希望の黎明 9 ―勇者の条件―
夢を見ていた。
幼い頃の、まだ現実と理想の境もわからない、自分はなんでもできると思い込んでいた頃の思い出だった。
――おとうさん! おとうさん!
父を呼んでいた。父さんは傭兵であまり家には居なかった。けど家に帰ってくるといつも自分と一緒に遊んでくれていた。
背の高い父に肩車をされて、生まれ故郷を高台から眺めるのが大好きだった。
――リカルド、父さんは世界の困っている人を助けたい。それが父さんには出来るからな! 出来る人はそれをやる義務があるんだ!
――ぎむってなあに?
――ん? んー、そうだなあ……。例えば、リカルド。お前父さんは好きか?
――うん! すき!
――なら母さんは好きか?
――だいすき!
――え。お、俺より? 俺より母さんの方が好きか?
思えば父さんは変な人だったな。そんな風に話がしょっちゅう変わっていたっけ。
――おほん! えー、つまりだな、リカルドが父さんや母さんが好きなことと同じように、当たり前のことってわけだ! 強い人が弱い人を守るのは当たり前のことだ! だから父さんは弱い人を守って旅してるってわけだ!
父さんはそう言って大笑いした。
子供の頃の俺は全部を理解していなかったけど、胸を張って弱い人を守ると誓ったあの人のことを純粋にすごいと思っていた。
――お前や母さんには淋しい思いをさせちまってるが、我慢してくれ! 父さんには義務があるからな!
そう言って豪快に笑う。確かに父さんが家にいないのは寂しかったし、もっと一緒に遊んで欲しかったけど、だからといって恨むようなことはなかった。
傭兵の仕事に戻る父さんの背中を憧れの眼で見つめて、姿が見えなくなるといつも母さんに言っていたことがある。
――おかあさん! おれ、おおきくなったら、おとうさんみたいによわいひとをまもるつよいひとになる!
そうだ。俺、小さい頃はそんなこと言ってたっけ。
ずっと父さんに憧れてて、そんな父さんの背中をずっと追いかけたいと思っていた。
遅くなったけど、また追いかけてもいいかな。ねえ、父さん。
*
まるで朝目覚めるように、リカルドは自然に目蓋が上がった。
しかし眼前に広がるのは見知った自分の家ではなく、どこかわからない天井だった。
つんと鼻を突く薬品のような匂いでなんとなく病院だということは理解した。ただどうして病院にいるのかはまったくわからなかった。
起き上がろうにも全身に力が入らず、左腕に走った激痛により寝そべざるを得なかった。
「いって……」
うめき声を出しながら左腕を見る。そこには木棒で支えられ包帯でがんじがらめにされた腕があった。そこでやっと自分が倉庫での戦闘の後に気を失ってしまったことを思い出した。
そしてふと視線を横に逸らすと、リカルドの胸にヒカリがあどけない寝顔を浮かべて眠っているのを見つけた。
「ヒカリ……? どうして……」
「ん……。むにゃむにゃ……」
浅い眠りだったのか、リカルドの声に反応しヒカリが目を覚ました。
「ふわぁ……。あぶない、あぶない。眠っちゃった」
目をこすり大きな欠伸を出すヒカリが微笑ましく思い、リカルドは少しだけ笑った。
「ははは……。おはよう、ヒカリ」
「うん。おはよー……。って、りっくん! もう、目覚ましたの!?」
リカルドに声をかけられたヒカリは最初は寝ぼけていたが、リカルドが起きたという事実にすぐに頭を切り替えた。
「うん。ヒカリ、あれから、倉庫の方はどうなったの……?」
「まってまって! それより先に先生呼んでこなくちゃ! せんせー! りっくん起きたよー!」
自分の容態など二の次で、リカルドが倒れたあとのことを聞こうとしたリカルドを抑えヒカリは病室を飛び出し医師を呼びに向かった。
嵐のように過ぎ去り静けさを取り戻した病室で、ベッドに横たわりながらリカルドは大きく息を吐いた。
「信じられないな……。あれだけ衰弱していたのに、たった一日で目を覚ますなんて。本当に大丈夫かい?」
「はい。流石に左腕は痛いですけど……」
「ううむ……。若さゆえといったところかな? ともかく恐れ入るよ」
リカルドの容態を診ていた医師はそう言って苦笑いをしていた。
リカルドがデイヴィスとシナロアの倉庫で戦い、その後、病院に運び込まれたリカルドは極度の魔素欠乏症により非常に危険な状態だった。
魔素は生物だけでなく万物に流れる力の流れであると同時に、生物にはなくてはならない要素でもある。戦闘などで一気に魔素を消費すると、脳や内臓を始めとした器官が生命維持を保てなくなるほど消耗してしまう。
