新たな生活に向けて
薄暗い森の中、木々の間を颯爽と駆け抜いていたアインスは足を止めた。
「あ、ファウスト」
青と白が主色となるローブを身に纏い、杖を持った男を前にして言い放つ。
一応は運が良ければ会えるかもと思い、ファウストがいたであろう場所からの逃走経路を考えて遠回りをした。
結果は功を奏したらしい。
「おぉ………。生きてたんだな、お前」
「一言目にそれか。私がしぶといのはファウストが一番知ってるだろ」
「だからだ。 お前が生きてんなら意地でもイネルイオスの所に来ると思っていた。まぁそれは俺の考え過ぎで当の本人は一向に来ず、一人でイネルイオスの相手をする事になったがな」
「ご苦労」
「うっせ」
呼吸を合わせたように二人は走り出す。 魔物で固められた廃国から出れたといってもまだそう遠くはない。
来るかも知れない追手と出会すかも知れない新手の魔物に神経を張り巡らせつつ、ツキノヨとケディックは無事に逃げ切れたのだろうか、という悩みの種が頭の片隅にあった。
「アインス」
「ん?」
「お前、…………あいつら見たか?」
人か魔物。
アインスにとって"あいつら"の候補が二つあった。そのため『あいつら?』と、同じ言葉を使って問い返す。
『ツキとケディ』
ファウストはこの場にいない仲間二人の名前を言った。
そっちか、とアインスは思う。その二人は今し方考えていた。 ある程度は説明出来るが、同時にファウストの声色に引っ掛かった。
どこか緊張を含んだ感じ。
そんな声で発した件がツキノヨとケディックの事ならばとすぐに理解した。
先の戦いの序盤。恐らくは、イネルイオスの攻撃によって離れ離れになってから一度も会っていないのだろう。 より過剰に推測するなら、ファウストの脳内では消息不明の仲間二人が最悪な形でいるのかもしれない。
だから。
「心配するな。作戦を始める前に二人とは会ってる。作戦も上手くいったし、無事に逃げ切れてるだろう」
アインスは自身の不安もかき消すようにハッキリと言った。
一応は納得したらしく『そうか』とだけ返ってくる。
問題はこの後。
「で、その時に二人と話してたんだけど」
「?」
「逃げ切ったあとはそれぞれ好きな事をしようってなった」
「…………………………、」
事後報告で悪いと続けて言うと沈黙が訪れ、アインスとファウストは立ち止まった。
目の前に広がる沼地。底なし沼の可能性や、足場に気を取られて魔物に襲われる危険性がある。
などと、そんな程度で足を止めた訳ではない。
ファウストはボソリと呟いて地面を凍らせた。なんて事はない。普段の旅でよくある場面。
その間もファウストは無言だったが、しばらくすると一言。
「その案、言い出したのはお前、か…?」
どこか歯切れが悪い。
アインスは不思議に思いつつ『ああ』とだけ返すと、ファウストは肺に溜まった空気を全て出すかのように息を吐いた。
「それを先に言いやがれ。ツキかケディかがパーティーを離れたがってたのかと思ったわ」
「あ、悪い」
「ったく。………まぁそういう事なら良いぜ。ちょうどお前らの顔にも見飽きてたからな」
何故だかパーティー仲間の男二人は、こうした憎まれ口を叩く時がある。
冗談や軽口の一種だと理解はしているのだが、アインスからすると必要性が感じられないのだ。
まぁそういう人達だから、と大雑把に受け入れていても良い気がしないのは事実。
言った事を後悔させるためにずっと変な顔でもしてやろうか、と一瞬だけ本気で考えた。
「ツキノヨ達に納得したのなら次は私の番だ」
ファウストは黙ってアインスは見る。
「なんで逃げる事にした? ファウストの方で何があった」
結果的にはアインスも同じ逃亡という選択をした。
