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29冊目 ボトルの数だけある願い


「もし一つだけ願いごとが叶うならどうする?」


 エリカがにこにこと笑った。

 すっかりこの酒場に馴染んだお嬢さんは炭酸水とフルーツをお供に俺とジルの間で楽しそうにしている。それにしてもまた随分と突然だな。お嬢さんの向こう側にいるジルもきょとんとしている。

 願いごとか、特にこれといって思いつかない。物欲もそこまで強い方ではないし、特別何かしたいわけでもない。不満もなければ願望もない。何が楽しみで生きているんだと言われるとちょっと困るが、何とか生活できている以上に求めるものなど思いつかないのだ。

 大きな変化もなくほどほどに過ごして、なんとなく生きていければいいよ。特別強力な願いなんてものもないし。


 グラスの中の酒揺らしつつ、チーズを一つ咀嚼する。今日はエールだ。お嬢さんは未成年だから炭酸水にチェリーが浮かんでる。

 穏やかな顔をして、答えを待っているエリカに視線を戻す。多分これは深い意味なんかなくて、本当にただの雑談として話しているに過ぎないんだろう。

 で、あれば。さすがに何も思いつかないと正直に答えるはいささか空気が読めないので、あえて何かを答えるとするならば。


「あー、不労所得とか?」

「セージさん夢がないですね」

「もっとでかいこと言いなよ世界征服とかさ」

「うるせぇ」


 俺はファンタジーな世界でも現実に生きてるんだよ。

 別に俺を拾ってくれた旦那様に不満があるとかそういうのじゃないけど、あると何かあって働けなくなった時便利だろ。怪我しないように鍛錬してはいるが、世の中何があるかわからないしな。

 そういえば昔、爺さんが持っている土地を駐車場にするとかどうだかの話が出た時があったが、うまく転がせれば食い扶持を稼ぐ程度にはなるだろう。

この世界に車はないから駐車場もないし、そのためのノウハウもないので夢のまた夢だが


「こういう質問の定番の答えだろ」

「手続き面倒だぞ」


 ある意味本職筋の人だったな。土地の運営を生業にしている貴族がほとんどだし、上の兄弟がいるとはいえジルもある程度知識はあるのかもしれない。

 でもそこまで現実に引き戻さないで欲しかった。こういう話題は実現しそうにないものを夢想するのが醍醐味なんじゃないのか。

 俺はあんまり書類仕事は好きじゃないんだよな。さすがに何度もくり返しやったし慣れはしたが。あと職場に俺以上に書類仕事が苦手な奴が多くて毎回提出前に確認させられるんだよ。

 まぁ剣を携えるのがメインの仕事だからそういう人種が集まるのも無理はないか。脳筋な奴らばっかりだし。


 エリカがフルーツをつまみつつ笑い声を上げた。別に本当にそういうものが欲しいわけではない。話題の一つでしかないし、あってもどうにも出来ないしな。お互いに本気で言ってるわけではないとわかっている。

 そりゃあ願いが叶えば嬉しいだろうが、こういうのは夢想してああでもないこうでもないというのが楽しいんだろう。手元のエールを傾ければほどよい苦みが舌の上に残った。


「ジルさんならどうします?」

「そうねぇ」


 話を振られたジルがふむと頬杖を付く。さて、この女は何と答えるかな。俺同様すぐには浮かばなかったのか唸り始めたジルは、クラッカーを齧りながら何事かを考えている。

 あまり突っ込んで聞かれるのが苦手な質だが、この程度なら答えてくれるらしい。それとも単純に本音を答えずに済む言い訳を探しているのか。どちらでもいいな。エリカちゃんはどう考えているのかはわからないが、俺たちは結局この酒場だけの関係だ。


 すぐに答えが出ず悩んでいるジルを尻目に、お嬢さんが楽しそうに笑う。

 もし同じことをエリカちゃんが尋ねられたら、彼女は何を望むか。いや、やめておこう。彼女の願いを俺は知っているし、何ならそれの力添えが出来ればとも思っている。エリカちゃんの願いは、元の世界に帰ることだ。

 もし一つだけ願いごとが叶うなら。きっとそんな機会がそうやすやすと目の前に転がってなんてないんだろうが。それでももし本当にそんな機会に恵まれたら、隣でにこにことしているお嬢さんに譲ってやるとしよう。

 特に望みのない俺よりもお嬢さんの方がその機会を上手く利用できるだろう。そんなことを考えていたら、ジルがようやく口を開いた。


「んー。なんも思い浮かばないし世界平和とかでいいや」

「わかった。じゃあ神様に会えたらそう伝えとくよ」

「え? 待って。今真面目に考えなおすから」


 茶化すように言い返してやればジルが少し慌てた。うん、建前だったな。他に何を願うのやら。

 別に俺が本当に神様とやらに会えるかどうかはさておいて、まぁ酒の肴には悪くないな。お嬢さんらしいある意味前向きな話題だった。俺とジルの二人だとこういった風の話題は出てこないからな。

 少し泡の消えてきたエールがぱちぱちと泡を吐き出して消えた。俺もジルもいい感じに酒も回ってきたし、時計の針も頂点を目指して針を進めている。それを横目に残り少ない酒を一気に流し込んだ。



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