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希望の黎明 3 ―戦わない理由―



 頬を優しく撫でる風を感じリカルドはゆっくりと覚醒した。

 なぜ自分が眠っていたのかすら思い出すのに時間がかかった。しっかりと思い出す前に黒い艶やかな髪の少女がリカルドの顔を覗き込んできた。


「あー、起きた。ロキ坊、起きたよー」


 覗き込んできた少女がさっき青年から庇った少女だとはすぐに気がつかなかった。そういえば顔すら見ていなかったのだ。

 ゆっくりと体を起こすと顔から何かが落ちた。腹の上に落ちたそれは手ぬぐいでしっとりと濡れていた。


「おい、急に起き上がんな。脳震盪起こしてるかもしれねんだからな」


 ふと聞き覚えのある声が背後から聞こえリカルドはふりかえる。そこには気を失う寸前まで睨み合っていた青年が打って変わって穏やかな表情でリカルドに気遣うような言葉を投げかけた。

 状況がわからず黙っていると青年は前触れもなくリカルドに手を伸ばす。前髪をかきあげてまじまじとリカルドの額を凝視した。


「コブもできてねぇな。丈夫な奴だ」


 それだけ言って青年は手を離した。


「まだ痛むか?」


「え……。あ、大丈夫です。もう全然」


「マジかよ……。あんだけ思いっきりぶつけといて。スゲェ石頭だな」


 青年は呆れた風にそう言った。それを見てリカルドは呆然とし続けた。さっきまであれほどまでに睨み合っていた相手が、自分に対してぶっきらぼうながらも自分に気を使っていることが、まるで別人と話しているようで気持ちが悪かった。

 言葉が出ず、しどろもどろとしていると傍らにいる少女が元気に話しかけてきた。


「ごめんねー。痛かったでしょ? 痛いの痛いの飛んでけー」


 少女はそう言いながらリカルドの額を撫でる。もう痛くもなかったのだが、何故か少女に触れられると妙な安心感が生じた。まるで幼い頃、母親に頭を撫でられた時のような満足感にも似た気持ちだった。しかし流石にこそばゆくなり、身をよじるように少女の手を振りほどいた。


