File19.純白のヒーロー
──前回のあらすじ──
各地で暴れる真神類の対応に追われ、市内を駆け回る誠良。
一方その頃、攫われた華奈子のスマホから送られてきたメッセージを目にした明大は、人型の妨害に遭いながら、指定された廃工場へと急ぐのだった。
バンッ、と。勢いよく扉を開け、暗い部屋を覗き込む智代子。
誠良、明大がそれぞれ交戦していたのと同じ頃、華奈子が誘拐されたと聞いた智代子は、真偽をその眼で確認すべく、華奈子の部屋へとやってきていた。
「誰も、いない…?」
絞り出すように声を出し、しんとした部屋へと足を踏み入れる。
彼女が扉を開ける瞬間、たしかに鍵はかかっていなかったのだ。同日に合った明大も含め、住人がいないということはあり得ないと、そんな無意識の前提があったが為に、彼女は放心したようにただその場に立ち尽くす。
…実際は、考え無しに飛び出した明大が鍵を閉め忘れただけなのだが。無論、今の彼女に知る由もない。
「──っ!?これ、って…」
ボヤけた視界にふと映った、表面の割れた板のようなもの。
見覚えのあるソレを目に、よろよろと近付いた彼女は、ハンカチを手にその板を拾い上げると、テンパる頭を無理矢理現実に引き戻す。
「間違いない、田辺さんのスマホだわ。…でも、なんでこんな…握り潰されたみたいに──ッ!?」
独り言のように呟いて、突然息をのむ智代子。
彼女の脳裏に過った、この室内で真神類に襲われた明大の光景が、彼女の身体を無理矢理動かそうと、その全身に命令を送る。
「──っ…小山っ!至急、警察に連絡を!アキくん─田辺さんの場所を探して!今すぐ!」
自身のスマホに向かって、普段と人が変わったように言葉を叫ぶ智代子。
部屋の中に荒らされた形跡も無く、実際は壊れたスマホも明大自身が怒りのあまり握り潰しただけなのだが…姉が攫われたというこの特殊な状況下にて、冷静さを失った彼女がその事に気付く余地も無かったのだ。
ーーー
右手にはめたメリケンサックを握りしめ、強くなる雨の中、奴のいる廃工場へ向かってその足を急がせる。
握り締めたメリケンサックの出自は不明だ。あのナイフ同様、人型との戦闘中、目に付いたから拾い上げ、アレを倒すことに貢献したのだ。…まぁ、言い方を変えれば簡単に人を殺せる凶器と成りうるのだが、奴が怪物であると確定している以上、護身のためにも手放す訳にもいかなかった。
「──ッ!?この感じ、でも…弱い?」
廃工場の敷地に入った瞬間、俺の全身を駆け巡った鈴村と誠良と思しき2つの気配。
姿こそ見えていないが、あの時の気配と合わせて、鈴村が怪物になったことだけはコレで確定したようなものだ。…だが、前に怪物と戦っていた時と比べ、誠良の気配にしては弱々しく、今にも消えそうなようにも感じられる。
「まぁいい、向こうを引き受けてくれるなら、俺は兎に角華奈子さんを──」
ドスッ、と。俺の独り言を遮るように、砂埃を撒き散らしながら、建物内から人影が飛び出し、塀にぶつかり転がり落ちる。
「っ…ァ…」
視界の先に転がった人影は、その全身を一瞬紅い光に包み込むと、変身解除しその場に倒れ込む。
「ッ…誠良、アイツ──」
英雄としての変身が解け、視界に映ったボロボロの誠良。俺が無意識に自分の足を向けようとした瞬間、建物内から出た怪物が目に入り、反射的に身構えようと足が止まってしまう。
「───…────…」
「──ッ!──ッ────ッ!」
何を、話しているのだろうか。2人の会話は雨音にかき消され、俺の耳には届いてこない。
「チッ…」
無意識に出た舌打ちはあの怪物となった鈴村に対してか、はたまた無様に首根っこを掴まれた誠良に対してなのか。…いや、本当はわかっている。一瞬でも、恐怖で足が止まった俺自身に対して、だ。
苦痛に顔を歪める誠良の顔を目に、俺の足は、拳は、ソレを掴む外道に向かって動き出す。
「こんの…下種野郎がァ──ッ!」
「…田な──bgyaッ」
顔面を殴打する感覚と共に、誠良から手を離し、工場内の廃材の山へと飛んでいく鈴村の身体。
振り抜いた拳から血が流れる中、右手に嵌めたメリケンサックは、まるで役目を終えたようにボロボロと崩れ去る。
「──クソがッ」
力無く倒れ込む誠良を一瞥して、熱を帯びた右手を握り締める。
今度の呟きは紛れも無く、自分自身に向けたものだ。
──確かに、俺には目の前の誠良のような力も、勇気も、持ち合わせてなんていない。今回だって、俺が原因で華奈子さんや誠良までも巻き込んだようなものだ。…でも、戦ってくれたのは俺じゃない。彼も無関係…ではないけれど、身体を張ったその姿を見て、俺は何をした?ボロボロに、傷付いた姿を見て、なんで…なんで、俺は足を止めたんだ?恐怖?怖気付いた?…そんなの、ただの言い訳だ。ボロボロに傷付いた誠良のほうが、俺が思うよりもずっと、それに晒されていたんじゃないのか?
