9 勇者、考察する
「ふむ……」
勇者は、蝋燭の炎が揺れる薄暗い部屋で、静かに書物を閉じた。重厚な革表紙が、鈍い音を立てて閉じる。
「なるほどな……」
初代勇者の、神聖な力で大地を清め、魔軍を壊滅させたという記録。
二代目の勇者が、巧みな戦略で魔王軍を翻弄し、王国を救ったという物語。
そして、三代目の勇者が、邪悪な魔族を根絶するために、森を焼き払い、残党を狩ったという歴史。
(この書物は、まるで、勇者が「正義」の執行者で、魔族が「絶対悪」であるかのように……)
勇者は、気がついた。
魔族の行為は、常に「邪悪な魔術」「卑劣な行為」と断じられ、その理由や背景は一切語られていないことに。勇者の行為は、どのような行為であっても、「正義の執行」「邪悪の根絶」と美化した言葉で飾られていることに。
歴史書が真実を記録しているとは限らない。その事を、前世の記憶を持つ勇者は、知っている。
(これは、『勇者』に魔族を滅ぼすように誘導するための、一種の洗脳ツールだな。『勇者』をこの世界の「正義」に染め上げるために、用意したのだろう。)
勇者は、考察する。
(「飢饉に見舞われ、民は飢え、国庫金は尽きた」……。これを魔王の仕業だと記述しているが、昔の人が天災を神の怒りと理解したように、天候不順による飢饉を魔王の仕業だと考えたのかもしれない。
それに……。もしかしたら、それだけ大規模な飢饉なら、魔族たちだって、飢えに苦しんでいたかもしれない。)
「魔王軍が食料や物資を略奪する」と記述された箇所を指でなぞると、勇者は、自らの思考に頷く。
(魔王軍だけが、略奪行為を働いたように書かれてはいるが……。おそらく、そうではなかったのだろう。それこそ国のあちこちで、食糧の奪い合いがあったはずだ。)
(確実に言えるのは、五百年前、大きな飢饉があったこと、王国と魔国が戦争になったこと。それから繰り返し、王国と魔国が戦争をし、敵対状態にあること。勇者召喚が何度も行われていること……。)
(いずれの勇者も、魔王だけでなく、数多くの魔族を手に掛けてたこと……。)
「生き残った悪しき魂を浄化した。」との記述は、そういうことだろう。二代目、三代目の勇者が、魔族の一般人や子どもの非戦闘員まで殺したことを、賛美しているのだ。
勇者は、深いため息をついた。
『光の年代記』を読み終え、勇者は、次のように思う。
一つは、魔族と人間の融和、相互理解は難しいだろうということ。
記述が事実であるとすれば、魔族は人間に対し、一方的な虐殺行為によって、深い恐怖や恨みを持っているはずだ。人間も魔族に対し、存在そのものが悪であるというレベルでの差別意識を抱いていることがうかがえる。両者の間には、深い溝が存在している。
王国の騎士は勇者に対し、魔族を「化け物」と断じていた。
「奴らと心を通わせるなど愚かだ。勇者様、奴らは邪悪な存在にすぎません。慈悲など与える必要はない」と。
酒場でも、魔族を家畜や獣のように考えていた。
「魔族は所詮、人間とは違う化け物だ。情けをかける必要なんてないんだ」と。
このような差別は、何世代にもわたる歴史の記憶によって、人々の間に深く根付いている。差別意識は、人々の常識となり、善悪の判断基準にまで組み込まれている。それだけに、一度形成された意識を取り除くことは、容易なことではない。
勇者は、この世界の人々が、魔族にどこまで差別意識を抱いているのか、改めて確認する必要があると感じた。それが後の自分の行動を決定づける、重要な事実となるはずだ。
一つは、勇者の未来が閉ざされているということ。
『光の年代記』の記述にある「勇者はいつしか、姿を現さなくなった。」という初代勇者の失踪は、物語の結末としては美しいかもしれない。魔王討伐後の勇者の軌跡が分からないのは、二代目、三代目の勇者も同じである。だが、それは現実の歴史の記録として、あり得ない。
勇者は、国を救った大英雄である。そして、一人で魔王を討伐するほどの戦力だ。
勇者の行く先は、王国の、最優先の監視対象のはずだ。
王国は、勇者を王族に取り込めれば良し。そうでなくとも勇者が自国に留まるのなら、他国に対する牽制になり、有事の際の保険ともなる。仮に勇者が他国に渡るなら、その戦力が自国に向かわないか警戒しなければならない。どちらにせよ、勇者がこの世界に留まるのなら、その軌跡を追わない為政者いない。
仮に、勇者が元の世界へ帰ったのだとしても。その直前までの勇者の軌跡を追っていれば、勇者が元の世界に帰ったのだと、記録に残すことができたはずだ。
(それにもかかわらず、魔王討伐後の勇者の軌跡が記録されていないのは……。)
勇者には、思い当たることがあった。
『飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる』という、強大な武器が戦争が終われば無用の長物となるという、前世の故事だ。
魔王討伐を成し遂げた勇者は、強大な武力だけでなく、貴族や民の指示を集めることになる。魔王という敵が消えた時、その強大な力とカリスマは、国王にとって脅威となる。勇者という存在が、救国の英雄ではなく、王国の安定を揺るがす危険分子とみなされても不思議ではない。
(おそらくは。過去の勇者も、王国の手で……。)
王都の宿の一室で-。
蝋燭の炎が揺れる中、勇者は窓辺に立つと、夜空を見上げた。その瞳には、静かに夜の闇に溶け込むような、深い思慮の色が宿っていた。
次は魔族の少女視点です。




