魔人流離譚:かごめと夢と懸け橋と
「色芭秋――いや、ヘンリー・トレビアーノ・ブラックローズ」
頭上で陽が輝く、埠頭の一角。
浜風が向かい合う二人の頬を撫でるように優しく吹いた。
「大人しく我が国、倭で過ごしていく気はないか。我々倭は貴公を歓迎する意思に変わりはない」
見上げる程の大柄な男――四条寿樹也――がそう嘯いた。
彼は島国である倭で農林水産大臣を務める一角の人物。
大臣という職にありながら、その体つきは戦士のそれだった。
はちきれんばかりの筋肉。一部の隙も見逃さない研ぎ澄まされた視線。
「ふふ、まさか。こうしてはるばる異国の地、倭で大臣と殴り合うことになるとはな。世界の巡り合わせとは面白いものだな」
「只人である色芭秋の体では、奇跡でも起こらないと我々に敵うはずもない。それは貴公もご存じのはず。そして、奇跡はそうは起こらない」
体格差は一目瞭然だった。
文字通り大人と子どもほどの差。
「奇跡は起こらない、か。それはそうなんだろう――」
ヘンリーは四条の発言に対して、不敵な笑みを浮かべると、
「――お前のちっぽけな常識の中ではな」
ヘンリーから四条へと歩き出す。
「この機会に覚えておくといい」
身構える四条に対して、散歩するような足取りで距離を詰めていく。
「――世界は奇跡に満ちている」
不敵な笑みを浮かべたままヘンリーは駆け出した。
◆ ◇ ◇ ◇
「……ここは?」
ヘンリーは目覚めたときには、色芭秋だった。
ある日を境に色芭秋の体にヘンリー・トレビアーノ・ブラックローズの精神が憑依していた。
かつて大陸では世界最強と謳われたヘンリーは、倭の大学生となって目覚めの刻を迎えた。
「なんだこの世界は?」
ヘンリーの知る世界とはまったく異なる世界。
それがしがない大学生、色芭秋――アキ――がこれまで生きてきた国――倭だった。
魔法が幅を利かせていたヘンリーの故郷、魔法の代わりに科学が幅を利かせている倭。
人工知能が生活どころか人生を支えてくれる社会。
生まれてから死ぬまで、そのすべてが効率化された世界。
体に埋め込まれたスマートデバイスと、そのデバイスからの情報と遺伝情報に基づいて、人工知能が人の人生を決める。安心で安全で失敗のない起きない国。この国で起きることは予想外ですら想定内。
スマートデバイスを使って宙に表示される液晶を操作すれば、三日と待たず欲しい者が手に入る。
いつからか倭の住民は貨幣を持ち歩くことをやめていた。その必要がないからだ。
貨幣の発行も途絶えて久しい。
ヘンリーからしてみれば、倭の方が祖国よりよほど魔法のような世界だった。
しかし、魔法のような科学はあっても、ヘンリーの知る魔法は倭にはなかった。
色芭秋として目覚めたヘンリーもまた魔法を使うことはできなかったのだ。
「おーい。いろはすー!」
「おう、ソラ」
ヘンリーは何食わぬ顔でアキとして倭に溶け込んでいた。
アキはカーヴェア学園に通う、来年には就職活動を控えた大学三年生。
悪友である陸奥空海と、アキとして挨拶を交わす。
突然放り込まれた高度情報化社会に右往左往することは多いが、ヘンリーは天才の類だった。
一を聞いて十を知り、百の礎を学ぶ。
憑依前のアキが真面目な生徒ではないことも幸いした。
ときおり無知ゆえの間違いをやってのけることもあったが、不良のやること、と周囲からは白い目で見られるだけで済んでいた。
一ヶ月もすると日常生活には支障はなかった。
学校以外でもヘンリーが色芭秋となってから新たに二人の友人ができた。
島津菊三郎――通称キクと、五十嵐晶子――通称ショーコ。
キクは、白髪をオールバックで固めた貫録のある痩躯の長身の男で、カーヴェア学園の一年生、アキとリクの後輩。上下関係はなく年下の友人。
「おい、アキ。俺も混ぜろよ」
ショーコは、艶のある紫色の髪を後頭部の高い位置で束ねた健康的な美女で、アキの二歳年上の学園のOG。こちらも上下関係はなく年上の友人。