「──アキ…ヒ、ロ…?」
血濡れた身体を起こそうとしながら、不意に俺の名前を呼ぶ誠良。
どこからどう見たって、今の彼は戦える様子では無い。
「悪い、誠良。…あとは、俺がなんとかする」
自分の思考よりも早く、雨の当たらぬ物陰へ彼を寝かせ、口から漏れたそんな声。
もちろん理屈も、根拠も無い。…ただ、ここからは俺が出る幕だ。見栄でもいい、でも…
「惚れた女が待ってるんだ。彼女も、誠良も、誰も失わせない──ッ!」
ーーー
暗い建物内に響きわたる、雨音に打たれたアスファルトの硬い音。
本体である蝙蝠の真神類との戦闘が始まってから時間にしてはほんの少し、全身の力が抜けていく感覚に晒される。
「どうシたァ?噂のヒーローさんモもウ限界カァ?」
「ッ──ぁ…」
激しい衝撃に襲われて、かろうじて立っていた姿勢が崩される。
オピレイドによる負荷が乗っていたとはいえ、なんだ、この真神類は…?
今までの真神類とは違い、明らかに戦い慣れ──いや、相手をいたぶり慣れている。
「──ヴッ…ッァ」
エンバハルになっても尚、全身を襲う激痛と衝撃。油断をしたわけでもなく、ただ今の俺では勝てそうに無いことだけは明らかだ。なら、ここは短期決戦だ。一度、距離取って──
「チッ…まだソんな力ガ残っテンのか。…流石、巷デ有名なヒーローさんダなッ!」
鈍い衝撃と共に、妙な浮遊感に襲われ、視界が一瞬ブラックアウトする。
──何を、された?
いや、今は兎に角オピレイドを使って、オーバースペックに…
「──ッ!?」
腕時計型デバイスに触ろうとして、伸ばした右手が虚空を撫でる。転がされた際に外れたのか、はたまた過負荷で外れたのか。
街灯の光を反射した、波紋の広がる水溜りに、生身の佐倉誠良が映り込む。
「へぇ…お前ガ邪魔者の正体カぁ…攫っタ女ニよく似テルなァ…」
「──ッ!お前ッ、姉さんをどうした──ッ!」
反射的に出た、吠えるような声。
蝙蝠の真神類は、そんな俺を嘲笑うように口元を歪めると、嬉々として俺の首を絞め上げる。
「ッ…ァ…」
息が出来ず、嗚咽かもわからぬ音が抜ける。
──何が英雄だ。父も、母も、今回だってそうだ。…あれだけ大見栄張っておきながら、本当に守りたい人は、守ることなんてできやしない。
自分の死を感じ取ったのか、伸ばされる意識の中で、そんな思考が延々と繰り返される。
「こんの…下種野郎がァ──ッ!」
「…田な──bgyaッ」
不意に俺の鼓膜を震わせた、吠えるような低い声。
ただ、一瞬の出来事。持ち上げられた身体が落ちて、詰まった気管を開けるよう、その場で激しく咳き込んでしまう。
「──クソがッ」
雨音をかき消す錯覚を憶えるような、耳に届く怨嗟の声。
聞き覚えのある声の持ち主は、その拳を握り締め、突き飛ばされた真神類の方へと眼光を向けている。
「──アキ…ヒ、ロ…?」
ただただ無意識に、目の前の男の名を呼ぶ。
間違えるはずも無い。できれば関わらせたくなかったこの男は、こうして今、また戦場へ舞い戻ってしまったのだ。
「悪い、誠良。…あとは、俺がなんとかする」
また一瞬、雨音が消えたような錯覚。
妙に慣れた手付きで、俺を屋根の下へ担いだ彼は、そう宣言して踵を返す。
本当は自分のことなんか棚に上げ、無謀だとか、関わるなとか、色々言いたいことはある。…でも、この男はそんなこと聞かないって、諦めている俺がいる。
「惚れた女が待ってるんだ。彼女も、誠良も、誰も失わせない──ッ!」
廃工場内に響き渡る、守ると決めた男の宣言。
嗚呼、これは姉さん達が惚れたわけだ、と。妙な確信を経て、俺は意識を手放した。
ーーー
廃工場内へ飛び込んで、記憶中の景色を照合し、直感と気配を元に周囲の状態を把握する。
自信を奮い立たせるよう、啖呵は切った。後で思い返して悶絶はするだろうが、この際今はどうでもいい。
今、俺が最優先でやるべきことは、華奈子さんの救出し、この場からの離脱することだ。…さっきの一撃は、確かに良い感触がしていたし、怪物とはいえ人型同様根本が同じであれば、それくらいの時間は稼げる──算段だった。
「たァァァなァァァべェェェェ──ッ!」
「──っ」
華奈子さんが幽閉されているであろう部屋の位置が特定できたのと同時に、悪寒に従い転がるようにその場を退く。
躱せたからいいものの、完全に意識外から飛んできた不可視の一撃だった。見れば先程俺のいた場所は、床のタイルが激しく砕かれている。
「…腐っても怪物って訳ね」
転がり込んだ物陰に隠れて、整理するようにそう呟く。
思っていた以上に回復が早い…いや、怪物だから打撃に耐性があったのか…?
