騎士団結成 1 ―銀髪の麗騎士―
「テメェ! 今イカサマしただろ!」
「ああ!? んなもんするわけねぇだろ! テメェじゃねぇんだ!」
街にあるとある酒場。店の端でカードをしていた二人の男が言い合いをしている。
いつしか殴り合いのケンカに発展していった。
しかしそれを止める者はいない。
誰もが「ああまたか」といった風に食事や賭博に興じる。
ブリティア王国南端の街ブライストン、通称「サウスエンド」と呼ばれる街がある。
ブリティア王国と隣国コロンズとの国境に隣接する街だ。
この街は以前、炭坑で働く者と国を跨ぐ行商人で賑わう活気ある街だった。
しかし十年前に『黒い逆十字』によって行われた『血の宣戦』によって一度街は壊滅状態に陥った。
その後国による復興作業が行われるが、その間にどこからともなく現れた浮浪者や犯罪者によって街の治安は著しく悪化した。
現在はその時と比べ、落ち着きを取り戻しつつはあるが、以前ほどの活気と平穏とは程遠い荒廃した街へと変貌した。
そのため、街は昼間とは言え街の荒くれ者や犯罪者が自由に往来し、喧嘩や盗み暴力が蔓延していた。
「うおっ、また喧嘩か。しっかし、首都から離れれば離れるほど荒れるとは言うが、ここは特に酷ぇな」
カウンターでステーキを乱暴に口に入れる大柄な男、ギムレットが店の端でのケンカに苦言を漏らす。
しかし、すぐに興味を無くし目の前のステーキを口に送り込む作業に没頭する。
「全くです! 南端の街とはいえ、女王陛下の収める国でこんな治外法権が許されるなんて! 見て見ぬふりをしている人たちも何ですかっ!」
ギムレットの隣ではこの街には似合わない清潔で高価な服を身にまとった銀髪の女性、シルヴィア・ヴァレンタインが鼻息を荒くしてサンドイッチを頬張っていた。
その頬はサンドイッチで膨らんでいるのか、それとも不機嫌で膨らんでいるのかギムレットには判断できなかった。
「まぁまぁ……、誰も彼もあんたのように清く正しい訳じゃねぇんだから。何でもかんでも気にしてたら疲れちまうぜ、シルヴィア殿」
「……そういった気持ちが問題なんです」
「あん? 何だって?」
「何でもありません!」
シルヴィアは残りのサンドイッチを流し込むように口に入れた。
「しかしまぁ、この街でも骨のある奴はいなさそうだな。さっさと街から出ちまうか?」
「そうもいきません。一応この街の状況を一通り見て回ります。問題があるようならこの領地の領主と中央議会に報告しなければなりません。一応そうゆう役目もあるんです」
「はぁー……。仲間集めの他にそんなこともするんだな。ホント女王陛下も人使いが荒い……」
ギムレットが伸びをするのを横目に、シルヴィアは傍らに置いていた剣を持ち立ち上がった。
「ご主人、ご馳走様でした。サンドイッチ、美味しかったです」
「おいっ! 待ってくれ、すぐに俺も食べ終わる!」
代金を払い立ち去ろうとするシルヴィアを見てギムレットは焦ってステーキに手をつける。
シルヴィアはそれを見て軽く制した。
「ゆっくりしていて構いません。私はしばらく一人で街を見て回ります。後で、横の宿で落ち合いましょう」
「いやいや! 俺はあんたの護衛で来てんだ!これであんたに何かあったら職務怠慢になっちまう!」
ギムレットがそう言いながらもシルヴィアは足を進めていた。
そして言い終わった頃に立ち止まりギムレットに向かって振り向いた。
「私は出来るだけこの街のありのままを見たいんです。貴方みたいに威圧的な見た目の人がいると、それだけで警戒心を与えてしまいます。だから私一人でいいんです」
「でもよぉ!」
「それに……」
