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クロセリア市長レミオ・トーヴァは、ようやく出そろった調査隊のリストを机の上に放った。必要としていた人員数は充足できたし、なにより”本物の魔術師”が出てきてくれたことが喜ばしい。レミオは傭兵を募集するにあたり、魔術師であれば厚遇を得られるという噂を街に流した。幸運にも訳ありな魔術師が出てきてくれた――あの「アシュ」とかいう青年だ。
(望外の掘り出し物だったな……)
茶で唇を湿らせながら、レミオは思わずにんまりとしてしまう。ある程度技量を持つ魔術師であれば、それだけで職を得ることができるこの国で、あえて流れの傭兵をやっているような連中は、たいていが何かしら表に出せない事情持ちであり、かつ安定的な収入を持っていないため経済的に困窮していることが多い。面談で話を聞いた限り、アシュもまたその口だ。調査が恙なく終わったらクロセリアに残ってくれるように頼み込んで、なんとか確保したいところだ。
クロセリアには、もともと魔術師が極端に少ない。魔術師は王国の北部と東部に生まれやすく、西部と南部では、貴族であっても平民と変わらぬ程度の魔術しか使えない者も珍しくはない。各貴族は婚姻を通して互いの血を混ぜているから、理論上は魔術師の血は全土にばらまかれているはずなのだが、どういうわけだか偏りが生じてしまうのだ。
クロセリア市長として街を守り発展させるため、レミオは以前から魔術師の確保を望んでいたものの、なかなかそれは叶わなかった。大っぴらに募集をかければ、王家から要らぬ疑いを招きかねない――技量のある魔術師は、すなわち戦力であるからだ。こういう大義名分のあるときに、ついでとばかりに流した噂がうまく機能してくれたのは何よりだった。
人払いをして行った面談によれば、アシュは東部オランドール公爵領出身の平民だそうだ。病気持ちの娼婦の腹から生まれ、父親は誰かはわからない。銀貨1枚で女を2人買えるほどの最下層の娼館であったから、父親は貴族ではないだろうと思っている、と彼は神妙な顔で語った。しかし瞳の色が公爵家の直系と似通っているせいで公爵家からは睨まれるし、やっかいな出自を疑われてまともな職にも就きづらいため、大陸中を放浪してきたのだという。サエルという中年男とは、その旅の中で知り合ったそうだ。彼はアシュの師匠兼保護者である――サエルは魔術が使えないが、それを補って余りあるほどの格闘術の使い手だと、アシュが一生懸命説明していたことを思い出す。
サエルと一緒ではなければ調査隊には入らないとアシュが言い張るので、それくらいならばとレミオは彼の願いを承諾した。痩せぎすの中年男1人の食い扶持が増える程度で、あれほどの才能の持ち主を手に入れられるならば、安いものだ。それに、サエルの実力は不明ながら、もしも本当に優れた武術家であるなら、彼にもまたクロセリアに仕官してもらえばよいだろう。人材はいくらあっても足りるということはないだから。
(しかし、2人を定住させるにしろ、まずはこの調査だ……これで悪い風もおさまるとよいのだが)
大陸の至るところで妙な噂が飛び交い始めたのは、2年ほど前からだったろうか。”結界”から漏れ出した瘴気が、イニエスト王国を蝕んでいるという噂だ。特に南部クロセリア一帯が影響を強く受けていると、どこの誰かが言い出したせいで、ここしばらくクロセリアの交易は打撃を受けている。今はなんとか市井に物と金をばらまいているおかげで、目に見える景気の悪化を食い止められているが、当然ながらいつまでもそれを続けることはできない。
実際のところ――瘴気がクロセリア市の西部で発見されたというのは事実だ。漏出が確認された場所は人気のない山間部の森に打ち捨てられた祠である。漏出した瘴気の量は、大したことはなかった。今までならば誰に知られることもないままに、密かに処理されていた程度のものである。
王国でも限られた者しか知らない事実だが、こういった瘴気の小規模漏出は、ままある。人里離れた場所で起こることがほとんどであるし、通常は民に知られる前に”探知”が作動して、レミオのような立場の人間が処理に当たることになる。王国は人知れず、瘴気を管理し続けている。
今回は偶然迷い込んだ旅人が発見したために騒動になってしまった。旅人の口をふさぐわけにもいかず――貴族ならばあっさり殺すのだろうが、いかに市長を拝命しているとはいえ、そこまでの権力をレミオは持たない――、その旅人の口からばらまかれた噂は、余計なヒレを大量にくっつけながら大陸に広まってしまった。
旅人が見つけたという、祠の地下から漏出していた瘴気は、すでにレミオが処理した。それよりも問題なのは――
(……”探知”が作動しないことを陛下にお伝えしたものの、もう2か月以上音沙汰がない……)
レミオは胸に下げたペンダントをそっと撫でた。雫型の乳白色のガラスにしか見えないこれが、瘴気を”探知”する魔術具だった。レミオの担当する地域で瘴気の漏出があれば、この魔術具が知らせてくれることになっている。だがここしばらく、うまく”探知”してくれないことが増えていた。”探知”したとしても漏出し始めてからかなり時間が経っているとか、そういう困った状況が増え、先日起こった漏出に対して魔術具はついに反応をしなかった。
瘴気に関するすべては王が管理する決まりになっている。ゆえにレミオも魔術具の不具合をすぐさま王に報告したものの、その後なんの進展もなかった。王国中で瘴気の漏出が噂になっていることを考えれば、レミオ以外の管理者のもとでも同様の問題が起きているのだろうことは想像に難くない。
そうして、王が――王家がなんらかの機能不全に陥っていることも。
いずれにしても、レミオがクロセリア市長としてやるべきことはひとつだ。瘴気の漏出が確認された祠へ調査隊を派遣し、レミオが処置した現場を見せ、なにも問題のないことを彼らに確認させる。市長としてその結果を公に発表する。そうすればクロセリア市が安全な場所であることがわかり、経済も回復するだろう。
ただ、一抹の不安が残っていた。魔術師でも何でもないレミオが瘴気を処理できるのは、”探知”と同じく王家から貸与された魔術具があるからだ。”探知”がうまく作動しないのであれば”処理”も同様ではないか。どうにもぬぐえない悪い予感のため、レミオは市軍の派遣ではなく、傭兵を中心とした調査隊の結成を決めた。募集に際してギルドを通さなかったのは、万が一に備えてだ。ギルドに登録した者が死亡したり行方不明になったりすると、その後がかなり厄介になり、場合によってはギルドが現地調査を行うなどと言い出しかねない。その点、流れの傭兵を使えばそういった面倒はない。彼らはギルドに登録できないだけの後ろ暗い事情を持っていることが多く、常に死と隣り合わせで生きている。
仮に、もしも再び瘴気が漏出していたなら――その場で調査隊を処分することを決めていた。調査隊には、レミオの子飼いを数名紛れ込ませている。下手な情報を外に持ち出されるくらいならば、大型の魔獣や野盗と遭遇して全滅したという筋書きにした方がよい。レミオにとっては、クロセリアの立て直しをすることが最優先だ。そのためには流れの傭兵など何人死んでも構わない。
(ああ、いや……アシュには生き残ってもらわねばならんな……)
アシュを留め置くためには、あの得体のしれないサエルという中年男も必要か。いくら払えば2人が口をつぐむのか、レミオは額に手を当てて金勘定を始めた。