File17.蝙蝠の怪物
──前回のあらすじ──
高校時代の級友・鈴村と再会別れた数日後、出雲と共に訪ねてきた智代子に、オピレイドの話をした明大。
一方その頃、ビャステコのによって新たな依頼を受けた鈴村は、そのターゲットが明大であることを知るのだった。
出雲達が明大の元へ到着したのと同時刻。
いってらっしゃい、と明大に送り出されて、職場である服屋に向かう華奈子。
今朝の会話を思い出し、ニヤつく表情を抑えたつもりの彼女は、慣れた足取りで裏口の扉へ手をかけると、未だにシャッターの閉まる店内へと足を踏み入れる。
「おはようございまーす…」
「あ、おはよう佐倉ちゃん!今日は早いわね〜」
店内に入るなり、他の女性スタッフをかき分けながらこちらへやってくる眼鏡をかけた初老の女。
華奈子に制服を手渡した彼女は、一瞬周囲を一瞥すると、口元を手で覆いながら、その耳元へと顔を近付ける。
「佐倉ちゃん佐倉ちゃん、何かいいことでもあったのかしら?」
「えっ!?」
耳打ちした女の言葉に、思わず声を漏らす華奈子。
周囲のスタッフが一瞬、何事かと振り返るも口元を隠す女を視界に捉えた途端、呆れたように次々と作業に戻る。
「ちょっと支店長、いきなりなんてこと言うんですか…今日は別に、明大さんと何かあったわけじゃ──」
「ふぅーん…アキヒロさん、ねぇ…アタシはいいことあったかとしか言ってないんだけど?」
「───っ!私、着替えています!」
やかんのように湯気を上げ、踵を返し更衣室へと歩み出す華奈子。
ニマニマと笑う女は、そんな彼女の背中を見送ると、その両腕を腰に当てる。
「…支店長、アレはセクハラと言われても文句言えませんよ」
華奈子と入れ違うようにそう言って、女に近付く1人のスタッフ。
そんな彼女の言葉を耳に、女はわかってないなとでも言うような表情を浮かべると、一息吐いて言葉を紡ぐ。
「たしかにそうかもね。…でも、アレから1年ちょっと、今あの娘がここに戻って来て、ああやって笑えてるのを見るとつい、感極まっちゃってね」
「…はぁ、わかりましたよ。一応、今は佐倉さんからの苦情は来てませんし。─でも、彼氏さんのことにあんまり首を突っ込まないで上げてくださいね」
「はいはい、わかってるわよ。相変わらず固いわね、浅井ちゃんは」
「…人事を任されてますので」
女の言葉にそう言って、持ち場へと足を戻す浅井と呼ばれたスタッフ。
慌ただしい足音が店内に木霊する中、品出しを終えた彼女達は、下ろしていたシャッターを上げるのだった。
ーーー
あの女に関するひと通りの話を終え、出された珈琲をそっと口に含む。
…うん、相変わらず珈琲は苦くて飲めたもんじゃないな。それなりに値段のするカフェのやつだし、もっと美味く飲めるかと思ったが…次からは奢りだとしても断るようにしよう、うん。
カップに入ったままの黒い液体をそっと眺めながら、俺は心の中でそう誓う。
ふと向かいの智代子さんと男─出雲を一瞥すると、何やら情報を整理でもしてるのか、2人はメモ帳に何か書き込みながらしきりに首をかしげている。
「──なるほど、たしかにそれなら辻褄が合うな…」
呟くようにそう言って、不意に顔を上げる出雲。
こちらも彼を見ていたせいか、バッチリ目が合ってしまった。気まずい。
長くも感じた一瞬の間を空けて、そっと手元に視線を戻す出雲。
彼はテーブル上に置かれた写真とメモ帳を交互に見ると、再びこちらを一瞥して、突然大きくため息を吐く。
「事情はわかった。…悪用していたわけでもないし、今回は不問にしておく」
「っ…じゃあ──」
「──だが、危険物を持っていたという事実は変わらん。…よって、しばらくの間、君には監視をつけさせてもらう。いいな?」
出雲は淡々とそう言って、睨むようにこちらを見る。
監視、ね。たしかに、それくらいされてもおかしな話でもない、か。
ふと視線を智代子さんを向けると、彼女は何処か神妙な表情で俺に頷き返す。
「…わかりました、華奈子さんの生活に支障さえ無ければ俺はそれでもいいですよ」
「うむ、話が早くて助かる」
俺の返答に満足したのか、心做しか口角を上げる出雲。
彼は続けて「時間を取って悪かった」と、話を引き上げると、伝票を持って席を立った。
「田辺さん」
「はい?」
出雲に習い、荷物をそっとまとめようにして、口を閉じていた智代子さんに声をかけられる。
一応あの女の件について、今回は誠良に殴られたことや殴り返したことは話してないが…
「誠良のこと、華奈子ちゃんには黙っててくれたんですね」
「え?あ、あぁ…」
彼女の発したその言葉に、反射的に素っ頓狂な声を上げる。
…誠良のこととはおそらく、あのヒーローとして戦うことを指しているのだろう。
俺だって鈍くはない。あの日の怪物撃破後も、通信まで使ってわざわざ話を合わせたし、彼女達が華奈子さんに心配をかけたくないという気持ちは一応わかってはいるつもりだ。
仮に俺の弟がそんな死地に足を踏み入れるような真似をしたとして、俺も気が気じゃなくなるのは目に見えているからな。…最も、中高生時代は喧嘩ばかりで親に心配させっぱなしだった気もするが。