なおも食い下がろうとして立ち上がったギムレットに対して、ため息混じりに肩を竦めてシルヴィアは言った。
「護衛とはいいますが、私の方がギムレットさんより強いじゃないですか」
柔らかい微笑みを残し、シルヴィアは颯爽と酒場を後にした。
残されたギムレットは呆然とした後、ストンと席に着く。
そして言い返せない自分に虚しさを感じていた。
「……ごもっとも」
「旦那、がんばんな」
その様子を見ていた酒場の主人がギムレットにドリンクのサービスをしてくれた。
慰められたギムレットは冷めたステーキをちびちびと口に運んだ。
*
シルヴィアがブライストンに訪れる一月前、シルヴィアはブリティアの首都にいた。
ここで王室騎士団として日々研鑽を積んでいたシルヴィアは、ある時王宮にいる女王に呼び出されることになった。
ただ、女王に呼び出されたからといって、直接本人に会うわけではないだろうとその時シルヴィアは思っていた。
このブリティアでは女王は人前に滅多に出ることはなく、重要な式典等位にしか出席せず、さらにそこでも女王はただ居るだけで何かを発言したりということもない。
他国からはお飾りの王とまで言われるくらいだった。
実際ブリティアは立憲君主制により統治されており、女王自身は政治に大きな発言権があるわけではない。
そのため、シルヴィアも大方代理人の大臣か使用人を介した話になるだろうと思っていた。
しかし、シルヴィアが呼び出されたのは大臣が仕事をする執務室でも、簡単な話をするくらいに丁度いい応接室でもなく、荘厳な宮殿内にあるには空気が明らかに違う、穏やかで暖かい日差しに包まれた宮殿内の中庭のテラスだった。
そこで宮殿の使用人に先に紅茶を出されて、テーブルに腰掛け待っていた。
ただそんなところで待たされたところでシルヴィアは落ち着くどころか、緊張と不安でガチガチになっていた。
――ななな、なんでこんなところに? 場違い過ぎて胃が痛い……。
出された紅茶は最高級の茶葉だったが、緊張で味など全く解らなかった。
「ごきげんよう。お待たせしてごめんなさい」
ふとシルヴィアの背後から可憐な少女の声がした。
その声の方に顔を向けたシルヴィアは愕然とした。
そこにいたのは自分より少し幼い少女。
ガラス細工のように繊細で透き通った肌、太陽のように光り輝く金色の髪と瞳。
紛れもなくブリティア王国女王本人だった。
シルヴィアとしては代理人の大臣かそこらが来るものだと思っていたため一気に体中の血が引いた。
「も、申し訳ありません! じょ、女王陛下の前で断りもなく……!」
規律を重んじるシルヴィアにとっては、今の自分の有様はありえないものだった。
用意されたとは言え女王の庭のテラスで紅茶を飲み、あまつさえ女王が立っていて自分だけが座っているなど考えられない失態だった。
「ふふふ……。そんなに畏まらないでくださいな。こんな場所で権威も何もあったものじゃないもの」
女王は優しく、まるで友人に対して言うような軽々しさで言った。
よく見てみると女王はいつもの豪華なドレスではなくて、軽い外出に使うような質素な出で立ちだった。
シルヴィアが呆気にとられているうちに女王はシルヴィアの正面に座り、使用人から紅茶を淹れてもらっていた。
「シルヴィアさん。今日は貴女にお願いがあって来てもらったの」
「お……お願い?」
「そう。命令じゃありません。私の些細なわがままです」
女王ははにかんだ笑顔でそう言った。
*
女王のお願いというのは、シルヴィアに女王直属の私設兵団の設立というものだった。
十年前の『血の宣戦』以降、『黒い逆十字』を名乗る集団による犯罪行為は世界中後を絶たない。
