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灰は眠らない  作者: 諒
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最初はちょっと長め

 その日は確か深夜に雨雲がきていたせいか少し涼しくて、昨日までの夏の始まりを思わせる暑さではなかったように記憶している。とはいえ、直前まで牢に入れられて小さな明かり取りの窓から空を眺めるよりほかなかったから、いまいち記憶などあてにならないのだけれど。牢から引き出されて乗せられた馬車にも窓はついておらず、文字通りの囚人らしい扱いで、だけど久しぶりに顔をなぶる風を感じたときには少しだけすっきりした。


 それはともかくその日は初回の公判で、成人したばかりの女性、それも貴族が被告であるにもかかわらず一般に公開されている。通常であれば非公開の法廷を身分問わず開放したというのだから、この裁判の異様さもわかろうというものだ。被告人席に引き出されてぐるりと周りを見渡せば、傍聴席には物見高い様子の貴族らしき人間から、一張羅を着込んで興奮した様子の市民、熱心に私の絵姿を描こうとする記者まで、実に様々な人種が並んでいるのがわかった。この国で娯楽といえば歌劇と処刑と相場が決まっており、死刑を忌避する最近の教会の意向を受けてここのところ派手な処刑は行われていなかったから、誰にとってもちょうどよい血の滾る見世物だったのだろう。


 イニエスト王国建国より続く名門ランドスピア家。その娘が――時の宰相オランドール公爵の実の娘が被告なのだ。一昨年社交界デビューしているとはいえ、平民がおいそれと顔を拝む機会もない深窓の姫君が、粗末なワンピース1枚を着せられて両手に枷をはめられ、被告人席に引き出されている。そりゃあ私だって、贔屓の役者を見に行くか前代未聞の裁判を見に行くか聞かれれば、きっと後者を選択したに違いない。


「……なんとふてぶてしい」


 ざわめきの中、どこかから聞こえてきた声を私は鼻で笑い飛ばした。恐らく彼らは、2週間にわたる拘留と取り調べで弱り果てている姿を想像していたのだろう。普通の貴族の娘ならば確実にそうなっていただろうが、この私を誰と思っているのだろうか。エリシア・ランドスピアといえば、当代の貴族令嬢が手本にすべきと音に聞く人物である。と我ながら言うのもやや恥ずかしいけれど、実際謙遜したところで変わりはないのだからはっきりとそう主張させてもらおう。歴史、文学、絵画、詩、舞踊、歌、おおよそ高位貴族の令嬢に求められるすべてに通じた才女であり、そのうえオランドールの至宝と呼ばれた母から継いだ美貌。次期王に指名されているゼニス・イニエスト王子殿下の婚約者、将来の国母に最も近い女であるのだから、そのあたりに掃いて捨てるほどいる凡庸な18歳の娘と同じに考えてもらっては困る。


「椅子を引いてくださらないの?」


 いつまでも立っているのは不格好だと、背後に佇む騎士――私をこの場に引き出した当人に微笑みかけると、まだ若い、といっても私よりは幾分も年上の騎士は目に見えて狼狽え、素直に椅子を引いてくれた。礼を言って腰を下ろせば、なにかもごもごと小さくうなっているのが聞こえる。まったく可愛らしいものである。態度や動作を見ても熟練されているとはとうてい言えず、つまるところ被告の身柄を保護する役割も与えられているはずの彼がこの程度ということは、私もその程度の扱いをされているというわけだ。まったく腹立たしい。

 もちろん私だって馬鹿者ではないから、今自分が置かれている状況が絶体絶命であり、これからどれだけ声を張り上げて冤罪を主張しようとも、必ず、間違いなく、避けようもなく有罪とされることは理解している。私の身分であればたとえ衆人環視のもと殺人を犯したとて、まともな扱いを受けるはずだ。実家と同じようにとは言わないまでも、侍女をつけられて貴人室の絹の布団で眠り、3食温かい食事を供されるだろう。だが実際に私に与えられたのは、囚人にしては少々マシな程度の待遇だ。体を拭く水と布を与えられるだけで、粗末な服を着せられ、侍女などはもちろん湯気の立った食事もない。味気ないパンに何が浮いているのかわからないような脂の固まった冷えたスープ。堅い木の床には絨毯も敷かれず、ベッドに腰を下ろすと耳障りな軋みがある。そして取り調べとは名ばかりの、物理的な暴力がないだけの拷問紛いの時間を毎日、毎日、毎日耐え抜く必要があった。