「も、もういいよ。ありがと」


「えー無理しなくていいのにー。恥ずかしんぼさん」


 そう言って少女はリカルドの鼻にちょんと指を当てた。それが無性に恥ずかしくなり少し乱暴に手を離させた。


「恥ずかしがってないから。もういいって」


「そおー? でもごめんねー。ロキ坊、加減知らないから思いっきり頭ぶつけちゃったね」


「おーい。人のせいにすんな。そいつがコケたのはヒカリちゃんがしがみついたからだろ」


 黒髪の少女はリカルドから指を話すと、もめていた青年と気安く話しだした。その様子もリカルドには予想外でもはや頭は完全に思考が止まった。


「えーと、二人はお知り合いで?」


「そだよー。あたしはこの子の保護者だから」


「逆、逆ー。保護者おれー」


 少女が笑顔で言ったことに青年は面倒臭そうに訂正する。そして少女を黙らせるように頭を押さえつけた。


「このガキンチョは俺のツレだ。この町にゃ仕事で来てんだが、こいつがメシ食わせろってうるせーから後にしろっつてただけだ」


「そう! 聞いてよー! この子、そんな飯ばっか食って豚かよってあたしに言ったんだよ!? ほんっと信じらんない。このデリカシー無し男!」


 少女は頭を押さえつけられたままその場で地団駄を踏み、怒り心頭といった様子だった。

 二人の茶番劇を見て呆然としながらも、リカルドはようやく自分が余計な真似をしたことに気がつき羞恥心に駆られた。


「あの、本当にすみませんでした! お二人の関係も知らないのに差し出がましい真似を……!」


「いい、いい。気にすんな。こっちこそ悪かった。マジで怪我させるつもりはなかったんだ」


「そーそー。てゆーかロキ坊の人相と口が悪いから勘違いしちゃったんだよね。あ、そーだ! お名前聞いてなかったね、なんてゆー名前なの?」


 少女の暴言を聞き青年は苛立ちの視線を向けたが少女は気づいてすらいなかった。リカルドは戸惑いながらも自己紹介を始めた。


「え、と。名前はリカルドって言うんだ。近くの村に住んでて、配達の仕事をしてる」


「へー、りっくんって言うんだ! よろしくねー」


「う、うん。ところで二人の名前は……?」


「あ、ゴメンゴメン! まだ言ってなかったね! あたし、ヒカリ! この子はロキ坊! 名前だけでも覚えて帰ってください!」


「ロキな、ロキ。ロキ坊っつったらぶっ飛ばすぞ」


 青年、もといロキは、ヒカリの頭をかき回しながらリカルドに睨みを聞かせた。リカルドは苦笑しながら再度ロキたちに頭を下げた。


「とにかくすみません、ロキさん。近頃チンピラがこの町にうろついてるって聞いて、てっきりそれかと思っちゃって」


「何度も謝んな、いいっつってるだろ。でもまあ、向う見ずなのは確かだけどな」


 ロキのその手厳しい言葉に今度は自嘲するに笑った。


「もー! そんなこと言わないの! いいんだよーりっくん、こんなガサツ君の言うこと何て気にしないで。かばってくれてありがとー。かっこよかったよ」


 ヒカリはそうリカルドを慰め、満面の笑みを向けた。自分の身の回りに歳の近い女の子がおらず耐性の無いリカルドはヒカリの笑顔に不覚にも赤面し俯いた。


「い、いや……、別に……」


「やーん、りっくんカワイイー!」


 リカルドの様子を見てヒカリは嬉しそうにそう言ってリカルドに抱きついた。

 どうも弄ばれている気がしないでもなかったが、ヒカリから向けられた笑顔や好意、そしてこうして抱きつかれることは決して嫌ではなかった。初めて出会ったとは思えない気安さだった。

 それでも間が持たず、リカルドは誤魔化すようにロキに話題を振った。


「そ、そういえば! 仕事って言ってましたが、こんな田舎になんの仕事をしに来たんですか?」


「ん? 大したことじゃねぇよ。ただの頼まれごとだ」


 質問されたロキは素っ気なくそう答えて壁際に置かれた木箱に腰掛けた。


「あのねー、あたしたちこの近くにある、『しなろあ』ってとこに行かなきゃいけないの。なんかそこでいけないことしてるかもしれないから調べて欲しいんだって」


「え……? シナロア?」


 ヒカリの言ったシナロアという言葉にリカルドはつい反応した。この辺りでシナロアと言えばリカルドが働いているシナロアの倉庫しかない。


「おい、ヒカリちゃん。余計なことベラベラ喋んなよ。機密事項だぞ」


「別にいいじゃん。りっくん悪い子じゃないんだし」


「あの。もしかしてウチ、何かしてるんですか?」


「ウチ……?」


 リカルドが発した言葉にロキが眉を寄せて反応した。睨むとは違う、何かを探るような視線だった。


「あの……。俺、配達の仕事してるって言いましたけど、荷物はシナロアの倉庫から持ってくるんです。倉庫でも仕分けとかしてて……」


 リカルドはロキの視線に気圧されながら、まるで言い訳をするように説明を始めた。それを聞き、ロキは何かを考えるように視線を外し、そのあとリカルドに向き直った。


「シナロアで働いてるなら知ってるだろうが、ここ最近この辺りの配送業者が襲われる事件があるだろ?」


「あ、はい。知ってます。今月でもう三件起こってるんです」


 リカルドが言ってるのは、シナロアの倉庫から配送される荷物が正体不明の盗賊に襲撃され、荷物を根こそぎ強奪される事件のことだ。およそ三ヶ月ほど前に最初の事件が起こり、月ごとに被害は増える一方だった。


