1冊目 そして二人は今日も飲む
事実は小説より奇なり、なんて言葉がある。
どこの誰が言った言葉だったかなんて、覚えちゃいないが俺にこそふさわしい言葉だろう。
あの日ことは今でも忘れない。まさか通学途中でうたた寝してたら、乗り物が電車から馬車になってるとか思わないだろう。
どういう寝過ごし方だよ。なんで鉄が馬になってるんだ、意味わからん。
いわゆる辻馬車というものにいつの間にか乗り換えていた精神的ショックもそうだが、長時間クッションも何もない木製の椅子に座っていたらしい俺のケツが何より悲鳴を上げていた。
同乗している者たちは様々で、質素な服に身を包んだ老夫婦や、ゲームや漫画でしか見たことのない鎧と剣。当時の俺は夢なら早く覚めてくれと願うばかりだったさ。
しかしまぁ無情にも。俺が異世界まで寝過ごしたのは夢でも何でもなくて、よくあるゲームの序盤イベントの様に魔物に襲撃された辻馬車に、そんなお約束いらんと思わず叫んだくらいだ。
「構えろ!」
「馬を守れ!」
なんて。叫ぶ武装した集団がオオカミの様な魔物を次から次へと切り伏せている間、俺は申し訳程度に転がっていた酒瓶を構えて後ろに老夫婦を庇うことくらいしかできなかった。
いや、とっさにそれが出来ただけ褒めてくれ。電車でうたた寝してこんなところに来るくらいには平和ボケした高校生だったんだよ。
酒瓶なのがなんとも恰好付かないが、せめてビビらすくらいはと声を張り上げる。小学校、中学校と剣道をやっててよかった。でかい声だけは自身があったんだ。
幸いにも俺のへっぴり剣道でもこちらに狙いを済ませた魔物を威嚇する程度にはなったらしい。でもそれだけだった。なまじ中途半端に剣道をやっていたせいで、早々に理解してしまった。
俺が高校に上がるまでの九年間やっていたのはあくまで試合をするためのもので、この世界の奴らの剣は生きるためのも。
さくさくと魔物を片付けた武装集団が代わる代わる俺の肩を叩きよく頑張っただの、見込みがあるだのと言うが、当の本人は微妙な気分である。
その後、馬を休ませるために移動して野宿になったのはまあいい。ただ野営で食べたのは先ほど俺たちを襲ってきた魔物で。滅茶苦茶筋が多くて食いにくかった。
おまけに肉があれば酒も入る。酒が入れば異世界人も陽気になるらしく、あれよあれよという間に酒瓶ではなく誰かの剣を持たされる始末。俺は彼らの様にはなれないだろうと思いつつも、握らされた剣は重かった。うん。無理だな。
「お前さん、どこかの騎士さんに師事してたのか? エラく剣の型が綺麗じゃねえか」
酔った一団のたわ言を右から左へ聞き流しつつ肩を落とす。
確かに九年間も剣道をやってたしな。でも多分ここじゃそれは通用しないと思う。
だから俺はファンタジーな世界にやってきたのに、魔物を倒す勇者様だとか、世界を渡り歩く冒険者殿になる道を早々に諦めたのだ。
その後、酒瓶を握って庇った老夫婦は貴族に仕える庭師だったらしく、そこで私兵として雇ってもらえることになった。有難い話だが雇ってくれた旦那様も随分と道楽が過ぎる。
剣の型が綺麗と言うだけで自分を雇うとか物好きな人だ。まぁおかげで住む場所と仕事を確保出来たんだが。
そんなこんなで、この世界に来て早九年。
昼間は王国の騎士たちが外敵から守っている平和な街で、昼間は門前の警備をしつつ、夜は近所にある酒場で飲んで暮らしている。もしかしたら元の世界のサラリーマンも同じような生活をしているのかもしれない。
などと腹の足しにもならないことを考えながら顔馴染みの酒場に今日も足を運ぶ。
同僚に教えてもらったそこは冒険者上がりのマスターと気のいい女将さんがやっている顔馴染みで賑わう場所で、もう何年も通っている。
カラコロとベルを鳴らしながら扉をくぐればいつもの席に見慣れた後姿が、机の上に酒瓶を広げていた。何やってんだあの女。
肩を落としながら近づけばマスターに促されて奴がこちらを振り返る。
「セージ! 色々出してもらったからラム酒飲もうぜ」
「何やってんだジル」
既にいくらか飲んでいるらしいこの女は上機嫌、というわけではないがいつになくテンションが高い。
へらへら笑う彼女の手を払って席に座る。夫婦二人でやるには十分な大きさの酒場のカウンター席にいつもの様に並んで座る。
そこまで酒に弱い奴ではなかったが、はて。
「ラムって産地とか原料に厳しい定義がないし色んな地域で個性的なお酒が作られてるらしいね」
「ああ。とりあえず飲みやすいスパイスと白、金も出してやったから好きに飲みな」
「ありがとう、マスター」
マスターからグラスを受け取り、ついでにつまみを頼む。マスターがあいよ、と一言頷いて奥へ入っていった。
多分これ、ボトル分前払いしてるな。
なんと言うか、ジルは頭が悪いわけではないが、頭が悪いと思う。何を言っているのかと思われるのは百も承知だが、俺が来なければ一人でそれなりの度数のアルコールを飲もうとしていたんだから最高に頭が悪い。
初めて会った頃は色々煮詰まっていたしこの能天気な振る舞いに救われたのも確かだが、それはそれというやつだ。
サラミにレモンを絞りながら飲んでいる女を横目に、並んだボトルの中の一番アルコール度数の低いものを選んでグラスに注いだ。
「で。何があった?」
「気になってた人にお酒に詳しい女の子はちょっとって引かれました」
「よし、飲むか」
そんな奴、飲んで忘れろ。
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