The Last Letter ~旅立つ前に~
霜月透子さん主催「恋文企画」参加作品です。
加奈子へ
昨日は、我儘を言って君を泣かせてしまい、済まなかった。
でも、やっぱり別れよう。
それが、お互いのためだと思うから。
あれから、色々と考えてみたよ。
それでも俺は、自分探しの旅に出ようと思う。
確かに自分探しの旅は、これでもう8回目だけれど――。
「見つからないにもほどがある」
昨日の別れ際、君がぽそり呟いた言葉だ。
うん……。
正直、この言葉は俺の心にぐさりと突き刺さったよ。いや、心をえぐられたと言った方がいいのかも知れない。
それでも俺は、俺自身を探さなくちゃならないんだ。
それが俺の自信をつかみ取る手段だと思うから。
えーと、因みに今のは“自身”と“自信”を掛けたダジャレで――まあ、それはいいか。
別れを切り出す彼女に、手紙でわざわざ言うことじゃないよね、確かに。
うん。わかってるよ、加奈子。
本当に、済まなかった。
とにかく、だ。
とにかく、自分を探し当てることこそが俺の人生の使命なんだ。
それだけはどうか分かって欲しい。
けれども。
君と別れ、孤独な旅に出る前に、言っておきたいことが3つある。それもあって、この筆を執ることにした。
どうしても気持ちを抑えきれなかったんだ。許してくれ。
これぐらい、許してくれてもいいだろう?
今どきメールやLINEじゃなくて、こんな手紙を出すなんて古臭いヤツだと君は思うかもしれない。けれど、手紙だからちゃんと伝わるってこともあると思うんだ。
飛ぶ鳥跡を濁さず(本当は、「立つ鳥跡を濁さず」らしい)――になるよう、努力はしてみるからさ……。
と、いうことで。
まずは、ひとつ目の言いたいことだ。
忘れもしない――。
あれはちょうど3年前のことだったね、俺たちが出会ったのは。
小春日和の、この時期には珍しくポカポカ陽気だった午後の時間。木漏れ日と家族連れがそこかしこに溢れる公園で、俺は鼻唄混じりに気持よく散歩していた。
そんなときに公園のベンチで見かけた、小柄でキュートな女性――もちろん、君のことだ。
君に話しかけたい――。
そうは思ってみたものの、なかなかそんな勇気は持ち合わせていない。
そんな俺を、君は見兼ねたのかも知れない。
ベンチにちょこんと腰掛けたまま、俺を指差し、君は言った。
「前のチャック、がっぱり開いてるけど」
――ショックだった。
あのとき俺を満たしていた折角のいい気分も、すっかり台無しになってしまうほどの衝撃だった。
そりゃ、そうでしょ。
初見の若い女性からの、かなり予想外な一言だったんだもの。
確かにあれは全開だったよ。それは認めよう。
沖縄の海を思わせるマリンブルーの蒼い布地が、デニムにがっぱりと開いた窓から我が物顔で主張していたのも否めない。
だけど……だけど、だよ。
なにもあんな大勢の前で、しかもみんなに聞こえるくらいの大声でそれを言うことはなかったと思うんだ。あれから俺は、公園を歩くたびに「チャックのお兄ちゃん」と子どもたちに叫ばれ続けたんだからね。
まあ、お陰で近所の子どもたちと仲良くはなれたのは、良かったけれど……。
あれ? 何だろう、この不思議な感覚は――もしかして、怒り?
……まあ、いいや。
とにかく俺たちは、あの運命の出会い――チャックが取り持つ縁――によって、付き合うことになったんだよね。
次、二つ目の言いたいこと。
あれは、2年前――そう、君と出会ってちょうど1年が経った頃の事だ。
『付き合って1年記念』にと、君にプレゼントを贈ったのを憶えてる?
