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第1話:五年越しの再開

スロースタートです。

 梅雨の湿った空気を肌に感じると、ようやく故郷を思い出した。

 父親の仕事の都合で五年間カナダ生活を送っていた俺は、高校二年になり日本に帰国した。

 今日からは、兄と母と三人で、母方の実家に住まう。

 父親は……数ヶ月前に他界してしまった。

 飛行機を降り、荷物を待っている俺たちは、このジメジメとした空気と同じく重たい雰囲気に包まれている。

 本当は四人で帰る筈だった。誰も口にはしないその事実が、すっかり様変わりした俺たちの表情を作り上げる。

 どこか儚げな表情の黒髪長髪の母。この数ヶ月で一段と老け込み、四十二歳にしてかなりくっきりとしたほうれい線が出始めた。

 俺の隣で流れてくる荷物を見下ろしている黒髪短髪の兄は、少々ピリついている。

 二歳年上の兄は本来なら大学に入学している筈だったが、一年遅れで日本の大学を受験する。

 父の不在も合間って、将来への不安が一番強いのは紛れもなく兄の貴樹だろう。

 それに比べて俺は……


「おい直樹、お前のスノボ流れてきたぞ」

「……ありがと、兄貴」 


 鋭い目つきと口調。高身長でつり目の兄は、吐き捨てるように舌打ちを鳴らした。

 俺は兄から嫌われている。出来る事ならば、あまり関わりたくはない。

 以前は優しかった兄を傍目に、俺は人ごみを掻き分けて荷物の流れるレーンへと向かった。


「スノボ……か」


 黒いカバーに入った長板へと、俺はそっと手を伸ばした。

 妙に冷んやりとしていて、ふと冬に毎週通っていた雪山を思い出してしまう。

 スノーボードは五年前、言葉が分からず孤独に苦しんでいた俺に父が教えてくれた思い出のスポーツ。

 そのお陰で友達も出来た。上手くなればなるほど増えていく仲間。上達する言語力。

 –––でもあの日は確か、父さんの誘いを断って友達と山に……。

 不意に腕から力を抜いてしまった俺は、荷物を取り逃がしてしまった。


「おい、あぶねーだろ兄ちゃん!」

「あ、すいません……」


 隣で荷物を待っていたおじさんに叱られてしまった。

 情けない。何が情けないか分からないのも情けない。

 兄の反応が怖く、振り返る事さえ出来ない俺はそのままレーンの前で待つことにした。

 –––どれだけ逃げても意味ないのにな……。

 荷物を取り逃がした俺は、果たして何から背を向けているのか。

 その一瞬で答えが見つからない時点で、俺はまた自分が嫌いになった。


 荷物を取り終えた俺たちは、一言も発さずに出口へと向かった。

 多くの人が、家族や知人の帰りを待っている到着ゲート。

 その人だかりの中には、俺たちにとって懐かしい一同がいる。

 カナダに行く前、小学五年生までの幼き日々を共にした、同い年の鈴木風夏とその家族。

 母方の実家の隣に住む四人家族が、年老いた祖母の代わりに迎えに来てくれた。


「お久しぶり、的場さん。長旅で疲れたでしょう?」


 茶髪お団子頭の鈴木母が俺の母に新鮮な笑顔を向けた。

 記憶が正しければ二人は同年歳。だが、俺の母の朽ち果てた笑顔が、そう思わせてはくれない。


「そんなことないわよ。迎えに来てくれてありがとう、頼子さん。それに風夏ちゃんと冬香ちゃんも元気そうで何よりだわ」

「はい! 元気ですよ、的場のおばさ……いたっ。お姉、殴らないでよ」

「もう、冬香ったら。もう少しお淑やかにしなさい。……えっと、改めましてお久しぶりです的場さん。直樹も。それと……」


 茶髪ミディアムの妹、鈴木冬香と茶髪ロングの鈴木風夏。

 昔から町の美少女姉妹として有名だったのは覚えている。現在でも、二人の美貌は健在だ。

 少し赤がかった双眸。雪のように白い肌。成長し、更に魅力的なスタイルを得たことでその破壊力は上がっている。

 高校の制服姿の二人は、お互いに別々の方向へと目を向けた。

 

