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21冊目 スポットライトはこちらを見ない


 今日はなんともついていない日だった。

 特筆すべきことはほとんどないが、細かいミスや不運が積み重なって全体的に悪い日だった様に思う。ああ嫌な日だった。そんな風に想いながら、別に話が聞いてほしいわけでもないのにいつの間にか足は酒場の方へ向いていた。何なら来る途中で雨にも降られた。

 いつもの様に木製の扉を押し開けて、店の奥のカウンター席に座って、様に隣に座る女と意味のない会話を繰り返して酒を煽る。どうしようもない毎日だ。


「なんか話して」


 多分、気が滅入っていたんだと思う。

 普段なら聞き流して適当にその時あったことを話すのに、なんとなく口をついて出たのはなんとも抽象的で意味のわからない言葉だった。


「俺は、主人公じゃないんだよ」


 自分で口にしたくせに、本当に意味がわからない。しかしそうとしか言えない。もっと落ち着いて、考えを整理して話せばまた違った言葉が出てきたのかもしれないが、これ以上にいい言葉も見つけられない気もする。

 だから、いや、……うん。気が滅入っていたんだ。それかいつもよりアルコールの回りが早かった。でなければこんな話しない。


「なんとなく昔からそうじゃないかって思ってたんだ」

「と、言うと?」

「そのままの意味だよ。世の中には主人公って呼ばれるような奴らがいて、でも俺はそうじゃなかった」


 全ての努力が報われる世界じゃないのは、向こうもこっちも同じらしい。俺は、最初から諦めていた。努力したって絶対にかなわない相手がいるのならやるだけ時間の無駄だ。そこそこの評価で構わない。

 そう思って、やりもしないうちに諦めて。結局自分は何者にもなれなくて。別にそれが不満ってわけじゃないが、ただ、なんとなく。眩しいと。

 自分で選んだ、自分で決めた。そこに後悔はない。胸を張って、とまではいかないがこれで良かったと言える。

 それでも手に入らなかったものや、なれなかったものを目指している若者を見ると、目を逸らしたくなるような、ずっと見つめていたいような。そんな自分ではどうしようもない気分に襲われる。


「なりたかったの? 主人公」

「どうだろうな。想像もつかねぇや」

「ふーん」


 三十を前にして本当に恥ずかしい話だが、最近そんなことを考えるようになった。羨ましいような、妬ましいような。それでいて誰かのために本気になって全力になれる奴を尊敬する気持ちもある。

 ああ、なんだか今日は酒の減りが早いな。


「私は、多分そうだったよ」

「……今は?」

「そうじゃない」


 彼女は、ジルは貴族の娘だ。どの階級で、どのような暮らしぶりをしてきたのかは知らないが、家族中は色々とあるとは言え悪くはないらしい。

 末っ子長女なのもあり、きっと大切にされてきたんだろう。


「兄様の子供が産まれた時、自分が主役の世界線ってやつで生きてたことを自覚した」


 そんな彼女が一体どんなきっかけで家を出て手伝いの者がいるとはいえほぼ一人暮らしをしているのか、理由ははっきりとは聞いていないがおおよその見当は付く。

 隣に座ったままのジルは、自分の手のひらをじっと見つめていた。まるで、そこに大切なものがあるかのように。

 きっとそれは、昔のジルにとってはとても大切なものだったのだろう。あるいは俺が、取り零してきた何かだったのかもしれない。


「あの子が生まれてもう自分は主役じゃないんだって思った」


 多分これはきっと、俺は主人公じゃないし、ジルも主人公ではなくなった。

 ただ、それだけの話だ。


「その主役感ってののお陰で色んな事に挑戦出来てたんだと思う」


 それはさぞ、幸せな少女時代だったんだろう。

 全能感と言えばいいのか、何でも出来る気がしていた。ただそこにいるだけで自分の存在を肯定してくれる感覚や、安心感があった。

 もちろん俺にだって少しくらいそういうものがあった。けど、俺はいつからそうじゃなくなったんだったか。


「守られていた自覚はあったよ。それは大人が相当意識してくれたからなんだなと」


 ジルが主人公でいられたのは家族や周りのあらゆる大人達の意識だったんだな。きっと大切なお嬢さんとして、育てられてきたんだろう。

 でもそれは当たり前にある世界の様で、そうじゃなかった。


「君は、そういうものを自覚するのが早かったんだろうね」

「そうかもな。うん。俺も一応、お兄ちゃんだったから」


 彼女に言われて、やっと納得する。ああ、そうだった。多分きっかけはジルと同じようなものだ。自覚はなかったけど俺もそこで、守る側になったんだろう。

 もう何年も会えていない兄弟を思い出す。元気にやっているだろうか。要領のいいあいつのことだ、きっとうまくやっている。


「正直私はあの人達みたいになれる自信はないけどね」


 ジルが笑う。

 やるせないような、自嘲するような、そんな笑みだ。


「俺はそうは思わないけどな」

「うん?」

「十分に主人公をやらせてもらえたからそう思えたんだろ? ならきっと出来るよ」


 ジルはもう主人公じゃない。でも彼女はそれを受け止めて、今ここで生きている。

 それが出来るのは、ジルが自分でそうしようと思えるだけの強さと意思を持っていた。そういう人だから、彼女は主人公だったんだ。


「出来るかな」

「出来るだろ。何より今は眩しい奴が現れたわけだし」

「いるねぇ、何よりも眩しい主人公みたいな奴」


 今度は。呆れたような、けれど何よりも楽しそうな笑みだった。

 俺と同じようにジルも誰かに何かしてやりたいと願っているのだろうか。それともただ眩しいだけか。まぁ、何でもいいな。

 今の俺たちは同じものを見ている。ただそれだけだ。


「こんばんはー」


 入口に取り付けられたベルが鳴る。穏やかな喧騒の中に飛び込んできた清涼剤のようなお嬢さんの声。

 さて、今日も主人公様が来たようだ。


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