 公爵家当主の娘がこのような待遇にあると知れば、軍を挙げて王に反旗を翻すかもしれない。それほどの侮辱。これほどの屈辱。それなのに私の父は、まったくなにも行動を起こさなかった――少なくとも、私の待遇が変わることもなく、本人も使用人も誰も会いに来なかった。もしかしたら何かしら行動したけれど、だめだったのかもしれない。そういう可能性も、確かにあるだろう。だが、オランドール公爵家の権威が如何ほどかと考えれば、父がすべてを飲み込んで静観していたと考えたほうが、有り得る話なのだ。

 つまりこの時点で私が罪を被るのは確定された未来であり、いくら才媛と呼ばれたとて、その実貴族の家に生まれただけの私にそれを覆す政治力はない。私個人の交友関係を考えてみても、父と司法に面と向かって立てつくような人物に心当たりはないし、友人と呼べるような存在も多少いるにはいるけれど、命がけの友情ではもちろんなかった。


 父の静観は予想外であったけれど、しかし父は代々優れた政治家を輩出するランドスピア家の当主である。眉の下がった無害そうな外見の中に、極めて合理的な人格を抱えている。無用なことは決してしないし、その判断が間違っていることはないと、身内の欲目を抜きにしても信頼できる人物だ。私が父に見捨てられたということは、父の中でそうするべき理由があったというわけだ。というよりも、この茶番劇の黒幕が父親であっても私は驚かない。それだけのことをしてのける人物だと思っている。


 さてそれはともかく、私は裁判官たちの顔を眺める。真ん中に座った裁判長――白髭の老人には見覚えがあった。わざわざ挨拶をする場面でもないので黙って見つめていれば、もしかしたら睨みつけているように見えたのかもしれない、傍聴席から「不遜だ」だの「恐ろしい」だの無責任な言葉が飛んでくる。野次馬というのはどの場面でもまったくにぎやかし以外に役割のない連中だ。彼らにとっては劇を見ているのと変わりない気分だろうから、礼儀を求めたところで意味は何一つないのだが。

 裁判長が、ごほん、と咳払いをすると波が引くように法廷は静まり返った。さすがだなと感心してしまう。私が同じようにふるまったところでこうはなるまい。やはり年の功というものはあるのだろう。


「被告は名を述べよ」

「……被告? あら、まだ容疑者であると思っていましたけれど」


 それくらいの皮肉は許してほしいと思うのだが、相手はそう思わなかったようだ。白い髭がひく、と少し動いて機嫌を損ねたのがわかった。彼だって権謀術数渦巻く貴族の世界で生きてきたのだから、これくらいで感情を動かすのもどうかと思うけれど、普段は従順な被告ばかり相手にしているから驚いたのかもしれない。お互いに滅多にない経験をしているということで許容してもらおう。


「裁判が始まった以上、あなたは被告だ」

「そう。わかったわ――わたくしは、エリシア・ランドスピア。アレクシス・ランドスピアが一女。オーギュスト判事、お手柔らかにね」


 さすがに裁判官――オーギュスト卿は先ほどの騎士とは違って立て直すのが早かった。今度は顔色一つ変えず、私の罪とやらを読み上げていく。一つ、「カトリーナ・ハウゼリックに毒物で殺害しようとした罪」、一つ、「ラヴィーナ・ランドスピアを禁呪をもって殺害しようとした罪」、一つ、「隣国ヒルヘイムの外交官と許可なく接触し、国防上の機密事項を漏らした罪」。


「被告は、己の罪を認めるか」

「否。反論をしてもよろしいのかしら?」

「いいだろう。あくまで否認するというのだな」


 当然である。まったくどれもこれも身に覚えがない。あるわけがない。

 私は両手を広げ、舞台女優のするように顔を作って声を張り上げる。自分の顔立ちや体つきが他人からどう見えるのか、私だってよく知っている。この茶番劇の主役がどれほど美しい存在であるのか、思う存分見ていただこうではないか。2週間の牢獄暮らしで艶を失ったとはいえ、王国でも屈指と呼ばれる美貌に金糸のような髪。少女と女のはざまにある18歳の危うさを、私は余すところなく衆目に晒す。