いずれにせよ、俺の計算が甘かったというべきだろう。ラグ的に気絶自体はさせられていただろうし、その事実だけから怪物であることを見誤った俺が悪い。
「…さて、ここからどうする──かッ!」
物陰から飛び退いて、対峙するように怪物の前に足を踏みしめる。
視界の端で隠れていた廃材が砕ける音がしたが…奴の全容を見て、なんとなくそのカラクリは理解した。
「超音波、だな?…鈴村」
「…チッ…流石、田辺と言っタトころカ」
いつから気付いていた、と。そんな言葉と共に人の姿へと戻る鈴村。
ドス黒く濁ったその瞳を前に、反射的に身体に力を入れなおす。
「割と最初から、だな。…そもそも、俺が現状を話したのは身内以外だとお前だけだ。手口といい、あの分身?の動きといい、お前なんだろうと確信はあったよ」
「ははっ…そう、か。…そうだよな。お前は昔から、そういう奴だった」
何処か納得したように、目元を押さえて言葉を漏らす鈴村。
狂ったように笑い始めたそんな次の瞬間、何かに突き飛ばされる感覚がして、後方の壁へと身体が打ち付けられる。
「っ…お前…」
「ハッ!教えてやるよ田辺、俺のように進化した者は真神類にならずともその力が使えるようになるんだよっ!」
打ち付けられた背中が痛む中、なんとか姿勢を持ち直して、鈴村の方へと視線を戻す。
──完全に、油断していた。不意打ちとか奇策は鈴村が考えそうなことだと、理解していたはずなのに。…少なくとも、言葉での説得は無駄だと証明はされたか。
威力こそほぼ無いが、おおよそ人体からは出ることの無い攻撃。もしこれがブラフで、怪物の時と同等の威力が出るのなら、次に食らうということだけは避けておきたい。
「相変わらずムカつく表情をしやがるな、田辺」
「…っ、ムカつく表情で、悪かったな」
「チッ…この状況にも関わらずその態度──まぁいい。一応聞いておくが、田辺お前、底根商社について何か知ってるか?」
「──は?」
悪態付きながら唐突に問いかけられた、鈴村のそんな言葉。一瞬意味もわからず、反射的に素っ頓狂な声が漏れる。
底根商社、確かに知ってはいる。だが──
「──何故、今更そんなことを聞くんだ?あそこは数ヶ月前に倒産したはずだ。確かに、俺が内定を取っていた会社と倒産時期は似通っていたかもしれないが…その内部事情を知りたいなら宛が外れたな」
「チッ…あぁあぁ、そうだったそうだった。記憶障害のお前が知ってるわけもないよなぁ…?」
「─っ、だから、何の話を──」
俺の返答など届くはずも無く、再び飛んできた衝撃波。
本能的に飛び退いて、廃材の陰にその身を隠す。
「クソがッ…今のモ躱スカよ」
雨音に負けず劣らずよく響く、鈴村の声。全身の毛が逆立つこの悪寒からして、再び怪物となったのだろう。これで誇張なしに、次の一撃は食らえば致命傷となる。
「──ん…?」
カチャリ、と。地面に手を付こうとした瞬間、不意に鼓膜を震わせた、金属音のような音。
普段であれば気に留めなかったはずだ。
でも、この瞬間だけは何故か、見なきゃいけない気がして。
視線を落としたそこには、誠良の腕時計が落ちていた。
ーーー
小山達の情報を元に、待機させていた警察車両で廃工場前へとやってきた智代子と出雲。
豪雨が打ち付ける中、到着するや否や、警戒するように降りた2人は、焦る気持ちを押さえながら工場内へ向かおうとして、不意にその足を止める。
「誠良っ!」
「佐倉君っ!」
視界に入った人影を目に、時同じくして声を上げる2人。
中からは死角となる場所で、意識を失い寝かせられている誠良の姿。駆け寄る智代子と対照的に、拳銃引き抜いた出雲は、周囲を見渡しながら二人の元へと歩みを寄せる。
「どうだ?佐倉君の様子は…?」
「…流血が多いとはいえ、傷口も浅く脈拍も安定してるし…多分、気絶してるたけ」
「そうか…なら、あとは後始末だけして──」
ビーッビーッ、と。
出雲が安堵の声を告げかけて、遮るように鼓膜に響いた警告音のような音。
誠良の安否に一喜一憂していた2人は、忘れかけていた現実へとその意識を引き戻される。
「警告音…?でも、何故──」
「…っ!華奈子ちゃんとアキ─田辺さんは!?」
