暗闇
前話までのあらすじ――
大学2年生の俺(浦野淳平)の自宅に突然現れた見知らぬ女、黒水美登里が舞い込んでくる。
彼女は自分のことを俺の元カノの純子だと言い張る。
俺と純子とは既に3ヶ月前に別れている。
同じサークル仲間のイケメン野郎・池田と付き合うからと一方的にフラれたのだ。
黒水美登里が『純子であった』記憶をたどり、彼女の独白が始まる。
3ヶ月前の出来事――池田は言葉巧みに純子を遊園地に誘い出す。
純子は『24番目の観覧車』に池田と二人で乗り込んでしまう。
観覧車が最高点に達したとき、純子の意識が遠のき、彼女の身体は池田にすり寄っていく。
二人は熱い口づけを交わし、純子は暗闇へと吸い込まれていった。
自分の体がどこにあるのかが分からない感覚――
暗闇の中で純子は手足を動かしてもがいていた。
その手足が本当に存在するどうかもあやふやな感覚……
まるで重力を感じない暗闇の中で純子は漂っていた。
『ねえ、あなた……さっきのイケメンの彼氏と一緒に乗っていた子よね?』
不意に耳元で聞き覚えない女の声がした。
暗闇だから姿は見えない。しかし、声の主は純子のすぐそばにいる。
『あんなイケメンの彼氏……私だったらすぐ受け入れちゃうけど、あなた相当の面食いさんなのかな、うふふ……』
「あ、あなたは誰なの? それにここはどこなの?」
『私もあなたと同じこの観覧車に乗った被害者よ。ここには私たちと同じ立場の女の子がいっぱいいるのよ……あ、次のカップルが来たわよ!』
声の主がそう告げた次の瞬間、純子は観覧車のゴンドラの中にいた。
いや、正確にはゴンドラの空間の中に意識が漂っている感覚――
暗闇から真っ昼間のゴンドラに視界が移ったというのに、眩しさは感じない。
純子は気づいた。自分の魂が体から分離してしまったのだと――
ゴンドラの中には中年男性と高校の制服を着た若い女性が座っている。
男性は一生懸命な感じで若い女性に話しかけている。アイドルグループの話題や流行のファッションの話題など、かなり無理して話を盛り上げようとしているようだが、相手の女性は相づちを打つのみで、まったく盛り上がる気配がない。
『あーあ、今回はハズレね……パスパス!』
先ほどの声の主が言った。やはり姿は見えない。
「ハズレって……どういうこと?」
純子は尋ねる。
『この男、下心が見え見えじゃない。若い娘にしか興味ありませんって感じのアブない男だよきっと……』
「えっと……それは私にも分かるけれど……えっ?」
純子が声を上げたそのとき、ゴンドラは最高地点に到達する。
すると先ほどまでつまらなそうに窓の外を眺めていた女性が、ふっと男性に潤んだ瞳を向けた。
『たで食う虫も好き好きというからねー。やだやだ、こんな二人のラブシーンは見たくないでしょう? ほら、あなたも目を閉じて退散するのよ』
「えっ? う、うん……目を瞑ればいいのね」
純子が目を閉じると、また元の暗闇の世界に戻っていた――
『この世界の仕組みは分かったかな? ゴンドラに乗ったカップルが来たら、こうやって現実世界に戻って、入れ替わりたいと思う相手の精神の中に入るの。そこで愛を高めあうことができたら相手と交代できるの』
「じゃあ……私がここにいるということは……私の身体にはもう別の人が乗り移っちゃったということなの?」
『そうよ。そしてもうあなたは元の身体を取り戻すことはできない。その人がゴンドラに乗りに来ない限りはね……ねえ、それって絶望的な状況だよね?』
確かに……と、純子は思った。自分の体を乗っ取った相手が、のこのこと戻ってくることはないだろう……
『私も他の人に教えてもらったから助かったのだけれど、この世界にはまだ自分の置かれた状況に戸惑ってばかりで、次の一歩を踏み出せない女の子がたくさんいるの。あなたにはそうなって欲しくはないから……あっ、次のカップルが来たよ!』
再び彼女らはゴンドラの中に入った。
男性はサラリーマン風のスーツを着た40歳前半、女性は紺色のスーツに白いブラウス、赤いスカーフを結んだ20代前半の女性。
女性は緊張した面持ちで、膝の上に手をのせて座っている。
男性はちらちらと女性の様子を見ている。
『うわぁー、今回もハズレねー』
声の主が落胆の声を上げる。
ところが純子は、
「私、この女の人の中に入ってみる! ねえ、どうすればいいの?」
『本当に!? この二人はなんか危険な感じがするけれど……本当にいいの?』
「うん、もう決めた。私はいつまでもこの世界で留まっている訳にはいかない。私には淳君がいるんだもの。きっとこの人の身体に入っても、淳君ならきっと分かってくれるもの」
『……あなたがそれでいいなら、私は止めないからね。じゃあ、この女の今の心情を想像してみて。そして精神を同調させていくの……あなたならできるわ、がんばって!』
純子は女性の心情を想像してみる。すると、その女性からの感情が頭の中に流れ込んでくる感覚に襲われる。
ふと気づくと、純子は女性の瞳を通して相手の男性の顔を見つめていた。