File15.力の代償
──前回のあらすじ──
華奈子と共にやってきたショッピングモールで、キノドンの真神類に襲われた明大。
そんな彼のもとに駆け付けた誠良は、黒く無骨な注射器─オピレイドを用いた新たな姿『エンバハル・オーバースペック』へと進化すると、圧倒的な力でキノドンを撃破したのだった。
「女性に贈る花束をひとつ見繕ってくれないか?」
アヤの脳内に反芻する男のその言葉。
固まった彼女の異常に気付いたのか、朗らかに笑っていた彼は屈み込むようにしてその顔を覗き込もうとする。
「あの…聞こえてる?おーい」
表情ひとつ変わらぬ彼女の前で、呼びかけながら右手を振ってみせる男。
ラジオの音がただ流れる中、店の奥から出てきた店長は、そんな2人の状況を目にすると、思わず間に割り込んだ。
★ー☆ー★ー☆
コツコツと、路地に響き渡るヒールの床を叩く音。
砂埃を舞わせながら、ゴミ袋の上に投げ捨てられた男は、その音の主へと顔を見上げると、怯えたように後退りする。
「さて、何故このような状態になってるのか…貴方ならわかりますよね、内藤さん?」
「──ッ…ぁ…」
ゆっくりと顎を撫でられ、無様な泣き顔を曝す男─否、内藤。
その瞳に映りこんだ真っ黒な目をした女は、鈴村の懐からデモルフィネを取り出すと此れ見よがしに揺らし不敵に笑う。
「ま、待ってくださいビャステコ様ッ!わ、私はただ、あの田辺という男を始末しようと──」
「それで、失敗したと?」
「──ッ」
ビャステコと呼ばれた女の言葉に思わず声を詰まらせる内藤。
呆れたように手を離した彼女は、手に持ったデモルフィネを自身のスーツにしまい込むと、予備動作も無く怪物へとその姿を変える。
「あーあ、せっかく拾ったのにこれじゃ、仕事を頼んだ私の立場が弱くなってしまうじゃない。…鈴村はあんなに上手くやってくれてるというのに、ね?」
路地に差し込む光に照らされた、猫を思わせる妖艶な姿の真神類。
音楽のような声を奏でながら、ゆっくり歩み寄る彼女を前に、内藤はゴミ袋を掻き分けながら奥へ奥へと闇へ進む。
「──ひぅ゙」
「逃げられるとでも?」
内藤の抵抗も虚しく、突如現れたアンゲロスに四肢を囚われ、磔のように壁に押し付けられる。
「…さぁて、何か最期に言い残すことはあるかしら?」
ジリジリとにじり寄り、鋭利な爪の生えた指を額に伸ばすビャステコ。
襲い来る恐怖を目の前に、内藤は顔面を自らの体液でぐちゃぐちゃに濡らすと、懇願するように口を開けた。
「え、エンバハルだ…奴が、オピレイドを───」
ーーー
町のとある一角にて。
地面に足をつけた瞬間、背後から襲いくる爆発音と熱風。
全身に走った紅い光が消えるのと同時に、変身を解いた誠良は周囲を見渡すと、その場にぺたりとへたり込む。
「お疲れ様、あとはこっちでやっておくよ」
「はっ…はぁ…っ…ありがとう、ございます出雲さん…」
駆けつけた人々によって倒れた真神類だった男が回収されるのを横目に、差し出されたペットボトルの水を流し込む誠良。
彼のとなりに屈んだ出雲は、空となったソレを受け取ると、忙しく働く部下達を見て小さく息を吐く。
「いつもすまんな、佐倉君。…俺達が不甲斐ないばかりに手をかけさせてしまって」
「…気にしないでください、出雲さん。俺だって伊達に1年以上英雄をやってませんから」
コンコン、と腕時計型デバイスを叩いて、無理矢理口角を上げる誠良。
彼の肩を持って立ち上がらせた出雲は、一瞬唇を噛みしめると、気を取り直すように自身の頬を叩く。
「出雲さん!?」
「いや、なんでもないさ佐倉君。…ただ、あれから一ヶ月経っただろう?そのオピレイドを使った戦闘にはもう慣れたのか?」
「あー…」
コイツですか、とオピレイドを取り出して、 通常のデモルフィネと交互に視線を送る誠良。
撤収を始める出雲の部下を一瞥した彼は、オピレイドを握り締めると、懐に入れて口を開ける。
「まぁ…負荷がとんでもないんで、基本的には使わない方針でいこうかと。今回みたいな第3ステージならともかく、第2ステージまでなら使わなくてもなんとかなるんでこのままでいいかと」
「そうか…わかった、無理はするなよ?」
「わーってますよ」
