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28冊目 グラス一杯分の距離


「ナンパされたのよ」


 珍しい入りだな。

 グラスを片手にそんなことを宣ったジルを横目にサラミを一つ口の中に放り込んだ。一体何の話だ。恋愛ごとなんて俺にはわからないぞ。とりあえず聞き役に徹するために口の中のものを咀嚼しながら続きを促す。

 いや、本当になんの話だ。いつも突然の謎の知識を披露されるが、今日はまた一段と脈絡がない。こいつの思考回路どうなっているんだろうな。酒が入ってるせいか、いつも一段か二段ぐらい飛んでるんだよ。


「まぁ昼間の話よ。用事があって外に出ててその道すがらにね」


 で、ナンパにあったと。この女なんでも話のネタにするなぁ。職業病なのか普段家に籠って仕事をしている分、外に出た時は特にアンテナを張っているようだ。

 果たしてそのナンパ男はジルのお眼鏡にかなったんだろうか。どこぞとくっつけば多少は家庭的になるかもしれないが、やっぱりジルだしな。何とも言えない。


「どこ行くのかとか、何してるのかとか話してたわけ」


 別に俺がとやかく言うことじゃないのかもしれないが、この女何してるんだ。

 話し好き、どちらかというと人の話を聞くのが好きなのは知っていたが、それにしたっていい年の女がナンパ相手と仲良くおしゃべりしながら散歩とか。悪いこと考えている奴だっているんだからもっと気を付けろよ。

 なんだかんだで根っこの部分が大事に守られてきた貴族のお嬢さんなところがある。全部が全部そうではないが、男は皆下心を持ってるって認識を持っておいた方がいい。男は狼だっていうだろう。この世界に送り狼なんて言葉があるかどうかは知らんが。

 いや、こんな話をしたらこの女は、貴族の男は送らず連れ込むぞとか言ってきそうで嫌だな。


「でさ。好みのタイプか、自分はいけるか、みたいなことを聞かれたのね」


 何聞かされてるんだろうな俺。こいつの恋愛相談、ではないが愚痴みたいなのは時々聞いていた。しかしこういうパターンは初めてかもしれない。

 ジルの結婚相手に求める条件は干渉して来ない相手だったか。そういう意味ではぐいぐいと来ている辺りナンパ男師に脈はない気がする。


「なんて答えたんだ」

「置物みたいなタイプって答えたら名前も聞かれず去って行ったわ」


 そりゃそうだろ。なんだよ置物って、人として扱ってやれよ。例え話にしてももう少しマシなものはあるだろう。

 ジルがグラスを傾けてこれみよがしにため息を吐いた。ため息を吐きたいのは多分ナンパ男の方だと思うぞ。ある程度話が盛り上がっていけるかなと思ったらこれだ。肩を持つわけではないが、数打ちでナンパやってる奴なら大損だ。

 興味ないと一言早々に言ってやればいいのにジルも人が悪い。話を聞いたらその気があると思うやつも出てくるだろ。


「もう少し女らしさを勉強したほうが良いかもな」

「何それ、家庭教師頼もうかしら」

「その発想がまず駄目だろ」


 本当にそういうとこだぞ。面白い奴ではあるんだが、如何せんすぐにこうして茶化す。

 恋愛云々について俺が言えることは無いに等しいが、結婚したいならもう少し淑やかさというか落ち着きを持とうぜ? まぁ、興味のない相手にまで愛想を振りまく必要はないのも確かだがな。


 マスターから勧められたりんごのブランデーを飲みつつ肩を落とす。

 ジルは、こういう性格だがモテないわけではない。実際気にはなっているとか、俺に人柄を聞いて来る奴もいる。酒を奢ってくれるし自分たちの武勇伝は聞いてくれるしで酒場の英雄たちには大人気だな。

 もちろん、変な女であるというのも酒場での共通認識でもあるが。


「愛だの恋だのは夜空の星屑から拾うわ」

「なんか始まったな」


 言葉の意味だけ拾えばなんともしっとりとした雰囲気になりそうなものを、ジルの声を乗せるとなんとも芝居がかった演出になるから驚きだ。お前作家だろう。役者になる気か?

 とりあえずこの話も何かしらの話のネタにでもしてくれや。俺は本は読まないしどう昇華したのかを見る機会はないだろうが酒の肴としては楽しみにしてるよ。


「夜空の星の数を正確に知る術はないでしょ? だから一つくらい宝箱に隠せる気がするのよ」

「案外ロマンチックだな。でも27点」

「採点厳しいなあ」

「どの辺りが加点対象になったかすらわからない」


 何点満点かはジルの名誉のために伏せておいてやろう。お前の求める答えがどれだかはわからないが、採点は自体は適当に数字を言っただけだ。

 酒の席での、適当な会話を適当に返しているとこうやって脱線するのは珍しくない。彼女も良い感じに肩の力が抜けたようでけらけらと笑っている。もうナンパ男の話は気が済んだのか続けなかった。

 その代わり今度は星の話がどうのとか、隣の国は遥か昔から筆まめで天体観測の記録が残っているとか。大昔、天体を観測していたのは農耕のためだとかそんな話がぽろぽろと零れ出る。どこでその知識を吸収してくるんだ。多分吐き出すところ間違えてるぞ。


 と、こんな感じでいつもの様にグラスの酒とつまみが減っていく夜を二人で過ごす。最近はエリカちゃんが間に挟まることも多かったし、以前の様に戻っただけだがたまには悪くはないな。

 まぁ。ジルの結婚相手がいつかるまでの間は、いくらでもこんな話に付き合ってやりますよ。


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