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9冊目 雨塊を破らず


 雨が降っている。と言っても小雨だが。ただ風が強く、締め切った窓を叩いていた。

 仕事が終わり、しばらく休憩をした後のそのそと動き出す。部屋を照らす魔法石の照明は、炎の様に揺らめくことはなく煌々とオレンジの光を灯している。こっちに来てすぐの頃は蛍光灯とは違う種類の明かりに戸惑ったが、もうすっかり慣れてしまった。

 そんな照明の明かりを背に棚を覗き込んでため息を一つ。残念なことに今この家にはパンが一つ二つと、調味料しか残っていないらしい。


 仕事帰りに食料を買ってくればいいかと楽観視していた昨日の呑気な自分を恨むばかりだ。残り物のパン二つで腹が満たせないわけでではないが、そうすると明日の朝食がない。そして明日も今日と変わらず仕事がある。

 一通りどうするか悩み、それなりの時間を勿体ぶってから家を出るために立ち上がった。

 外は先ほどと変わらず雨が降り続いている。雨粒自体は小さいが風が強いせいで全体的にじっとりとして気持ち悪い。この世界に来て八年。色々とギャップに悩まされてきたが、魔法がはびこっている世界であっても天候を操るなんて芸当は出来ないらしい。

 一応学術院でその分野の研究もされているとは聞いたことがあるが、人が自然をコントロールする域には未だ至っていないそうだ。因みに天気予報に近しいも研究されているが、やっぱり文化の差か俺の知る天気予報の知識とは違う。気圧配置や雲の流れを見るんじゃなくて、大気中の魔力を観測するってなんだ。


 そんなことを考えていたらあっという間に目的の店までたどり着いてしまった。

 レンガ造りの建物に木製の扉。それを押し開くと小気味いいベルの音が鳴り響いて、女将さんと目が合った。


「何してんだい。ほら、これ使いな。」

「ありがとう。家に何もなくてさ、とりあえず飯頼むよ」


 渡された手拭いを受け取って雨で濡れた体を拭く。小雨だと高を括っていたが案外濡れていたらしい。濡れる、というよりは湿気を帯びると表現した方がいい程度の違いだが。

 今日は天気のせいかそこまで人の入りが多くない。テーブル席がちらほらと埋まっている程度だ。俺が言えた義理ではないがこんな日にまでご苦労様である。いつもの指定席に陣取って飲んでいる女なんて特に。

 俺が来たことに気が付いたのだろう。グラスを持った手を振ってくる。それにこたえるように俺も彼女の隣のカウンター席に腰を下ろした。


「色男になったじゃない」

「帰るならもうちょい待った方がいいぞ」


 多分、もう少ししたら雨脚もマシになるだろう。マスターにエールを頼んでやっと一息つく。すきっ腹に温いエールは少しきついが、飲まなきゃ疲れは溜まる一方だ。

 さっきまで耳に付いていた風の音も、一度酒場に踏み入ってしまえば酒に浮かされた喧騒にかき消されてしまう。店の中には俺同様雨に濡れながらやってきた奴もいるようで。


 それもこれもこの世界に雨傘がないのが良くないんだ。

 日傘はあるのに何で雨傘がないんだ。撥水加工の技術不足かと思えば、若い娘さんが好みそうな店先のオーニングテントは元の世界でいう所のビニール布みたいな素材で出来ていて雨避けの役目を果たしている。

 どういう基準だろうな。と、考えかけたが、そうか。雨が降るような天気の時に、身分のある青き血の方々は馬車をお使いになるから傘を作る発想にならなかったのかと思い至った。……こういうこと思いつくようになった辺り相当ジルに影響されているなぁ。


「夕方ごろからずっと雨の匂いしてたもんね」


 彼女の気のない返事を聞きつつエールを胃の中に流し込めば女将さんが焼き飯と野菜炒め、それからソーセージの乗った皿を出してくれる。礼を言ってアルコールの染みた体の中に何時間ぶりかの食事を取り込む。

 この街に来てから女将さんの料理にどっぷり依存してしまっている。自炊が出来ないわけじゃないがさすがに今日みたいに食材が何もない日や、夜勤明けなんかは特に。

 でもまぁ、男の一人暮らしなんてそんなものだろう。元の世界ならいわゆるコンビニ飯やジャンクフード浸けか。


「あの匂いは土の中の微生物の匂いだそうだよ」

「つまり正しくは雨ではなく土の匂いだと?」


 それは、噂の学術院の研究か?

 飯食ってるときにはあまり聞きたくない話題だな。


「その微生物がワインや魚介を泥臭くするらしくてね。30年以上この匂いについて研究されているらしいよ」

「へぇ。そんな研究して土の匂いのコロンでも作る気かよ」


 土の匂いをいい匂いと思うような嗜好の持ち主はそんなにいないだろう。というか泥臭いのはワインも魚も、微生物も嫌だ。ジルは俺の言葉にケラケラと心底おかしそうに笑った。

 彼女はもう酔っている様だし、俺もアルコールだよりの食事で頭が回っていない。意味のないやり取りに心を躍らせるのは嫌いじゃない。

 きっとジルもそう思っているのだろう。雨の話以外にも、そのへんの野鳥がどうだとか、風向きがどうだとか。そんな話をしながら食事をしている。


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