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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

天意とくがだち 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 うーん、時にはのんびりひなたぼっこというのも、気持ちいいものだね。日差しとカーペットの暖かさに挟まれて過ごす、ゆったりとした時間。こりゃ猫だって丸くなってリラックスしたくなるわけだよ。

 だけどこのひなたぼっこ、いわゆる日光浴は午前中の短時間で行うことが推奨され、何時間もするべきじゃないと、近年ではいわれている。お察しの通り、紫外線の影響だね。「光老化」と呼ばれる、身体を傷ませる現象としても認知されている。過度に直射日光を浴びると、しみやしわができやすい、と。

 何事も過ぎたるは及ばざるがごとしという。確かに、成果を重視するこの社会においては、一切の不利益を出さずに進み続けることが最良ととられることが多い。出る杭は目立つが、ちょっとした谷も私たちの懸念材料だ。

 だが、競争相手がいなければ、どれだけ谷の底を這いまわっても問題なし。自分やコミュニティが許すままに没頭することができる。それにより不思議な体験をするケースも存在したのだとか。

 今度はソファでゆっくりしながら、その時の話を聞いてみないかい?


 今をさかのぼること、はるか昔。物事の真偽に関して神明裁判が用いられていた時代のこと。神意を得て行われるこの様々な占いは、その結果により大きく明暗を分けることになった。

 有名どころでいえば、「くがだち」だろう。容疑者に対し、あらかじめ神に潔白を誓わせた上で、釜で沸騰させた湯の中へ手を入れさせる。無実であれば何事もないが、有罪であるならその手は大やけどを負う、というものだ。しっかりと釜の中へ手をつけたという証拠に、湯の中へ落とした泥のかたまりを拾わせることもあったとか。

 そのくがたちが頻繁に行われている村がひとつ。しかもその大半で、とある男が容疑をかけられて、くがたちに臨まされていたらしい。その男は寝たきりの老婆と暮らしており、一日のほとんどを、看病のために家の中で過ごし、他の皆と比べると、目に見えて食料調達の時間が少なかった。にもかかわらず、彼はなんとかその日その日を乗り越えることができていたんだ。


 けれどある時、にわかに大きな騒ぎがこの村で広がる。件の彼がある男の家から、食料を盗んだというんだ。夜陰に紛れながらの犯行だったものの、男は確かに彼が奪い去っていく姿を見たんだ。

 もしこれが事実であったならば、彼ら母子は村を追い出され、暮らしていくことができなくなるのは間違いない。彼は否定するも男の方は承諾せず、判断はくがたちに委ねられることになった。

 長への訴えがあった明朝。大きなたき火の上で存分にゆだった釜の前に、二人は並んでたっている。


「――双方、己がいうことに嘘偽りはあるまいな? これよりくがたちを行う。それぞれが順に釜の中へ手を差し入れ、中の泥を拾い上げてみせよ。先の言葉に偽りなければ、何事もなくすくうことができよう。だが偽りがあった時はその両手が焼けただれ、とてもすくうことはかなうまい」


 そう告げた長は、くじによって訴えられた青年の方が、先に釜へ手を入れることになったこれを見た男はほくそ笑む。

 容疑が認められるのは、早いにこしたことはない。自分が手を突っ込む前に明らかとなるなら、この茶番に付き合う必要も消える。早く醜態をさらせと、彼が釜へ手を入れるまで、男はそわそわしていた。

 彼は平然とした様子で、釜の湯へ手を入れる。眉ひとつ寄せないその姿に「無駄な強がりを」と、当初は心の中であざ笑っていた男。しかし、彼は湯から手を引っ込めるどころか、むしろ底の深い釜に肩近くまでを突っ込み、中身を探っていたんだ。

 裁きを見届けようと集まった人々が、小声でひそひそと話し始める。聞こえる声の中では、「男の方が嘘つきではないか」というものも混じっていた。


 ――冗談じゃねえ。このままだと訴え出た俺の方が吊るし上げられちまう!


 ややあって。彼の方がざばっと音を立てて湯から腕を出すと、赤く染まった両手いっぱいに収まる泥の塊があったんだ。

 周囲がどよめくも、訴え出た男の方が内心で一番肝をつぶした。まさかやせ我慢をやり遂げるとは思わなかったし、自分が余裕をかましていられる立場ではなくなってしまったからだ。

 万が一にも、自分が上手くいかなかったら、無罪が有罪へと変わる時となる。

 長が泥を確かめた後、今度は男が釜の前に立たされた。にらむような一面の視線が刺さるのを感じ、男はごくりと息を呑む。


 ――大丈夫だ。俺は嘘などついていない。大事なく終わることができるはずだ。


 揺らぐ自信を奮い立たせ、合図とともに男は思い切って釜の中へ腕を差し入れた。


 長が言ったように、確かに手が焼けただれることはなかった。それでも、盛んに湧いてくるあぶくたちが腕の皮を撫でるたび、ぞわりと、肩をいからせたくなるような鳥肌が立ってくるんだ。そして底へ向かうに連れて、自然と熱さは増していく。泥はまだ手に届かない。

 自分のこめかみを汗が伝うのが分かる。腕のひりつきはいよいよ強さを増し、叶うものなら今すぐにでも腕を引っ込めたいところだ。だがそれは、自分の将来の道さえも彼方へ引っ込ませることになる。

