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灰は眠らない  作者: 諒
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3

 公判のあった日の夜、私は食事を摂らなかった。珍しく湯気の立つスープと柔らかいパンを供されたけれど、一切手を付けず、見張りの兵に下げ渡した。兵は恐らく平民で、獣じみた目で皿と私を見比べたあと何かを疑うように皿のにおいをかいで、「まだ毒は入っていないわよ」という私の言葉を聞き、しばらく悩んでから意を決したように口をつけた。もちろん毒が入っていない保証はなかったけれど、父の性格を考えればこれではないと思ったのだ。案の定、私の夕食を口にした兵は2人とも無事だった。普段あまりろくなものを食べていなかったのかもしれない、彼らは私に「ありがとう」と礼まで述べた。どういたしましてと微笑めば、彼らはそろってしなびた顔を笑み崩した。


 そして、明かり取りの窓から見える月が傾き、見えなくなるまで、私は蝋燭の灯を絶やさず黙ってベッドに腰かけていた。来るなら今夜なのだ。私ならば、そうする。

 思っていた通り、夜半に兵たちの気配が消え、代わりに複数の足音の近づいてくるのが聞こえてきた。


「……エリシア、エリー、起きているかい?」


 監視用の覗き穴の向こうから燭台の光が差し込まれる。明かりに照らされてほのかに白い肌が見えた。


「……あら、予想が外れたわ。毒杯を運ぶ役割は義姉さまだったのね」


 皮肉っぽく言い放つと、こちらをのぞき込む形の良いアーモンド形の目が少しだけ歪められた。


「義姉さま安心して、食事はとっていないわ。吐瀉物の中で見苦しく死ぬなどいやだもの」

「エリー……」


 まったく義姉は、ラヴィーナ・ランドスピアは大した女優である、今日の法廷で自分もなかなかの才能があるのではないかと思ったが、いやいや、義姉には劣る。このような状況にあってさえラヴィーナはなおこちらを労わるような声を出し、まるで泣くのを必死にこらえているようでもあった。心底義妹を憐れみ嘆いているような気配が、扉を貫通するようにこちらにまで流れてきている。私は軋むベッドから体を起こし、扉へ歩み寄った。顔が少しだけのぞく程度の穴の向こう、ランドスピアの血をわずかに汲む女がいる。死んだ父に遺してもらったのだと嬉しそうに語っていた、美しい菫色の瞳に指を突き立てたら、彼女はいったいどんな悲鳴を上げるだろう?


「名門公爵家の顔に泥を塗ったわたくしは、潔く死ねと。知っていたわ、お父様はそういう方だもの」

「……エリー、聞いてくれ。きみに毒杯は与えない。きみは――――”瘴気の森”に追放される」

「…………へえ?」


 うん、これは予想外だった。王国を蝕む”瘴気の森”。生きて帰った者はいない、究極の流刑地。合理的な父にしては無駄が多いと言わざるをえないが、どういう意図があるのだろう。

 扉の向こうで義姉がかすかに笑った、気がした。


「違うよ、エリー。養父様ではない。わたしの提案だ」

「あらあら、それはそれは……嫌われたものね? 簡単には殺さないし、死体も墓に葬らない……知らなかったわ。義姉さまはとても陰湿だったのね」


 負けじと笑ってみせた。勝ち負けではないし、そもそも勝敗はとうについていて、どうあがいても覆しようのないほど私の完敗なのだけれど、それでも笑いたくなったのだ。


「卑しい傍流の娘が、本家の娘に成り代わる。大したものだわ。これでゼニス殿下もあなたのものね、義姉さま、おめでとう。そうやって手に入れた幸せが虚像でないことを、遠い”森”からずうっと、ずうううっと、お祈りしているわ」


 義姉は、何も答えなかった。ただ扉のあちらで、何かを言いかけて飲みこんだのはわかった。他人を傷つけるような悪趣味はないけれど、この美しい姉の胸に爪を突き立てるくらいはしておく必要がある。忘れるな、忘れて幸せになるな。おまえが踏みにじった亡霊に呪われるがいい。夫と睦み合うたびに、抱いた子が微笑むたびに、誰を引きずり落としたのか、思い出せ。

 間を置かず扉が押し開けられ、立ち入った兵士たちが私を取り囲んだ。


「触るな、下賤の者が」


 一喝すれば兵たちはそれだけで動きを止めた。所詮彼らは駒でしかなく、支配者に逆らうことはできない。ただの小娘だと思われたのならば癪なので、きちんと理解してもらわねばならない。いったい自分たちがどのような存在に縄をかけているのか。


「北の塔だろうと”瘴気の森”だろうと、自分の足で歩けるわ」

「さすがだね……」


 兵の静止を振り切るようにして、ラヴィーナが歩み寄ってきた。女性にしては長身の義姉の、がっしりした手で両手を掴まれる――何かを握らされた。菫の瞳がこちらを見つめている。家族の誰にも似ていない、菫の瞳と漆黒の髪。鼻先の距離、少し身動ぎすれば口づけもできるその距離で、義姉は確かに笑っていた。


(……飴玉?)


「餞別だよ」


 小鳥に喩えられることもあった私の声とは対照的に、やや低く硬質な義姉の声が、耳元で小さくささやいた。


「”森”についたら食べるんだ。いいかい、それより前はいけない」


 思わせぶりな決別の言葉。それがほんの少しだけ優しげな声音に聞こえて、思わず少しだけ眉をひそめたけど、ラヴィーナはそれ以上口を開かず、兵士たちの向こうに姿を消した。

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