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第10話 2平方メートルで川の字

 一人用とは聞いていたが、こんなに狭いのは想定外だ。もはや、部屋というより壁に埋め込まれたベッドだ。

 調べたところ、どうやらここはカプセルホテルというものらしい。箱型の個室をたくさん並べた宿泊施設……だそうだ。


 部屋の――部屋と呼ぶには少し無理があるが――幅はマットレス1枚分、足を伸ばしても外にはみ出さない、寝返りも打てる。正座をすると天井に頭がぶつかる。

 足元には申し訳程度の薄手の毛布が一枚。右手にはコンセントがあり、夕飯の帰りにコンビニで買った充電器をつなげている。


 ただ、そんなことは今はどうでもいい。

 一番の問題は、ここにもう一人来ることだ。2人で入れば寝返りどころか、横並びで寝られるかすら怪しい。


 正直、部屋に対しての文句は色々あったが、それを言うのは人として最悪だ。

 遥野さんには無理を言って泊めてもらった上に、リスクを負わせてしまった。本当に頭が上がらない。明日、改めてお礼を言おう。


――それはそれとして、だ。


「さて、これからどうしたものか……」


 というのも現在、大きな問題が三つある。


 一つは決めないといけないことがたくさんあること。

 ざっと挙げてもどう寝るかにいつ起きるか、朝食はどこで食べるか、着替えはどうするか。

 特に着替えは最優先だ。制服や部屋着をバスに全部持っていかれてしまった。今頃は持ち主不在のバッグが二つ、ホテルに到着しているだろう。


 そしてもう一つ、この先の計画が全く決まっていない。

 明日はどこへ行くか、何日かけて帰るか。潤沢にあるとはいえ予算には限りがある。予算のもとで日数や規模のバランスを考えないといけない。

 これに関しては犬井さんと相談しよう。



 そして一番重要な問題――いつ死ぬか。


 犬井さんに止められたとはいえ、諦めるつもりはない。どう生きるかではない、どうバレずに死ぬかだ。

 財布の札入れを覗くと、銀行から引き出した一万円札の束――それと包装された薬が6錠。


 薬の効果は自分で試したからよく知っている。


 重度の不眠症のための薬ということもあって、何もない僕が使うと1錠だけでも丸一日起きれなくなる。起きてからもズキズキとした頭痛がしばらく続いた。


 2錠からの効き目は知らないが、6錠もあれば多分死ねる――少なくとも、母さんは4錠だった。


 薬を見ていると、僕はいつも母さんのことを思い出す。けれど今は犬井さんの顔がちらつく。


 彼女は元気いっぱいで、すること全部が行き当たりばったりで、どうしようもなく純粋だ。


……もし今、ここで僕が死んだら、誰が明日からの犬井さんの面倒を見るのだろう?


……いや、考えるな考えるな。僕の知ったことか。


 彼女がいると調子が狂う。彼女の面倒を見ていると、余裕がなくなるんだ。




 今しかない。




 深く息を吸って、吐く。



 カチカチと一緒に飲む水のペットボトルを開ける。



 プチプチと薬の封を破り、1錠ずつ、手に並べる。



……これで、いいのか?



 ふと頭によぎり、目を向けると手が震えている。



 分かってはいたが、死が目の前に迫ると、どうしても怖気づいてしまう。



 こんなに動揺するのは、きっと疲れているからだ。それに泊っているのが、この雑な棺桶みたいな狭い部屋だからだ。



 落ち着け、ただ飲み込むだけだ。



 手にあるものを、口に入れて、飲み込むだけだ。



 手のひらを口元に持っていって、それから――




「お待たせ、百瀬くん!」

「はぁ!?」




 それは場違いも甚だしい元気な声だった。


「あ、ごめん! 大丈夫? 手伝おうか?」


 クソッ、最悪だ。どうしてこのタイミングで?


