記憶?そんなものはありません
「俺は何処に向かって…何処に消えていくのだろうか」
分からない
行く宛は無い
『事故』で記憶を失った
それだけは知っている
知った頃には俺には何も無かった
家族も友人も何も無かった
そんな事がありえるのか
否 ある訳が無い
余程狭い交友関係を築いていたのか
家族に見放される程落ちぶれていたのか
分からないから
取り敢えず病院を抜け出した
今はただ歩く事しか出来ない
その行為に意味が無かったとしても
「随分と遠い所に来てしまったな」
人の気配もしない森の中
カラスの鳴き声と風の音だけが聞こえている
「不気味な場所だ……」
時間を確認出来る物がないから何時かは分からないが恐らく夕刻だろう。季節は夏だから凍え死ぬ事は無いだろうが安全という訳でもない
「………」
もし今…熊なんかに遭遇してみろ
頭から食われて終わりだ
手元に対抗出来る猟銃等の武器はない
ぐぅぅぅぅぅ…
「それにしても…腹減ったなぁ」
こういう時は寝るに限る。
考えても現状が何か変わる訳でもないし…
あの大きな木の下で睡眠を取ろう。もし雨が降ったとしても雨避けになってくれる
「疲れた……取り敢えず明日の事は…明日…考え……よう」
相当疲れていたのだろう
俺はすんなりと眠りに落ちていった
…………………………………
「おい!こいつ外来人か?」
「境界線の乱れがあったと報告を聞いてまさかとは思ったが…ここ数百年は無かった筈だろう?」
うるさいなぁ…誰の声だろう
「なぁ……これってもしかしなくてもアレが原因だよな?」
「…ああ、完全に俺達の責任…だな。どうする?こいつの世界の境界線をこじ開けるか?」
「馬鹿野郎!!リスクが高すぎる。それに…バレたらそれこそ俺達のクビが飛ぶぞ」
「そうだよな…元の時空間には戻せないし…別の世界に飛ばすか。確か『ユリウス』の境界線はアイツらが行った直後だから開いてるよな?」
別の…世界…?
「そうだ、ユリウスにコイツをぶん投げよう。境界線が乱れた原因は動作不良って事にしておこうぜ」
「…ああ、そうだな」
「悪いな、お前に恨みは無いが俺達の為に犠牲になってくれ。生きていけるかはお前次第だが…」
「じゃあな、外来人」
ちょっと待て……何を勝手に…
それに全く話の内容が分からん
一体どうなっているんだ…
混濁する意識の中
俺は手を伸ばした
その瞬間、身体に降り注ぐ水滴を感じ目を開ける
目を開けた先に見える光景は
「………ここは何処だ」
全く知らない街の
全く知らない海辺の砂浜に俺は横たわっていました。
しかも土砂降りの雨の中だ。
「い、いやいや…おかしいだろ」
身体を起こしゆっくりと辺りを見渡してみた。
街の外観はまぁ…高いビルがいくつも並び立っていて都会だなぁと思った。しかし俺がいた街と違っている点は自然との両立が非常にバランスよく出来ているという所だ。
確かに都会だ、それは間違いない
しかし自然が少ないと言う訳でもない。こんな場所があったのか…
「凄いな……」
思わず溢れ出た言葉だった
「すいません、ちょっといいですか?」
「…へ?はい」
後ろから声をかけられた
振り向くと黒髪で長髪のいかにも大和撫子と言った感じの少女がそこにいた。
刀を2本腰にぶら下げながら
(なんで?)
……コスプレ?時代劇か?
それにしては服がかなり洋風…
いや、何かの制服の様な見た目をしている。
「あなた、そんな格好で何をしているのですか?しかもびしょ濡れで」
「俺も何が何だか分かりません」
「………名前は?」
「分かりません」
「出身と生年月日は?」
「…分かりません」
「………」
「………」
沈黙
まぁ…当たり前か
こんな状況で名前も出身も分からない男がいたら誰だってそうなる。
「…一応お聞きしますが、身分証明になるものは」
「持ってません」
「ですよね」
……記憶喪失とは言え
情けのない話だと思う
でも仕方ないんだ…こう答えるしかないんだから
「6月21日10時58分、貴方をギルドへ連行します。ついてきて下さい」
「…痛っ…つぅ!!!」
なんだこれ!??
手錠…じゃない!腕が勝手に背中に回されてそこから動かせない
自分の意思じゃない、まるで目の前にいるコイツの意思で動かされたような感覚だ。
しかも物凄く締め付けられる感覚がして痛い……!
「はぁぁぁ…もう、なるようになってくれ………」
色々ありすぎて…ため息もつきたくなるわ本当
「……意外と大人しいですね」
「まぁかくかくしかじかと
色々ありまして、もういいやって思ったんですよ」
「そうですか」
どうなってしまうんだ…俺は
……………………………………
「という訳で、びしょ濡れになったパジャマ姿の少年を連行してきました」
「お前…なぁ、非番なのによく働くもんだな。いやまぁこっちとしては別にいいんだけども」
なんかすっごいでっかい赤茶色の建物の中に連れていかれたと思ったらめっちゃごついオッサンと対面する事になった。
そのオッサンは長い金髪をゴムで縛っていて目も金色だった。
そしてとにかくごつい。俺の3倍はあるんじゃないかと思う程の体格だ。外国人か?