事実、大戦時代の魔法使いの死因の大部分が、敵の攻撃による負傷より魔素欠乏による衰弱死がほとんどだった。
それほど魔素というものは生物にとって重要な要素なのである。
「けれど、油断は禁物だ。しばらくは安静にしてもらうよ」
医師はそう言って病室を出ていった。しかしリカルドの回復力がやはり気がかりだったのか首をかしげていた。
長い医師からの質問にくたびれたリカルドだったが、休まる間もなく医師と入れ替わりでヒカリが早足で病室に入ってくる。
「りっくーん。ホントに大丈夫なの? 無理しちゃダメだよ?」
「大丈夫だって。もとから身体だけは丈夫だったから」
「それにしたって限度があるけどな」
ヒカリしか見ていなくて気づかなかったが、後ろからロキが病室に入り、今までのように皮肉混じりの言葉をリカルドに送った。
ロキに気付いたリカルドは表情を消し、痛みに耐えて体を起こした。
「おい、無理すんなって」
「平気です。それより、ロキさん。俺が倒れた後、倉庫の方はどうなったんですか?」
必死に平静を装って。というより、一刻も早くそのことを聞きたいと言わんばかりにリカルドはロキを真っ直ぐ見てそう言った。ロキもそれを察してか、ため息を一つ吐いて説明を始めた。
「お前が倒れてすぐ、俺が引っ張って来た騎士団の連中が倉庫に到着した。一人残らずノビた盗賊連中を捕まえた。倉庫の管理者のおっさんも一緒にな」
「そうだ、主任! 主任はどうなったんですか?」
倉庫の管理主任のことが話題に出ると、リカルドは身を乗り出して問いただしす。
「管理主任のおっさんは盗賊団と繋がりがあることを自供して、今は西部の警察署で事情聴取を受けてる。それが終わったら裁判して実刑ってところだろうな」
「実刑、って……。主任はどうなるんですか?」
不穏な言葉を聞き、まるで自分自身に宣告されたような面持ちになったが、対してロキは軽い調子で説明を続けた。
「まあ、自分の意思で協力してたわけだからな。いくら潔く喋ろうが、しばらくムショから出られねえだろうな」
「そうですか……」
「んな辛気臭ぇツラすんな。別に死刑になるわけじゃねえし、今後の態度次第で減刑もありえる。それよりも問題は盗賊団の連中だ。奴らは『黒い逆十字』に関わってる可能性が高い。取り調べもそいつらを重点的に……」
「あ、そうだ。あいつらのボスは捕まえましたか? 黒いコートと黒い手甲をしてる奴なんですけど」
「ああ、そいつか。残念だが、野郎はとっ捕まえる前に死んじまった」
いつもの調子で、なんの感情もなく、ロキはそう言った。
急に突きつけられた現実にリカルドは失意の表情で顔を伏せた。
悪びれもしないロキにヒカリが何も言わずロキの足を叩いた。気を使う様子が一切ないロキに対しての戒めのつもりだったが、ロキには響かなかった。
「別にお前の所為ってわけじゃねえぞ。逃げようとした野郎を捕まえようとしたら、テメェから死にやがったんだ。ったく、ようやく首謀者捕まえるかもしれねぇってのに胸糞わりぃったらねえぜ」
あくまで気を使ったわけではなく、ただ単に愚痴をこぼすように語るロキの言葉も耳に入らないのかリカルドは伏せた顔を上げなかった。
「あんま気に病むんじゃねえぞ。敵と戦ってりゃこんなことはザラにある。それに、あの野郎は死んで当然の奴だ」
「俺は、そうは思いません」
言葉を続けるロキに、強い語調でリカルドはそう言った。
「たとえどんな人だろうと、死んで当然な人間がいるなんて思えません。人は生きていれば間違いだって犯します。でもそれが積み重なったからって死んで当たり前になるなんて、そんなのあんまりじゃないですか。やり直す機会はもうないんですか? 死ねば帳消しになるんですか? 俺は、そうは思いません」
そう言ってリカルドは顔を上げた。今はもう、悲痛な表情ではなかった。
「生きていれば、改心するかもしれない。罪を償うことだってできるはずです。そんな可能性も否定して、死んで、殺しておしまいなんて、俺は認めません。どんな相手だろうと、どんな理由だろうと、俺は人を殺したくなんかありません」
「……たとえそれで、お前が殺されることになってもか?」
「たとえそれで俺が死ぬことになってもです」
脅しのような言葉にも、リカルドは屈しなかった。
戦うと決めた今になっても。いや、戦うと決めた今だからこそ、リカルドはそう決意した。
