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希望の黎明 4 ―崩れだす日常―



 太陽がかなり西に傾き大海原へと隠れようとする時間帯、リカルドは荷物が一つも残っていない荷台を、まるで荷物がいっぱい乗っているかのように重そうに引く。


 あれからリカルドはロキに言われたことをずっと考えていた。頭の中にロキの言った言葉がくり返し響いている。


 ――お前、人の所為にしてばかりだな。


 言うに事欠いて人の所為とはなんて言い草だ。リカルドは口には出さずともそう悪態をついた。


 もちろんリカルドとしても、出来ることなら自ら剣を持って戦いたい気持ちは溢れるほどある。

 しかし闘気の習得も絶望的、魔法も満足に使えない自分が役に立てるはずがないことは嫌というほど理解している。


 本当に他人のことを守りたいなら、戦えないものが前に出るべきではないのだ。

 そして何より、リカルドは母を置いてこの村を出ていくことができなかった。

 母の病気は酷いものではないが、放っておけるものでもない。誰かが見なくてはならないのだ。


 考えているうちにリカルドは視線を落とす。

 わかっている。きっとこういうことなのだ。進めない、進まない理由を必死に探してそれに依存している。


 ――そんなこと言ったって、じゃあどうすればいいんだよ……。


 リカルドはひっそりと心の中で呟いた。まるで助けを乞うように。

 そうしているうちにリカルドはシナロアの倉庫に戻ってきた。倉庫の周りには屈強な体躯の男たちがそれぞれ動き回っていた。


 そんな中、一人の男が戻ってくるリカルドに気がつき声をかける。


「おう、リカルド。ご苦労さん。今日は遅かったな」


「ああ、お疲れ様です。なんでもないですよ……」


 出来るだけ明るく振舞おうとしたが、相手にはそうは見えなかったようで口をへの字に曲げてリカルドを見た。リカルドは嘘をつくのが下手だった。


「なんだよ……。体調でも悪いのか? 珍しいじゃねぇか、元気と怪力が取り柄のお前が」


「いやなんでもないですよ。ちょっと疲れただけで……。それより、なんかバタバタしてませんか? もう今日は就業ですよね?」


「ああ、なんでも本社からお客さんが来てるらしい。最近の襲撃事件の後始末とかなんかだろ」


 リカルドはその言葉に心臓が飛び跳ねた。


「そ、その人ってどんな人でした?」


「ん? あんまよく見てねぇがかなり若い奴だったぜ? 煤けた金具みたいな色の髪で、鬱陶しいくらい長かったなあ」


 間違いなくロキだ。リカルドはそう確信すると、さっきまでの出来事を思い出し気まずくなった。


「主任が青い顔して出迎えて事務所連れてったんだけどよ、みんなそのことが気になって好き勝手うわさ話してるぜ。そろそろ主任も年貢の納め時かってな」


「そんな……。別に主任が悪いワケじゃないじゃないですか」


「そりゃわかってるよ。でもこういう時矢面に立たされるのが『主任』って奴さ。……まあ気の毒なのはわかるがな? 半年前に女房と子供に逃げられてからのこの事件だからな。主任もほんっとツいてねーよな」


 相手の男はそう言いながらも他人事のように笑った。リカルドはどうもその態度がどうしても不謹慎に思えて仕方がなかった。


 ここの倉庫の管理主任は、働く男たちとは全くの逆でひ弱な身体の男性だった。常に腰が低く、従業員にも強くなれない気も弱い男だった。


 その情けない態度に愛想が尽きたのか、管理主任の嫁は幼い子を連れて突然姿を消した。

 当時の管理主任の失意の様子はリカルドは見ていられなかった。それに追い討ちをかけるように起きたこの襲撃事件。男が言う気の毒という言葉では足りないように思えた。


「まあ俺らには関係ねぇよ。主任がクビ切られようが新しいやつが上に立つだけなんだからな」


 男はそう言ってリカルドから離れていった。周りはちらほら帰路につこうとする者たちが出始めた。


 リカルドは荷台を所定の場所に戻し、自分も早めに帰ろうとした。こんなところでまたしてもロキと顔を合わせることは避けたかった。


 リカルドが帰る頃に遠くに沈む太陽が厚い雲に隠れていた。

 明日の天気は荒れるかもしれない。


       *


「遠いところわざわざ……。どうぞ、おかけください。今何か飲み物を用意させます」


「いえいえ、お構いなく」


 リカルドが倉庫に帰ってきた同時刻。倉庫の管理主任が自身の事務室兼応接室にシナロアの使い。つまりロキを招き入れた。


 ロキはいつもの粗暴な言葉遣いからは考えられない丁寧な口調で管理主任と話す。

 そして管理主任によって促され、ロキはソファに腰掛ける。


 ロキのの態度を見て管理主任は舌を巻いた。かなり若く見えるが、落ち着き払い余裕のある態度は管理主任とは真逆で、それを見てただでさえ小心者の管理主任は勝手に追い込まれたような気持ちになった。


