希望の黎明 7 ―希望の黎明―
屋外では強く雨が倉庫を叩きつける音が響く。暗く重い雰囲気の中、目が眩むほどまばゆい琥珀色の輝きがリカルドの手から放たれていた。
リカルドが握る短剣ほどのそれからほとばしる光は、短剣と同じく突き抜けるほど鮮やかな琥珀色だった。
「なんだ、これ……」
まるで状況がわからないリカルドは自分の手から発せられる光を見てそう呟く。
しかしその状況が理解できないのはリカルドだけではなかった。
『アンバー』を管理していた主任はもちろん。リカルドに『アンバー』を使わせるように仕向けたデイヴィスですらその光景を目の当たりにして呆然としていた。
「あれは、一体……」
「デイヴィスさん! どういうことですか!? 話じゃあれは誰にも使えないって……!」
正確には違う。『アンバー』は別に選ばれたものにしか扱えないという、物語の中の聖剣のような代物ではない。『アンバー』は魔素を込めればそれ固有の能力を発揮するどこにでもある魔剣でしかない。
しかし、『アンバー』は触れた途端に所有者の魔素を根こそぎ吸い取るほど燃費の悪い魔剣なのだ。そのくせ能力を発動する前に大抵の者は魔素切れになってしまう。ゆえに『アンバー』は誰にも扱えず、ただその見た目の美麗さにより観賞用として扱われてきた魔剣だった。
つまり、誰一人として扱えてこなかったからこそ、どんな能力が備わっていたかが誰にも知られてこなかったのだ。
言葉を飲むほど美しい輝きを目の当たりにしながらも、デイヴィスは忌々しそうにリカルドを睨んだ。
本来『アンバー』の特性を利用し、口だけは達者な若造を手っ取り早く処理しようとしただけだったのだが、まさかこんな結果になるとは思いもしなかった。
「……お前がどんなインチキをしてそれを起動させたは、もはやどうでもいい。それを持っているだけで信じられないくらい魔素が吸われているのは事実だろう」
デイヴィスは昨夜、管理主任と話した後に興味本位で『アンバー』に触れていた。
正直に言うと『アンバー』にまつわる話が胡散臭くて仕方がなかった。それを確かめようと素手で『アンバー』に触れた途端、ごっそりと魔素を吸い取られる感覚に陥った。
ほんの指先でつついた程度で全力疾走をしたあとのような疲労感に襲われた。
そしてそれは、リカルドも例外ではない。
輝く『アンバー』を手にしながら、リカルドはとてつもない疲労感に襲われている。
デイヴィスの部下たちと戦っているときは息切れもしなかったのに、今では視界はもうろうとして、荒い息を吐いている。今はただ、精神力だけで立っているような状態だった。
「貴様はもう虫の息だ。俺が手を下すまでもない。お前ら、やれ」
デイヴィスはそう言って残った部下を顎で指示した。
部下たちも残り少ないことと、リカルドのさっきまでの立ち振る舞い。そして『アンバー』の得体のしれない能力を警戒して、油断の無い表情で頷き合いあってリカルドに相対した。
「いくぞ……! かかれぇ!」
誰かが言ったその言葉を合図に数人の部下がリカルドに走っていく。
それを見たリカルドはほとんど何も考えず、反射で『アンバー』を握った手を振り回した。
ただ空を切るだけのはずの『アンバー』は吹き出す光が波濤となり、デイヴィスの部下たちを飲み込んだ。
飲み込まれた者たちは、まさしく波に飲まれた漂流物のように流され、溢れた光は倉庫の壁を爆音を立てて破り、大きな穴を開けた。
光が消えた場所からは誰もいなくなり、リカルドに襲いかかろうとしていたデイヴィスの部下たちは倉庫の端や倉庫の外に転がり気を失っていた。
さらにリカルドから十分に離れていたデイヴィスすら倉庫の外に投げ出されていた。
自分がやったこととはいえ、リカルドには理解ができなかった。
ただリカルドは『アンバー』を適当に振り回しただけのはずが、いつの間にか状況は一変していた。
理解は出来ない。それでもリカルドはかすかに希望が見えた。未知の力ではあるが、これで敵を圧倒することができる。
「一体何をした、小僧……!」
外に投げ出されたデイヴィスは忌々しそうな声で呟きながら起き上がった。
デイヴィスの表情は今までとは比べ物にならないくらい怒りに満ちていた。
リカルドはもはや臆することはなく『アンバー』を握り、真正面からデイヴィスを見据えた。