誘拐された華奈子と、この事件の元来の標的であろう明大。姿の見えぬ2人が脳裏を過り、本来の目的を思い出した智代子。
そんな彼女に同調するように、出雲の表情が険しくなったその瞬間、不意に建物内から青白い光が漏れ出すと、続けて爆発音が、周囲の雨音を遮り響く。
「何が、起きて…」
「──っ…智代子君、アレは…」
覗き込んだ出雲に促され、その意識を建物内へと動かす智代子。
「エンバハル、なの…?でも──」
漏らした言葉を言い切る間もなく、近くに落ちたであろう怒号のような雷鳴。
一瞬だけ照らし出された、暗がりに佇む白いエンバハルは、音を置き去りにした速さで蝙蝠の真神類へ肉薄すると、ソレを大きく突き飛ばした。
ーーー
──自分を使え、と。
まるで主張してるかの如く、俺の手に収まる誠良の腕時計。
一応、使い方は見たことあるし、わかっているはずだ。…だが、果たして──
「田辺ェェェェ───ッ!」
周囲の廃材が飛ばされ、睨む鈴村と目が合う。
このままなら、確実に俺はただじゃ済まされない。
「あぁ、もう…ッ!」
この場で、俺に取れる選択肢は一つだけ。
──一か八か…もう、考えいる暇は無さそうだ。
「どうシた、田辺ェ?もウカくれんボは終わりカぁ…?」
「…かくれんぼ、ね。…あぁ、もう終わりだよッ!」
啖呵を切るようにそう吠えて、左手首に巻き付け臨戦態勢をとる。
『warning…』
「あ゛…?何の真似だ?」
嵌まった注射器を挿し直した瞬間、周囲に流れ出す警告音。
全身の激痛と共に、『Νエンバハル』の文字が脳内に刻まれる感覚がする。
「っ!?お前、マさか──!?」
「『Νエンバハル』───!」
ただ本能のままに、その名を叫んだ刹那、怪物から放たれた超音波の波。
注射器を倒した瞬間、一瞬ブラックアウトしたのと同時に、全身にかかる負荷が、襲い来る衝撃と共に悲鳴を上げる。
「っ──田辺オ前、その姿ハ…」
やけにしっかりとした輪郭の映る景色の中、驚愕の表情を浮かべそう声を漏らす鈴村。
そんな奴の反応を、五体満足であろう全身の感覚を前に、俺は息を吸い込むと、ギチギチと軋む自分の両手を握り締める。
「…相変わらず、悪運だけは強いってことか」
言い聞かせるように呟いて、目の前の怪物へと意識を集中させる。
「まぁイイっ!ココで仕留めレば良いダケの話ダからなァッ!」
掠れたシャウトを放ちながら、地面を蹴って肉薄される。
右ストレート、エルボー、足払いと見せかけた回し蹴り。ゆっくりと埃を舞い上げながら、怪物の一撃一撃を最小限の動きをもって躱し、いなす。
「ハっ──ッ!」
静かに息を吸い上げて、掛け声と共に胸部に向かって両手を突き上げる。
鈍く、確かに当てた感触が、俺の手に伝わってくる。
「──なるほど、こんなかんじか」
感覚は研ぎ澄まされ、喧嘩をする時のような妙な冷静さが、俺の脳内を支配する。
確かに全身は軋み、悲鳴を上げている。が、いつもより身体が軽く感じる矛盾。寧ろ、上から身に付けた感じすら無く、生身の自分の身体よりも、ズレが少なく、思い通りに動けると錯覚すらする。
──これなら、怪物相手でもなんとかなる。
姿勢を崩し、転がる怪物を眼に、ようやく足を、その場から離し踏み込む。
「ッ!?田辺、貴様──」
───ドゴォォッ、と。
蹴り飛ばした感触が残る中、鈴村が言い終えるより速く、飛ばされたその身体は壁を突き抜け視界から消える。
脳震盪を狙ったが、あの耐久力と回復力だ。初撃よりは速く、重く乗ったとはいえ、しばらくしたらまた復活するだろう。
だが、俺のやることは、最初から変わらない。
俺の直感が、本能的が、華奈子さんがいるであろう部屋へ向かって、自分の身体を急かしていく。
…それこそ、前に似たことを経験していたかのように。
階段を駆け上がり、長い廊下の一室前。
──バキッ…と、扉を衝立ごと外し、気配のする暗い部屋へと侵入する。
「──華奈子さん」
遅くなってごめん、と。もはや俺自身、呟いたかもわからない。
暗がりの視界に映る、下着姿のまま手足口を抑えられた華奈子さん。
目の合った彼女のロープを引き千切って、壊れないようそのまま彼女を抱きしめる。
