26冊目 いつかどこかへ帰る道
エリカちゃんと俺は住んでいた地域こそ違えど、言うなれば同郷というやつだ。
お互いにこことは違う世界からやって来て、何の因果か同じ街で生活をしている。探せば他にも俺たちのような奴がいるのかもしれないが、積極的に探してはいないので今のところ実情は不明である。
お嬢さんの様に冒険者として見分を広めれば、何かしら違った出会いがあったかもしれないが生憎俺は冒険者でも騎士でもないただの兵士だ。しかも勤続九年。もう少しで表彰ものだな。
そんな風に考えられる程度には荒事もなく平和ボケした九年を過ごしてきたわけだが。なんというかまぁ、よくここまでこの酒場に入り浸ってきたものだ。
周りの連中にも言えるが相当いい客だよ。ほとんど毎日通い詰めているんだから。今日だっていつものカウンター席でお嬢さんと二人、女将さんの料理を肴にのんびりやっているところだ。
「セージさんって、なんで貴族の私兵をしているんですか?」
「なんでって、たまたま知り合った老夫婦が貴族のお屋敷に住んでる庭師で、そのまま旦那様に拾ってもらったんだよ」
もう随分と前になる。電車に乗っていたつもりが気が付いたら辻馬車になっていた。なんて経験もう二度ないだろう。
わけのわからない状況に陥っていた俺を拾ってくれたあの夫婦と旦那様には感謝しかない。さすがに老夫婦も代変わりして今は倅がメインで庭の手入れをしているし、旦那様もそれなりにお年を召して来たしこちらもその内若旦那の代になっていくんだろう。
まぁその時に首を切られないように精々お仕えするさ。
「へぇ。同じ剣を持つ仕事なら冒険者や騎士になるって選択肢はなかったんですか?」
「そこまでする度胸もなかったからなぁ。小心者なんだよ」
行儀見習い程度に習った剣道じゃそういう荒っぽい世界ではどうにもならないのはわかっていたし、そもそも大会に出るとかそういうレベルでもなかったし選択肢から早々に外れていた。
今も一応仕事の一環として鍛錬はしているが、冒険者や国属の騎士さんたちに比べたらきっと簡単に負ける。結局は覚悟の問題だろう。俺に人を切る才能はない。それが良いことなのか悪いことなのか、この世界では曖昧なところだがな。
「じゃあ。セージさんは……どのタイミングで諦めましたか」
ちらりと盗み見たお嬢さんの横顔はバツが悪そうで。いつも頼んでいる炭酸水の入ったグラスを握りしめたままカウンターの一点を見ている。
諦めた、か。何を、と聞くのは野暮だな。俺とお嬢さんに共通する点は故郷の世界が同じことくらいだ。ならエリカちゃんの聞きたい話なんて一つしかない。
俺はいつ元の世界に帰るのをあきらめたか、だ。
「俺はエリカちゃんみたいに街の外に出る仕事をしてなかったから割と早かったよ」
「そう、ですか……」
「帰るんだろ?」
「……はい。帰りたいです」
あの時お嬢さんは、俺とジルの前で自分は元の世界に帰るんだときっぱりと言った。眩しいぐらいの真っ直ぐさだった。それは自分にはない眩しさで、かつては会ったのかもしれないけれど失われてしまったもので。
そんな眩しさを持つ彼女だからこそ、何もできないながらに力になりたいと思ったんだ。きっとジルも、同じ思いだったはず。
それが、今の彼女はどうだろう。あの時の真っ直ぐな瞳はどこへやら。迷子になった幼子の様に不安にくれている。
「でも、優しいんですよ。ここの人たち。」
ぼそりと、確かめるようにエリカちゃんが呟いた。
優しい。優しい。あぁ、そうだな。この世界の人は皆優しくて、気のいい人達ばかりだ。そりゃあ悪いことを考えている奴もいるにはいるが、何かあれば手を差し伸べてくれるような連中ばかりだ。
「私は元の世界に帰りたくて、そのために色んな人に無理を言ってばかりで。それなのに、皆優しくしてくれるんです」
「うん、わかるよ」
「何にも返せるものがないのに、優しくしないでほしい」
「皆若い子が可愛いだけだよ。頑張ってる子は特にね」
不安げにグラスの中の炭酸に思いを馳せるお嬢さんの顔を覗き見る。
元の世界に帰るための手がかりも掴めず、かといって協力してもらった人になんの見返りも返せないことが歯痒いのだろう。そう思えるところが美徳なんだよ。さっさと諦めて守りに入ったどこかの馬鹿とは違って。
「幸せになりな。きっとそれが一番の恩返しだ」
この先エリカちゃんがどんな選択をしても、彼女が幸せであるなら力になった連中が不満を言うなんてありえない。どんな選択であったって、お嬢さんが幸せになる道を選んだ方が、相手だって絶対に嬉しいはずだ。
俺には大した才能もないし、元の世界に帰るための方法だって見当もつかないけど。不安に寄り添うことは出来るさ。
俺みたいに、諦めが先行するのではなく。あの時の様な眩しさが戻るまでくらいは。
からりと、俺の手元で涼しげな音がした。ウイスキーの中で溶けた氷が琥珀色の海の中でくるりと回る。
おずおずとこちらを見たお嬢さんが、不格好な、でも誰よりも眩しい笑顔を向けてくれた。




