19冊目 グラスには黄金の雫
酒は人を陽気にする。
口を軽くしたり、普段抑えている部分を浮き彫りにしたり。方向性は様々だが酔っ払うことで何かしらの枷が外れ素顔が垣間見える。酒が人をダメにするのではなく、酒がその人のダメな部分を暴く、というほど人と酒は密接な関係を築いてきた。
俺自身そこまで酒に強いわけではないが、幸いにして悪い酔い方はしていないはず。そこまで量を飲む方でもないしな。
一応貴族の私兵なんてものをしているから、酔って他所で問題を起こした、なんてことになれば拾ってくれた旦那様にも迷惑が掛かるし飲み方には気を付けている。まぁそれでも全く酔わないわけではないが。
とはいえ皆が皆そうではなく、今日は後ろのテーブルが騒がしい。
暴れるだとか怒鳴るとかそういう酔い方ではないが、とにかく気分が良くなっているのか声がでかい。別に暴れたところでこの酒場にいる奴の大半が腕の立つ冒険者連中なので、簡単に抑え込まれるだけだが。
それを不快に思わない程度には俺もこの場所に慣れているというか、この九年で馴染んだというか。
とにかく今日も元気だなぁとしか思わない程度になっている。むしろジルに影響されてか酔っぱらいの会話に耳を傾けるのが面白いとまで思うようになってしまった。これはちょっと由々しき事態かもしれない。
そんなことを考えながら、アルコールの入ったグラスを傾けた。今日は隣に誰もいない。いつもあれやこれやと話している二人がいないのは少し違和感があるが、たまには一人で飲むのも悪くはない。
「我が国に大きく影響を与えたのはかの大国なんだ」
始まった。今日のは一段と思想がでかいな。
確かあのおっさんは、王都にあるお貴族さんの集う学校に通っていたことをよく自慢していたんだったか。そのまま国に努めるようなエリート街道も進めただろうに、堅苦しいのは嫌いだと言って冒険者の道に入ったんだとか。まぁ人生色々だな。
なまじ学がある分、こういう面倒臭い酔い方をするが聞いている分には面白い。揉めごとを起こさないのならいくらでも演説してくれ。
「大陸さんは確かに魅力的な文化がある。だがここら一帯で宗教作ったのはかの国だけだし何よりカレーの生みの親だしな!」
流れ変わったな。まぁ、カレーは偉大だが。
そういえばながらく食ってない気がする。作れなくはないだろうが、一人分作るには面倒だしかといって店で食うでもない。こっちの世界は固形のカレー粉がないからいちいちスパイスやらなんやらを集めなきゃいけないのが面倒なんだ。
工程の多い料理は作りたくない。全部まとめて煮るか焼くだけで完結してほしいまであるな。
「おう、お前もそう思うだろセージ」
「おっさん今日結構酔ってるだろ」
うわ、こっち来た。面倒なのに絡まれたと思いながらも渋々振り返れば赤ら顔のベテラン冒険者がにやりと笑った。
同じテーブルの連中からは思った反応が来なかったのか、ジョッキ片手にカウンターまでやってくる。まぁ暇はしてるしかまわねぇんだけど。
「学がなくても生きてはいけるが、物事を知らねぇと食い物にされるだけだ」
「おう。知らないよりは知ってる方が有利なことは多いわな」
「その点お前さんはジルの話に付いていける程度には学がある」
お褒めに預かりどうも。有難い説教を適当に聞き流し、ナッツを一つ噛み砕く。
一応こっちに来るまでは学生をしていたし、こっちの常識を詰め込むにはまだ間に合う時期だったんだよ。向こうとこっちで多少違いはあるが、街中で生きていく分にはそこまで常識の差異がなかったのもあるが。
魔物やら魔法やら理解に苦しむ存在はあったが、平和な街の一般市民にはほとんど関係なく、言ってしまえば向こうの世界の警備員とほぼ同じような仕事をしている。
魔法が使えれば手当てが付くと聞いた時は手を出してみようかとも思ったが、生憎適性がなかった。結果本当に施設の警備員のような仕事内容になっている。諍いがないのはいいことだな。
「あんま若いのに絡んでんじゃねぇぞ」
「うるせえ、一人だけうまいことやりやがってよ」
おっさんがマスターに噛みつくように返す。二人は昔馴染みで、マスターが現役冒険者だったころからの付き合いらしい。仲がいい故の軽口か、割とお互いに遠慮がない。
そういえば以前マスターに算術を教えたのは自分だっておっさんが言っていた気がする。あんまり真面目に聞いてなかったが、本当だったのか。
「俺は学のある話がしてぇんだよ」
「酔っぱらいが何言ってんだ」
酒場特有の、酒が入っているせいか少し語尾が強められて繰り広げられる掛け合い。喧嘩の様で喧嘩でないこの空間が意外と嫌いじゃない。
マスターもわざわざこっちに絡んでくることはないんだがな。基本的には俺が相手してれば機嫌よく飲んでるし放置してくれていいのに。
「俺にある学なんか「ひきだし」の反対って「おしいれ」くらいなもんだぞ」
「お前それ……、ジルに似て言葉遊びばっか覚えやがって」
そう言っておっさんが呆れたように笑った。まぁ、影響されている自覚はあるが、そこまでか。いやまぁ、うん。仕事以外で一番話してるのもアイツだしな。
隣でおっさんが手を挙げ、マスターから新しいビールを受け取るとそのままその場で飲み干す。そんな様子を眺めながら酒の入ったグラスを口に寄せて一口。
たまにはおっさんたちに構われながら飲むのもいいかもしれない。