11 勇者、初めて戦う
王都を出て五日。
馬車の揺れに体を任せながら、勇者は旅の終わりが近づいていることを感じていた。予定では、あと二日で辺境の村だ。王都の喧騒は遠い過去の出来事のようで、今はただ、村の素朴な風景と、少女の笑顔を思い浮かべるばかりだった。
勇者は、旅の間、他の乗客たちに積極的に語りかけた。彼らが、魔族や勇者についてどう考えているのか、それを知りたかったからだ。
「魔族や勇者について、教えてください」
勇者がそう尋ねると、馬車の乗客たちは、皆、少し驚いたような顔をした。王都から辺境の村へ商いに行くという若い商人が、勇者の顔をまじまじと見て、口を開いた。
「辺境の村の村長さん……ですよね? いつも辺境の村へ足を運んでいる商人です。まさか、こんなところでお会いするとは……」
商人は、驚きながらも、勇者の問いに答えた。
「魔族ですか……。人を襲う化け物だと、それが一般の認識でしょう。ですが、私は、実際に見たことはありません」
すると、次の村で降りる予定だという年老いた旅人が、顔を歪めて言った。
「わしは、若い頃、魔族に故郷を焼かれた。あれは、本当に恐ろしいものだった」
老人の言葉に、乗客たちは皆、息をのんだ。勇者は、静かにその話に耳を傾けた。
「魔族は、言葉が通じない化け物だ。人間を憎み、ただ破壊することしか知らない」
他の乗客たちも、口々に魔族の恐ろしさを語り始めた。
「魔王軍が攻めてくるって、本当なんですか?」
「大丈夫、勇者様が現れて何とかしてくれる……」
勇者は、彼らの言葉を聞くたびに、心の中で辺境の村を思い浮かべた。そこには、言葉を交わし、共に笑い、同じ食卓を囲んだ魔族の少女がいた。彼女は、王都の人々が語るような、邪悪な存在ではなかった。
(この人たちにとって、『魔族』とは、ただの『敵』なんだ。彼らのことを知る機会も、必要もなかった……)
そんな矢先、馬車が激しい音を立てて急停車した。御者の「襲撃だ!」という叫び声が聞こえる。何かが、馬車にぶつかったようだ。
「きゃああああ!」
女性の悲鳴が聞こえ、馬車の戸が開いた。数体の魔物が馬車を取り囲んでいた。大きな狼のような魔物たちは、鋭い牙と爪を持ち、赤い目を光らせている。
「魔物だ! 逃げろ!」
乗客たちがパニックに陥り、馬車の外へと飛び出していく。しかし、魔物は彼らの逃げ道を塞ぐように立ち塞がった。
「くっそ! 仕方ない……!」
御者は剣を抜き、魔物へと向かっていく。しかし、魔物は素早い動きで御者をかわし、御者の喉元を狙って飛びかかった。
その光景に、勇者は違和感を覚えた。
(あの魔物たち……人間を襲うのか?)
勇者の村にも、魔物は存在した。しかし、彼らは人間を襲うことはなく、ただ、森の奥で静かに暮らしていた。村の人々が魔物の存在を恐れていなかったのは、彼らが人を襲わないことを知っていたからだ。しかし、目の前の魔物は、明らかに人間を標的にしている。
(どうしてだ……?)
