希望の黎明 11 ―勇者の旅立ち―
「母さん。ただいま」
久しぶりに我が家に帰ってきたリカルドはひどくおそるおそる声をかけた。まるで眠っている人を起こさないような声色だった。
「リカルド?」
しかしどれだけ小さな声でも帰りを待つ人にはしっかりと届いていた。
「ああ、よかった。もう大丈夫なの?」
「うん。大丈夫だよ。母さんこそ体調悪くなってない? 薬ちゃんと飲んでる?」
「もう。私なんかよりも自分のことを心配しなさい。あなたって子は……」
退院したばかりの我が子と、病弱の母との気の使い合う時間がしばらく続いたが、不意にリカルドの母が息子の様子の違いに気づく。
「リカルド。あなた、なにか母さんに言いたいことがあるんじゃないの?」
「え? どうして?」
図星を当てたれたリカルドは気まずそうな顔でそう言った。
「今まで言わなかったけどね。あなたは何か欲しいものややりたいことがあると決まって辛そうな顔をするの。それもお父さんが死んでから。あれからずっと私に気を使っていたのね」
「やっぱり……、母さんには敵わないな」
「あなたがわかりやすのよ」
もう隠しきれない。そう思ってリカルドは最後の覚悟を決めた。
「母さん。大事な話があるんだ」
「はい。ちゃんと聞くわ」
優しく微笑んで受け入れる母に後ろめたさを感じながらリカルドは母をテーブルに誘った。
その前に母がすでに沸かしてあったハーブティーをリカルドの前に出した。
昔、リカルドの寝つきが悪い時に温かいハーブティーを淹れてくれたことを思い出した。あれを一杯飲むと安心してすぐに寝てしまったっけと思いながらリカルドはハーブティーに口を付ける。
――もう、これもしばらく飲めなくなるな。
「それで、なに?」
「うん。あのさ、母さん。どうして父さんと結婚したの?」
いざ面と向かうと、どうしても本題を切り出せず。つい今まで聞いたこともないことを質問していた。
母は少し驚いた表情をしたあと、目を閉じて話しだした。
「危なっかしかったからかしら」
「なにそれ」
思いもしない答えについ吹き出した。
「あなたも覚えているでしょう? あの人、昔からこうと考えたら迷いもなく突き進む人だったの。あまり頭も良くなかったから、たとえ自分が損をしてもすぐに体が動く人だった」
それを聞いてリカルドも思い出す。
父は確かに竹を割ったようにすっぱりとした人で、まるでなんの悩みもないような人だった。
「そのせいでね、いつも怪我したり、人から恨まれていたわ。でも、そんなのお構いなし。とにかく前に突き進む人だった。それがとても、危うく思えた」
「危うい?」
「ええ。なんだか断崖の淵を全力で走ってるような。とても見ていられなかった。あの人はね。守りたいものの中に『自分』がなかったの。だからどんなに危険なことも容易く出来てしまう。それが、私は気に食わなかったの」
気に食わない。そんな母らしくない言い方にどきりとした。
「どんなに私が心配しても、どんなに私が泣いても、ケロッとしてるのよ。なんだか腹がたつじゃない? だから私言ってやったの『私はあなたが怪我したら同じところを傷つけます』ってね」
「そんなこと言ったの? 母さんが?」
「そう。ふふふ。あの時のお父さんの慌てようったらなかったわ。意味がわからない。そんなことをしてなんになるって」
「そりゃそうだよ。俺だってそう言う」
「でもね、そんなことしてもしなくてもおんなじなの。あの人が傷つくと心がすごく締め付けられた。血も出てないのになにか大事なものが流れ出ているような気持ちだった」
母の辛そうな顔を見ると、リカルドも心が痛くなった。
「私はね。私を使ってあの人をつなぎとめておきたかったの。私って存在を守ることが、自分を守ることになるようにね。だから私はあの人と結婚したの。結婚して、あの人の帰る場所を作ってあげたかった」