殺し、盗みを始めとして、違法賭博、違法薬物の蔓延。それに伴う治安の悪化。
挙げ句の果てには『逆十字』の名だけを語りやりたい放題する輩が現れる始末だった。
『血の宣戦』が起こってから世界中の人間は『逆十字』による報復を非常に恐れた。
自分が逆らったり、機嫌を損ねるような事をしたせいで自分の住む街や大切な人を奪われるということを恐れている。
例えそれが虚言だとしても、万が一本当に『逆十字』だったらと考えると、善良な市民はそれだけで動けず、理不尽な略奪に晒されていた。
もちろん国家としてはそれを見過ごせるわけではない。
世界中の国では『逆十字』に対抗するための策が立てられていた。
四大国のスカーディア、エトルリアでは既に、対『逆十字』のための組織が編成されているということだった。
そしてブリティアも『逆十字』に屈しないため、新しい憲法の立案、騎士団の再編成等が行われていた。
今回の女王の私設兵団もその一環だという。
「しかし……何故私なのでしょうか?」
「貴女は十年前の『宣戦』によって滅ぼされた街の生き残りですね?」
「……はい」
「辛いことを思い出させてごめんなさい……」
シルヴィアは『宣戦』の言葉を聞いたとたん纏う雰囲気を変えた。
明らかにその凛然とした表情が悲痛な面持ちになった。
女王はそんなシルヴィアのことを労わりつつも話を続けた。
「あれから今年でちょうど十年経ちました。しかし未だにその傷は人々の心に大きな根を張っています。そして、今日ではあなたのように『逆十字』に対して恨みを持つ者が国の未来を担う世代になってきました。だからこそ。あなたのように『血の宣戦』を経た者にこそ立ち向かって欲しいのです。貴女なら実力も申し分ないでしょう? この国の大剣闘舞において、並み居る強豪相手に五本の指に入る実力を見せた貴女なら……」
この国で四年に一度行われる剣と魔法の祭典、されが大剣闘舞だ。
これはブリティア内の騎士や傭兵、そして魔法使いが一堂に会し自分の実力を示すというものだ。
この祭典は国の正式な騎士団の者だけでなく、野良の剣士や傭兵も自由に参加できるというものであり、国からも多額の賞金が出るということで一般からも多くの参加者が出る。
しかし本来の目的は国が擁する騎士団の実力を国民に示し、ああ自分の国の騎士団はこんなに強くて頼れるものなのだと知らしめるのが目的だ。
そのため騎士団の気合の入り方は尋常ではないし、上位入賞もほとんどが騎士団の師団長といった面々だった。
そんな中、昨年行われた大剣闘舞において、当時若干十九歳にして参加者総勢千を超える中で入賞枠がたったの五枠の中に入った少女がいた。
星の輝きのような美しい銀髪を翻し、見るものを魅了するような鮮やかな剣技で参加者を薙ぎ倒した王国騎士団員。
余りの美麗さに、観戦した者たちが夜空に浮かぶ天の河だというほどだった。
それこそがその後『天の河』と呼ばれることとなるシルヴィア・ヴァレンタインだった。
シルヴィアは十年前の『血の宣戦』では自分の生家であり、街の一番大きな屋敷のその中で一番強固な地下室の中で自分と屋敷の使用人を含む数人その難を逃れた。
『宣戦』から数日過ぎ、知らせを聞きやっとの思いで救出に来た王国騎士団によってシルヴィアらは助け出された。
そして、シルヴィアはそこで初めて自分の生まれ故郷の惨状と大切な両親や知人の死を知った。
絶望に打ち拉がれたシルヴィアは、『黒い逆十字』を憎み、それらの脅威に晒され絶望する者をこれ以上出さないために、シルヴィアは王宮騎士団になることを決めた。
そのために立場も身分もそして年相応の女の子の幸せもかなぐり捨てて立派な騎士になるための剣の技、そして知識と教養を学んだ。
