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くだらないやりとりを一通りしてから、アシュはサエルを伴って街に出た。さすがに歩き疲れて少し休んでいくつもりだったのだけれど、服を買い替えるならば鐘が鳴る前に行かねばならない。
街に出てみれば、なるほど、確かに南部最大の交易都市と呼ばれるだけあってかなり活気に満ちている。城郭内を東西南北に十字に貫く通り沿いには多くの店が並び、市の中心に位置する公園にはなにやら象徴的な意匠の噴水があった。円状の公園の外周付近に屋台と露店が軒を連ね、客を呼び込む者たちの声がにぎやかに響いている。もうしばらくすれば閉門の鐘が鳴る頃合いだが、どこの店も商魂たくましくぎりぎりまで営業するつもりなのか、片づけをしている様子は見られない。
物珍しい布や装飾品に目を引かれつつ、ざっと見た中でそこそこの値段の服を売っている露店に行きついた。特色のない平凡な服ばかりではあったが、大勢に紛れるにはかえって都合がよいし、それに中古ではあるものの綺麗に整えてある。
「こっちとこっち、取り置いといて」
店主に言い置いてから急いで換金商へ向かった。虎の子の宝石をひとつ換金して露店に戻り、その金で着替え一式をそろえ、露店の裏で着替えて古い服を引き取ってもらった。古い服は古布として再利用するそうで、その分おまけだと綺麗なハンカチを2枚つけてもらい、少しだけアシュの機嫌もよくなる。
「ずいぶんとはたいちまったなぁ」
ハンカチはもらえても財政状況は厳しい。嘆息したアシュをサエルが面白がって笑う。彼の服はいつの間にか、アシュの着ているものに合わせるように小綺麗に補修されていた。瞬きひとつする間にこれほどの魔術を発現できるのだから恐ろしい男だ――少なくとも宮廷魔術師の中に、彼と同じことのできる術者はいない。サエル曰く、膨大な魔力に物を言わせているだけ、らしい。アシュは魔術師ではないから細かいことはわからないけれど、きっとそんな単純な話でないだろうということだけはわかる。この男は自称人間をやめた悪魔なので、まあ、そういうこともあるのかもしれないけれど。
「あんたが買い替えろって言ったんじゃないか」
「俺に頼ってもよかったんだぜ」
「いらない。あー、靴もどうにかしなきゃいけないのか……」
「頼るか?」
「いらない」
悪魔に頼るとろくなことにならないことを、アシュはとうに身をもって知っている。服の次は靴をどうしようと悩み、底だけ替えてもらうことにした。できるのは翌日の昼以降だというので、代わりに木靴を借りる。綿を詰めて履いているため、足元が妙に不安だ。ただこんな安物でも靴屋に返却すればそれなりに金を戻してもらえるので、乱暴に履くことはできない。なんとなく歩幅が小さくなる。サエルは乱暴な言動のくせに案外繊細で、何も言わずにアシュにあわせて歩く速度を落とした。そういうところがあるから8年も相棒として生活できたのだと、こんななんでもない瞬間にしみじみと思うアシュである。
「夜になると少し冷えるね」
「乾燥してるからな。もう少しして雨が降れば、今度は我慢できないほど暑くなる」
「サエルはクロセリアにいたことがあるんだっけ?」
「仕事で来たことがある。ガキの頃にな」
「ふうん……」
サエルは若い頃、王都近辺の軍に所属していたことがあるらしい。クロセリアにきたのは、恐らくその頃のことだろう。昔話をせがんでも断られることが常なので――触れてほしくなさげな空気があって――、アシュは彼の過去を詮索しないようにしている。ただ、たまにこのおしゃべり男はうかつにも、こうして過去をぽろりと漏らすのだ。彼が軍属であったことも、まあ身のこなしなどからもわかるのだけど、以前本人がそのようなことを口走ったことがあったのを、アシュはしっかり記憶していた。
過去を思い出しているであろうとき、サエルの真っ黒な目がほんの少し遠くなる。そこに自分が映っていないことに、アシュは少しだけ寂しい気持ちになる――のだが、決してそんなことは言わない。うっかり口にすればこのひげ男はきっと調子に乗るに決まっていた。
初春はこの程度の装備でもすむが、秋以降は厳しいかもしれないとサエルが言い、アシュは感傷から引き戻されて現実的な問題に顔をしかめた。それまでに安定的な収入を得なければ、さすがのアシュも今のまま冬を越せる自信がなかった。