 冬香は俺へと。風夏は兄へと。


 ニヒッ、と笑いかけてくれた妹の冬香にどう返せばいいのか。俺は少し戸惑ってしまった。

 昔とは違って、出ているところは出ている高校一年生の少女との接し方が分からない……訳ではない。

 風夏が心配そうに兄を見つめている様子が気になって、五年前の苦い思い出を振り返りそうになったからだ。

 家の前で、兄に愛の告白をした風夏。

 当時風夏の事が好きだった俺は、布団の中で一人泣きじゃくっていた。

 –––って、もう五年も前の話じゃないか。俺も、風夏も今はきっと……。

 

「ん? 大丈夫? 直樹にいちゃん?」

「う、うん。大丈夫だよ、冬香。随分大きくなったね」

「そりゃそうだよー! もう五年だよ? それにしても本当に懐かし……」


「すいません。俺、トイレ行ってきますね」


 軽く頭を下げ、早足で場を去っていった兄。

 何かから逃げているように見えたのは、俺だけだろうか? 

 兄を見つめていた風夏はどこか寂しそうに俯き、笑顔を失った。

 俺と冬香が話している間に何かあった訳でもなく、どころか言葉すら交わしていない。

 不思議そうに兄の背中を目で追っていた冬香は、俺の元へ歩み寄ると軽く耳打ちした。


「貴樹にいちゃん、なんか変わった?」

「まぁ、五年も経ったし。向こうの生活は色々大変だったし。そりゃ、ね」

「ふーん。そっか。だから直樹にいちゃんも……」

「俺も?」


 軽やかな足取りで離れていった冬香は、あざとい表情で「なんでもない」と口パクした。

 冬香はあの頃からあまり変わっていない。

 どこまでも風夏の妹で、自由奔放で……。

 そんな妹を見守る役目を全うする風夏も、どこか控えめで、丁寧な口調。

 兄ばかり見ていて俺と目を合わせてくれない所も、昔のままだな。


「それじゃ、みんなでお食事してから帰りましょうか? 貴樹くんが戻ってきたら、行きましょう」

「……うん」

「はーい!」

 

 風夏はまだ気が落ちているようだった。

 元気よく返事をする冬香が眩しすぎるのか、視線は兄の軌跡を追っている。

 妙に胸の痛いこの光景から目を逸らした俺は、スノボケースを握る力を少し強めた。

 –––早く冬がくればいいのに。

 ジトジトとした気候に嫌気がさす。

 梅雨も夏も、俺はあまり好きではない。

 冬は嫌なことを忘れさせてくれる季節だ。

 俺にきっかけを与えてくれる。問題があれば、解決してくれる。

 五年前のように、板に乗って寂しさを紛らわせたい。

 忘れたい想いと忘れたくない思い出が混在している現状。

 矛盾したこの気持ちは、今の俺には解決できない。


「直樹……おかえりなさい」


 悲しげな笑顔で、風夏は囁いた。

 その声音は心地よい夏終わりの風のようにスッと心を通り抜けていく。

 まるで俺がその言葉を待っていたかのように、不思議と満足感を得てしまう。

 

「ただいま、風夏」


 俺を待っていない少女は、偽物の笑みを浮かべた。 

 五年前に散々苦しめられたこの感覚。

 風夏の虚ろな双眸を見て、俺はやはり戻りたいとは思えなかった。

 

 父が亡くなったあの日から止まってしまった俺の時間。

 一体何を乗り越えれば俺は前進できるのか。


 –––まだまだ遠い冬を待ちわびるのは、少し気が重いな。

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