その甲斐あって大剣闘舞で優秀な結果も残せる程になった。
「……はい! わかりました! このシルヴィア・ヴァレンタイン。謹んで拝命いたします!」
元より女王の命令に逆らえる訳もなく、その上公然と『逆十字』を討つ大義名分まで与えられるわけだ。
シルヴィアには是非もなかった。
「よかった! 貴女なら受けていただけると思ってました。では、まず最初のお仕事。仲間集めをしていただきましょう」
「仲間……ですか?」
「ええ。シルヴィアさん、貴女自身の目で、貴女が信用できる人材を集めてください。『黒い逆十字』に対抗出来るだけの力を有し、そして『黒い逆十字』から世界を救おうとする強い意志がある方々を」
「そんな……急に。それはやはり王国騎士団の中からでしょうか……?」
「そんなことはありません。大剣闘舞でも見ましたが、名無しの剣士の中にも優れた力を持つ方々が沢山いらっしゃいました。そういった中から選ばれても構いません。貴女が選んだ人材なら、文句はありません。そうだわ、いっそのこと国を超えてスカウトしてくるのも面白いですね! 表向きは各地の『逆十字』の被害と復興調査ということにしていろんなところを旅してくるといいわ! そうと決まれば早速手配しましょう!」
「え? えええ? えええーーーっ!」
というわけであれよあれよという間にシルヴィアの転属手続きから、出張の手配までが決まっていき、シルヴィアは半ばヤケクソになって旅に出ることになった。
*
「はぁーーー……。なんかまたお腹痛くなってきた……」
酒場を出てしばらく歩き、人通りの少ないところまで出てきてシルヴィアは大きなため息を吐いた。
護衛のため旅に同行してきたギムレットには立場上精悍な態度をとっていたが、内心シルヴィアは重責により胃をやられていた。
清く逞しい外面と違って、中身は年相応の女の子なのだ。
「ダメダメ! せっかく女王陛下が私を信頼して任せてくださったんだから! しっかりしないと!」
自分の両頬は軽く叩き、気合を入れ直す。
いくら悩もうと結果が変わるわけでもなく、実際もう旅にも出てしまった。
それならば女王の期待に十分に応えることが先決だ。
決意を新たに、シルヴィアは改めてブライストンに歩き出す。
――それにしても……
シルヴィアが酒場から出て幾分も歩を進めないうちに、酒場の活気とは掛け離れた陰鬱とした雰囲気を感じた。
この街に来る前からわかっていたことだが、
ブライストンは『宣戦』後の復興は言うほど進んでおらず、活気があったのは酒場や宿が並ぶ一部だけだった。
そもそも十年程度ではかつての活気が元に戻る訳もなく、
それに合わせてガラの悪い人種の存在がブライストンを平穏という文字から遠ざけていた。
シルヴィアは道の端に座る浮浪者たちに目を向けた。
彼らの中には年端の行かない子供もいる。
彼らは旅人や行商人に慈悲を貰おうと道の目立つところでわざと座っている。
シルヴィアも歩きながら子供たちから物乞いを受けてはいたが、それをしたところで本当の意味で彼らを救えるわけではないことは知っていた。
痛む良心を必死に無視し、足早にそこから離れる。
――吐き気がする……。本当にここはブリティアなの?
ついには耐え切れず、人が居ない路地まで入り込んだところで口を抑えへたり込んだ。
先程とは違う意味で胃の痛みに晒されていた。
しかし、自分の住む国の街がこのような惨状になっていることを知れてよかったと思えた。
王国騎士団の中で愚直に鍛錬を続けていては見れなかった景色だ。
――女王陛下には本当に感謝だわ。私がこの国……ううん、この世界を正してやる!