「──っ」
抱きしめ返された彼女から感じる、微かに震える熱を帯びた身体。
落ち着かせるように頭を撫でて、カビ臭い部屋の中を見渡しておく。
…予想はしていたが、大分物が散乱しているな。
ふと視界に入った、俺をおびき出す例の連絡に使ったであろう華奈子さんのスマホは、最早原型を留めず破かれた衣服と共に積み上げられている。
「明大さん、私…」
口元のテープを外したのか、静かな沈黙破ろうとした華奈子さんの声。
そっと彼女の顔を見つめ直して、ふとその言葉に違和感を覚える。
「華奈子さん、なんで俺だって──」
変身しているはずなのに、何故彼女は俺であると確信しているのか。
ソレを問いかけようとして、不意に響く轟音にそれから先は遮られる。
「悪い、華奈子さん。今はとにかくここを出よう」
「そう、だね…」
かろうじて形の残った上着を拾い、そっと彼女に羽織らせる。
階段を上がりこの部屋へ向かいくる、怪物の大きな気配。どうやら、もう意識回復までこじつけたらしい。
「明大さん。でもこれ、どうやって出るの…?」
「…あぁ、この際、仕方ないか」
壁を突き破る、と。そう宣言して、彼女を後ろに下がらせる。
大丈夫、初めて出会った蜥蜴の怪物も、一撃で壁を破壊できたんだ。…今の俺は、その怪物と対等に戦えるだけの力がある。不可能では無いはずだ。
…それに、微かだが、外から見知った気配も感じるしな。
落ち着かせるように息を吐いて、己の拳を握り締める。
「スゥー…ハっ──ッ!」
俺の声に少し遅れて、激しく鼓膜を震わせる雨音。街灯と、赤く点滅する光が、闇に紛れた俺達を照らし出す。
「華奈子さん、行くよ」
「えっ!?ちょ、明大さん!?」
華奈子さんを抱き上げて、壁に開けた穴から飛び降りる。
止む気配のない大雨だ。彼女を極力濡らさないようにして、取り囲む警察車両の側へと駆け寄っていく。
「智代子さん、出雲さん」
「──ッ!?」
一瞬にして肉薄したせいか、声をかけられるなり驚愕の表情を浮かべる2人。
俺は腕の中の華奈子さんを一瞥すると、頷く彼女を目に、そっと身体をその場に下ろす。
「華奈子さん、あとは──」
「避難、でしょ?わかってる。…でも、無理はしないで」
「…あぁ、すぐに戻る」
固まる智代子さん達を他所に、華奈子さんと言葉を交わして、壊した壁の下へと戻る。
…彼女はきっと、俺の考えてることを察しているのだろう。
俺は自分の言葉を飲み込んで、近付く気配へ意識を戻す。
街灯に照らされた部屋の中へ、足を入れた怪物の姿が映る。
「チッ…田辺ェ…お前、最初カラこノつもリで──ッ!」
開いた二階の壁穴から、忌々しげにこちらを見下ろす鈴村。
俺は少しだけ姿勢を緩めると、意地悪半分に両手をひらひらと上げて見せる。
「はぁ…相変わらず学習しないな、お前は」
「何がッ─!?」
「お前は、俺をおびき出す為に人質を用意したんだろうが…人質を取られた時、俺がまず最優先にするのはその救出だ。…それくらい、お前も知っていたはず、だろ?」
「────ッ!」
高校時代にされた時同様、途中の喧嘩…いや、これは戦闘か?とにかく、ソレはあくまで障害の一つでしかない。…だから、それを知っても尚、同じことを繰り返すコイツは、本質的には変わってなかった、ってことか。
「残念だよ、鈴村。あの後は良き友人…とまではいかずとも、それなりに仲良くはなれたと思ってたんだがな」
嘘偽りの無い、俺の本音。
今思い返せば、関わりも全て嫌がらせの一環だったのだろうが。…少なくとも、俺はコイツがまともになったと思い込んでいた。
「───ッ!黙れ黙れ黙レ黙れ黙レ──ッ!お前ハ…お前ノその見下シタ態度がずっとずットずッと──俺は気に入らなカッたンだよッ!」
そうか、と言いかけて、開きかけた口を閉じる。
言葉をいい終えるや否や、翼を広げて飛びかかってきた怪物を、軽くいなして蹴り飛ばす。
「クソッ─クソクソクソクソクソッ──ッ!何故だ!?あの女ヲ目の前デ嬲り殺しテ、お前ノ心ごとズタズタニするハズだっタのにッ!」
吠えながら飛び上がった奴が、宙から衝撃波が放ってくる。
──今、コイツはなんて言った?
