プロローグ
<はじめに>
1971年頃の大学受験の条件に理科系における医学部、薬学部、獣医学部、その他ほとんどの学科では、色覚異常は、不合格とされており、受験することができなかった。現在は色覚異常のうち赤緑色弱は目の特性の一つであり、色を識別する錐体細胞の認識が多数派と違うタイプに過ぎないと考えられている。赤緑色弱は赤が見えにくい反面、微妙な緑の違いを容易に識別できるので、新緑の季節の美しさは、言葉にならない感激を味わうことができる。このことを“Super Green Eyesの持ち主❞と言う。このような色覚異常は日本全体で300万人以上、世界的には、およそ2億5千万人存在すると言われている。現在は、機能的色覚レンズのメガネを装着すれば普通に見えるようになっている。
本書は、母親の病気を治したいがために、色覚異常を持ちながらも、あえて医師を志した若者の物語である。
コンペイが小学校4年生の時、将来何になりたいかと聞かれた時に、宇宙飛行士になりたいと答えたのだが、担任の先生に「コンペイ君は、目が悪いから宇宙飛行士にはなれんよ。」
と言われた。その時、目は普通に見えるのに、どこが悪いのだろうと訝った記憶がある。高校3年生の1学期末の担任面談で、大学受験の志望の聞き取りがあり、第一声が「君は色覚異常があるから理科系にはいけませんよ。」と言われたのであった。この時の志望は、文学部か法学部だったので何とも思わなかったのだが、ふと、昔、感じた違和感を思い出したのである。
夏休みになる前にコンペイの母親が病気になった。SLE(全身性エリテマトーデス)、強皮症、関節リュウマチの3つを合併した膠原病で、特に両手の指が、夏にもかかわらず、冷たくて、真っ白になり、手袋が必要であった。指先に傷ができると、いつまでたっても治らなくて、いつも痛そうな様子であった。地方の病院ではどうしょうもなく、関西の某大学病院を受診したけれども、現在は治療法がないと言われた。薬の副作用で顔が満月のようになっており、近くの病院に入退院を繰り返していたのである。
夏休みになって、1日中、母親の苦しそうな顔を見て、何とかならないかと考えるようになった。しかし、いくら考えてもコンペイの頭では、どうにもならなかった。勉強も手に付かず、毎日悶々とした日々を過ごしていた。8月1日の朝、突然飛び起きて声に出して、コンペイは叫んだ。
「よし。俺が医者になって母さんの病気を治して見せる。」
しかし、勢いよく決心したものの、コンペイの学校の成績は中の下であり、さらに致命的な色覚異常がある。それに受験まで限られた時間しかない。まさに、無いない尽くしの悲惨な状況であった。しかし、コンペイは負げずに行動計画を立てた。まず本屋さんに行って色覚異常についての本を購入した。同時に色覚検査の本も探したが、無かったので行きつけの眼科を受診して、検査の本について教えて頂いた。そして2冊の色覚検査の本を注文した。次に医学部受験科目の本を購入した。又、目星をつけた大学医学部の受験要綱を取り寄せた。今まで、やっていなかった理科系の科目の選択を行った。記憶で対応しやすい、化学と生物を選び、数Ⅲが追加された。決心したその日の夕食後からコンペイの医学部受験がスタートした。受験日まで残る期間は6ヶ月である。コンペイには、有り得ないことであったが、食事と睡眠時間以外は机にかじりついて勉強して夏休みを過ごしたのである。2学期になって、少しだけ成績が上がったが、とても医学部には届いていなかった。信じられない事であるが、2学期になっても夏休みと同じペースで勉強を続けることが出来たのである。2学期末には、かなり成績が上がった。この時期に担任面談があり、そこでは遠慮して獣医学科を志望と伝えたが、担任は一言「君には無理だよ。」と言われてしまった。
冬休みは順調に勉強して過せた。明けて1月に最終の志望校の確認のための面談があり、その時は薬学部志望と伝えた。
「バカかね、君は。どんなに頑張っても無理なものは無理なんだよ。」と、担任は呆れ顔でコンペイを見詰めていた。2月になって受験の願書を出す時に、担任に医学部を受験しますと伝えたが、「もう、勝手にしたまえ。」と担任は見向きもしなかった。
勉強と併行して色覚検査本の内容を詳しく検討して、今までの検査で、検査本にひっかけられていた弱点が見付かった。赤緑色弱は字の形を追うとき、明るさと鮮やかさで見分けようとしていたのであった。しかし、それで見えたものは、不正解であり、色相で見えるものが、あくまで正解なのであった。検査本の色相はドンッとは目に入ってこないが、1つ1つの色を辿っていけば正解は意外に簡単に見付けることが出来た。今までの一生の中で、この検査を3回受けた。検査の時の1枚の所要時間は1秒足らずでチェックされていたので、検査本の作者の作戦に完全にはめられていたのである。この対策で受験の時の色覚検査はクリアー出来た。幸い志望の大学医学部に入学できたのであった。