そんなことを思っていると、路地の奥が妙に騒がしい。
注意して聴くと言い争っているようにも聞こえる。
シルヴィアには無視するという選択肢は無く、路地の奥へと進む。
角を曲がった先に男が数人と、シルヴィア位の歳の女性が何か大声で話している。
「何だァ? 別にいいじゃねえかよ。ちょっと我慢するだけで金が手にはいんだぜ? なぁにすぐに良くなるって」
「ふざけないで! 絶対にいやっ! こんなことしてまでお金が欲しいわけじゃないわ!」
「往生際がわりぃな。でもま、嫌がってんのを無理やりってのもそそるよな」
男は女性の細い腕を掴み詰め寄っていた。どう見ても淫行の強要だ。
「ちょっと! ホントに大声出すわよ!」
「ゲハハハハ! 出してみろよ! それで人が見たところで俺らに対抗しようってやつがこの街にいると思ってんのか?」
「そうそう、この街にいる奴ぁ、自分のことしか考えてねぇ酷い奴なんだぜ? そう考えたら俺らの方がまだ人道的ってなもんだ」
「バカじゃないのっ、あんたら! 誰かぁ!誰か助けて!」
「おいおい。それは襲ってくださいってことか? それならリクエストに答えないとなぁ」
シルヴィアは我慢の限界だった。
男たちの醜悪な言動に腸が煮えくり返っていた。
さらに女性には明確な拒絶の意思がある。
助けない理由がない。
「そこの貴方たち! その女性を離しなさい!」
シルヴィアは男たちの前に出て、大声を出す。
案の定ビクッと身体を震わせ男たちはシルヴィアに目を向けた。
しかしすぐにニヤリと下卑た笑い顔を滲ませた。
「なんだよ……、まさか助けに来たと思ったら参加希望かよ」
「しかも、この女より美人で乳もデケェときた。今日はツいてるぜぇ」
男たちはシルヴィアの怒気など意にも介さず、それどころかシルヴィアまで淫行の標的に定めた。
女性もシルヴィアに何かできるとも思っておらず、未だ悲痛な表情をしていた。
確かに剣を腰に差してはいるが、シルヴィアの第一印象だけで国を代表する実力を持つ騎士だと思う者はいないだろう。
しかしそんなことも知らない彼らはただ新しく現れた獲物の品定めに終始していた。
「もういい、お前たちは下劣なその口を開くな」
口でどうこうできないと思ったシルヴィアは腰の剣の柄に手を添えた。
「お! よく見れば剣なんか差しちゃってよぉ! 女騎士のつもりか?」
「なんだよなんだよ! 余計に燃えてきたなぁ! なぁ,お前ら!」
男の一人がそう言った途端、どこからともなくガタイのいい男たちが路地を埋め尽くした。
――こんなに大勢!? ただの暴漢じゃないの?
現れた男たちは先程から居る男らと似た風情で剣を差している者もいる。
おそらくこの街を根城にしている山賊か何かなのだろう。
先程の自分たちに抵抗する者はいないと言っていたが、そう言った意味もあったのだろう。
「あんたみたいな上玉、俺らだけで楽しむのも心苦しいからなぁ。せっかくだし全員で輪姦させてもらうぜ」
目の前にいる男はシルヴィアは内心怯えているだろうと思い先程以上の下卑た笑顔を刻んでいたが、シルヴィアにとっては「細い路地だと剣を振りづらいわね」としか思ってなかった。
そんなシルヴィアたちを取り囲む男たちの一番外側、まるで行列を作るように路地を塞いでいた男に声をかける青年がいた。
「すみません、さっきここで女の叫び声が聞こえたのですが……」
「おお、兄ちゃんも混ざるか? へへへ、馬鹿な女が俺らに逆らってよ。これからちょっとお仕置きしよってんでな」
