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灰は眠らない  作者: 諒
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 用意された部屋は案外広く、軋みのない板張りの床にシングルベッドが2台と簡易的なクローゼット、テーブルと椅子2脚が置かれていた。どこの宿も似たような造りだが、ガラス窓にカーテンがついていることがアシュの気に入った。たいていの宿は跳ね上げ式の鎧窓で、ここのように不透明ではあるもののガラスを使っているところは、王都以外ではほとんどお目にかかれない。クロセリアは豊かな街だと聞いていたが本当のことだったようだ。部屋に風呂とトイレがついていることを期待したけれど、さすがにこの金額ではそこまでの設備は望めなかった。


「久しぶりに風呂に入って屋根のあるところで眠れる。嬉しいね。ご飯の前に少し休んでいいかな」

「好きにしろ」

「そうする」


 はあ、と大きなため息をついてアシュは埃っぽい外套を脱いだ。背中の中ほどまで伸ばした錆色の髪が埃っぽくてそろそろ我慢できなくなっていた。南部は温暖で湿度も高いと聞いていたのだが、今は乾燥している時期らしく、湿気どころか喉を傷めそうなからっ風が吹いている。1週間ほど野宿をしたせいもあり、全身すっかり土埃まみれである。今夜は思いきり全身を洗ってやろうと決意する。なんなら今から湯を浴びてもよいのだが、さすがにまだ時間が早いだろうか。外套をはたいてクローゼットにしまおうとしたところ、端が破れていることに気がついた。2年前、サエルと2人で旅を始めた当初に手に入れた服は、どれもこれも今はもうすっかりぼろぼろだ。


「サエル、繕って」

「自分でやればいいだろ」


 黒髪の中年男――サエルも同じように汚れた外套を脱ぎ、ひびわれた低い声で楽しそうに言い返してきた。野盗と見紛う風体のくせに、他人の目がない場所でサエルは案外よく笑う。寡黙と思われがちな彼は、アシュ以外の人間と口を利くのを厭うだけで、実際はうるさいほどのおしゃべり男だ。アシュは彼の年齢や、自分と出会う前のことをほとんど知らないけれど、様々な土地を訪れた経験を持つ博識な男であることは間違いない。彼とのおしゃべりは、まあ、嫌いではなかった。


 サエルが小さく呪文を唱えると、彼の外套が水の球に包まれた。水球は数秒後にふわりと空気にとけるように消え、あとには洗濯したてのように汚れの落ちた外套が残る。アシュのそれと同じようにぼろぼろなはずなのに、どこか清潔感のあるのが微妙に腹立たしい。


「……ぼくに、針と糸でチクチクやれって?」

「魔術でさ。剣よりも得意だろ? お(ひい)さま」

「あ、さてはさっきの根に持ってるな? 主語を省いただけじゃん、()()()()剣より魔術が得意ですって」


 唇を尖らせて自分の外套を突き出すと、サエルはやれやれと肩を竦めて呪文を唱えた。先ほどと同様に現れた水球が外套を包んで汚れを落とす。ついでとばかりにもうひとつ大きな水球がアシュの全身を包み、目を白黒させている間に空気へとけた。自分の体の汚れを落としてくれたことは有難いが予告くらいしてくれと、アシュはげほげほとむせながら目だけで抗議した。そして肝心の外套のほつれはそのままである。


「直ってないんだけどー」

「いい加減買い替えろ。見苦しい。俺もおまえに合わせてるせいで恥ずかしいんだ」

「サエルに恥の概念があったことにびっくりしてるよ」


 子供にするように頭をはたかれた。出会った頃からサエルにしてみればアシュなど子供でしかないらしく、8年も一緒にいるのだからもう少し大人扱いしてほしい、と思うアシュである。あの頃に比べれば、少しだけ背も伸びたというのに。


「あんたはいいけど、ぼくは食べたり飲んだりするのにお金がかかるんだよ。いちいち買い替えてたらいくらあっても足りやしない」

「そのなりで市長の前に行くのか? 野盗と間違われて捕縛されても知らんぞ」

「見た目的にはあんたのほうが野盗じみてると思うんだけど。髭くらい剃りなよ」


 とはいえ、サエルにからかうように言われて自分の格好をよく見れば、確かにそう言われても仕方ないかもしれない。去年訪れた北部の街で求めた中古の服は、もともとの素材は悪くないとはいえ、よくぞ主人が泊めてくれたものだとしみじみ思う程度にはくたびれきっている。野宿ばかりしているせいで、人も服もくたびれっぱなしだ。日光や風に晒され続けた肌や髪はぼろぼろで、アシュはたまに鏡をのぞいては、自分の老けっぷりに愕然とすることがある。


「でもなー、もし雇ってもらえなかったら結構本気で路銀やばいんだよ。服なんかに回す余裕ないって」

「俺を頼る気になったか?」


 にやり、と笑ってサエルが舌なめずりをしそうな表情で近づいてくる。アシュは眉をしかめて無精ひげの目立つ顔を押しのけた。魔術の達人であるこの男は、ちぎれた腕を簡単につなげられるほどの技量を持ちながら、自分の額を割った傷跡と無精ひげだけは出会った頃からそのままだ。もしかしたら気に入っているのかもしれない。なんとなくその感性がこわくて、聞けずじまいのまま8年が過ぎている。


「対価を払えって言われるのはもう勘弁だよ。それに、それこそ贋金だってばれたらどうなるか」

「失礼だな、俺がそのへんの人間が作る贋金と同じものを出すとでも?」

「はいはいサエルはすごいすごい。でもいらないからね」

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