しかし『アンバー』を握る左腕が激しい痛みを訴えるのと、先程から凄まじい勢いで体力を消耗していることに気がついた。
きっとすぐにでも自分は倒れてしまう。その前に目の前の敵だけは絶対に倒さなければならない。そういった決意を込めてリカルドはデイヴィスを見た。
「なんだその目は……? どうしてそんな目ができる。どうして立ち向かおうとする! 貴様の薄っぺらな正義心でどうになると思ってるか? 自分が世界を救えると思い込んでいるのか? 正義も、道理も、功徳も、誠心も! 全てまやかしでしかない! そんな見苦しい姿を、俺に見せるな!」
デイヴィスはまるで別人になったかのように、怒りに任せて吠えた。目は血走り、歯を食いしばるその表情はどこか、悔しがっているようにも見えた。
「……お前がどう思おうと、俺は抗うのをやめない。決めたんだ……。諦めるのはやめるって……」
息も絶え絶えになりながら、リカルドはそう言った。
それは自分に言い聞かせるためであり、決意が揺るがないよう奮い立たせる言葉だった。
「それがぬるいと言っているんだ! 何が抗うだ、何が諦めないだ! 現実はそんな言葉でどうにかできるほど甘くない! 世界は! そんな気持ちを汲んでくれるような都合のいいものじゃない!」
「あんたがどう言おうが、俺の気持ちは変わらない。もしかしたらあんたが言ってることのほうが正しいのかもしれない。でも、それでも、俺は立ち向かうって決めたんだ。あんたが勝手に諦めた現実を、俺に押し付けるな!」
リカルドがそうはっきり言い切ると、デイヴィスは黒い右腕を大地に振り落とした。デイヴィスの表情は抑えきれない怒りに塗り固められていて、最初に見た冷徹な彼とは別人だった。
「だったら教えてやる。貴様の決意も、信念も、その全てが蝋燭の灯火よりもあっけないものだということを!」
デイヴィスがそう叫んだと認識したと同時に、デイヴィスはその場から消えた。
しかし完全に消失したわけではなく、デイヴィス凄まじいスピードでリカルドに近づき、黒椀をリカルドに向かって振り下ろそうとしていた。
もう避けることは不可能だと判断したリカルドは、『アンバー』を盾にするようにデイヴィスに向けた。リカルドの意思に呼応するように『アンバー』は琥珀色の光を放った。原理は不明だが物理的な力を持つその光によって、常人では計り知れない力を持つデイヴィスの一撃を受け止めることに成功した。
しかし上から振り下ろされる力と、単純なデイヴィスの膂力に押し負け、リカルドは弾かれるように後方に吹き飛ばされた。
転がるたび、折れた左腕から叫びたくなるような激痛が走る。しかしそれを懸命に耐えて、リカルドはすぐに体勢を立て直した。
顔を上げた先には憤怒の形相でデイヴィスが突進してくる。
今度は避けられる。
怒りによって隙だらけになったデイヴィスを見て簡単に回避できることを判断したリカルドは足にほんの少し力を入れる。
ただ、足の力以外に、避ける方向に向かって背中を押されるような感覚があった。
デイヴィスはただ力任せにリカルドに向かって黒椀を振り回す。しかし今回はリカルドの方がデイヴィスの視界から消失した。
一瞬の出来事に短い間、思考が止まりかけたがデイヴィスの遥か後方から何かがぶつかるような音が響き、とっさに振り返った。
そこには壁に寄せてあった空箱に突撃し、頭が下になった間抜けな体勢でリカルドがもたれかかっていた。
デイヴィスは自分から遠く離れた場所に一瞬で移動したことに驚いた。今のリカルドの位置は、デイヴィスから大股で三十歩ほども離れた場所にいる。
確かに離れた距離を移動するときに、足に闘気を強く込めることで瞬間的に距離を縮める使い方がある。実際デイヴィスがリカルドに対して二度ほど使ったやり方だ。
このやり方ならば、潜在魔素が少ないデイヴィスでも使える上、相手の意表を突いて重い一撃を与えることができる。
しかしこのやり方で移動できる距離は短く、せいぜいが十歩程度の距離だ。
それなのにリカルドはその三倍近い距離を一瞬で移動した。さらに勢い余って突撃したことを鑑みると、もし障害物のない場所で使えばもっと距離を離されていただろう。