閑話休題。
俺は姿勢を智代子さんに戻し、彼女の言葉の続きを待つ。
そんな彼女は一瞬、躊躇うかのように視線を動かすと、一度目を閉じてその口をゆっくりと開ける。
「この間は、誠良を助けてくれてありがとう」
その場で席を立って、そんな台詞と共に深々と頭を下げる智代子さん。
何が、どうして謝られるのか。なんの脈絡もない言葉に俺が考える間もなく、彼女は視線をこちらに戻すと、拳を握って言葉を続ける。
「あの後、誠良が言ってたの。あのとき、コレ─オピレイドを貴方が投げてくれなければ、もっと苦戦したかもしれないって。アンゲロス─あの人型も引き付けてくれたみたいだし、お陰で被害も少なく済んだって。だから、ありがとう」
クシャッと顔を歪めて、こちらを見つめる智代子さん。
…あの誠良が、ね。
脳裏に浮かんだ彼を振り払うように、俺は彼女に首をふる。
たしかに、見方によれば貢献したと言えなくはないだろう。だが、あれは──
「智代子さん、俺は──」
───ヴーヴーヴー、と。
俺の言葉を遮るようにして、不意に鳴ったスマホのバイブ音。
一瞬にして表情を戻した智代子さんは、テーブル上に置かれた自分のスマホをひったくると、窓越しに走り出した出雲の姿を一瞥する。
「アキ─田辺さん、すみません。少し急用が」
「あ、あぁ…」
「お代は出雲が払ってるはずだから、私はこれで。話はまた今度、改めて聞かせてもらうわ」
手早く荷物を片付けて、店を後にした智代子さん。
ただ呆然と、俺はそんな彼らの後ろ姿を見送ると、しばらくの間その場に突っ立ったままだった。
ーーー
薄暗く、閉じられた廃墟の一室にて、縄で縛られ、ボロボロのソファの上に寝転された銀髪の女。
周囲に埃を撒き散らしながら、向かいの椅子に腰掛けた蝙蝠のような怪物は、彼女のものであろうスマホをその手に持つと、かろうじて差し込む窓の光へとその視線を向ける。
「チッ…面倒クせェ…」
忌々しげに漏れた、酷く掠れたそんな声。
スマホを投げ捨てた怪物は、女の方に手を伸ばして、触れる寸前でその手を止める。
「クソっ…」
緊張か、はたまた内なる恐怖の産物なのだろうか。
震えるその手をそのままに、怪物は剥き出しの牙を食いしばる。
「──明大、さん…?───ひッ!?」
「チッ…」
不意に目を覚まし、悲鳴を上げようとした女。
咄嗟に口元を鷲掴んだ怪物は、目尻に涙を浮かべた彼女が白目を剝くのを確認すると、投げ飛ばす勢いでその手を引っ込める。
「クソっ…!くソッ!クソクソくソっ!──そウだ、俺ハ強くナったンだ…ッ!強ク、ナッたハズなノニっ…!」
むしゃくしゃとした心のままに、壊れかけの机を掴み壁に投げつける怪物。
──いっそ、このままこの女を犯してしまおうか。怪物の脳裏に浮かんだ考えも、割れたガラスに映る自身の姿が否定する。
一度怪物─真神類となった地点で、もはや性欲も生殖機能も消え去った。目の前の生娘を犯して愉悦に浸るなど、もはや考えるだけ無駄だと、怪物自身が最も理解している。
「たナベ、アきひロォ…ッ!」
汚い声で喉を揺らし、憎悪と共に級友の名を吐き捨てる。
かつて、自分を喧嘩で負かしたあの忌々しい男。
ただ鈍感なのもあるだろう。だが、何度挑んでも、嫌がらせをしても、決して動じることのなかったあの男は、己の中で嫉妬と憎悪を生み出し続けた。
「フ…アハ…アハハハ…───ッ!」
転がるガラス片を踏み砕き、狂ったように笑い出す。
──だが、あの時と今とでは状況が違う。自分はこの力を手に入れ、すでに人としての一線は超えているのだ。それに上司から奴を殺す建前も出ている。最早躊躇する要素など何処にも無い。
「イや───」
ふと視線を女に戻し、呟こうとした言葉をそこで途切る。
本来なら眼前の女は殺し、糧とするところだが、今回ばかりはその限りではない。
──そう、偶然にも再開したあの時、無警戒にもベラベラと話した奴の想いを寄せる女の存在。そして、視界に映るこの生娘が発した、あの忌々しい男の名。
幸いにも、己の考えが正しかったと口角を吊り上げる。
──今まで奴に味あわされた、屈辱の数々。どうせ殺すのだから、目の前でこの女を嬲り殺し、自分以上の屈辱を与えて絶望の淵に陥れその表情を拝ませてもらおう。
思い描いた地獄絵図を前に、蝙蝠の怪物は高まる興奮に身を捩らせると、汚い息を周囲に吐き散らす。
「アァ…あァ…待っテろ田辺ェ゙…」
震える声で呟いて、ゆらゆらと女へと歩みを進める怪物。
汚らしい腕を伸ばした怪物は、壊れたように笑い声を垂れ流すと、気絶している女衣服を引き千切った。
名前:鈴村(25)
性別:男
備考:明大の高校時代のクラスメイトであり、蝙蝠の真神類へ変貌する人物。
高校時代、自ら一方的に突っかかった喧嘩という土俵で明大に敗れて以来、その嫉妬と恨みから明大に付きまとっていた。
高校卒業後、数年のニート生活の果てにビャステコに拾われ、底根商社の関係者の始末を担当している。