その日、プレゼントを懐に忍ばせた俺は、いそいそと君の住む部屋へと向かった。もちろん、君の笑顔だけを想像して。
アパートの小さな玄関で、寝起きそのままの顔で出迎えた君。
俺は早速プレゼントを胸のポケットから取り出し、君にそっと手渡した。
その瞬間……まさに“瞬間”だった。
激しい吐き気を催したような表情に変わった君が、咽喉に詰まった何かを吐き出すかのような声で、こう言った。
「肩たたき券って――子どもかよ」
俺の渾身のお手製チケット。
それがびりびりに破かれ、派手に宙を舞った。
君の部屋の玄関に降り注いだ突然の紙の雨に心がびしょ濡れになった俺は、しばらく言葉を失ったよ。
……確かに、今も昔も俺は金がない。
だからこそ贈った、俺の真心満載のプレゼントだったのに。
見栄えが良くなるようにと、金色のラメで縁をかたどる工夫も施したそんなプレゼントだったのに。
その場は泣きながら自宅に戻った俺だが、その程度でへこたれる訳がない。
翌日、肩たたき券をバージョンアップした「肩たたき&肩もみ無料券」を君のアパートのポストに入れておいたのを、果たして君は気付いてくれたのだろうか。
……まあ、今となってはそれすらもどうでもいいことなんだけど。
とにかく、だ。
結局あれから一度も君の肩を叩くこともなく、大嫌いな労働をせずに済んだのだから、それで良しとしよう。
あれ? 何だろう。
心の奥底から湧き上がって来た、この妙な感覚は――もしかして、憤り?
……まあ、いいや。
とにかく、あの“肩たたきチケット紙吹雪事件”以来、俺たちは、よりフランクな関係になれた、と言っても過言ではないと思う。
そして、最後の三つ目。
もちろんこれも、俺には決して忘れられない出来事のうちの一つだ。
憶えているかい? 一年位前の、朝から冷たい雨がしとしとそぼ降る日に起きた、あの事件のことを。
遊びにでも行こうかと朝から俺の部屋に集まった俺たちは、何処に行くか、喧々諤々の論争をしたんだっけ。
雨が降っているくらいで、元の予定を変えることなんてない――。
そう言って浜辺の散歩を主張する俺に、「雨だから街中の映画館に行こう」と君は強く言い張ったよね。
お互い譲り合うこともなかったから、ただ時間だけが過ぎて行った。
その間、何も食べていなかった俺たち。あるとき、ふと、気付いたんだ。二人とも、お腹が空いているってことを。
お金もないことだし、あるもので俺が料理を振る舞うよと言ったら、やっとのことで君が了承してくれた。
俺は、喜び勇んで、冷蔵庫の中のなけなしの材料で特製のスープを作り始めた。
そう、俺の得意料理である、特製野菜スープを。
「おい、私を殺す気か! 絶対これ、毒入ってるよね。それとも、何かの罰ゲーム?」
銀のスプーンにすくった琥珀色の液体をごくりと飲み込んだ、途端。
それをそのまま噴水の如く天に向かって吹き出した君は、烈火のごとく顔を赤くしてそう言ったんだ。
俺の真心でできたスープの霧雨が、狭い6畳間のアパートの空間に降り注いだ。
それは7色の虹となり、キラキラといつまでも輝いていたことを、決して忘れることはない。
俺にとって、まさに青天の霹靂な出来事だったよ。
あ! 霧雨なのに晴天って、俺、上手いこと書いたよね、今!
……って、済まない。
また、要らぬことを書いてしまったようだ。許してくれ、お願いだ。頼む。
とにかく……あれは、俺の一週間分の食料を入れた得意料理だった。それがまさかの全否定とは!
その後まったくスープには手を付けず、ごろりと横になったまま、ふて寝してしまった君。
色気のない紺のジャージに包まれた君の丸くて大きなお尻が、俺を「げへへ」と嘲笑っているような気がしてならなかった。
――そんな記憶が、未だに俺の脳裏にこびりついているんだ。
あれ? どうしたことだろう……。この胸の内のざらざらとした奇妙な感覚――もしかして憤怒? いや、憎悪かも。
……まあ、いいや。
とにかくあれ以来、デートの度に君の“おごり”で外食ができることになったんだよね。それ自体は、俺として、すごく良かったのだけれど……。
ふうう。この3年間に溜まった、心のわだかまりをやっと言えたよ。
ああ、すっきりした。
これで心置きなく旅に――って、あれ? ちょっと待って。
こうして手紙を書いていたら、なんとなく本当の自分が見つかった気がするんだ。
多分、気のせいではないと思う。
つまり、そのお……なんだ。
結局のところ、俺という存在は加奈子という一人の女性が好きなだけ――ただのそういう男に過ぎないんだ、ってことに気づいてしまったみたいなんだ。
だから、さ。
今から、自分探しの旅に君の部屋へ行ってもいいかな?
できれば、ずっと――。
この手紙が着くころには多分、もうとっくに君の部屋にお邪魔してるだろうけど。
ということで、愛してるよ加奈子。
じゃあ、またあとで。
君の忠実なる下僕、武より