「母さんは、辛くなかったの?」
「寂しくないって言えば、嘘になるわね。でもそれ以上に真っ直ぐ突き進むあの人を愛してたから。多分、結婚したからってずっと家にいるくらいなら愛想つかしてたわよ」
母がそう言うととても可笑しそうに笑った。それにつられリカルドも笑ってしまう。
「だからね。私は待つのは慣れてるの。あなたがやりたいことがあるなら、止めるつもりはないわ」
きっと母は全部わかっていたのだろう。
リカルドの気持ちも、これから言おうとしていることも。
散々考えて、どう言えばいいかと思っていたら、あろう事か母にお膳立てされてしまった。
もう、逃げ場はない。
「母さん。俺、首都に行って騎士団に入る」
つい目を逸らし、下を見ながらリカルドはそう言った。
「ある人に、力を貸して欲しいって言われたんだ。俺、全然強くないし、足引っ張るだけかもしれない。けど、こんな俺でも力になれるんだったら、俺はやってみたい。何より、そこに行けば『黒い逆十字』を。父さんを殺した『黒い逆十字』を倒せるかもしれないんだ」
「リカルド……」
「ごめん! 父さんがあんな目にあったってのに、俺まで危険な場所に行こうなんて馬鹿なことだって。でも……!」
「リカルド。ちゃんとこっちを見なさい」
静かだがはっきりした声に弾かれるように顔を上げたリカルドは母の顔を見た。
「大事な話なら、ちゃんと私の目を見て言いなさい」
「うん……。母さん。また待たせることになるけど、俺行くよ。父さんの代わりに今度は俺がみんなを守る人になるよ」
「ええ。やっと言ってくれたわね」
母をここに置いていく。そう言っているのに、母はとても嬉しそうな顔をしていた。
「わかってるわ。あなたの夢だもの。息子の夢が叶う以上に嬉しいことが母親には無いわ」
もう何も言うことができなかった。
嗚咽と涙をこぼさないようにするのが精一杯だった。
「大丈夫。あなたならきっと出来る。だってあなたは父さんの息子だもの。あなたは父さんに似て、とても勇敢で、正しい心を持っている。あなたのような息子を持てて幸せだったわ」
絶対にこの時だけは泣かないと決めていたが、どうしてもダメだった。
言葉にできない気持ちが溢れ、とても母を見ることができなかった。
「ゴメン……母さん。ありがとう……」
ボロボロと涙をこぼす我が子を見て、同じように涙を流して母が言った。
「でもね、それだけが心配。あなたは私に似て、とても泣き虫だから……」
袖で何度も涙を拭うリカルドを見て、母は最期の言葉を送った。
「リカルド。あなたはあなたが正しいと思ったことをやりなさい。それはきっと人を、世の中を救うことになるから」
リカルドの家から少し離れた場所でロキとシルヴィア、そしてヒカリが立っていた。
リカルドが最後に母親に別れを告げるのを待っているのだ。
しばらくかかるだろうと思っていたが、ほんの一時間足らずでリカルドは戻ってきた。
「すみません! お待たせしました!」
「もういいの? しばらく帰れないんだからしっかり……」
「いえ、いいんです! 伝えたいことは伝えましたから!」
異様に明るいリカルドにシルヴィアが心配そうに声をかけたが誤魔化すように声を上げた。
「りっくん、どうしたの? 元気だねー」
「気ィ紛らわしてんだろ。目ェ赤いぞ」
「あー、そっか。さっきまで涙の別れをしてたんだね。およよ……」
「ち、違いますよ! これからもっと頑張らなくちゃいけないんですから、気合入れてるんですよ!」
「無理すんなって。どうせなら一晩くらい母ちゃんと一緒に寝て来りゃいいじゃねえか。そんくらい待てるぞ?」
「ちょっと、ロキさん! 子供扱いしないでくださいよ!」
リカルドがそう言うと、何故かロキは大笑いした。そしてしたり顔でリカルドを見てこう言った。
「んなセリフ使ってるうちはまだまだガキだよ、リック」




