3冊目 物の書き方書き手の見方
本はあまり読まない。
これは別に俺がこの世界に来てからそうなったわけではなくて、元の世界でも教科書くらいしか意識して文字を追ってこなかった。別に本が読めないわけではない、と思う。ただその習慣がないだけだ。
俺が開ける本といえば漫画雑誌や電子機器の説明の冊子くらいな物で、俺にとってジルの小説家という職業は未知のものだった。
まぁ、目の前にいる女はちょくちょく酒場に来て機嫌よく飲んで帰って行く生活をしているので、小説家の実態については余り参考にならないかもしれない。
一応しばらく酒場で見なくなる時もあるのでその間に書いてるんだろうとは思うが。
「なぁ。小説ってどうやって書くんだ?」
「どう、というと?」
「いつもネタがないとか言ってるだろ」
思えば初めて会った時も彼女はネタを求めて声をかけてきたんだったか。その割に話した内容についてメモを取ったりしている姿はみたことがない。なんて思ったけど、よく考えずとも大して話のネタになるような話をしてなかったわ。
なんかこう、中身のない、次の酒をグラスに注いでいる間に忘れるような会話ばかりな気がする。
我ながらもうちょっとマシな話ができなかったのか思うが、実際何も思いつかないので仕方ない。
「あぁ。ネタって言ってもさ、色々あるのよ。話のテーマだとか、舞台とか。私が求めてるネタは話と話の繋ぎになるネタ」
「繋ぎって?」
「例えばAの街からBの街に移動するって描写で、馬鹿正直に辻馬車にのって何時間揺られてって書いてもだれも読まないじゃない? そこをどう表現して読ませるかのネタが欲しいのよ」
何回窓の外に思いを馳せたか。なんて頭を抱えるジルを横目にそんなものかと首をかしげる。
小説の類は現代国語の教科書に載っている分と夏休みに感想文を書くためくらいにしか読んだ覚えがないが、確かに交通機関に乗ってどこそこで乗り換えて、みたいな文章はなかったかもしれない。
「そういうのもある意味リアリティってやつなのでは?」
「説明はリアルではあってもリアリティじゃない。小説のリアリティは描写は説得の技術だよ」
どこかへ行くにしても乗り合い所で料金を払った。辻馬車に乗った。目的地に辿り着いた。では説得力は得られない。
乗り合い所の雰囲気。料金を払うやり取り。辻馬車の揺れ方。目的地が見えてきた時の高揚。
登場人物が感じるだろうこれらを描くことで、読み手も同等の感覚を追体験できる のだと。
「それこそが文章におけるリアリティの一つではないかな」
自分もそこまで大したものはかけないんだけどね。と、ジルが笑った。
確かにそういうのを求めているなら俺との会話はジルの求める話のネタにはなりえないのかもしれないな。
「じゃあ売れる本を書くにはどうすればいいと思ってる?」
「流行とテンプレを追えばいいと思うよ?」
そんなご無体な。
「皆流行り物とか王道って好きでしょ?」
「それはまぁ」
テストなんかでよくある下線部時の作者の気持ちを答えよって問題が苦手だったんだが、実際の作者はそういうこと考えてたんだな。多分それを答案用紙に書き込んでたら怒られていただろうけど。
この世界にも学校はあるが、そこに通う学生もこんなテストの問題を解いているんだろうか。
「そういうのをちょっとひねると、すぐに自分の作品に応用できるよ。創作は模倣から始まるって言うしね」
「そういうもんなのか」
「どうすれば人は感動するか。どうすれば読者におもしろいと思ってもらえるのか。そういうのを研究していけば売れる作品になるんじゃない?」
なるほど。舞台とか、題材とか売れてる作品の中から好かれる設定を探すということか。
でもそうすると同じような話ばかりになると思うんだが。それで売れるのなら、それは潜在的に人が好む設定である。って認識になるのか?
書いても読んでもいないので今一俺にはわからない。ただ、売れている物を模倣すればある程度は売れるのだろう。
「ああ、模倣って言い方が引っかかってる?」
「要はパクリだろ」
「それを言い出したら大抵の題材は遥か昔にかの大文豪によって消費され切ってるのさ」
ジルがくすくすと笑う。ジルは酒が回っていると、時々こういう笑い方をする。
こちらの世界もそれなりに人類の歴史も文学史も築いてきたようだし、彼女の言う通り大抵の題材はやりつくされているのかもしれない。
「だからまぁ、そうだね。同じ料理でも味付けや具材を変える、みたいな?」
それもちょっと違う気がするが、わからないくもない。いわゆる家庭の味みたいなことを言いたいんだろう。その家に限る味噌汁の定番の具みたいな。
ジルは上機嫌にグラスの中身を煽っている。それなりに強いのか酔い潰れているところを見たことはないが、一応注意しておこうか。
「違う味付け、な。じゃあ同じ名前の料理でも自分の味を食ってくれ、みたいな?」
「私はむしろ自分が食べたいものを作ってるだけ」
自分が食べたいものを作る。確かにそれはある意味創作と近いのかもしれない。だがそれだとさっき俺がした質問の答えとは相反する気がするんだが。
ジルはグラスの中身を飲み切るとアルコールで生まれた熱を冷ますように一つ息を吐く。白くて細い指がグラスを離れ、そのまま彼女が体の重心を傾けて頬杖を付いた。
そして、目が合った俺に向かってにっこりと目を細めるのだ。
「だから売れないんだけどね」
自分好みにしか作ってないから、私が作ってるのは私のためだけの料理だね。なんてジルが笑った。