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灰は眠らない  作者: 諒
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「……”森”で暮らしてればこんな悩みもなかったのに」

「庶民の苦労を知ったか? いい勉強になったな」

「おっしゃるとおりだよ……大酒飲みがいなければもっと楽だったんだけどね」


 宿では夕食が出ないため、2人で大衆食堂に入った。さすがは交易都市クロセリアというだけあって、にぎやかな店に入るなり、馴染みのない外国語や訛りも耳に飛びこんでくる。宿の主人が言っていたのは事実のようで、あまりガラのいい連中ばかりでもなさそうだ。がちゃがちゃと耳障りな音が響き、たまに怒鳴るような声が混じる。もっとも怒鳴り声はすぐに笑い声に変わり、喧嘩に発展することはなかった。

 平和、といえばそうだろう。アシュが西部で耳にしたクロセリアに関する噂は、いずれも悲観的なもので、街は息絶えたようだ、なんて極端なものもあった。実際に目にすればそんなことは微塵もない。明るくにぎやかで人も多く活気がある――のだが、火のないところに煙は立たないという。その煙が放火によるものである可能性を排除はできないが、まあ、調査団を市が設立しようというくらいだ。何かしらの問題がこの街を蝕んでいることだけは間違いない。


「鼻がむずむずする」


 店の売りであるという川魚のプレートはまあまあだが、馴染みのない香辛料を使っているせいか、アシュは慣れないにおいに鼻をくすぐられてくしゃみを連発した。少しからいような酸っぱいような、どうにも落ち着かない。サエル曰く臭みを消すための香辛料を使っているのだそうで、それがなければいくら新鮮であっても、とても川魚など生臭くて食べられたものではないらしい。主食は穀物で、皿に炊かれた米が盛られている。こちらも何かの香辛料とともに調理されており、やや黄色っぽい見た目と鼻に抜ける香りがあった。空いたスペースには茹で野菜が詰め込まれ、いかにも農業の盛んな地域らしいメニューだ。ここに来る前に滞在していた西部では芋ばかり食べていたので、腹の具合がいまいちだったことを思い出した。

 一方のサエルは食べ物を頼まずに酒をどんどん飲んでいる。このあたりで酒といえば、酒精のあまり含まれていないエールか、名産のワインかという選択肢になる。ワインを好まないサエルは、なんだかんだ文句を言いながらもエールをもう4杯も飲んでいた。このあたりでは水代わりに飲まれることもあるものだが、そこまで安価というわけでもない。少しは遠慮してほしいものだ。


「金のことならいつでも頼っていいと言ってるだろ」

「いらない」


 ぶすくれるアシュを笑い飛ばし、サエルは再びお代わりを頼んでいる。追加のエールを持ってきたウェイトレスに銅貨を渡す。サエルに財布を預けるとすべて酒に変えられてしまうので、旅の財務担当はアシュなのだ。


「あら、お兄さん珍しい目の色ね」


 いきなり若いウェイトレスに顔を覗き込まれて、アシュは思わず身をのけぞらせた。反応が面白かったらしく、ウェイトレスがきゃらきゃらと笑った。


「うぶなのね」

「まだ子供なんだ、からかってやらんでくれ」


 サエルが喉の奥でくっくっと笑っている。酒が入っているせいかいつもよりは社交的な気分らしい。アシュは照れ隠しにサエルの骨ばった肩を軽く殴ってから、ウェイトレスに愛想笑いを向けた。


「別にこれくらい、東部に行けば珍しくないよ」

「あら、東部からきたの? 空色の目はオランドール公爵様の色でしょう? 綺麗な色ねぇ。もしかしてあなた、公爵様の御落胤だったりするのかしら。2人とも食べ方が綺麗し……ひょっとして?」


 ウェイトレスの意味深な視線に、サエルがほんの少しだけ眉を寄せて笑いを噛み殺しているのが見えた。オランドール公爵領を治めるランドスピア家をはじめとした4大公爵家と王家は、各々の家を象徴する色を賜っている。それぞれの色には家を興した当時の当主の目の色があてられており、直系の血筋の証明でもある。たとえば王族であるイニエスト王家は血のような赤、オランドール公爵であるランドスピア家は夏の空色、グリマルディ公爵たるハウゼリック家は橙に近い黄色といった具合である。


「まさか。たまたまあの家に生まれるのがそういう色が多いってだけで、公爵家だって空色じゃない瞳の人はいるでしょ。お姉さんだって赤っぽい色だけど、まさか王族なの? ね、違うでしょ」


 4大公爵家直系であれ象徴とは異なる色を持つ者は多い。ただ当主だけが象徴の色の瞳を必ず受け継ぐ――というよりも、逆説的に、象徴と異なる瞳の者は公爵家当主にはなれないというだけのことだ。もっともそんな貴族の内部事情を彼女に説明する義理もなく、アシュは肩を竦めるだけに留めた。

 彼女に話したように、平民であっても「それっぽい色」の者は珍しくない。アシュのようにはっきりと公爵家の色を持つ平民は確かに少数だが、決して存在しないわけではないのだ。現にアシュもサエルと旅をしている中で、自分と似た瞳の色を持つ平民に出会ったことが何度かあった。


「まあそうよね」


 じゃあねと軽く手を振って、あっさりとウェイトレスは仕事に戻っていった。彼女の形のいい尻をなんとなく目で追っていると、隣でサエルがくっくっと笑うのが聞こえた。


「公爵様の御落胤だとよ」

「……とんでもない話だ」

「金でもせびりにオランドール領に行ってみるか? 新しい服が山ほど買えるかもな」

「馬鹿言え」


 公爵家直系と見紛うほど美しい空色の瞳をもつ平民が、公爵領にあらわれたらどういう扱いをされるか――考えるだけでぞっとする。


「二度とランドスピアには関わりたくないね」


 サエルの手からジョッキを奪い取って、半分ほど残っていたエールを流し込む。いつにも増して苦い味がした。

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