5 『翠玉の年代記』(魔族の歴史書)
魔国にとって「勇者召喚」は、常に破滅の予兆であり、惨劇の歴史だった。魔国の歴史書『翠玉の年代記』には、次のように記されている。
「かの者、異界より来たり、我らが故郷を焦土に変えんとする」
およそ五百年前、歴史に初めて勇者が登場した。
当時の王国は度重なる旱魃と飢饉に見舞われ、民は飢え、国庫は空になった。
国王や貴族たちは、魔国が持つ豊富な食料や貴重な鉱物資源、特に魔力を持つ鉱石「マナライト」を欲した。その鉱石があれば国の危難を脱し、繁栄をもたらすことが出来ると考えたのだ。しかし魔国の軍は強く、王国の軍が正面から戦っても勝ち目はなかった。
そこで王国が目をつけたのが、古の文献に記されていた「勇者召喚」の儀式だった。異世界から強大な力を持つ「勇者」を呼び出し魔国を侵略させるという、この上なく他力頼みの策だった。
「勇者は、魔国の王を討ち、かの地の豊かなる資源を王国のものとせり」
歴史書はそのように、最初の勇者の召喚を記録している。
当時の魔王は、王国の危難を耳にすると、食糧支援や物資の供給を申し入れた。しかし、勇者はその言葉に耳を貸すことなく、魔国の森へと侵攻したという。
初代勇者は、まさしく一騎当千だった。剣の一振りで巨木をなぎ倒し、大地を割り、数百キロもある魔牛の突進をも片手で受け止めた。彼の聖剣はいかなる魔術も跳ね返し、魔国の軍は為す術もなく崩壊していった。
さらには人間には扱えないはずの強大な魔術を操り、千の兵を一度に焼き払い、投降すら許さなかった。勇者は魔族を「邪悪な化け物」と呼び、自らの行為を「正義」と信じて疑わなかった。そのため多くの魔族の命が失われた。
歴史書は、その悲劇を克明に記録している。
「一万の魔軍、勇者一騎に敗れ、その血は大地を赤く染め上げた。王都の城壁は、勇者の放つ炎の魔術により、一夜にして灰燼に帰した。魔王は、勇者の聖剣の前にひざまずき、その首を落とされた」
勇者の侵攻は凄まじく、魔国は魔王と国土の半分を失った。多くの魔族が故郷を追われ、あるいは命を落とした。そして魔国の王家は、勇者との戦いの中で、その力を失っていった。
だが、勇者はいつしか、現れなくなった。
理由は定かではない。
ある者は勇者が故郷へ帰ったのだと囁いた。またある者は、勇者が病気で死んだのだと語った。しかし、真相は誰も知らない。
勇者が去った後、魔国は平和を取り戻した。だが、その傷は深く、癒えることはなかった。そして勇者に対する恐怖は、魔族の心に深く刻み込まれた。
それからおよそ百年後、魔国はようやく復興の兆しを見せ始めた。それを知った王国は、再び勇者を召喚した。
二代目の勇者は正面から戦うことをせず、倫理観の欠如した外道な作戦を好み、躊躇なく実行する男だった。
魔国が和平を呼びかければ彼は快く応じ、和平の交渉につくと約束した。しかしそれは、魔国の王族を誘き出すための罠だった。
交渉に集まった王族は、勇者の奇襲によって一網打尽、一瞬にして魔国の王家は滅びかけた。
勇者の騙し討ちによって、魔国は再び指導者を失い、復興は遠のいた。
彼は、戦局を有利に進めるためなら手段を選ばなかった。
村々を焼き払い、井戸や川に毒を流し、老若男女、そして動物たちまでも巻き添えにした。
魔族の子供たちを人質にとり、魔国の軍に投降を迫り、軍が投降すると人質もろとも皆殺しにした。
彼の卑劣な手段によって、魔国軍は次々と壊滅した。
三代目の勇者は、殺すことに異常な執着を見せた。
彼は魔族を徹底的に探し、魔族を根絶やしにしようと行動した。魔族の住む森を見つけると逃げられないよう周囲を兵で取り囲み、そうしてから火を放ち、老若男女問わず焼き殺した。王城に居座り、魔族の残党狩りと称して生き残った魔族たちを、娯楽のように殺しまわった。魔族の死体が積み上がる程、彼は泣いて喜んだという。
モモンガの祖父は、その残党狩りから逃げ延びた一人だった。彼の故郷は勇者によって壊滅させられ、家族や仲間を皆殺しにされた。祖父は生涯、勇者に対する憎しみを抱き続け、その悲惨な過去を孫であるモモンガに語り聞かせた。
「勇者は人の形をした悪魔だ。奴の瞳には、命を刈り取ることへの喜びしか映っていなかった」
勇者だけでなく、その従者たちによる非道な行いも、魔国の民を苦しめた。
ある時、魔国のある村が襲われた。勇者の従者である聖者は、村の聖堂に立てこもる魔族たちを、火炎の魔法で焼き殺した。難を逃れた少年は、その光景を目の当たりにした。彼は聖者の歪んだ笑みを、火に包まれて苦しんだ村の人達の声を、生涯忘れることはなかった。
別の村では勇者の従者の騎士の一団が、村人たちから食糧や水、家畜を根こそぎ奪い、略奪の限りを尽くした。抵抗する者は容赦なく殺され、泣き叫ぶ子供たちの声が村にこだました。
歴史は、この悲劇を繰り返してきた。
魔国が豊かになろうとすれば、王国は「魔王討伐」という大義名分を掲げて勇者を召喚する。そして勇者は、魔国の豊かな資源を略奪し、民を蹂荙する。
フクロウ、リス、モモンガ……。
彼らは、過去の悲劇を知る者たちだった。勇者召喚は、魔族の魂に深く刻まれた恐怖の象徴だ。
たとえ少女の目の前で消えた彼がどんなに彼女に優しくても、どんなに魔族と仲良くても、勇者として召喚された以上、魔族にとって彼は「敵」でしかない。
フクロウは、彼の持つ奇妙な知識が、王国に利用されるのではないかと恐れた。リスは、彼の持つ謎めいた力が、再び魔国を苦しめるのではないかと案じた。モモンガは、故郷を失った祖父の悲劇が再び繰り返されるのではないかと怯えた。
魔国の歴史は、勇者によって血と涙で綴られてきた。
そして、今、新たな一ページが開かれようとしていた。それは、希望の物語となるのか、それとも、再び惨劇の物語となるのかー。