「はぁ、そんなことだろうと思いました。馬鹿な真似はやめてさっさと消えてください。この街の保安官も黙っていませんよ」
「ああ? んなもん怖かねーよ! 俺ら『逆十字』に逆らおうってやつぁこの街にゃいやしねぇってんだ!」
男の勝ち誇った言葉に、青年の雰囲気が変わった。
それは先程まで調子に乗っていた男が一瞬のうちに怯えるほどの気迫だった。
「……言葉で収まるならそれに越したことはないと思っていたが、お前らが『黒い逆十字』を名乗るならそうもいかなくなった」
普段だったら青年の目の前にいる男は、青年が言った言葉を言われようものなら問答無用で殴りつけるところだった。
しかしそんな選択肢など選べないほど青年の気迫は異常だった。
ただの怒りとは違う。もっとドス黒い感情。
それを惜しげもなく青年は男に送り込む。
そんな風にたじろいていた時、男の顔に青年の手が覆われる。
顔を掴まれた、そうわかったときは男の体は宙に浮いていた。
「……!???!?」
自信や自惚れなどではなく、男は自分が誰かに持ち上げられるような体躯ではないと思っていた。
しかし目の前の青年は顔を掴んだ腕の力だけで男の身体を浮かした。
そして青年はまるで小石を投げ飛ばすように、男を路地へと投げ飛ばした。
「もう謝ったっておそ……ぐえぇっ!」
シルヴィアの目の前にいた男は投げ飛ばされた男の下敷きになり、潰れたカエルのような声を出した。
「え!? なになになに!」
自分より大きな体の男達に囲まれてもピクリとも表情を変えなかったシルヴィアはようやく怯えたような声を出した。
「ななな何だァ!? 急に降ってきやがった。おい! しっかりしろ!」
男たちも突然の事態に正常な判断が出来ないみたいだった。
まわりでも、事態が飲み込めず騒ぎ出していた。
「このアマァ! 何しやがった!」
「ええ! わ、私は何も……」
シルヴィアも混乱していたところに、何故か自分のせいにされた事の理不尽さにちょっと涙目になっていた。
「んだてめ……ごあっ!」
「コイツ……ぐおっ!」
遠いところでは男たちの変わった断末魔の叫びが上がっていた。
それはだんだんと近づいてきて、シルヴィアの真後ろにいる男が「あべしっ!」という謎の断末魔を上げてシルヴィアの頭上を飛んでいった時、明らかに周りの男たちとは違う雰囲気の青年が現れた。
黒い短髪、切れ長の目に赤い瞳、異常なほどに整った顔立ちで腰には細身の剣を携えていたが、青年は素手で男たちを薙ぎ倒し、片手には暴漢の一人の頭を鷲掴みしてその場に現れた。
男は青年の握力にのたうちまわっていた。
「何だテメェ! 畜生、仲間がいたのか!」
もちろんシルヴィアと青年は仲間ではない。
しかしシルヴィアは青年の姿を見て、周りの男たちのことも忘れて見入っていた。
――あの髪に眼。それにあの顔どこかで……。
「助けを呼んだのは貴女ですか?」
「……え? 私!? い、いえ私じゃありません。そちらの女性の方です」
青年はシルヴィアの視線に気付き、問いかけてきた。
とっさに質問され慌てたシルヴィアだったが、落ち着いて現状を青年に説明をする。
「なるほど、貴女は助けに来た側ですね。……貴女だったら俺が出しゃばる必要ありませんでしたね」
青年はシルヴィアの佇まいを見て、それなりの実力を持つと直ぐに看破した。
それはシルヴィアも同じで、青年がかなりの実力者であることがわかった。
「何無視してやがんだ、テメェら! 俺らに、『黒い逆十字』に手ェ出して無事で済むと思ってんのかよ!」
――『黒い逆十字』!?こいつらが……?