「なーにやってんのよ、二人とも。危ないことはやめてよね。二号も心配してるわよ」
ヘンリーは捨て猫を助けた縁で、キクとショーコと仲を深め、学外ではよく行動を共にしていた。
二号とは『ショーコ二号』。
ショーコが引き取った捨て猫に与えられた名前だった。
名付け親はキク。元々キクが最初に見つけた縁からショーコによって命名権が強制的に与えられた結果であった。
望めば、彼ら友人に囲まれて『色芭秋』として倭で生きていくことはそう難しいことではない。
しかし、ヘンリーには望みがあった
それは祖国への帰還。
祖国から離れてどれほどの時が流れたのかはわからない。
それでもいくら時が流れていようと、祖国と祖国にいるであろう眷属たちを忘れることはできなかった。
『はい。たしかに倭は過去に大陸の国家群と交易をおこなっておりました』
アキが所有していたバーチャルアシスタント人工知能により、語られた国家名はヘンリーの聞き覚えがある国々だった。
その情報を元に倭の大まかな位置、祖国との位置関係もおおよそ把握していた。
祖国への帰還に足りないものは――手段だった。
倭は海に浮かぶ単一国家。
祖国のある大陸は、海を隔てた遙か彼方にあった。
◆ ◆ ◇ ◇
ヘンリーが祖国へと変えるためには三つの鍵が必要だった。
「船とそれを動かすエネルギーと祖国までの航路。この三つが帰還への鍵だ」
これが通常の国であれば、正規の手続きを踏んで出国といけばよかった。
しかし、倭ではそうはいかなかった。
倭は鎖国国家であった。
他国との交易を断って久しいだけでなく、法律によって国外への移住は禁じられていた。
それにとどまらず、国外へ関心を持つことさえ罪とされる徹底ぶりだった。
国外との交易に頼らずとも、すべてを自国でまかない、娯楽にも富んだ平和で安全な世界がそこにはった。海に浮かぶ閉ざされた楽園――それが倭。
倭を支配するのは御門八家と呼ばれる支配者と人工知能たち。
ヘンリーの反逆は人知れず、静かなところで幕を開けた。
それに気がつかない友人たちではなかった。
「俺も仲間に入れろよ――ダチだろ?」
「私もよ、仲間はずれは嫌よ?」
キクとショーコもその反逆に加わった。
キクには倭で生きる者にしては珍しく、魔力を有しており、さらにはそれを他人に渡すことができる稀有な才能の持ち主だった。
その力は、限定的にヘンリーにかつての肉体で有していた一部の力を使うことを可能にした。
そう言う背景もあって、ヘンリーは合理的にキクを仲間に引き込むことを了承した。
ショーコは、キクのような背景もなく、断ろうとしたがキクの推薦と他でもない本人の強い意志に折れる形で反逆の仲間となった。
反逆は当然の如く周囲との軋轢をもたらした。
時には潜入捜査官もかくやという形で、御門八家に近しいと噂される、夜の繫華街にある一大組織に潜入することもあった。
キクと二人でその組織へ潜入を行うと、幹部へと接触を試みることに成功した。
「どうかしたのかしらぁ招かざる客人すゎん?」
力により、この幹部を従えることに成功したヘンリーは活動の幅を広げ、より倭の中枢へと潜り込んでいく。
倭の深淵へと。
そして、あらためて思い知ることになる。
――深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているということを。
◆ ◆ ◆ ◇
祖国への帰還のために、倭の深淵を探るヘンリーの前に立ち塞がったのは、御門八家の一角を占める四条家の当主、四条寿樹也。
農林水産大臣を務める四条は、かつてヘンリーが大陸で生きていた時代に戦に明け暮れていた戦士たちとなんら遜色のない戦士だった。
ショーコから得た情報で向かった先で、ヘンリーは四条と激突した。
常人離れした膂力でヘンリーを追い詰める四条。
「くっ……!」
それを技術と勘でしのぐが、耐えて凌ぐことで精一杯。
戦況はじりじりと貧しくなる一方。
肉体的に力の差は歴然。
