7 勇者、王都で料理する
謁見の間を出た勇者は、王都の城門へ向かって足を進めた。豪華絢爛な王城の石畳から、活気に満ちた城下町の土道へと踏み出す。
行き交う人々、香ばしいパンの匂い、遠くから聞こえる鍛冶屋の槌の音。
慣れ親しんだ辺境の村とは全く違う、レンガで出来た建物が立ち並ぶ風景や行き交う人々の多さに、勇者は新鮮な感動を覚えていた。
(勇者召喚……前世で読み漁った本の中に、こんな話があったような気がする。まさか自分が、物語の登場人物になるとは。)
(たしか、主人公は特別な力を手に入れたり、すごい剣や魔法をもらったりするんだっけか? 俺にもそんな特別な力があるのだろうか?)
勇者はそう考えながら、自分の体に意識を集中させてみた。しかし体に変化は感じられない。剣を振るうような力も、魔法を使えるような感覚もない。ただ、辺境の村で日々の農作業や雑用をこなしてきた、自分自身の体があるだけだった。
(まあ、特別な力なんか、必要ないしな。)
勇者はそう結論づけると、国王からもらった地図を広げた。地図には王都といくつかの町、そして辺境の村が描かれている。勇者は地図を片手に、近くにいた商人に声をかけた。
「すみません、この村へ行くには、どうすればいいですか?」
商人は地図に書かれた村の名を見て、少し驚いた顔をした。
「こんな辺境の村へ行くんですかい? そこへ行く馬車は朝一にしか出てないんですよ。馬車で一週間ほどかかりますが、明日の朝までこの街で過ごすしかないでしょうな」
勇者は「ありがとうございます」と礼を言うと、馬車乗り場を確認しに向かう。そこで、少女の顔が脳裏に浮かんだ。
(そうだ、お土産を買っていこう。告白の返事、まだ聞けてないしな……急にいなくなって、心配しているだろうか。きっと、とても驚いただろうな)
勇者は少女の顔を想像しながら、街の賑やかな市場を歩いた。色とりどりの野菜や果物が並ぶ露店、焼きたてのパンの香りが漂うパン屋、きらびやかな装飾品を扱う店。それぞれの店主が威勢の良い声で客を呼び込み、買い物客たちの楽しそうな話し声が響き渡る。
「兄ちゃん、珍しい果物だよ! 異国の風味が楽しめるぜ!」
果物売りの男が、見慣れない赤い実を差し出す。勇者は笑顔でそれを受け取った。
「誰かへのお土産かい? こいつはきっと喜ぶよ」
勇者は、それから、宝石のような輝きを放つ砂糖菓子や、辺境の村では見かけないスパイスを買い求めた。
買い物を終えた勇者は、あたりが夕暮れに染まり始めるのを見て、宿を探すことにした。街行く人に声をかけ、いくつか候補を教えてもらった後、その中の一つに足を向けた。
宿の前に立つと、勇者は大きな看板を見上げた。「旅籠 木漏れ日の宿」と書かれた看板には、木の葉の紋様が描かれている。勇者が扉を開けると、かっぷくのよい中年女性が笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃい、坊や。今夜は泊まりかい?」
「はい、一泊お願いできますか?」
勇者が尋ねると、女性はにこやかに頷いた。
「もちろんさ。ちょうど空いてる部屋があるよ。旅は長いだろうから、ゆっくり休んでおくれ」
女性は、勇者の持つフライ返しに目を留めた。
「おや、珍しいものを持っているね。ひょっとして、料理人さんかい?」
勇者は、少し気恥ずかしそうに笑った。
「ええ、まあ。趣味で少し」
「そりゃあ、すごい。もしよかったら、後で腕を振るってくれないかい? 坊やの料理、食べてみたいね」
勇者は、女性の言葉に微笑んだ。
「機会があれば、ぜひ」
「いやいや、冗談だよ?」と女性は笑ったが、興味は尽きないようだった。「でも、どんな料理を作れるんだい? 」
勇者は少し考えた後、頷いた。
「わかりました。夕食の後で、よろしければ」
女性は「そうかい!」と嬉しそうに言うと、勇者の案内をした。部屋に荷物を置くと、勇者は夕食をとるために地下の酒場へ降りた。石造りの壁に松明の炎が揺らめき、木製のテーブルは客で賑わっていた。
