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見知らぬ女

 網戸にとまるアブラゼミのけたたましい鳴き声で目が覚めた。

 連日の熱帯夜で窓を開けっぱなしで寝ていたことが招いた不運……

 今朝も寝起きは最悪の気分だ。

 この暑さに加え、もともと枕が変わるとよく眠れない悪い体質なのだろう。

 俺はけだるい身体を引きずるように洗面所に向かう。

 洗面所の鏡の前で歯を磨きながら身なりを整えていく。

 髪、伸びたな……面倒だからズバッと短髪にしてしまいたい。

 それにしても……


「相変わらずイケメン顔だなぁ、おい……」


 俺は鏡に写る自分の顔を見て、そうつぶやく。

 ……勘違いしないでほしい、決して俺はナルシストではない!

 

 洗面台のわきに置いたスマートフォンが小刻みに振動する。

 俺の彼女からのメッセージだ。

 手短にいつもの場所で待ち合わせをしようという内容のコメントを送信――

 すぐに返事が来る。

 キラキラ輝く感じの絵文字を多用したメッセージ。

 要約すると『オッケー』という内容だ。

 

 けがの治療のために1ヶ月ほど入院していたので、こういう日常の他愛もないメッセージ交換ですら、なにやら大切なものに思える。

 それに加えて、なんといっても今日は――


 久しぶりの彼女とのデートなのだ!


 着替えを済ませて持ち物をデイパックに詰め込み、玄関前で立ち止まる。

 姿見の大きな鏡に自分の姿を写し、お出かけ前の身なり点検だ。

 よし、バッチリ決まっているぜ!

 俺は意気揚々と玄関のドアを開ける。

 その瞬間、ふと一月前の、あの日の出来事を思い出す――




 それは今日のようによく晴れた日の朝のこと。




 ドアを開くと、玄関先に見知らぬ女が立っていた。

 長いストレートの黒髪が印象的な、細面の女性。年は俺よりも少し年上だろうか。

つり上がり気味の目尻に長いまつげ。よく手入れされた形の良い眉毛に前髪がふわっと被さっている。ピンク色の唇は、ふっくらと形良く盛り上がっていて、一目で美しいと感じさせる女性。

 それが彼女に対する俺の第一印象だった。


 さては何かのセールスか? ならばすぐに追い返さなくちゃ……

 そう考えて俺は身構えた。

 しかし、その女の口からは意外な言葉が発せられた。


「ジュン君……私……ジュンコなの……信じてもらえないかもだけど……私、ジュンコなの!」


 女は俺の左手を両手で握り、意味不明なことを言い始めた。


「えっ、なっ、なに? ジュンコって……ど、どこのジュンコさん?」


 動揺した俺もうわずった声で意味不明な言葉を返してしまう。

 我ながら情けない……


「私は二甁純子(にへいじゅんこ)よ! あなたの恋人の二甁純子なの!」

「はあっ? 二瓶純子ぉぉぉー!?」


 俺は初対面の女性の口から元カノの名前を聞いて、素っ頓狂な声を上げてしまった。


 純子との出会いは大学のテニスサークル。身長は155センチメートルと小柄で、ショートカットの髪の先端にわずかにカールがかかる。これは後から知った話だが、そのクセのある髪を彼女自身は嫌っていたらしい。しかし俺にはそのクセのある髪の毛を含めて全てが魅力的に見えた。つまりは俺の一目惚れだった。

 そんな彼女との交際は1年間続いた。そして3ヶ月前……別れは突然やってきた。


「ねえ淳君、すぐには信じられないのは分かるよ、でも――」

「きっ、キミは純子の知り合いか? 純子は俺を振っただけでは飽き足らず、知り合いを使って嫌がらせをしようという魂胆なのか、あの女は!」


 俺は彼女の手を振り払い、大きな声で罵声を浴びせた。

 わずかな後悔……元カノを『あの女』呼ばわりをしてしまうなんて最低な男だ。

 しかしそれ以上に元カノを名乗る女に苛ついているのも事実だ。

 それは仕方がない。

 しかし、女はそれで怯んだかと思いきや――


「私、今でも淳君のことが大好きだからぁ、愛しているからぁぁぁ!」


 そう言いながら、俺に抱きついてきた。

 俺の右手が玄関ドアから離れ、バタンと閉まる。

 閉ざされた空間に初対面の美人に抱きつかれて泣かれている――

 冷静に考えるとちょっと嬉しいハプニングなのかもしれない。しかし、こんな異常な状況をいつまでも続けるわけにはいかない。

 俺は女の肩をつかんで突き放し、言い聞かせるように伝える。


「キミは、二瓶純子ではない。いや、同姓同名なのかも知れないが、少なくとも俺が付き合っていた純子ではない。顔も、声も、スタイルも、キミは俺の知っている純子ではない。別人だ!」

「うん……それは分かっているわ。私は黒水美登里(くろきみどり)……それが私の名前だもの」

「はぁぁぁ――――!?」


 再び素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし今度は家の中だからご近所さんの迷惑にはならないから大丈夫。家族はみんな出かけているし。

 いやいや、そんなことはどうでも良いんだ!