ヘンリーはタダの一撃でもまともに喰らえば、その後の戦闘に支障が出る一方で、ヘンリーの打撃は四条にまるで効きやしない。
「魔人の王とまで謳われた貴公でも、魔法が使えなければ文字通り、ただの人、ですな」
魔法に長けた種族である魔人。
さらにその中でもとびぬけた存在であったヘンリー。
それが今は魔法が使えず、体術と過去に培った経験で四条の猛攻を凌いでいた。
「……その『ただの人』たちがいつの時代も世界を変えてきたと思うと、悪くないだろう?」
「ふっ、口の減らない御方だ」
その後も続く一方的な肉弾戦で、
「うぐッ……!?」
ついにヘンリーは四条から一撃を貰ってしまう。
ヘンリーの思考に徐々に常人の体ではついて来られなくなっていたのだ。
「最後にもう一度問おう――」
膝を笑わせながらも、なおも立ち上がるヘンリーに四条が口を開いた。
「色芭秋――いや、ヘンリー・トレビアーノ・ブラックローズ。大人しく我が国、倭で過ごしていく気はないか。我々倭は貴公を歓迎する意思に変わりはない」
四条の口ぶりから侮るような気配はなく、真に願っているようであった。
「ふふ、まさか。こうしてはるばる異国の地、倭で大臣と殴り合うことになるとはな。世界の巡り合わせとは面白いものだな」
「只人である色芭秋の体では、奇跡でも起こらないと我々に敵うはずもない。それは貴公もご存じのはず。そして、奇跡はそうは起こらない」
「奇跡は起こらない、か。それはそうなんだろう――」
ヘンリーは四条の発言に対して、不敵な笑みを浮かべると、
「――お前のちっぽけな常識の中ではな」
ヘンリーから四条へと歩き出す。
「この機会に覚えておくといい」
身構える四条に対して、散歩するような足取りで距離を詰めていく。
「――世界は奇跡に満ちている」
不敵な笑みを浮かべたままヘンリーは駆け出した。
「……愚かな」
四条が身構えた姿勢から打撃を繰り出そうとしたそのとき、ぬっと四条の後ろから、四条に匹敵する大柄な影が姿を現した。
「――英雄は遅れてやってくるってな」
「ぬッ!?」
白髪をオールバックに固めた長身の男。
手足も胴も丸太のように太い四条に対して、現れた男は全体的に引き締まった痩躯。
「物語の鉄板だぜ?」
「キク! ……やってることは悪そのものだな」
キクは獰猛に笑った。
「さぁ、第二ラウンドと行こうか――!」
◆ ◆ ◆ ◆
汗を拭うヘンリーとキク。
汗を冷ます浜風が気持ちがいい。
二人の視線の先では、四条が大の字になって仰向けに倒れていた。
そのはちきれんばかりの活力も今は意識と共に鳴りを潜めていた。
「強敵だった」
「ふぅー、疲れたぜ。あの筋肉は伊達じゃなかったな」
ヘンリーがそう呟くと、キクと額の汗を拭ってそれを肯定する。
大臣を務める者に手を上げる。もしかしなくても明確な反乱行為である。
命は奪っていないものの、意識を取り戻した大臣は追手を差し向けるだろう。
そうなると学園生活も終わりであり、本格的に日陰を歩く生活が始まる。
これまで、一目を忍んで調査や潜入をしていたきたこととは訳が違う。
ヘンリーは少し悩んでいた。
それは敵ではなく、味方について。
味方をしてくれるキクとショーコについて。
彼らにこのまま日陰を歩かせていいものかと。
その懸念は早々に中断されることになる――
「――やってくれたね」
――新たな乱入者の存在によって。
二人は突然現れた気配に勢いよく振り返った。
今度は二人が乱入者の存在に驚く番だった。
「……誰だ?」
キクが凄んで尋ねた。
軽快な足音を伴って二人の前に現れたのは、目も覚めるような銀髪碧眼の美少年。
少年はその問いには答えず、ただ笑った。
「さぁ、第二回戦と行こうか――!」
先ほどまでは心地よく感じていた浜風が、今は背筋を凍らすような冷たさに変わっていた。
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