 耐えろ、耐えろと自分に言い聞かせ続け、もはや指先が熱さ以外に何も感じなくなるかと思った矢先、男の指先が周りの湯に比べて、やや冷えた柔らかい感触を捉えた。

 彼はすぐさまそれを掴み取ると、一気に腕を釜から外へ出し、捧げるようにして長の前へ持ってくる。周囲がまたもどよめき、やや困惑した声があがりもした。

 長はじっと泥と彼の手を見やったが、結果として両者の潔白が言い渡される。彼も男も罪に問われることなく、別の証拠が出てこない限り、これ以上の審議は行われない運びとなったんだ。

 平静を装い、家に戻った男だけど、その晩になると両手の皮が勝手にぶよぶよとふやけてしまう。男が手を下すまでもなく、ひとりでに破け続ける皮の下からは、血が垂れ落ち始めた。

 実質的な敗北だが、男は事実を認めない。自分の目を何よりも信じる男は、かの青年の化けの皮をはがすべく、時間を見つけては、めったに家から出てこない奴の様子を探ることにしたんだ。


 治療の跡を見られれば、間接的に自分の「無実の罪」を示すことになる。彼はさりげなく長めの袖で手元を隠し気味にしつつ、彼の家の窓からそっと中をのぞく。

 彼はわらの布団を被せられた母親の前で、足を畳みながら座っている。彼の家は男がのぞく東側の窓以外にも天井、西側にも同じような窓が存在した。それどころか木の壁、わらの屋根のすき間からも陽の光が入り、火元のない屋内の闇を切り開きながら、彼の身体へ注いでいる。

 手と足を組んだまま、彼はじっとして動かない。だが男が少し動いて、窓から入る日差しをわずかに遮る形になると、とたんに立ち上がり「光源を遮る者よ、去れ!」と、しゃがれた老人のような口調で、こちらを見ずに叱咤する。

 ただごとではない。そそくさと窓から離れて去っていく男は、彼が何かに憑かれたように思えたとか。


 それから何度家の中を見やっても、彼はあの陽が差す屋内にいることが大半だった。彼が家にこもる日には、ほぼ確実に雲がなく、山の向こうに隠れるまで陽がいささかも陰ることない、好天だったという。

 これ以降も、彼が盗みを働いたと訴え出るものはいた。いずれも夜半のことではあったが、道具や食物を奪っていく人影は、まるで火の近くにあるかのようにきらめている。そこに映し出されるのが、彼の姿であったがためだ。

 そうして訴え出た人々は、自分の勝訴を確信してくがだちに臨む。そして敗れて火傷を負った挙句、えん罪として百叩きなどの刑を受けると、まさに泣きっ面に蜂な状況だった。現行犯としてとらえようにも、こちらの気配を感じた彼の身のこなしは速く、瞬きする間に消えてしまうような有様だったとか。

 やがて彼は腫れ物のような存在になり、その所作に対して、人を相手取るように接する者はじきにいなくなってしまったとか。


 それから何年もの時が流れ、この村を、類を見ない寒冷の空気が襲った。家の中で厚着をしても、体力のない者は凍え死んでしまいかねないほど。その中で、何日も家に閉じこもっていた彼は、不意に外へ姿を見せる。迷いなく進む足は村の外、裏山の方へ向かっていく。

 村の見張り役は、彼のことを目で追いこそすれ、声をかけようとしない。彼はそのまま坂を登り、木立の中へ姿を消した。

 それからいくらも経たないうちに、彼は村の境ぎりぎりまで伸びた崖っぷちの上に姿を現わした。人の足では少なくとも一刻(約2時間)はかかる道筋なのに、彼はその10分の1の時間もかけていない。

 怪訝そうな顔で見上げる見張り役の前で、彼はひざまずき、崖っぷち前の地面に手をついた。見張り役の角度からでは手元まではっきりと見えなかったが、彼の腕はくがだちを行う時のように、肩近くまで沈み、身体も前のめりになっていく。

 顔まで隠れるかという直前、ぴたりとわずかな静止を挟み、彼はゆっくりと立ち上がり出す。その両手には彼の体躯を上回る大きさの岩の塊が乗せられていた。それを高々と頭上へ持ち上げ、彼は叫ぶ。


「陽よ、受けた御恩をここに返しまする!」


 彼は岩を放り投げる。村の中へ目掛けて真っすぐに。

 村の中央に投げ入れられた岩は、着地と同時に爆散する。そこからあふれ出たのは、強い風を帯びる熱気だった。着弾点近くの家屋の壁はきしみ、屋根がはがれかけそうになる。だが「何事?」と外に顔を出した人々は、一様に目を閉じ、久方ぶりの暖気を取り込もうと身体が動いてしまったらしい。

 じんわりと村の中を暖気が包み込むまで、見張りも半ば放心状態。はっと気がついて崖を見上げると、彼の姿はどこにもなかった。後で捜索をしても、着ていた服の一片すら確認できなかったらしい。そして彼の家には、すっかり冷たい躯となった老母の身体が残されているばかりだったとか。


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ! 近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] 本当にこういう考えさせられるお話を書けるって凄いです。とても面白かったです! 「受けた御恩……」という台詞に、疑いたくはないけれどやはり彼が盗みに関与していて、でも母の看病という状況に目をつ…
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