あの倉庫で、管理主任を悔い改めさせたように、きっとどんな人とでも話し合い、分かり合えば、相手の心を変えられる。そう信じて。
長い沈黙の後。呆れたのかロキは今日一番のため息を吐いて、一歩、リカルドに近寄った。
「誰も殺さねぇ。死なせたくねぇ。それがお前の決めた道か。言っとくが、簡単な道じゃねぇぞ?」
「覚悟の上です」
「は。そうか。その決意の代償はデカかったな。魔素使い切って、腕もへし折って。倉庫だってぶっ壊して、ボロボロになって盗賊蹴散らして」
ロキに言われてリカルドはまたしても俯いた。
ロキに馬鹿にされ、意地を張ってみたはものの、自分が思う理想には程遠い。もしかしたらもっとうまいやり方があったのではないか。そう思ったら急に恥ずかしくなったのだ。
またロキに叱責されるのではないかと思いすぐに布団をかぶりたい気持ちになったが、そうする前にぽん、とリカルドの頭に手が置かれた。
「やるじゃねえか。見直したぜ、リック」
そんなぶっきらぼうな賞賛の言葉に、リカルドは頭が真っ白になった。
「俺の野次聞いて腹立てたのか? 悪い。俺、どうも思ったことすぐ口にしちまうからよ。でも、お前がここまでやる奴だとは思わなかった。誰にでもできることじゃねえ。すげえよ」
想像もしなかったロキの褒め言葉に、何も言えなくなる。
名前を縮めた愛称も、雑な謝罪も、笑い混じりに言った「すげえよ」も、全てが自分を認めてくれたものだと知って、言葉を失った。
そんなリカルドの様子を知ってか知らずか、ロキは手を離して話を続ける。
「あとの処理は警察やらに任せとけ。お前はしっかり休んでろ。よくやったな」
それだけ言ってロキは踵を返して部屋を出ていった。
ヒカリだけはリカルドの傍にいようとしたが、リカルドの顔を見て少し微笑み、ロキの後を追った。
ロキとヒカリが出て行っても、しばらく顔を上げられなかった。
ロキの優しい言葉が、温かい掌が今でも心の中に残っている。
――良かったんだ、あれで。
――俺は、間違ってなかったんだ。
いつの間にかぽろぽろと涙を布団の上にこぼしていた。
別に誰かに認めてもらいたかったわけじゃない。けれど不安はあった。自分がやったことは正しかったのかと。
それを他人に肯定されて、リカルドは心の底から安堵した。
――そっか。これでよかったんだ。
とめどなく漏れる涙と嗚咽を噛み殺しながら、リカルドはやり遂げたという想いを胸に抱いた。
そんなリカルドを残し、ロキとヒカリは病院の廊下を歩いていた。
「んふふー」
「なんだよニヤニヤして。気持ちわりい」
「へへへー。だってロキ坊があーんなクッサイこというからー」
「うっせ。頑張ったヤツ褒めて何が悪いんだよ」
そんな憎まれ口を言うロキも口元を引きつらせて嬉しそうな表情だった。
「ところでよ、ヒカリちゃん。前にリックに対して言ってた『もったいない』ってのは、魔素のことか?」
「うん! そうそう! りっくんすごいんだよー! あんな量の魔素を体の中に秘めてる人初めて見た! 多分、総量で言ったらギル君より上かも!」
「マジかよ……。ギルだってバカみてぇな量あるっつってたじゃねぇか」
「うん。もしかしたら、りっくんが力持ちなのも回復力高いのも、いっぱいある魔素が漏れて常に闘気纏ってる状態になってるからかも」
ヒカリが興奮気味に語るのを尻目に見ながらロキは納得した。
初めて出会った時、腕を掴まれた時の信じられない力と異様な回復力。そして現場検証の時に知った、リカルドが『アンバー』を使用できたという情報。
『アンバー』は非常に有名なため、記憶力のいいロキは知っていた。『アンバー』が非常に燃費の悪い魔剣であるということを。
それを起動できたことだけが唯一の疑問だったが、なんてことはない。ただ単に『アンバー』を起動出来るだけの魔素をリカルドが持ち合わせていただけなのだ。
――にしても。出来すぎだよなぁ。
決意を固めた少年に、お膳立てされたかのように目の前に自分しか扱えない武器。
まるで神の思し召しのようだと、ロキは笑った。
「ヒカリちゃん。俺いいこと思いついたぜ」
急に立ち止まり、ロキはリカルドのいる病室へ振り返った。
「あいつにはよぉ。“勇者”になってもらおうぜ」
まるで泥棒が悪巧みをしているかのような笑顔を見て、反対にヒカリは屈託のない笑顔を浮かべた。
「だいさんせい!」
そんな二人の会話のことなど知りもしない少年は、未だに病室でひっそりと泣き続けていた。