俺の心を折るだけならまだいい。…だが、その道具として彼女を攫い、あまつさえ嬲り殺しにする…?
身体に打ち付けられる衝撃の波の中。俺は転がった鉄筋を拾い上げて、空飛ぶ奴に向かって投げつける。
「ガっ…ッァ…」
奴の飛膜を突き破り、鮮血と共に自由落下するその身体。
俺はゆっくり歩み寄り、もう反対の飛膜を引き千切って殴り飛ばす。
「ヴァァ…ァッ、田辺、オmッ──」
ドスッ──と、鈍い音を上げて、地面に転がる奴の肢体。
衝動のまま、奴にマウントを取ろうとして、動きかけた足を止める。
「──ッ」
炎の中に立つ、白い龍にも似た怪物。
ほんの一瞬だけ、脳裏を過ったその姿は、水溜りに反射する自分の姿を前にして、俺の思考から霧散する。
「はぁ~…馬鹿か俺は」
雨音が鼓膜を震わせ、触れた雨粒が蒸発し、全身から湯気が立つ。
──華奈子さんを嬲り殺そうとした、か。本当は怒りの衝動に任せて、死ぬまで痛めつけてやりたいところだ。幸い、その力が、今の俺にはある。
…だが、それをしたところで、俺は一体どうなる?醜い自分の感情で奴を殺したら、俺も晴れてその怪物の仲間入りだ。ここで力の使い方を間違えたら、それこそもう一生、華奈子さんに顔向けができない。
「田辺ェェェェェ──ッ!」
絶叫と共に襲いかかる、目の前の怪物。
その拳を、爪を、蹴りを躱して、地面を蹴って距離を取る。
先程一瞬、俺の脳裏に映ったあの白い怪物。
フラッシュバック、かもしれない。怒りか、恨みか、はたまた恐怖なのか。震える拳を握り締め、工場窓に反射した己の姿を目に入れる。
──恐怖が、怒りがなんだ?
今の俺と同じ姿をした誠良は、たとえ怪物の姿だろうと「人」を守る為に戦っていたじゃないか。
なら──
「──今の俺は英雄、だからな。俺の役目は、お前を殺すことじゃない」
「何を、ごちゃゴチゃトォォォっ──ッ!」
言い聞かせるように呟いて、逆上し向かい来る怪物へ向かって地面を蹴る。
『rupture』
注射器を押し込むと同時になる、不穏な機械音。
より一層、全身に負荷がかかる中、振りかぶる怪物の攻撃を、水溜りの水面を滑るようにして躱すと、勢いままにその腹部に向かって蹴りを一発お見舞いする。
「──、──ハッ──」
肺からの空気が漏れるような、怪物の静かな断末魔。
そのまま飛ばされた奴の肢体は、工場の外壁に衝突すると、音を立てて爆散した。
ーーー
「…っ…んぁ…」
「──!誠良っ!」
運び込まれた警察車両内にて、打撃音が雨粒に紛れる中、目を覚ました誠良の胸に、声を上げて飛び込む智代子。
状況を把握出来ず、なけなしの力で彼女を引き剥がした誠良は、こちらを覗く華奈子と出雲を目に、ゆっくりとその上体を起こす。
「意識が戻ったか、佐倉君」
「…出雲さんに、姉さん達…?でも、なんで俺──」
真神類に手も足も出なかったのに、と。そう言いかけて華奈子を前に、慌てて口を閉じる。
「誠良」
「っ…な、何?姉さん…?」
不意に名前を呼んだ、大きなタオルに身を包んだ華奈子。
何を言われるか、と。内心焦る誠良を他所に、彼女はそっと手を伸ばすと、傷だらけのその頬へと、撫でるように手を触れる。
「ごめんね、私のせいで。…でも、無理したらダメ。…誠良は、あの人と違って戦えないでしょ」
「っ…」
『…あとは、俺がなんとかする』
華奈子の言葉を耳にして、気を失う前、そう言った男の言葉が誠良の脳内に反芻する。
「そうだ、俺、明大に──姉さん、姉ちゃん!明大は!?あの男は!?」
今日一大声を上げ、痛みの引き始めた身体を無理矢理起こす誠良。
彼は、顔を見合わせる姉2人と、考え込むよう腕を組む出雲の姿を一瞥すると、無意識のうちに警察車両を飛び出す。
「──っ…」
全身に打ち付ける雨と、塞がり切らない傷口に染みる痛み。
本来感じるそれらすら忘れ、廃工場の敷地へ戻った彼は、対峙する2つの影を前にして、その足を止める。