勇者は、思考を巡らせる。しかし、今は考えるよりも、行動する方が先だった。
「みんな、落ち着いて!」
勇者は馬車から飛び出すと、背負ったリュックからフライ返しを静かに取り出した。御者や乗客が、勇者の姿を見て驚きの声を上げる。
「何だ、その道具は! 武器じゃないじゃないか!」
御者が叫ぶ。その声に、フードの男が呆れたようにため息をついた。
「おいおい……正気か?」
フードの男の言葉にも、勇者は気づかない。彼は、フライ返しを構え、魔物へと向かっていく。
「こいっ!」
勇者はフライ返しを振りかざし、魔物の顔面を叩いた。しかし、バシッ! と大きな音がしただけだった。魔物は怒りのまなざしを勇者へ向ける。勇者の攻撃は毛一本ほどのダメージすら、魔物に与えていない。
「えっ? うそ……!」
勇者が戸惑っている間に、魔物は勇者の顔面をめがけて飛びかかり、鋭い爪を振り下ろした。
「あ、やばい!」
勇者が目をぎゅっとつぶり、覚悟を決めたその瞬間、勇者の目の前に、赤い目をしたフードの男が立ちはだかった。男は、魔物の爪を片手剣で受け止めると、静かに言った。
「あんたは、料理人なんだろう? 料理人は、フライ返しで魔物を倒すものじゃない」
男の瞳が、赤く光る。彼は、魔物を一刀両断にすると、魔物はバタリと倒れ、動かなくなった。彼は、魔物たちの中に飛び込み、まるで風のように動き、魔物の息の根を止めていった。
「ぐああああああ!」
魔物は苦悶の声を上げ、その姿を減らしていく。その光景に、勇者はただただ、呆然としていた。
全ての魔物が消え去ると、あたりには静寂が戻った。乗客たちは、フードの男の姿を信じられないような表情で見つめていた。
「おい、あんた……一体何者だ!?」
御者が震える声で、フードの男に尋ねた。
「俺は、ただの料理人です。ただ、俺の道具じゃ、魔物を料理できなかったみたいで……」
勇者が、ボソリと答えた。
「「「いや、あんたじゃない! 」」」
御者と数人の乗客が、声を揃えてツッコんだ。恐怖と緊張で強張っていた馬車の乗客たちの表情が、少し、おだやかになった。
フードの男が、静かに勇者のほうを向くと、笑った。
「面白いな、お前」
フライ返しを大切そうにリュックにしまう勇者を見て、男は呟いた。
その日の夜、勇者は焚き火を囲みながら、昼間の襲撃で怯える乗客たちに渾身の料理を振る舞っていた。温かいスープと、スパイスを効かせた肉料理の香りが、森の中に広がる。人々は、勇者の作った料理を口にすると、安堵と癒しの表情を浮かべた。
そんな中、勇者は、焚き火の反対側に座っている、フードの男に目を留めた。王都の酒場で出会った、騎士と口論をしていた、あの男だ。彼は誰とも言葉を交わさず、静かにスープを啜っていた。
勇者は自分の分を少しだけ残すと、小皿に料理をよそい、男の隣へと近づいた。
「よかったら、これもどうぞ。少し、故郷の味を加えてみました」
勇者は男に、小皿を差し出した。男は一瞬だけ警戒の視線を勇者に向けたが、やがて無言で小皿を受け取った。
男が料理を口にすると、その赤く光る瞳が、大きく見開かれた。その表情は、酒場でポテトチップスを食べた時と同じだった。
「旨いな。それに手が込んでいる。どこの名店で修行した?」
男が尋ねた。
勇者は、静かに笑みを浮かべた。
「ただの創作料理ですよ。どこかの名店の料理とか、そんな高尚なものではありません」
男は、その言葉に、わずかに警戒を解いた。
「……優しい料理を作る。俺の知る『勇者』は、もっと……」
男は、それ以上は何も言わず、黙々と料理を食べ続けた。その言葉に、勇者は確信を得た。この男は、魔族だ。
勇者は、男の警戒心を解くため、自分のことを語り始めた。故郷の村で、魔族の少女と出会ったこと。彼女に恋心を抱いていること。そして、彼女のために、やれることをやりたいこと。
勇者の言葉に、男は次第に心を動かされていく。
「あんたの故郷の村に、魔族の少女がいたのか……。それは、珍しい。だが、その少女を、あんたは、本当に……?」
男は、疑わしそうに勇者の言葉を遮った。勇者は、それに何も答えず、ただ静かに頷いた。
夜が更け、人々が眠りについた後も、勇者と男は、焚き火を囲んで語り合った。男は、魔族と人間の間に横たわる、深い溝について語った。
「あんたの故郷の村は、もうすぐだ。だが、気をつけろ。あんたの前に、過去の勇者たちが残した負の遺産が立ちふさがるはずだ。」
男は、そう言うと、馬車に戻っていった。勇者は、その言葉の意味を理解しようと、静かに思考を巡らせた。




