18
ドワーフ男の次に案内されてきたのは2人組だった。見た目は悪くない――服装は、という意味でだ。こざっぱりとした服は、このあとの市長の面談を意識してだろう。朝から汚れたならず者ばかり見てきたせいか、常識的な服装というだけでそれなりに好感が持てる。服の型自体はやや古いので、おおよそそのあたりの店で小綺麗な中古品を見繕ってきたのだろう。もうそれだけで合格を出したくなる程度には、エドは心身疲弊していた。
2人組のうち1人は、錆色の髪を背中の中ほどまで伸ばして束ねた、やや小柄で華奢な青年。もう1人は額に大きな傷のある、黒髪で痩せぎすの中年男だ。申告によれば、青年のほうが魔術師で、中年男は近接格闘術に秀でているらしい。
「使える魔術は?」
「たいていは」
朝から何度も繰り返した質問への答えは、あまりに予想外だった。エドは思わず顔を上げて青年の顔を見やる――旅人特有の乾いた皮膚のせいか、潤いを感じられない肌に若さはさほど感じられないが、顔立ち自体は幼いところがあり、まだ30歳どころか、ひょっとしたら20代半ばにも満たないのかもしれない。髭の剃り跡や頬のたるみなどもなく、つるりとした輪郭だ。いったい彼はいくつなのだろうとエドは内心で疑問に思う。貧しい育ちの平民の中には、自分の正確な年齢を知らない者もいるため、申込みの際に年齢などいちいち確認していない。市民権の取得審査ならともかく、今回の応募には最低限、動き回れる体力があればよく、細かい条件など不問だった。
ということは――危険な犯罪者や前科者が紛れ込んでいる可能性もある。エドの前に立つ2人がそうでない保証などもない。面談などでわかる限り弾く予定になっているけれど、実際は難しいだろう。
「たいていは、というと」
「逆に何を見たいのか言ってみてよ。こんなところで大規模攻撃魔術なんか使えないしさ」
「……大規模魔術を使えるのです?」
「まあね。軍を相手にだってできるよ……やりたくはないけどね」
青年の瞳は南部では珍しい空色で、まっすぐエドを見つめる態度には嘘をついている様子もない。東部オランドール公爵領を治める著名な一族を思い出し、まさかな、とエドは首を振った。
「……では、治癒は?」
少し悩んで、エドは意地悪い要求をしてみた。治癒魔術は、数少ない魔術師の中でもさらに少数の者にのみ与えられた才能だ。もし治癒魔術が使えたら、逆に怪しい。それだけで王に召し抱えられるほどの才能の持ち主が、こんなところで流れの傭兵などやっているわけもない。青年――名簿によれば「アシュ」というらしい――は、やや吊り上がった切れ長の目をぱちぱちと瞬かせて、両手を挙げながら人懐こく破顔した。
「ごめんなさい! それはさすがに無理だ。大法螺を吹いちゃったね」
「いえいえ、こちらもわかっていて聞いたことですから……では、そこに置いている的を攻撃できますか? ああ、室内であるということを失念なきよう」
大部屋の隅にはかかしが数体、所在なさげに立てられている。いくらか傷ついているのは、これまでの”審査”のためだ。攻撃魔術の危険性を考えるのであれば、本来このような審査は屋外で行われるべきだ。だがほとんどの魔術師は、自分の使える魔術を必要以上に他人へ知らせたがらないものであり、このような密室審査となった――という配慮は表向きである。実際のところ、市長が本当に必要としている魔術師はそれなりの技量を持っている者であり、この程度のコントロールもできないのであれば、合格を出すわけにはいかない。今回の調査は集団で行う。周りに他人がいる状況で術の制御もできないのであれば、危なっかしくて連れていけるわけがなかった。
アシュは「わかった」と頷いて、左手を的へ突き出した――よく見れば彼は右手にだけ手袋をしており、左は素手だ。左手から魔術を放つつもりらしいが、これは非常に珍しいことだ。利き手によらず、魔術師は右手を”扉”として魔力を放ち、術を展開する。術者の体内を巡る魔術回路は、右手が出口になっていることが普通であり、左手から魔力を放出するのはよほどの特殊体質といえる。少なくともエドはそのような魔術師を見たことがない。
「風よ」
端的な一言が呪文であったらしい。不可視の風の刃が左手から放たれ、1体のかかしの首を跳ね飛ばした。
「火よ」
次の一言で、手のひらほどの火球が生み出され、転がり落ちたかかしの頭を直撃して炎に包んだ。
「水よ」
燃え上がりかけたかかしの頭を、水球が包み込んで鎮火した。水はふわりと空気にとけて消え、あとには黒く焦げた頭部が転がっているだけである。
「こんな感じでどう?」
アシュの顔には、やや得意げな色が浮かんでいた。それはそうだろう。術のコントロールは言わずもがな、複数属性の使い手など、滅多にお目にかかれるものではない。少なくとも3属性も術を使えるのであれば、名高い王都の宮廷魔術師団にだって、平民であろうと加入できる可能性はある。そんな使い手がどうしてこんなところに、とかえって怪しさは増したが、それを見極めるところまではエドに求められてはいなかった。
……いや、本当に平民なのか? とエドは小さく息を詰める。空色の瞳。高名な術師を多く輩出する東部の公爵家、その象徴の色。稀有な魔術の才能。優秀な魔術師は特に高位の貴族に多く――
「素晴らしいです。合格としましょう」
だがエドはあくまで市庁の職員であり、平民であり、何より小市民的な思考の持ち主だった。自分から危険に足を突っ込むほど愚かではない。君子危うきに近寄らず。何事もなかったように装ってにこりと微笑み、小さく拍手をしてみせた。
「次は剣術だっけ?」
「いえ、それは結構です。あなたはそのまま市長との面談を。お連れの……サエルさん、あなたは中庭で格闘術を見せていただきます」
「あー……悪いんだけどさ、お願いがあるんだ」
へこ、とアシュが両手をあわせて頭を下げてみせた。媚びるように上目遣いをしている様子は、まるで妙齢の娘のようにも見えてくる。
「ぼく、サエルと一緒じゃなきゃこの調査隊に参加する気はないんだ。サエルは無審査で通してよ」
「それは……」
エドは、アシュの連れであるという中年男をまじまじと見やった。表情一つ変えないむっつりとした無精ひげ面の、お世辞にも二枚目とはいえない男だ。せっかく面談を意識して服装を整えたのならば、そのひげをなんとかすればいいのに、とエドは残念に思う。彼は胡乱げな目でエドとアシュのやり取りを眺めるばかりで、この場にきてから一言も発しておらず、まるで他人事のような顔をしている。
「……わたしでは決められませんから、市長にご相談ください」
「そっか。じゃあ頼んでみるよ」
アシュは明るくそう言うと、サエルを引っ張るように部屋を出ていった。年齢も外見もちぐはぐな2人組だが、妙に気安い空気感があるあたり、ビジネスライクなパートナーというよりも友人関係であるように見える。あの優秀な魔術師がこんな僻地にいる理由は、もしかしたらあの見ているだけで陰気がうつりそうな中年男のせいだったりするのだろうか。
などと益体のないことを考えながら、エドは次の応募者を部屋に呼び込んだ。