「──今の俺は英雄、だからな。俺の役目は、お前を殺すことじゃない」
不意に、誠良の鼓膜を震わせた、言い聞かせるような男の声。
雨音をかき消すような一瞬の静寂。視界が捉えた、全身の蒼いラインを通らせた白いエンバハルは、スライディングするように地面を滑はせ、カウンターを決めるように、蝙蝠の真神類を外壁へと叩きつけた。
ーーー
激しく爆散した音と襲い来る熱風。一瞬ブラックアウトした視界と共に、俺の身体は全身の負荷から解放される。
水面を見れば、何処か満足気に微笑む自分の姿が映り込む。
「っ…」
負荷とは違う、全身を走るような鈍い痛み。
安堵のせいか、緊張感が切れた脳に痛みの信号が届いたらしい。…まぁ、攻撃もいくつかモロに食らったしな。そうでなくても生身でアレだけ動かしたら、大怪我どころでないことだってした自覚はある。
とにかく身体を動かして、俺はその場に立ち上がる。
「…上手くいった、か」
壁際に倒れるほぼ全裸の鈴村を目に、口からそんな声が漏れる。
ある意味賭けではあった。
そもそも誠良のように、正規の変身者でない俺だ。姿もこの前のあの姿ではなかったし、蜥蜴野郎同様、爆散して肉片になることも一応覚悟はしていた。
「鈴村」
ゆっくりと彼に歩み寄り、その名を呼び掛ける。
「た…な、べ…」
雨音にかき消されそうな、酷く掠れた鈴村のひどい声。
瞼を持ち上げた彼は、虚ろな瞳でこちらを覗くと、その口角ゆっくりとあげる。
「嗚呼…そう、だったな。お前は、そういう奴だった」
満足気に何かを呟いて、雨降る空を見上げる鈴村。
その顔は何処か憑き物がとれたようで、高校時代に見た彼とその姿が重なる。
「やり直せ、鈴村。…今のお前なら、できないことはないはずだ」
嘘偽り無い、今の俺の本音。右手を前に差し出して、再び俯いた彼を見つめ直す。
「チッ…相変わらず、上から目線な奴」
「…悪かったな」
「いや、もう済んだことだ。…どうやら本当に、何も知らないみたいだしな」
何やら最後に呟いて、俺の方へと視線を返す鈴村。
身体を起こしかけた彼は、その手そっと持ち上げ─
───パシッ、と。俺の右手を払い除けた。
「はっ!?」
思わずそんな声を上げて、叩かれた手を見返す。
完全に、和解する流れだったはずだ。俺の人をみる目が濁った?いやでも──
「悪いな田辺。俺はお前と馴れ合うつもりはない」
「──!?おい馬鹿ッ!それは──」
俺が目を離した刹那、何処に隠していたのか、そんな声と共に注射器を自らの二の腕に突き刺した鈴村。
再び怪物に変貌した彼は、再生している(?)飛膜を大きく広げると、止めかけた俺を払い除け、宙高く舞い上がる。
「お前は、これ以上この件に近付くな。俺から言えることはそれだけだ」
「おま、ちょ──どういう意味だッ!」
腕時計に手を掛けるよりも早く、空の向こうへと消えていく鈴村の姿。
俺の声は虚しく、空虚な空へと霧散する中、雨音だけが嫌に強く、自分の存在を主張した。
ーーー
時は日付けが変わる頃。
誠良の腕時計を本人に返し、居合わせた出雲達に話を済ませた俺は、智代子さんの部下が運転する車に乗って、華奈子さんの部屋の前へと戻っている。
そういえば、警察があそこに駆け付けていた理由として、智代子さんが部屋に来た時、鍵がかかって無かったことから連絡がいったらしい。なんでも、心配して入ったら壊れたスマホしか見当たらなかったとか。
…今度から、どんな時でも鍵はかけるようにしておこう。うん。
「ただいま、華奈子さん」
ガチャリと扉を解錠して、居候している部屋へと踏み込む。
玄関で靴を脱ぎ、いつものように鍵をかけ直すと、狭いリビングの方へとその足を進める。
「華奈子さん…?」
リビングに入るや否や、俺の視界に飛び込んできた薄着姿の華奈子さん。