だがそれはイネルイオスの力が強大で、廃国の至る所に魔物が散らばっていて、底知れない力を持つ吸血鬼がいたからなどという要因が諸々あったからだ。
開幕からイネルイオスの相手をしていたファウストは、吸血鬼がいた事を知らないはず。
考えられるのはアインスが体感し想定していたよりも、イネルイオスが手に負えない存在だったという事。
「………あの場所に、厄介な奴がいたかもしれねぇ」
「イネルイオスじゃなくて?」
「そのイネルイオスの野郎が言いやがったんだ。"吸血鬼"が遊びに来てるってな」
「…………、」
何やら馴染みのある単語が出てきたが、まずはファウストの全容を聞く。それから言いたい事を言おうとアインスは決めた。
「お前も知ってんだろ。魔物の中でも抜きん出た力を持つって噂の種族」
「まぁ、一応は」
「あのクソ野郎は聞いてもねぇ事をペラペラと喋り倒すような奴だった。俺には、吸血鬼がいるってのが冗談に思えねぇ」
「その吸血鬼が参戦すれば私達は負けるって?」
「充分にあり得る事だ。 それに、仇でもなんでもない野郎に全霊かけて挑むつもりはねぇよ」
「なるほどな」
結局はアインスと差異のない逃亡理由だった。
クエストは放棄しても、ギルドを通して他の冒険者に新たな情報が渡りさえすれば、我こそはと手を挙げる者が出て来るだろう。
栄光、名声よりも結末。
イネルイオスの首さえ取れれば、それが誰であろうとアインス達にとってはどうでも良い話だ。
「ちなみに、イネルイオスから聞いたのはそれだけか?」
「あ?どういう意味だ」
「たとえば、『この体には吸血鬼の力が取り込んである!』みたいな」
「…………おい、ちょっと待て」
ファウストが足を止める。
「お前、何を知ってやがんだ」
「私が戦っていたのはイネルイオスを吸血鬼にした張本人だよ」
ッパン!と、ファウストは自身の額を叩いた。
そのままノックするかのように、コツンコツンと指先を当てながら。
(イネルイオスは吸血鬼にさせられたで良いのか……。再生能力があって珍しいと思ったが、それなら並外れた魔力はともかく、膂力が化け物じみてたのも説明つく)
しかし、それとは別にファウストは思う。
アインスカーラ。こいつは吸血鬼の事を知ってて黙ってやがったのか、と。
「お前が吸血鬼の名に反応が薄いと思ってはいたが………、妙にボロボロなのはそのせいか」
「一発まともに食らっただけだ。逆にそっちは一人でイネルイオスの相手をした割に綺麗な恰好だな。意外となんとかなっちゃった?」
ローブの裾から流れた血。それがアインスから見えるファウストの負傷箇所だった。
「お喋りな野郎だったって言ったろ。自慢出来る事じゃねえよ。 つかお前、吸血鬼なんてよく殺せたな。噂ほど強くなかったのか?」
「噂以上に強かったから、また会う約束だけして逃してもらった」
「ふーん。お前ってたまに馬鹿丸出しな事言うよな」
「事実なんだからしょうがな、い…………ファウスト?」
アインスは目を丸くした。
隣の魔法使いのところに一つ、氷の球体が現れたのだ。
手のひらよりも大きく、ふよふよと宙を漂っているそれはファウストが出した魔法。
彼が戦闘の際に用いる手法。
なぜ今? とアインスは困惑していると、氷の球体は二人の後方へ向かい、球体の形は変わって。
ギュゴッッッ!!! と、先端の尖った氷の柱が真上に突き上がった。
「まさかな」
ボソリとファウストが呟くのと同時、上空では奇妙な声が響き渡る。
「お前が気付いてないとは思わなかったぜ」
「……私も、驚いたよ」
アインスが見上げる所には、氷の柱に刺し貫かれた魔鳥がいた。
ぐうぜん空を飛んでいた訳ではないだろう。