「改めて、突然押しかけて申し訳ありません」


「とんでもございません。この度はこちらの不手際により多大な損失を……」


 ロキの正面に座った管理主任はとめどなくあふれる汗を拭いながら何度も頭を下げた。その様子は、自分は追い詰められていますと大声で公言しているようにしか見えなかった。


「それを知るために、今回、私が派遣されました。とは言っても、私はシナロアの人間ではなく、ブロンズ個人に依頼された、いわば揉め事処理屋のようなものです。どうか硬くならず落ち着いてお話ください」


 ロキはそう言ってにこやかに笑った。それでも管理主任は、どうせそんなことを言ってボロを出させようとしているのだと気が気ではなかった。


「ええ、はい……。まず、最初に被害にあったのが……」


 管理主任は努めて自分に非がないように言葉を選んで話し始めた。

 最初の被害にあったのが三ヶ月前。被害件数は合計十件。ひと月に約三件のペース。あまりにも多かった。

 最初の月は二件ほど。そこからだんだんと襲撃の感覚は狭くなり、今月でとうとう十件もの被害にあっている。もはや見逃せるレベルではない。


 管理主任は何度もどもりながら、配送ルートは毎回違う道を使うこと。護衛にそれなりの人数を配置していること。しかしそれを見越したかのように盗賊は毎回配送ルートを特定し、護衛の人数以上の頭数を持って襲撃されていることを使いに報告した。


 ロキは要所要所で「ほう」「なるほど」「それはひどい」と大げさに相槌をうって管理主任の話を聞き続けていた。そして管理主任の話が終わると使いは大きく息を吐いた。


「よくわかりました。いやあ、酷い事件だ。主任、貴方の苦労は痛いほど伝わりました」


「はい、まあ……」


 管理主任は使いのわざとらしい言動にいぶかしりながら、どうやら相手はこちらの立場に立ってくれるかもしれないという期待を抱いた。


 するとロキは前触れもなく立ち上がり部屋の中をゆっくりと徘徊した。


「しかし、やり方が雑ですね」


「雑? とは?」


「いえ。この倉庫、なかなかの規模ではないですか。確かここは貴方一人で管理してらっしゃるんですよね?」


「はい、はい! ええ、そうなんですよ」


 管理主任はロキの言葉に力強く頷いた。自分のこの苦労を理解してくれるかと、味方を得たような気持ちだった。


「それはとても大変だ。倉庫の管理と言ってもかなりの仕事量でしょう? 荷物の管理責任はもちろん。荷物の受け入れから発送。そしてその発送ルートの選出。配送人の手配。護衛の発注。これだけの仕事を貴方一人でしてらっしゃると」


「はい……」


「つまり、どの荷物を何時、どこに、どのルートを通って、どれほどの護衛を付けているかは貴方だ

けが決めている。貴方だけが知っている」


「……」


 ロキがソファの回りをゆっくり歩きながら語る言葉に、管理主任はとうとう何も返さなくなった。代わりに今までとは比べ物にならない量の脂汗を流し震えていた。


「貴方だけが知っていることを、盗賊は前もって知っていたかのように襲撃を成功させている。まるでこれでは貴方が情報を流しているようではありませんか」


 ロキのその言葉を聞き、管理主任はまるで死刑宣告を受けた罪人の気分になった。

 頭が真っ白になったところに背後から肩に手を置かれ叫び声を挙げたが、喉が引きつり声が出なかった。


「冗談です。意地が悪かったですね、申し訳ありません」


「じょう、だん?」


 明るく語りかける声にオウム返しで答えた。振り返ることはできない。


「貴方がこの倉庫で長くやっていることは聞いています。今更そんなことをするとは思えませんからね」


 明るく朗らかに語るロキはいつの間にか管理主任の耳のそばまで顔を近づけていた。そしてまるで内緒話をするように声を潜めてしゃべる。


「別に、奥さんとお子さんに逃げられ、気を紛らわすためにお酒を飲みすぎてお金に困っている。というわけでもないでしょうし」


 その言葉で、完全に終わりを悟った。

 どうして知っている。いや、もうそんなことはどうでもいい。


「では、これからのことについてお話していきましょう。……と言いたいところですが、今日はもう遅いですね。すみません、私の到着が遅れたばかりに」


「……いえ。構いません」

「そう言っていただけてありがたい。では今日はここでお暇させていただきます。明日、はお休みでしたっけ? では週明けにでもまたゆっくりお話しましょう。これからについて、ね」


 ロキはそう言うとさっさと部屋から出ていこうとする。管理主任は流石に見送りする余裕はなかった。


「では、さようなら」


 その言葉を最後にロキは部屋を出ていった。その途端管理主任はソファから転がるように席を立ち、事務机に備え付けられた電話を抱えた。


「くそっ……! くそっ……! どうしてバレた!? いや、それはあいつらのせいだ! 絶対にバレないからこっちは話に乗ったっていうのにっ……!」


 ダイヤルを乱暴に回し、管理主任はどこかに電話をかける。コール音がやたらと長く感じた。

「もうおしまいだ……! 何もかも!」

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