 いくら美人とはいえ、こんな情緒不安定っぽい女を家に上げるわけにはいかない。いろいろと考えたあげく、俺たちは駅前のコーヒーショップに入った。人目が多い方が何かあったときに安心だと考えた末の決断だ。


「じゃ、私買ってくるね。淳君はいつもので良いよね?」

「えっ、いつものって……キミに分かるのか?」

「うん。アイスカフェモカのトールでしょ?」


 黒木美登里(くろきみどり)と名乗る女は、きょとんとした表情で俺の好みを言い当てた。

 わずかに左側へ頭を傾けて――


 やめてくれ! その仕草は純子のそれを思い出す。

 彼女は注文カウンターに並び、俺はその間に席を確保する。

 この流れも、純子とよくやったパターンだ。

 頭が変になりそうだ。

 彼女が注文をしてから商品受け取り口まで移動する間に、俺と目が合いニッコリと手を振る仕草など、キミは純子の完全コピー版かよとツッコみたくなる気分だ。

 

 トレーに2人分の飲み物を乗せて黒木美登里がやってきた。

 彼女は4人がけの通路側の席に座る。

 つまりは俺の対面に。

 いや……それは別に気にとめるほどのことではないだろう。男同士なら斜向かいに座ることが多いだろうけど、男女の座り方としてはこの位置関係は普通だ。だからこれは偶然の一致だ。

 俺はあれこれと考えすぎている自分に呆れ、額に手を当て首を左右に振った。


「えへへ、新商品が出ていたからこれにしちゃいましたぁー」

「えっ……」

「あ、ごめんね……淳君はシナモンの香りが嫌いだったよね。離れて飲むから少しの間我慢していて……」

「いや、そうじゃなくて……あれ? どうしてキミは俺がシナモンの香りが苦手なのを知って……あ、さては純子から聞いてきたな!? いったいキミたちの目的は何だ?」

「だーかーらー私がその純子なの! 私は二瓶純子19歳。そして浦野淳平君、あなたの恋人よ!」


 そう言って、にっこり笑いながら人差し指で俺の鼻をちょんと押してきた。 

 呆気にとられながら俺は黒木美登里の顔を見つめている。

 きっと間抜けな顔をしているはず……

 そんな俺の顔を見て彼女は『ん?』という感じにわずかに首を左に傾ける。

 長い黒髪が、ゆらりと振られる。


 俺はカフェモカにストローを差し込もうとして、その手が震えていることに気づく。

 この感情はなんと言っていいだろうか……俺は彼女に馬鹿にされているのか? それともこの状況を理解できない俺自身がいかれているのか?  


「キミは黒木美登里さん……なんだよね。さっき、そう言ったよね……自分で」

「ええ言ったわ。確かに私の現在の名前は黒木美登里よ。でも、私の心はあなたの恋人、純子なの……」


 はい、本日この時間をもって、目の前にいる女性は不審者であることが決定しました! せっかくの美人さんなのに勿体ない……

 俺はドリンク代として千円をテーブルに置き、店を出ることにする。

 お釣りはいらない。手切れ金として持って行け! 

 わずか数百円だが、貧乏学生にはちょっと痛手だ……


「ごめんなさい! 淳君ごめんなさい! ちゃんと順を追って話しますから帰らないでぇぇぇー!」


 黒木美登里が俺の腕をつかんで叫んだ。

 店中に響き渡る声で……

 土曜日の午前、駅前のコーヒーショップはまだ混んではないものの、店員を含めて20名近くの人たちが俺の顔をちらちらと見ている。みんな聞き耳を立てているに違いない。俺の次の行動が注目の的となっていた。


「……わかった。話を聞こう。ただし、あまりにおかしなことを言い出すようだったら警察を呼ぶぞ!」


 仮に警察を呼んだところで痴話げんかとかで片付けられてしまうのは目に見えているが、彼女を牽制するぐらいの効果はあるだろう。


「うん……わかった。じゃあ話すね。淳君は『24番目の観覧車』の噂を覚えているかな? 浦野ドリームランドの……」

「24番目の観覧車!? ああ、つぶれかけの遊園地がネットで噂を流して経営を立て直そうとした、あれだろ?」

「実は……私……その観覧車に池田君と乗っちゃったの……今年の4月に……」

「――――ぐっ!」


 意外な名前が飛び出してきて、俺は危うくカフェモカを吹き出しそうになった。

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