「失礼、俺はバロック。ここのギルド長をやらせてもらっている。…でお前さんの名前と歳は?」
「分かりません」
「出身地は?ここか?」
「分かりません」
「……」
「……」
「身分証…」
「ありません」
「…」
「…」
また同じ展開だよ
誰だってこうなるわな
「家出したとか、そういうんじゃい?」
「親がいません(正確には覚えていません)」
「不法滞在者だったりする?」
「ここの街の事は知りません」
「ふぅ……なぁユウ?どうする。警備隊に任せるってのも手だが」
「…アキナに任せましょう。精神干渉系の術式を使えるあの子なら彼の素性も分かるでしょう」
「ちと不安だが…まぁいいだろう。アキナの元に連れて行け」
「分かりました」
……………………………………
「…歳が14歳って事以外は分からないわね。精神に強力なプロテクトがかかっているせいで記憶を見る事が出来ない」
歳は1歳か2歳上辺りだろうか
茶髪のセミロングで白衣を着ている女性がため息を吐きながらそう言った
「アキナの精神干渉術式でも分かりませんか…」
「な、なぁさっきからその術式とかってよく分からないんだけど何なんだそれ?」
「一般的に色術って呼ばれているんだけど、そんな事も知らないの?」
「記憶喪失なんでな…何も分からない。行く宛が無くてただ歩いていた事と、おかしな夢を見たこと以外は何も知らないよ」
「おかしな夢?」
「ああ、なんでも『ユリウス』?って所に俺を飛ばすとか何とか知らない奴が話していた、そんなおかしな夢だけど、それがどうかしたか?」
「ユリウスはこの世界の総称ですね」
「飛ばすっていう単語が気になるわね。本当にただの夢?」
「それは知らないけど…取り敢えずこの街の事も、そのユリウスっていうのも俺は全く知らない。記憶喪失で何も覚えていないし、親も友人もいない。この場合俺はどうなる?」
「普通なら身柄確保ですね。
不審者として警備隊行き、身元が分かるまでは解放されないでしょう」
「…マジかよ」
「でも彼…悪い子には見えなさそうね。記憶は読み取れないけど、心の中で何か悪い事を企んでいる訳でもないわ」
「しかし…どうしましょうか」
「私の所で引き取る?悪い様にはしないわよ」
「え…本当か?正直行く所もないし助かるが」
「いえ、アキナに任せるのは色々と不安があるので身元が分かるまで私が預かります」
「ちょっと何よその言い方。喧嘩売ってんの?」
アキナが青筋を立てる
心なしか笑顔も引きつってる様に見えた。
「引き取るにしてもどうするのよ。あなたの事だからタダでいさせる気も無いんでしょ?まさかギルドに入団でもさせる気?」
「そのまさかですよ」
「…嫌な予感は的中したみたいね」
「ギルド…俺はここにいられるのか?いてもいいのか」
「そのつもりで私が引き取ると言いましたからね。ただ、今の貴方ではギルドの仕事はとても務まらないでしょう。
なので、これから2年間は私の元で剣術の修行をして頂きます。そして2年間で芽が出たなら今度は世界を見に行きなさい。私が使う剣の流派の使い手は世界中にいます。その師範代を全て倒す事をギルドへの入団条件とします」
「ちょっと、ユウ…それって」
「……わかった」
彼は決断したように言う
驚くほど簡潔に。一言で。
しかしアキナから言わせてもらえば
それはまさに愚の骨頂と言えるべき決断だった。
「あなたは何を言われてるか分かっているのかしら?とてもじゃないけど無謀の一言しかないわね」
「記憶が戻ったってもう元の場所へ戻れる保証はないんだ。チャンスをくれるなら俺はやる」
「よろしい。貴方はこれからレインと名乗りなさい。雨の日に会ったからレインです。異論はありませんか?」
「俺は……レイン。わかったよ」
「いい返事です。今日から厳しく指導したしますので覚悟してくださいね」
「ちょっと何勝手に決めてんのよ」
「まぁまぁ良いじゃないか。
ギルドとしても、将来的に戦力になってくれるなら御の字だ」
立ち聞きをしていたのか
このオッサン、さも話は聞かせてもらったと言わんばかりの態度で部屋に入ってきた。
「この世界の事は何も分からないんだろう?だったらユウの元で色々と勉強してこい」
「それ以外に生きる道は俺にはない。だったらそうするしかない。…ユウ…さんだっけか、これからよろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いします
私が3年で1人前にして差し上げますから覚悟してくださいね」
「は…はは、お手柔らかに」
(…死んだわねこいつ)
(死んだな…こいつ)
話は3年後に続く