そんな返事と共に、誠良はくしゃりと表情を歪ませて、停めたバイクへと歩みだす。
「──あと少しだ。あれさえ、完成すれば…」
疲れた足取りながらも蒼いバイクに跨がりキーを回す誠良。
ボソリと呟いた出雲は、小さくなっていく彼の背中を見送ると、拳を強く握りしめた。
ーーー
窓から差し込む朝日と共に、瞼をゆっくり持ち上げる。
掛け布団代わりのタオルを退かして身体を伸ばすと、バキバキと音が鳴り響く。
「おはようございます、明大さん」
「…おはよう華奈子さん。今日も早いね」
エプロン姿の華奈子さんを前にして、そんな言葉を口にする。
朝起きてから惚れた相手と言葉を交わす…なんて幸せなんだろうか。
まともに触れ合うこともできていないにも関わらず、性懲りもなくそう思って、敷かれた布団を隅へ避ける。
ショッピングモールの一件からはや一月ちょっと。
紆余曲折あったが、無事あの家を売り払って、俺は華奈子さん達の提案通り、彼女の住むアパートの一室に住まわせてもらっている。
惚れた相手と同居…と聞けば外面は同棲かもしれないが、実際は職ナシのニートが居候しているだけに過ぎない。悲しい現実。
まぁ、幸いにも金自体はあるし、ヒモってわけではない…はず。…いや、生活費諸々全部出してもらってるし、やっぱりヒモか?
なにはともあれ、新しい生活にも慣れはじめたといったところ。
俺は彼女が並べた朝食の前に着くと、手を合わせて箸を伸ばす。
「…美味い」
「ふふっ、お粗末様です」
口の中の卵焼きを飲み込んで、微笑む彼女へ視線を向ける。
…あの日、誠良が来なければどうなっていたんだろうか?
あのまま素直に殺されて、被害者も増えたんだろうか?
そうしたら、杏さんの時みたく、この人に辛い思いをさせてしまったのではないか?
幾度となく思い返しては、脳内から振り払う。
結果的に助かって、俺の前で華奈子さんが笑っている。
そう、もしやでもではなく、これが現実なんだ。そうなったことに、素直に喜べばいい。…うん。
「明大さん…?」
「ん?あ、あぁ…どうしたの、華奈子さん?」
「…何か、不都合でもあった?」
何処か、心配するような眼差しでこちらを見つめてくる華奈子さん。
ただ無言で、心を見透かすような彼女を前に、俺は誤魔化すように視線を逸らして、悟られないように口角を上げる。
「はは…まぁ、なんというか…俺も働こうかなんt──」
「ダメ!」
「─っ!?え?」
「あ、ちが…ごめんなさい!」
俺が驚きから回復するよりも早く、そう言って台所へと消えていく華奈子さん。
…誤魔化しとしての言葉ではあるが、働こうと思っているのは紛れもない本心なのだ。
不自由はしてないが、それでニートとなるのは俺のプライドが許さないってのもある。
「なんで…」
空になった食器へ視線を落として、思わず口から声が漏れる。
…働いてほしくない、か。
俺だって華奈子さんのことを全て知ってるわけじゃないし、その理由に深く侵入するのは無粋だろう。
俺に実感は無いが、互いにアラサーの良い大人なのだ。俺が覚えていない時期も含めて、彼女の過去に何かあったとしても不思議な話ではない。
「ぅ…」
一瞬だけ彼女の過去を想像して、酸っぱい液が俺の喉を逆流する。
…落ち着け。たった今、自分で納得したはずだろう。
そもそも俺達はそういう関係ではないし、嫉妬したところで意味も無い。
「明大さん!?大丈夫…!?」
あぁ…いつの間に戻ってきたのだろうか、華奈子さんの声が聞こえる。
激しい吐き気と目眩に襲われて、都合の良い幻覚でも見ているのだろうか。
根拠も無く、ただ脳内に浮かんだ彼女の元カレを思考から追い出そうとして、俺は意識を手放した。
ーーー
「はぁ…」
時は既に昼を過ぎ、実家近くの崖の上で、一望できる町並みと共にため息を吐く。
「何してんだろな、俺は…」
今朝の出来事を思い出して、備え付けのベンチから空を見上げる。
俺が勝手に気絶してから数時間、華奈子さんはいつものように仕事へ行っている。
一方俺はなんだ?彼女の作り置き料理も食べずにここに出て、無駄に時間を浪費している。
「トラウマってやつなんだろうな…」
思い出そうとして震える身体を抑えて、言い聞かせるようにそう呟く。
