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35冊目 青い鳥は遥か光の方へ


「そういえばジルさんってなんで作家さんになったんですか?」


 エリカちゃんの言葉に思わず固まる。

 ちらりとジルの方を見て特に気分を害した様子がないのに安堵した。余り突っ込んで自分のことを聞かれるのを嫌う質なので少し心配になったが、どうやら今回は大丈夫だったらしい。

 別にたったそれだけで不機嫌な態度を振りまくほど彼女も幼くはないが、かと言って気をジルに我慢させたまま酒を飲むのも本位ではない。


 背の低いグラスの中でウイスキーと氷が、カウンター奥の照明の光を照らし返す。氷が揺れたのか、ウイスキーと溶け合ったのか、小さくカラリと音がした。

 何と返すのか興味がないわけではない。自分から聞く気概もなくここまで来てしまったが、なんとも言えない気分のまま二人のやり取りを静かに見守る。ジルがじっとお嬢さんを見つめた後息を吐いた。


「私、めでたしめでたしって表現気に入らないのよ」

「めでたしって……、おとぎ話の終わりとかについているあれですか?」

「そう。あの結末のまとめ方」


 ジルがグラスを小さく回して氷の動きを眺めながら言う。不思議そうに首を傾げるお嬢さんを他所に、グラスがまた涼しげな音を立てた。

 「めでたしめでたし」なんておとぎ話の終わりの代表的な文言だ。一目でハッピーエンドだとわかる表現だし何が問題なんだろう。まぁ、ジルが書きたいものが破滅主義というか刹那主義的な文章であればその限りではないのかもしれないな。

 しつこく言うが俺はジルの本を読んだことはないし、これからも手にする機会がないと思われるので彼女の作家としても主義主張は不明のままだが。


「人間は、後日談にこそ興味を持つ」


 ジルがぽつりと零す様を見つめたまま俺は黙って耳を済ませる。


「人間が物語に一番興味を持つのは、その結末では無く、ましてやその結末までの経過でも無い」


 これは、物語の受け取り方の違いだろうか。

 俺なんかは割とそうか、それで終わりなんだなとすんなり受け入れてしまう方だが、彼女はそうではないらしい。

 曰く。人が他人の人生に最も興味を持つ瞬間は、大抵その結末に満足して終わった時。クライマックスで見せた激情や未練の描写があればあるほど、その後に続く未来に期待が生まれる。

 その物語に対して、人は自分ならこの後どうするかどう思うだろう、どう行動するだろう。この結末に自分は何を感じるのだろうと想像するのだとジルは語る。


「そんなに後日譚が気になるもんか?」


 物語は始まりがあればいつか必ず終わる。だから面白い。人は物語が終わった後の一仕事終えたような達成感は好きだ。同時に虚しくもあるが。

 これはあれだな。俺が終わらない夢を見ているような感覚で生きているのでそう言えるのかもしれない。ああ、そうか。だから俺は本を読まないのか。

 自分でも意地になっているなとは思っていたんだ。心のどこかで現実味がなかった。自分が終わらない夢の中で生きているから、自分を置いて完結していく本を読みたくないんだ。それが、今並んで飲んでいる奴の望む終わり方であるなら余計に。


「考えている人は何処にもいる し、考えていない人も何処にもいるよ」

「考えてなくて悪かったな」

「別に君の感性を否定しているわけじゃないさ」


 俺はやっぱりジルの小説を読もうとは到底思えなかったが、彼女が物語に対しにどれだけの思い入れや愛着を持っているのか少しわかった。ジルもこうして何かを考えているのだな。でもそれはそれというやつだ。俺はこれからも彼女の本を手に取ることはない。

 ジルがまたウイスキーを回す。グラスに氷が当たる音を聞いていれば、隣の席で小さく息を吐くのが聞こえた。


「私はハッピーエンドがいいです」


 お嬢さんが祈るように呟く。それに対してジルは肯定も否定もしなかった。ただウイスキーの琥珀から目を離さなかったが。

 ハッピーエンドというのは、何をもって幸せとするのか。多分きっと、お嬢さんの視点でいうなら、無事に向こうの世界に帰ることがお嬢さんのハッピーエンドなんだろう。なら俺は。元の世界への帰還を諦めて、目的もなくただ生きているだけの俺の終わりはどこにある?

 ぼんやりと考えていれば、ジルがふとこちらを見た。彼女と目が合ってとつい誤魔化すように微笑んでしまう。


「世の中色んなことがあるんですし、せめて人の目に触れる物語の終わりくらいは幸せであってほしいじゃないですか」

「したい。じゃなくて、そうであってほしい、なの?」

「さすがに出来る出来ないがあるので」


 俺が誤魔化したことには気付いたのだろうがジルは何も言っては来なかった。少し目を細めて彼女がお嬢さんを見る。そしてエリカちゃんの言葉についても否定しなかった。

 お嬢さんは俺とも、ジルとも違う。年頃の娘さんらしい正義感や潔癖さ、眩しさを持っている。自分がいつの間にか手放していたそれに思わず目がくらむ。

 カウンターの上に放置したままにしていたグラスを拾い上げ、中に残ったウイスキーを一気の飲み干した。


「そうなるといいね」


 ジルがエリカちゃんに送った言葉は皮肉でも、嘘でもなかった。彼女がその時何を思っていたのかは、きっとジル自身にしかわからない。

 だが。細められた目の意味が、通い慣れた酒場の照明が眩しかったわけではないことだけは知っている。


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