勇者はカウンターに座り、店主にビールを一杯頼んだ。メニュー表を見ると、「森狼のグリル」「ドワーフ風ポトフ」「妖精の麦酒」といった、この店ならではの料理が並んでいる。
カウンターの隣には、大きなリュックを背負い、使い込まれた剣を腰に下げた旅人が座っていた。彼は店主と楽しげに話している。
「よぉ、マスター。噂は聞いたか? 魔王討伐の勇者が召喚されるんだってよ!」
店主は、にやりと笑った。
「ああ、聞いたさ。何でも、異世界から召還するっていうじゃないか。なんでも、とんでもない力を持っているっていうじゃないか」
「ま、所詮は王族の都合のいい道具ってことだろう。それでも、勇者とやらには頑張ってもらって、少しでも多くの魔族を退治してもらいたいものだな」
旅人は、ビールを一口飲んでから続けた。
「それにしても、魔族の被害はひどいもんだ。俺の故郷の村も、魔族に襲われて、全滅したんだ。あの化け物どもは、人間に生きる価値はないって、笑いながら村を焼き払ったんだ」
勇者は、静かにビールを飲んでいた。しかし、心の中では、旅人の話に複雑な思いを抱いていた。
(魔族は、本当にそんなに恐ろしい存在なんだろうか……)
酒場は、熱気と活気に満ちていた。勇者が耳を澄ますと、さまざまな噂話が聞こえてくる。
「おい、聞いたか? 北の森で巨大な魔獣が目撃されたらしいぜ。あれじゃあ、村の子供たちが危険だ」
「ああ、魔族の仕業だろうな。奴らは、人間を獲物としか見ていないからな」
別のテーブルでは、甲冑を脱いでくつろいでいる騎士団員たちが、大声で笑い合っていた。
「聞いたかよ、あそこの街の騎士団。魔族の女子供を見逃したってよ。そんな甘いことしてるから、いつまでも魔族の連中がのさばるんだ」
「全くだ。魔族は所詮、人間とは違う化け物だ。情けをかける必要なんてないんだ」
彼らの言葉は、まるで魔族を家畜や獣のように扱っていた。勇者は、思わず拳を握りしめた。
騎士団は、弱い者を守るための存在ではなかったのか?
勇者は、彼らの会話に違和感を覚えた。
魔族は本当に、彼らが言うような存在なのだろうか?
勇者がいた村では、魔族の少女は、人間と変わらない暮らしをしていた。彼女は人間のお菓子を心から喜んでくれたし、勇者が作る料理を美味しいと褒めてくれた。彼女の笑顔は、この酒場で語られる魔族の姿とは、あまりにもかけ離れていた。
勇者は静かにビールを飲み干すと、勘定を済ませ、厨房へ向かった。厨房は、酒場とは打って変わって道具は整頓され、清潔に保たれていた。
「さて、どんな料理を作ろうか……」
勇者は腕まくりをすると、棚に並んだ食材を吟味し始めた。
棚に並んだ食材を吟味しながら、勇者は思考を巡らせた。
(この食材は、村のものと似ているようで、少し違う。この野菜は、ジャガイモに似ているな。そして、この鶏肉も……)
勇者は、村でよく作っていた料理を思い出した。酒のつまみに最適な、あの料理だ。
勇者は手際よく鶏肉を一口大に切り、この世界の香辛料や、辺境の村でよく作った秘伝のタレで下味をつけた。その様子を、宿の女将が興味深そうに覗き込んでいる。
「坊や、それは一体、何を作っているんだい?」
女将の問いに、勇者は微笑んで答えた。
「唐揚げ、という料理です。この世界にはない料理だと思いますが、きっと気に入ってもらえますよ」
勇者は、鶏肉に粉をまぶし、油で揚げ始めた。ジュワッという軽快な音と、香ばしい匂いが厨房に広がる。
「これは……! なんていい匂いなんだい!」
女将は目を輝かせた。
勇者は、揚げたての唐揚げを皿に盛り付け、タルタルソースを添えた。
「これで一品目、完成です」
「坊や、本当に料理人だったんだね! こりゃあ、楽しみだ」
女将がそう言うと、勇者はもう一品、料理に取り掛かった。
「次は、この野菜を薄く切って……」