「だっ、大丈夫! 自分で集める!」


 犬井さんが身を屈めて部屋に入ろうとする。


 まずいまずい……また面倒なことになる。


 僕は震える手であちこちに散らばった薬を集める。

 そして戻そうと入れ物を探すが、薬のアルミ箔はちぎってしまって元には戻らない。


……だいぶ汚い気がするが、小銭入れに押し込もう。

札入れよりは落としづらいだろうし、しまう場所がない以上は仕方がない。


 そうして犬井さんが腹這いで入ると、僕らは川の字になった。なんとか入ったが、壁と彼女の肩にぴったり挟まれて窮屈だ。


 犬井さんの体に触れないように体の向きを変えて彼女の方を見ると、先にこちらを向いていた彼女と目が合う。


「どうしたの百瀬くん? さっきはすごい焦って、息もハァハァしてたけど?」


 何も知らない犬井さんは目を丸くして心配そうな声で聞いてくる。

 風呂上りなのか、細い首や長い髪のあたりからほのかにボディーソープの甘いミルクの香りの湯気を感じる。


「何でもない。気を抜いて小銭をばら撒いただけ」


 本当のことなんて言ってたまるか。また揉めるのは面倒だ。


「……赤いお金なんてある?」

「そう見えただけだろ」

「……ふぅん、そっか」


 表面上は納得したように頷く一方、疑いの目に口を尖らせ明らかに納得のいっていない様子だった。


「そ、そう言えば、遥野さんは何か言ってたか?」


 お茶を濁すために聞くと、犬井さんは元の調子に戻る。


「うん! えっとね! 遥野さんから聞いたんだけど、今日のラーメンって遥野さんがレシピに関わっててね!」


 彼女は嬉々として語り出した。


「それで、大将のおじさんとケンカしたりもしたらしいんだけど、頑張ってお客さんを増やしたんだって!」


 はしゃいでいて、肩が少し揺れている。


「そうなのか……」


 色々気になることがあるし彼女が楽しそうなのも何よりだが、そういうことを聞こうとしたんじゃない。


「……もっと事務的なやつは無かった?」


 そう聞くと、犬井さんは首を傾げて考えだした。


「事務? あっ、オーナーに見つかると面倒だから、朝の5時半くらいにはチェック……メイト? をして欲しいって!」

「チェックメイト……チェックアウトか」

「そう、それ!」


 正解!と僕を指さした。なんというか、犬井さんは天然というか、知らないことが多すぎるな。


 それからの彼女は――


「お風呂、すごい広くってさ――」

「そうだな」


「遥野さん、のぼせちゃったみたいで――」

「そうか」


 他愛のない話をいくつもするが、一気に出て来た気疲れのせいで頭に入ってこない。



 とにかく、薬のことは誤魔化せたみたいでよかった。



 それにしても、チェックメイトか……オーナーの首でも刎ねればいいのか?



「……とにかく、5時半か。なら、すぐ寝ないとだな」


 壁に埋め込まれている時計は10時を指している。


「5時に起きて、30分で準備して、それで、チェックアウトしてから……」

「百瀬くん、ウトウトしてる?」


 薬のことの不安が無くなったからか、一気に眠気が押し寄せて来る。

 明日のことを考えないといけないのに頭が全く回らない。


「……寝よっか、百瀬くん」


 有無を言う間もなく犬井さんは足元の毛布を広げ、さらりと僕の上に掛けた。


「……まだ、考えないと。明日が」

「今日は休もうよ。百瀬くん、すごい頑張ってくれたじゃん」


 そう言って彼女は僕の頭を撫でる……どうして僕は子供扱いを受けているんだ。

 こっ恥ずかしさから払い除けようにも、もう腕すら思うように動かない。


「明日のことは、明日考えよ?」


 でも、もう眠気は限界だ。


「……そうか」


 最後の力を振り絞って、体の向きを変えて壁の方を向き、スマホでアラームをかける。


「じゃあ、おやすみなさい」

「あぁ、おやす……おい」


 壁のつまみを回して電気を消して目を瞑った時、問題は起きた。


 暗い中で犬井さんは寝返りを打とうとしたのだろう。



「なっ、なに?」


 彼女は、その……距離感がおかしいんだと思う。著しく。

 それと、この部屋が窮屈なのが悪い。大いに。


「その……だな、犬井さん。大変申し上げにくいのだけれど……」


 狭い以上、ある程度体が密着するのは仕方がない。でも、これはダメだ。

 まぁ、つまり、なんだ……妙な柔らかさ。

 だから……背中に、胸が当たって――


「どうしたの、そんな硬くなって?」


 コイツ、どういう意味で言ってるんだ。


「お互い、壁の方を向いて寝ようか。そうすれば……平和だ」

「? ……分かった」


 背中の方からよく分かっていないのか、あまり納得していない声が聞こえた。

 それからすぐにゴソゴソとマットレスの擦れる音がする、体の向きを変えているのだろう。


 これで、ようやく眠れる。


「じゃあ、おやすみ」

「うん……おやすみ」


 柔らかい声だった。

 重たいまぶたを下ろす。意識が蒸発していく。楽だ。


「お疲れ様、百瀬くん」


 優しい囁き声。頭に、優しい感じがする。撫でられているんだ。


……何か、すごく変だ。


「……うん」


 でも、今はいいか。



 すごく……落ち着く。

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