まさかの単語が男の口から飛び出し、シルヴィアは驚愕する。
とは言っても、シルヴィアもブライストンのように、『宣戦』によって荒廃した街にはこの男らのように『逆十字』を名乗る集団が街を支配しているという話は聞いていた。
中には名前だけを借り好き放題生きる愚か者もいるのだが、おおよその人間は実際に『逆十字』に属していると言える。
シルヴィアの驚きをよそに、青年は叫んだ男の元へ歩みを進める。
「『逆十字』だというのなら、放っておくわけにはいかないんでな。むしろ、無事で済むと思わない方がいいのは貴様らだっ……!」
「ひいっ!」
青年が発した鋭い剣幕を含んだ声に、男が怯える。勢い余ってその場に尻餅をついた。
「な、何なんだよ、お前はよぉ! 俺に手を出してみろ!街中の仲間がお前を……」
「殺しに来るか? 丁度いい、どうせなら集めるだけ集めてみろ。俺がお前らを根絶やしにしてやる!」
青年がそう言った途端に、男たちは蜘蛛の子を散らしたように、倒れた仲間のことなど放って逃げ出した。
あっという間に路地にはシルヴィアと青年と女性、そして殴り倒された男たちだけが残った。
「……すごい」
シルヴィアはうわごとのようにそう呟いた。
青年が出てきただけで状況が一変した。
自分も青年のように男たちを倒し伏せることは容易だったが、彼のように威圧だけであれだけの男たちの戦意を削ぐことはできない。
青年は手に持っていた男を適当に投げ捨てて、最初に襲われていた女性のもとへ近づいた。
ちなみに男はとっくに泡を吹いて気絶していた。
「大丈夫ですか? 怪我などは……」
「……」
声を掛けられた女性は青年を見て呆けた顔をして返事を返さなかった。
その女性は呆けてるというより、頬を紅潮させ青年に見蕩れている様子だった。
「あの……?」
「あ! は、はい! 大丈夫です! すすすスミマセン私なんかのために!」
女性は青年に手を伸ばされたところでようやく正気に戻り、慌てて礼を言った。
そして乱れた服を正し、髪を整えながら尋常じゃないスピードで目を泳がせていた。
「気にしないでください。ほとんど俺の八つ当たりみたいなものなので。一人で帰れますか?」
「はい! 帰れましゅ! あ、ありがとうございましたあああ!」
最後に青年に近づかれて気が動転したのか、女性は盛大に言葉を噛んで逃げるように路地を後にした。
「……申し訳ないことをしたな。貴女も、突然しゃしゃり出てすみませんでした」
「い、いえ。こちらこそありがとうございます」
シルヴィアもいきなり声を掛けられてドキっとしてしまったが、だんだんといつもの調子を取り戻してきた。
「しかし、あの人には悪いことをしました。あんな風に奴らを脅した俺が詰め寄ってきたら怯えて当然ですよね。あんなふうに逃げ出して」
「え? いや、それは……」
明らかにそんな理由ではない。
女性はむしろ青年には怯えとは正反対の感情を抱いていただろう。
終始顔を真っ赤にして、その表情は正しく恋する乙女といった感じだった。
それはそうだろう。
この青年のような整った顔立ちの者に自分の窮地を救い出され、あんな風に気を使われたら自分でも危うかっただろうとシルヴィアは思っていた。
「とにかく助かりました。貴方のおかげであの女性も必要以上に怯えることもありませんでした。私じゃこうはいきません」
「謙遜はしなくていいですよ。貴女、かなりの使い手でしょう?俺が居なくても結果は変わらなかったと思いますよ」
間違いなく謙遜をしているのは青年の方だ。
なにせ彼は剣を抜かず素手で男たちを圧倒したのだから。
しかし、シルヴィアはそんなことも思えないほど、青年のことが気になって仕方がなかった。
それはさっきの女性のように青年に見蕩れているというわけでない。
見れば見るほど、彼の面影に、過去のある少年の影がチラつく。
十年前に自分の故郷を失った時、それと共に失った大切な人。
なぜあの時に無理矢理にでも引き止めなかったのかと、何度も後悔した。
あの街の跡に死体は見つからず、死体も残らないほど無残な死を遂げたと思っていた。
だからこそ、周りのことが見えなくなるくらい強くなることに執着し続けてきた。
しかし、死体がなかったということは生きているという可能性だってあったはずだ。それを考えたことをなかった。
「あの……、お名前をお聞きしてもよろしいですか?改めてお礼もしたいですし……」
「ええ、もちろん」
青年はシルヴィアに向かって正面を向き胸に手を当てかしずく様に頭を下げた。
「ギルバート・デイウォーカーと言います。ただお礼は結構です。俺は宛のない根無し草なものですから」