勇者は、ジャガイモに似た野菜を薄切りにし、油で揚げ始めた。
「これも、さっきの料理と同じで、揚げ物かい?」
女将が尋ねる。
「ええ。これは『ポテトチップス』と言います。とても薄く切ってあるので、サクサクとした食感になります。塩を振るだけでも美味しいですが、今回はチーズをかけて、酒のつまみに最適な味付けにしました」
女将は、勇者の手元を食い入るように見つめた。
その時、厨房にいる勇者の耳に、酒場から激しい口論が聞こえてきた。
「魔族に情けをかけるなど、もっての外だ! 奴らは人間ではない!」
「しかし、罪のない女子供まで殺すのは……」
声の主は、先ほど魔族を蔑視していた騎士団員と、フードを深く被った男だった。フードの隙間から覗く、赤く光る瞳が、勇者には見えた。
勇者は静かに溜息をつくと、先ほど作ったポテトチップスを小皿に盛り付けた。
勇者は、小皿を持って酒場に戻ると、口論している二人のテーブルに近づいた。
「まあまあ、お二人とも。少し落ち着いて、これを食べてみてください」
勇者は、小皿を二人の間に置いた。
騎士団員は眉をひそめ、フードの男は警戒するように勇者を見た。しかし勇者はにこやかに笑うだけだった。
「これは、俺が故郷で作っていた料理です。酒のつまみにもなりますから、どうぞ」
騎士団員は半信半疑でポテトチップスを一枚手に取り、口に運んだ。するとその途端、彼の目が丸くなった。そしてフードの男も、恐る恐る一枚食べると、その赤く光る瞳が大きく見開かれた。
二人は言葉を失い、黙々とポテトチップスを食べ始めた。口論は、いつの間にか収まっていた。
勇者は、静かに厨房に戻った。そして、再び料理を作り始めた。
部屋に戻ると、勇者はドサリとベッドに飛び込んだ。ふかふかの布団に顔を埋め、大きく息を吐き出す。一日の疲れが、少しずつ体の芯から抜けていくようだった。
今日一日で起こったことが、頭の中を駆け巡る。少女への告白、突然の勇者召喚、豪華絢爛な王城や城下の街並み、そして、酒場での魔族をめぐる人々の争い。
(まさか、王都に来てまで、揉め事の仲裁をすることになるとはな……)
勇者は、酒場での出来事を思い出した。魔族を蔑む騎士団員と、フードの男。彼らの間にあった憎悪と、ほんの少しの理解。そして、自分が作ったポテトチップスが、その溝を一時的とはいえ埋めたこと。
(料理って、やっぱりすごいな)
勇者はそう思うと、少しだけ胸が温かくなった。故郷にいた時、少女が自分の作った料理を美味しそうに食べてくれた顔が、鮮明に蘇る。
(早く、あの子に会って、話の続きがしたい)
勇者は、ゆっくりと体を起こし、部屋の中を見渡した。石造りのシンプルな部屋には、ベッドと小さな木製のテーブル、そして椅子が一つあるだけだ。前世の記憶の中のホテルにあるようなバスルームやシャワーはどこにもない。
「風呂は、さすがにないか……」
勇者は思わず愚痴をこぼした。酒場の熱気と喧騒で、体のあちこちに汗をかいている。このまま寝るのは気が引けるが、仕方ないだろう。
勇者はテーブルに座り、さっき作った料理を思い返した。ポテトチップスを喜んでくれた客たちの笑顔。女将さんの「あんた、とんでもない腕を持っているじゃないか!」という驚きの声。
(料理で喜んでもらえるのが、俺は好きなんだな……)
勇者は思い出した客の反応に、自然と笑みを浮かべた。しかし、すぐに明日のことが頭をよぎる。
(明日の朝は早く起きないとな。馬車で一週間。その間、何事も起こらなければいいけど……)
勇者は窓の外を見た。月明かりに照らされた王都の街並みは、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っている。しかし、その静けさの中に、得体の知れない不安が潜んでいるような気がした。
勇者は、国王から手渡された書物を手に取った。小さなランプを灯し、その明かりで書物を読み始めた。




