8冊目 心の所在を明らかに
街灯が灯り始めたころになって石畳が敷かれる街に繰り出す。
先日東の平野で起こった行方不明者の一件から数日たった今も、剣を持った連中が物々しい雰囲気で話をしている姿が町の中で散見された。騎士とギルドの人間が一丸となって捜索に当たったがその甲斐虚しく、結局見付からないまま。
俺も旦那様に何かあったら協力するようにと仰せ付かってはいるが、街を行き来する行商や辻馬車に情報を求む方向に落ち着きつつあった。
そうして少しばかり街を騒がしていた出来事は、後を引きつつも街も人も次第に日常に帰って行く。
カラコロとベルを鳴らし通い慣れた酒場に踏み入れる。酒場の雰囲気も穏やかさを取り戻しつつあった。酒気を帯びた笑い声と和やかな喧騒を通り過ぎてすっかり定位置になっているカウンターの隅の席に腰を下ろす。
酒場の壁には古びた写真が張り付けてあり、過去の思い出が息づいていた。多分、マスターと女将さんのだろう。
「よう、何飲んでんの」
「今日はジン」
先に来ていたジルに声をかけて、同じものを頼む。一つ頷いて透明な酒をグラスに次いでくれるマスターの様子は普段と変わらないように見える。
マスターは冒険者を辞めてもう随分となるが、やはり気になるのだろうか。時折テーブルの方で先日の行方不明騒動のことを話している連中の方へ視線を向けている。
「進展はないみたいだね」
「目を離した隙に居なくなった。が、全容だもんな」
「当日よりはましになったが、右も左も剣下げてる奴ばっかり」
ジルがグラスをかかげる。それに応じて俺も軽く持ち上げ、乾杯とグラスを合わせて一口。ジン特有のぴりりとしたスパイシーな香りが鼻に抜けた。
確かに街は行方不明者について調べている騎士やギルドの者たちが行き来している。彼らは大抵何かしらの武器を持っているし、善良な一市民として荒事に関わるような生活しているジルには余計にそれが目に付くのだろう。
彼女がフォークでサラダの葉野菜をつつくのを横目で眺めながら、ジンを揺らす。グラスを傾けると氷が涼しげな音を立てた。
マスターが大きなジョッキを片手にテーブルを去っていく。向かう先は奥のテーブルで話す二人組の男たちだ。あれは、王国の騎士だろうな。鎧は脱いでいるが、何度か見覚えがある。
彼らも行方不明者の捜索に当たっていたんだろうか。そんなことを考えていると、ぽつりとジルが独り言のように呟いた。
「私はさ。ありがたいことに不自由の生活を送らせてもらって好きなことして暮らしているわけだけど」
「うん」
「組織に属したり、ルールに縛られるってどんな感じ?」
ジルは酒の入ったグラスをくるくると揺らして、意味もなくグラスをのぞき込む仕草を繰り返す。
組織に属するのが当たり前、とまではいかないがある程度大人になれば誰だってどこかに所属しているし、そこに帰属する。その中で生活が、自由が制限されることももちろんある。これは元の世界も同じ。
でも多分、聞きたいのは言葉通りの意味じゃないんだろうな。
「剣を振るうってどんなどんな感じ?」
どんな、と言われても少し困る。貴族の私兵である俺が剣を振るう機会はそう多くない。ここにいる大半の連中に比べて俺たちは些か場違いすぎるんだ。だから、これは彼女の求める回答ではない。ただの、俺個人の考えだ。
彼らは命のやり取りをする上で、被害や混乱を最小限にするために規律がある。それは、規律の範囲内なら魔物や人を斬っても問題ないと言っているのと同じで。それは人を殺してはいけないという社会的生き物の大前提を覆すものだった。
俺にはそれを負い切れないと思ったから、剣を持ちながらもほとんど振るわない貴族の私兵なんてしている。
「覚悟のいることだと思うよ」
もちろんこの世界にも倫理観として誰かを傷付けてはいけないという価値観はある。その上で、何かを切らないと守れないものもある。平和な世界で育った俺には受け入れるのに時間がかかったが、そういうこともあるのだろう。
ルールや規則を守りながらも、何か起きたときにすぐさま対応できるか。不測の事態において、それらを踏み越える覚悟かあるのか。
何のために剣を握っているのかという意志の在処を彼女は聞いているのかもしれない。
「覚悟、ねぇ」
「誰かを守るために、他の誰かを切る覚悟だな」
「ふーん。そういうものなの」
きっと、ジルにはわからない感覚なんだろう。彼女は少し考えるような素振りを見せて、フォークで刺した葉野菜を口に放り込んだ。
もしかしたら、彼女の感覚は俺と近いのかもしれないな。
ルールや規則は、自らの意志と責任において下した決断がやりすぎてしまわないためのもの。ただそれは時に無責任や思考停止による暴走を引き起こす。そうなった時に、正しく剣を振るう覚悟があるか。
うん。元の世界と常識が違うとはいえ、なんかもう正義の味方の発想だよな。
「数ある職業の中からわざわざ剣の道を選んだんだ。始まりは皆正義感だったのかもしれないな」
先ほどと変わらず、ジルが気のない相槌を打った。カラン、と軽い音が店内に響き酒場の入り口から顔を見せた男が、マスターに挨拶をしてカウンターの一席に腰掛ける。
それっきり、何かを考えているのかジルが言葉を発することはなく。その晩は珍しく、静かに並んで酒を飲んだ。