まるで理解ができないデイヴィスとは違い、リカルドには自分に起きたことが理解できた。
デイヴィスの一撃を避けようとした際に背中を押されるような感覚。
あれは、『アンバー』がリカルドの移動に併せて、瞬間的に光を噴出して自分の一歩を後押ししたのだと。
リカルドは崩れた空箱から立ち上がり右手に握る『アンバー』を見つめた。
まるで体の力を吸われる代わりに勇気を与えてくれるような感覚があった。
視線を『アンバー』から外し遠くにいるデイヴィスに向ける。『アンバー』をデイヴィスに向け、痛む左腕を支えのように左手に添えた。
左腕の痛みは限界だ。腕は震え、足に力が入らない。視界もぼやけ、いよいよ自分が動けなくなることを予期した。
それでも、リカルドには討たねばならない敵がいる。
右手に握るそれは短刀程度しかない頼りないモノ。しかし遊びで振るっていた木の棒なんかよりもずっとリカルドを奮い立たせた。
――きっとこれは、俺の『剣』だ。
勇者が振るう剣のように。伝説で語られる聖剣のように。この『アンバー』こそがリカルドにとって正義の象徴なのだと信じた。
それを肯定するように『アンバー』から眩い光が放たれる。
――太陽みたいだ……。
なんて相応しいんだろう。
怠惰と劣等感に塗れた夜は終わりを告げる。鮮やかな輝きと共に勇気と希望の黎明がリカルドに訪れた。
「行くぞ……。これで、終わりだあああああ!」
リカルドの咆哮が合図となり、『アンバー』から陽光がほとばしりデイヴィスに向かって突撃した。
「おのれっ!」
反射的にデイヴィスは黒い掌で防御した。あれだけ離れた距離を一瞬のうちに距離を縮め、自分に突進してきたリカルドに驚愕する。
なるほど。『アンバー』のこのエネルギーが推進力となってこの距離を移動してきたのだ。
デイヴィスは理解するとともに、自分の黒椀に力を込め足を踏ん張る。
凄まじい推進力はそのまま破壊力となりデイヴィスを圧倒する。
しかし離れすぎた距離がアダとなった。突撃は瞬発力が命。距離が離れるほど速度も威力も落ちる。おかげで防御することも、こうして耐えることもできる。
「少しは頑張ったようだが、終わりなのはお前だ。このまま押しつぶしてやる!」
その言葉通り、デイヴィスの力が増す。やはり体格の差は大きく、『アンバー』ごとリカルドを押し返してきた。
膝はがくがくと震え、『アンバー』を握る手もだんだん弱くなってくる。
やはり、ダメなのか?
頭の中に浮かんだその言葉をすぐさま振り払う。
違う。そうじゃなだろ。諦めたはずだ。悪も、理不尽も、不条理も、怠惰な自分も、全てを許さないと決めたはずだ。
「ぐ、あああ……」
力を振り絞り、リカルドは声を出す。
今の自分はまだまだ弱い。きっとまともに戦えば目の前の男にも歯が立たないだろう。
――でも、それがどうした!
――今、立ち向かわなくちゃ!
――俺が、倒すんだ!
「こんなとこで……、負けてられるかああああああああああ!」
――世界を救うって決めたんだろ!
リカルドの叫びに、決意に呼応し『アンバー』の輝きが増す。これまで以上の輝きを放ちデイヴィスの黒椀を押し戻す。
「そんな、バカな……」
押し戻される自分の腕よりも、小さな体で立ち向かうリカルドよりも、デイヴィスは『アンバー』の輝きに目を奪われる。
――ああ、綺麗だな……。
心にそんな言葉が浮かんだと同時に、デイヴィスは陽光に包まれた。
理解を超える力の奔流。しかしそれ以上に太陽の光を浴びているような心地よい感覚に襲われる。
それは遠い記憶。力も金も何もなかった頃の記憶。
貧しくも満たされていた生活。自分よりも小さな手を引いて走り回っていた過去。
――お兄ちゃん……。
「ミリア……! ミリアああああああああああ!」
デイヴィスが叫んだと同時に『アンバー』の光が弾けた。
デイヴィスの暴力の象徴である黒椀は粉々に砕け散り、光の波が倉庫の壁ごと粉砕しデイヴィスを外へ吹き飛ばした。
二度の『アンバー』の力により倉庫の壁のほとんどが消え去り、中から外の様子が伺えた。いつの間にか雨はやみ、うっすら雲の切れ間から光が漏れていた。
しかしリカルドは勝利の余韻を味わう間もなく、体から力が抜け膝を折った。崩れ落ちるあいだに『アンバー』は手をすり抜けカランと軽い音を立てて床に転がった。