思い出せない間に植え付けられたであろう、恋愛関連に対するトラウマ。
別に発症したのは今日だけじゃないし、この2ヶ月も起きてはいたのだ。…ただ、原因に気付いたのは華奈子さんに養われ始めたこの数週間だが。
まぁおかげさまで、俺はせっかく惚れた女と同居してるというのに、仲は進展しないどころかこうして悶々としている。
──ヴーヴーヴー
「…」
不意にバイブ音を響かせた、胸ポケットに刺さった新品のスマホ。俺は彼女に持たされたソレを取り出して、明るくなった画面に視線を向ける。
『体調大丈夫?』
『お昼ご飯ちゃんとたべた?』
メッセージアプリに送られていた、華奈子さんからのそんな2つのメッセージ。
なんだかんだ、心配してくれたのだろう。…気絶した原因だって俺自身のトラウマのせいだし、別に彼女が気負う必要は正直ないんだが。
「──っ!?」
返信を返そうとした瞬間、全身の毛が逆立つような感覚に襲われて、思わずベンチから飛び降りる。
崖とは反対の茂みから近付く、何者かの足音。
目覚めて以降、町中でも感じるようになったこの気配を前に、ちらりとこめかみから水滴が垂れる。
「誰だ…?」
茂みから出てくる影を目に、反射的に拳を握って警戒態勢を取る。
両手を上げながら出てきた影は、ゆっくりと日の当たる場所へ姿を現すと、苦笑いを浮かべながら口を開ける。
「悪い、警戒させる気は無いんだ。そう身構えないでくれ」
俺の鼓膜を震わせた、酷く掠れた懐かしい声。
目の前に現れた男は、高校時代より老けた顔で頬を引き攣らせると、まいったと言うように頭を掻く。
「鈴村、なのか…?」
「あぁ…久しぶりだな、田辺」
ーーー
昼下がりの興信所の一室。
ガチャリ、というドアの開く音と共に、千鳥足で入室した誠良は、片手に持ったヘルメットを投げ置くとそのままソファーに倒れ込む。
「おかえり、誠良。…昼食は食べれそう?」
コツコツとヒールを鳴らしながら、その顔をを覗き込む智代子。
伸びている誠良は、気怠げに首と視線を動かすと、うつ伏せのまま息を吐く。
「もう少し休ませてくれ、姉ちゃん…」
「…りょーかい。冷蔵庫に入れておくからね」
「ぁい…」
彼女に返事を返すや否や、誠良は静かに寝息を立てる。
「相当疲れてるのね」
目の前で眠る弟を撫でて、毛布をかけてそう呟く。
一月前のショッピングモールの一件以降、戦闘後にこうして泥のように寝ることが多くなった誠良。
興信所で待つことしかできない彼女は、憤りを隠せないように唇を噛みしめると、机に広げた資料にその視線を落とす。
「『エンバハル・オーバースペック』ねぇ…報告通りなら、喜ばしいことなんだけど…」
寝息を立てる誠良を一瞥して、言い聞かせるようにそう呟く。
1年前とは打って変わって、日に日に強くなっている真神類。そして、その背後にいる幹部と思しき強力な個体の存在。
奴等と対等に戦えるであろうオーバースペックという新形態も、こうして誠良の体力をゴリゴリと削っている。
「っ…」
唇に滲んだ血が、智代子の口内を鉄味に染める。
危険な場所に送り出している自覚があるとはいえ、姉としては心配なのだ。
何もできない自分の無力さに行き場のない怒りすら覚える。
せめて、自分が誠良の負担を少しでも肩代わりできるなら──
そんな思考を巡らせた瞬間、不意に机と落ちた1枚の報告書。
無意識に立ち上がった彼女は、それをそっと拾い上げると、何気なしにその視線を落とした。
名前:内藤(??)
性別:男
備考:キノドンの真神類へ変貌する、元銀行員の男。
横領がバレたことにより職を失った後、ビャステコに拾われたことにより真神類へとなった。
進化したエンバハルによって奇跡的に一命を取り留めたものの、口封じとしてビャステコに始末された。
『オピレイド』
「The divine seed that promotes evolution」
・真神類を進化させる、黒く無骨な注射器。
・サプレスバックルを介して使用することで、エンバハル(=誠良)の纏うスーツの性能を引き上げ、エンバハル・オーバースペックへと進化させることができる。
・服用を繰り返すことにより、より強力な真神類へ進化することがあるが、急激な進化を促す為自己崩壊を起こし死亡することもある。