ボストンバッグは一つもない。ちょっと試してみたいな。


「これは……大きすぎるな」


 容量が50Lのものがあったが、どう考えても過剰だ。お土産をマンションの全住人に配るつもりはない。

 半分……より少し多ければ十分だろう。そうなると――


「これくらいがちょうど良さそうだな」


 30Lのボストンバッグ。これなら服とお土産もいくつかは入るだろう。それに、意外と安い。

 とにかく、僕の分は決まりだ。


「百瀬くん! これ可愛くない?」


 犬井さんはいいものを見つけたようで、目を輝かせて僕に見せてきた。

 容量は……同じくらいか。大きさと形が僕の選んだものと似ているし。


「そうだな」

「だよね! これにする!」


 さっきの様に高度な感想を求められても厄介だ、早めに認めてしまおう。


「じゃあ、会計を済ませてくるから、犬井さんのも貸してもらえるか?」

「大丈夫、百瀬くんがくれた分で払えるよ!」

「それだと犬井さんがお土産とか買えないだろ」

「でも……うん、分かった」


 犬井さんはバッグを手渡すと、ニコッと静かに笑った。


「その……ありがとね、百瀬くん」

「……いいよ、このくらい」


 いつもはこういったとき、決まって少し苦しそうな表情をしていたが……いい兆候だ、良かった。





「お会計が――」


 合計は1万円強だった。太宰府の時と比べて財布が薄くなった気はするが、まだまだ分厚いままだ。余裕はまだまだある。


 それとレジを通して分かったのは、どうやら僕の買ったバッグと犬井さんのバッグは同じ商品の色違いだったらしい。


……ペアルック、とか言われた嫌だな。このことは黙っておこう。


 ところで、僕の着替えとお土産は十分入るだろうが、犬井さんは大丈夫だろうか。両腕に買い物の袋を下げていたが……





 休憩所までの道で犬井さんから「服を買いすぎちゃってごめんね」と言われた。それはいいのだが……


「あれっ? あれ?」


 時刻は12時前。休憩所に着いた僕らは今、買った服をバッグに詰めている。お昼時だからかフードコートに人が集中しているおかげで落ち着いて服を詰められる。とはいえ、場所は取っているし、長居はよくない。


 僕は買ったものが少なかったから5分で詰め終わった。雑誌を入れてもバッグ全体の3分の1のスペースが空いて、お土産の余裕もできている。


 一方で、犬井さんはその限りではないらしい。


「ふんっ! ふぅ~んッ!」


 彼女のバッグは明らかにパンパンで、ジッパーを閉めるのに苦労している。今も踏ん張って顔が真っ赤だ。


……どうしてそんなに買ったんだ。厳選するか、大きいバッグを選べばよかっただろうに。


 『馬子にも衣裳』と言うべきか、それとも愛嬌か。今の犬井さんをどう評価すればいいのか分からない。

 僕が服をいくつか持とうかと提案したが、犬井さんは「お楽しみだからダメ」と言って断った。僕も持った方が理にかなっているとは思うのだが……犬井さんというか、女子という生物はよく分からない。


「はぁ……やっと閉まった!」


 床に膝をついたまま、バンザイと手を上げた犬井さんはやり切った表情で僕を見た。「褒めて」と言わんばかりに。


「おめでとう」

「えへへ、ありがと!」


 原因が原因だけに、褒められたものではない気がする。けれど、面倒だしもう考えないでおこう。





「ねぇねぇ、百瀬くん。これからどうするの?」


 数ある飲食店から空いている店を探しているとき、となりを歩く犬井さんが口にした。

 相変わらず、通り過ぎる人の視線は犬井さんに集まっている。


「まず昼ご飯を食べる。それと――」


 横目で犬井さんを見る。両手でバッグを持つ彼女は、どことなく上品さが出ている。

 歩くごとに軽やかに揺れる彼女の金の髪と服が上品さの正体だろうか?


……認めたくはないが、絵になるな。


 今日まで気が付かなかったが、実は犬井さんは俗に言う美少女……なのかもしれない。

 中身は少し……アレだが。


「どうしたの?」

「……何でもない」


 こちらの視線に気付いたようで、思わず僕は目を背ける。すると犬井さんは近づいて、気まずくて顔を背けるとさらに体を寄せた。


「待っている間にある程度、今日の行き先を決める。それと、離れてくれると助かる」

「恥ずかしいの~?」

「歩きづらいんだよ」

「あっ、ごめんね!」


 犬井さんは僕から1歩だけ離れた。さっきなんて肩がピッタリくっついて、歩きづらいったらありゃしない。


 それに――結構恥ずかしい。

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