「ハウゼリック家のカトリーナ様とは、王子殿下の婚約者同士、切磋琢磨する関係でありました。しかしわたくしは自分こそがゼニス殿下の正妃に選ばれると信じておりました。カトリーナ様は優れた女性でありますが、しかしそれがわたくしの優位を崩すものではないと、そう確信しておりました。わたくしが彼女を害する理由はまったくございません。何故なら、わたくしはすべてにおいて、他の候補者を圧倒しているからです」


 傲慢、驕慢。一歩間違えれば悪女でしかないその言葉を、しかし吐いているのはこの私だ。他の誰でもない、この私だ。選ばれし血族の末裔。4大公爵家から出された婚約者の中で、最も優秀で、最も美しく、最も政治的な後ろ盾に恵まれた、この私だ。生まれながらに高貴な、青き血をこの身に宿す、この私なのだ。


「義姉であるラヴィーナへの加害も同様に、わたくしには理由がございません。確かにわたくしと義姉は不仲でしたけれど」言って、思わず笑ってしまいながら「いくらランドスピアに養い子として受け入れられていようと、彼女は傍流の出。当家の相続権も何もない女を、いったいどういう理由で禁呪まで用いて害しようというのでしょう? 禁呪に関われば貴賤を問わず死罪であることは、政に縁のないわたくしでも承知しておりますわ。己の将来と引き換えにするには、あまりに益が乏しく、まったくもって無意味ではありませんか」


 傍聴席が静まり返っていることに、私はほんの少しの満足を覚えた。こんなに大人数の前で話をしたことはないけれど、私の話術もまあまあのようだ。そして、と私は言葉を続ける。


「ヒルヘイムの外交官へ機密情報を流す? こんな荒唐無稽な話がありましょうか。ただの娘が、未だに親の庇護下にあるこのわたくしが、いったいどこから機密情報を得て、いったいどこで外交官と知己を得て、接触するというのでしょう? オーギュスト卿もご存じのように、わたくしの日々に1人になる時間はございません。常に侍女や騎士が身近に侍り、食べたものさえ記録に残されるのです。もちろんそういったものはとうにお調べになったのでしょうけれど、少なくともわたくしは、外交官とされる方の顔も名前も、男か女かさえも存じません。会った覚えもございません。もしそういった記録があるのならば、それは捏造されたものであり、わたくしを貶めるための虚偽であると宣言しますわ」


 そもそも、とぐるりと傍聴席を見回す。突然視線を向けられた聴衆が息を飲む音が聞こえて、私は彼らをなだめるように薄く微笑んでみせた。


「どのような証拠があるのでしょう? むしろわたくしに教えてほしいですわ。ランドスピアの血族をこのように」と手枷を周りに見えるように持ち上げて、「公に辱めるだけの、どのような理由があるのかを」


 しん、と沈黙が満ちた。

 書記官の走らせるペンの音さえ聞こえそうな静けさの中、オーギュスト判事がおもむろに手を挙げた。


「証人を」


 順に証人席へ呼ばれる人々に視線を向ける。1人目は――知らない男だ。ぼろぼろのローブからはみ出した手足には血のにじんだ布が巻かれ、私と違って物理的な暴力を伴う取り調べを受けたことがわかった。男は隣国ヒルヘイムから密かに招聘された――私に招かれたと彼は震える声で述べた――魔術師であるといい、私の命令で禁呪を試み、さらに母国の外交官へつなぎをとったのだと証言した。

 彼が戻されたあと、2人目から4人目までの証人が衝立の向こうから進み出てきた。さすがに彼らの顔を見た瞬間、私の心はほんの少し動揺したけれど、同時に「そういうことだったか」とすべて腑に落ちた。私が父に見捨てられた理由。大層な罪を背負わせた理由。


(ミアにレオ兄さま……ラヴィーナ……)


 証人として呼ばれたのは私の乳母、実兄、そうして殺害されかけたという義姉ラヴィーナだった。 


「判事に申し上げます」そう、兄は近頃とみに父に似てきた声でそう言った。「神と陛下に忠誠を誓う王国貴族として、妹の罪を告発致します」

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