空気の流れが変わった。今はまだ何もない木々の向こうから肌に刺さる異様な気配。
彼女はようやく追手の存在を察知した。
「たぶんそんなに多くなさそうだし、一気に片付けようか」
「断る」
アインスは迎え撃つために構えをとるが、逆にファウストは杖を肩に担いで嫌悪にまみれた表情を見せる。
「えっ、ことわ…………なんで?」
「敵に気付ねぇような足手纏いがいたらこっちが死んじまう。邪魔だから先に行ってろ」
「………………、」
アインスは静かに目を閉じた。
関節、筋肉、五感それぞれを最小限で働かせる。
「確かに感覚が鈍いかも。 魔力はある。 左手首の動きが固い。 右足はわずかな遅れ。…………問題ないな」
幼い頃から冒険者として旅をしていた彼女は、常日頃が万全な状態だ。
体の損傷。環境の変化。精神の乱れ。
旅の途中これらが全て安定している事はほとんどない。 だがそんな欠陥を抱えている者に狙いをつけるのが、魔物を主とした生物達。
白旗を掲げても待ってくれず。
命乞いは興奮材料。
だから彼女は、こちらの事情なんてお構いなしに来る敵に対して、いつどんな状態であっても完璧に動けるように仕上げた。
言わば、高熱が出て目眩を起こし、五体に傷を負っていたとしても、彼女にとっては万全な状態だ。
「弱ってる所は他の部分で補える。邪魔になることはないから安心しろ」
「……………なぁ」
「ん」
「お前、パーティー離れて何をするんだ?」
「それ今する話…!?」
「そういや聞いてなかったなって思ってよ」
張り詰めていた空気が霧散する。
次の瞬間にも敵に襲われるかも知れない中で、アインス達は呑気に目を合わせた。
「まぁ、なんというか……………みんなには怒られそうなんだけど」
「おお」
「明確にやりたい事がある訳じゃなくて、ゆっくり生きてみたいなぁ……と」
途端に彼女は手を振り乱す。
「ご、誤解はするなよ…! みんなと居るのが嫌だとかじゃないから、」
「お前が腹ん中で一ミリでもそんな考えしてたんなら、パーティーは早くに解散してたかもな」
被せ気味にファウストは言いながら、アインスに背中を向けて立つ。
「言い方を変える。 ここは引き受けるから一足先に楽しんで来やがれ」
「………分かった」
それでも一緒に戦う、とはならなかった。
そもそも、自信満々で不敵な笑みを浮かべるこの男に任せておけば何も問題はないのだ。
「それじゃあ任せるけど、ファウストこそゆっくり過ごしてくれ。……あっ、倒れても私はいないから、魔法の研究はほどほどにな」
片手をヒラヒラとさせながら二歩、三歩と進んだところで振り返った。
嫌味を言ったせいか返答がない。
「ファウスト?」
「………………あ?まだいたのかよ。さっさと行け」
しっしっ、と追い払われる。
アインスは『はいはい』とあしらうように返した。
「お前が気取られたら奴らは追うかも知れねぇ。しばらくは本気で走れ」
「分かってる。………気を付けろよ、ファウスト」
そう言ってアインスは地面を蹴った。 あっという間に後ろ姿も見えなくなる。
程なくしてからファウストは一度だけ振り返った。
そこにはもう既に気配すら無い。
「……………ふん。やっと行きやがったか」
何時間も息を止めていたかのような息苦しさが解放される。
心が軽くなった代わりに、膨大で濃厚な殺意が膨れ上がった。 ピキ、パキン……とファウストの周りに氷の球体が三つ出現すると、彼は前を見据えて口を開く。
「まだ喋り足りなかったのか……。しつこい野郎だな、テメェは!!!」
ーーーーーーー
アインスカーラ。
その後の彼女は休憩しながら歩を進めること二日。
新たな生活の拠点となる街。【セイス】に辿り着いていた。