何処か暗い表情で、ソファの上に腰掛けていた彼女は、声を掛けるなりこちらを向くと、手招きするようにその手を上げる。
「明大さん、私…」
俺が隣に座るなり、そこまで言い掛けてこちらに、身体を擦り寄せる彼女。
妖艶で刺激的な彼女のその仕草に、俺は一瞬吐き気を催しかけると、無理矢理飲み込み思考から追い出す。
「華奈子さん、その…」
「ごめんなさい明大さん」
「え?」
俺が声をかけようとして突然謝る華奈子さん。
素っ頓狂な声を上げる俺を他所に、彼女は俺の胸元へと手を当てると、その体重をこちらに預けてくる。
「ごめんなさいって、俺は別に──」
今回のことであるなら、彼女は完全に巻き込まれた側の人間だ。謝られることなど無い。…それに、非常に癪だが鈴村の性格上、彼女が性的に襲われたという線も薄いだろう。いずれにせよ、彼女が俺に謝ることではないはずだ。
「違うの、明大さん。…私、本当は明大さんのこと、全部知ってるの」
「全部、知っている…?」
「うん…こうしてる今、明大さんが吐き気に耐えてることも。どうして、そうなったかの理由も、全部」
「っ──」
全部、という彼女の言葉。
きっと嘘でも誇張でも無く、知っているのだと、顔を合わせずとも、俺の本能がそう告げる。
「本当は、もっと時間をかけて、克服させるつもりだった。…でも、明大さん、だもんね。…今日みたいに、いくら止めたって絶対無理するって、私知ってるから──」
だから、と。顔を上げた彼女に突然口を塞がれる。
唇に伝わる柔らかな感触と、全身の毛が逆立つ得体のしれない悪寒。
反射的に彼女を拒絶しようとして、その眼を見た瞬間、突き飛ばそうとした手を無理矢理止める。
「ごめんなさい、明大さん…でも、私──」
「華奈子さん…」
泣きそうな彼女を見て、俺は何をしようとした?
たしかに、俺は──いや、彼女も、お互いの気持ちを知っても尚、ずっと一定の距離を保っていた。覚えもない過去によって、それ以上進むことができなかったから。
…でも、それはあくまで過去のことだ。仮に俺が知らなくとも、それを含めて彼女が受け入れてくれると言うなら、『今の俺』がソレを乗り越えないでどうする?
震える両手をゆっくり伸ばし、今にも折れそうな華奢な彼女の背中へまわす。
…大丈夫、あの時はできたのだ。今更できない道理なんてないはずだ。
「明大さん…」
抱き返すように回された、俺を包み込む彼女のか細い両腕。密着した彼女の体温が、俺の鼓動を加速させる。
「──どうか、私の全部を受け入れて」
甘美に脳に響き渡る、告白じみた彼女の甘い誘惑に、俺達はどちらともなく、互いの唇を合わせる。
昨日のことなどまるで忘れたかのように、どこまで堕ちていく愛と劣情に満ちた俺達だけの時間。
──この夜、俺は彼女の純潔を散らしたのだった。
☆ー★ー☆ー★
「いらっしゃいませ、お客様。お言葉ですがその、女性に贈ると言われましても、どのような理由で贈るものでしょうか…?」
「理由…あぁ、すみません。たしかに、用途によって違ったりしますもんね」
突然割り込んだ店長の言葉に、何処か納得したように頷く男。
石像のように固まるアヤを他所に、彼は申し訳なさそうに頭を掻くと、苦笑を浮かべながら口を開ける。
「いやぁ…その、知人の出所祝い、ですかね。相手が女性なので、姉に聞いたら花束を渡したら良いのではないかと言われまして」
「出所祝い、ですか…」
「えぇ。ですから、あまり大きな声では言えなくてですね…」
事情はわかりました、と。苦笑を続ける男に対し、納得した表情で頷く店長。
彼女は、未だに固まるアヤの肩を叩くと、軽く溜息を吐いてそっと耳打ちをする。
「アヤちゃん、ただのお知り合いだってさ」
「知り、合い…?」
まるで幽鬼のように、ゆらりと顔を上げるアヤ。そんな心情を知ってから知らずか、男はカルトン上にお代を置くと、優しく彼女に微笑みかけた。