「リカルドくん! だ、大丈夫かい?」
今までの一部始終を見ていた倉庫の管理主任はリカルドに近寄り、肩を抱えて声を掛けた。
「リカルドくん! リカルドくん! しっかりするんだ!」
「あ、主任……。怪我、ありませんか……?」
「ぼ、僕なんかより君の心配をしなさい! そんなボロボロになって……」
「まだ、終わってない。あいつを捕まえないと……。それに他の奴らもロキさんに……」
リカルドはほとんどうわごとのようにそう呟く。
もはや精神力だけで意識を保っているようなものだった。
「それに、主任。あなたも、自首、してください……。ちゃんと罪を、償って……」
リカルドの言葉を聞いて、ようやく管理主任は自分の立ち位置を理解した。
デイヴィスが敗れた今、後は首都の騎士団に捉えられ、尋問されて、きっと死刑になる。
その現実を想像し血の気が引いた管理主任はリカルドから手を離し、すぐさま逃げ出そうとした。
「どこ、行くんです……」
背を向け逃げ出そうとした時、上着の裾をリカルドが掴みそう言った。
「逃げないでください。あなたはやってはいけないことをしたんだ……。それは逃げても変わらない」
「し、仕方なかったんだ! 妻に愛想をつかされ、倉庫の運営もうまくいかない……。気を紛らわすために酒に溺れて借金まで……! もうまともな方法じゃ生きていけなかったんだよ!」
管理主任は自分よりも遥かに年下の、責任の重さも、家族に裏切られるという絶望もしらない少年に必死に言い訳を叫ぶ。
「そうだ……! 誘ってきたのはあいつらからなんだ! 僕の借金のカタに仕事の手伝いを強要してきて……! 僕だって嫌だったんだ、しょうがなかったんだ!」
そうやって言い訳を並べる管理主任を見てリカルドは思った。
――そうか。主任は、さっきまでの俺だ。
現実から目を逸らし、楽な道に逃げて、その正当性を必死で探してる。
傍から見るとこんなにも見苦しいものなのだと、リカルドは心の底から過去の自分を侮蔑した。
――ロキさんがあんなに起こるのもうなずけるな……。
それでも、譲れないものはあるはずだ。
「主任。あなた、娘さんいますよね? 前に見たことがあります。とても可愛がってて、本当に大切だったんですよね……?」
「そ、それだってもうどうしようもない! 娘は妻が引き取って、今じゃ連絡も取れない! 僕の支えだったあの子でさえ、もう僕の側にはいない!」
「それでも! 貴方はあの子の父親でしょう? だったら子供に誇れる親になってください……」
リカルドは渾身の力を振り絞り管理主任の襟に掴みかかった。
そして今は会えない、自分の心の核となってくれているあの人のことを想う。
見ず知らずの他人を守るあの人のことを。
見知らぬ土地で戦い果てたあの人のことを。
「親と子は、どんなに離れてても繋がってるんです……。側にいなくても、子供はいつも想ってるんです……。だから、父親の貴方が道を踏み外すなよ! 父親なら子供が誇れる父親でいてくれよっ!」
叫びながらリカルドは涙を流した。
もう言葉を交わせない。憧れる背中を追いかけることもできない。
自分の命をもって正義を示した父を想って。
「ぐっ……! ぐううううう!」
リカルドの言葉を聞き、管理主任は咬み殺すような鳴き声を上げる。
それは羞恥の叫びであり、後悔の叫びだった。
「あああああ! サラ! ごめんよ、愚かな父さんを許してくれ……!」
懺悔の言葉を吐き出しながら管理主任は泣き続けた。
リカルドはその姿を見て、管理主任の心を引き戻せたことを実感した。
「よかっ、た……」
それだけ言って、リカルドの意識は途切れた。
掴んだ襟から手を離し、前のめりになって倒れこむリカルドを管理主任は必死に抱えた!
「リカルドくん! ダメだ! 目を開けて! リカルドくん!」
――大丈夫ですよ、ちょっと眠るだけです……。流石に、疲れた……。
遠くから聞こえる管理主任の声を聞きながらそんなことを考えた。
なんとか声を出そうとしたがそれは叶わなかったが、リカルドは満ち足りた気分だった。
踏み出した一歩は、確かに前に進んだという確信を得て、リカルドは気を失った。
管理主任はそれでもリカルドの名を叫び続けた。そんな管理主任を取り巻くように、騎士たちが集まりだしていた。