「倉庫の責任者も言ってました。これじゃあ首を飛ばされかねないって」


「なるほど……」


 リカルドが深刻そうに言ってもロキはとこか心ここにあらずといった様子で相槌を打つばかりだった。


「強奪されてる荷物のほとんどが首都に運ぶための武器や魔道具とかばっかりなんで、みんな犯人は『黒い逆十字』だって言ってるんです」


「へぇ……、『逆十字』ね……。どうしてそう思う?」


「え? だって武器とか使うのなんて、どうせ『黒い逆十字』とかばっかりじゃないですか。あいつら何の罪もない人たちばかり狙ってやりたい放題して」


 リカルドは隠そうともせず嫌悪感に溢れた表情を浮かべた。呟く声にも熱がこもっていく。


「十年前の『血の宣戦』だって、あんなの人間のやることじゃないですよ。たった一晩で何万人って人を殺し回るとか理解できない。そのせいで俺の父さんも……」


「りっくん、お父さんいないの?」


 リカルドの恨みの呟きにヒカリが慰めるような声で聞いてきた。


「うん……。俺の父さんさ、傭兵だったんだ。いろんなとこ回って盗賊とか魔獣とか倒してたんだ。でも、十年前の『宣戦』で滞在してた村であいつらに殺されたんだ」


 そう言いながらリカルドは拳を握り、歯ぎしりが聞こえるほど噛み締めた。


「あんまり家にいなくて、遊んでもらった記憶もほとんどないけど、国や力のない人のために戦う父さんのこと、俺、本当に尊敬してたんだ。でもあいつらのせいで……」


 もはや見ていられないほどリカルドは打ちのめされていた。しかしそんなリカルドを見てヒカリは明るく語りかける。


「じゃあじゃあ! りっくんも戦いなよ! お父さんの意思を継いで! 今なら首都の騎士団は誰でも入れるし! ううん、いっそのこと……!」


「ダメだよ。俺は戦えない」


 ヒカリの言葉を遮りリカルドは頭を振った。その表情は全てを諦めたような表情だった。


「俺さ、闘気使えないんだ。知ってる? 体の魔素(マナ)を纏って身体能力を上げる能力なんだけど、俺って魔素(マナ)のコントロールが下手で全然纏えなかったんだ。普通の魔法すら満足に使えないんだ。騎士団に入るにも、傭兵ギルドに加入するにも闘気の習得は絶対だから俺は戦うどころかスタートラインにも立てないんだ」


 力なく語るリカルドだったが、リカルドに感化され辛そうな表情をするヒカリを見て、今度はリカルドが無理矢理明るくなった。


「それにさ、父さんが死んでから母さん一人になっちゃったから。俺が近くにいてやんないと。母さん今まで俺を育てるために無茶して体を壊しちゃったからさ、今度は俺が面倒見てやんないと」


 リカルドはそう言ってヒカリを見て笑った。自分は大丈夫だと、何も気にしていないと言わんばかりに。


 しかしそんなリカルドに対して反応したのはロキの方だった。


「なるほどな。母ちゃんの為にやりたいこと我慢してせっせと働いてるってことか。立派なもんだな」


 ロキの言い方は到底リカルドを賞賛するものではなく、むしろ揶揄してるように聞こえた。


「テメェの仕事場の事件も盗賊のせい、罪の無い人間が襲われるのも『逆十字』のせい、挙げ句の果てにはテメェの現状も母ちゃんのせいか」


 ロキは言葉を区切りリカルドを見つめた。真っ直ぐに、無感情に。


「お前、人のせいにしてばっかだな」


 その言葉は揶揄ではなかった。非情なほどに無機質で、無遠慮な。

 ただの、感想。


 ロキのその言葉にリカルドの心臓はどくんと大きく跳ねた。

 言いたいことはあった。でも口にできなかった。リカルドは声にならない空気を口から漏らすことしかできなかった。


「ちょっと、ロキ坊。言い過ぎだよ」


 ヒカリだけはロキの言葉に信じられないくらい辛辣な面持ちで相対した。しかしロキは知ったことかと言わんばかりに鼻を鳴らしただけだった。そしてため息を吐きながら木箱から腰を上げた。


「怪我もなさそうならもういいな。今度からは余計なことに首突っ込むんじゃねえぞ」


 ロキはリカルドに見向きもせずその場を後にしようとした。

 ヒカリはロキとリカルドの両方を見回してから、名残惜しそうな顔をしてから立ち上がった。


「ごめんね、りっくん。またね」


 最後にはそう言ってロキの背を追いかけた。

 リカルドはそれに返すこともなく複雑な表情のまま俯いていた。


「ねえ、ロキ坊。大人気ないよ。あんなこと言って」


 ロキに追いついたヒカリは依然として非難するような声でロキに語りかけた。


「うるせえな。ムカつくんだよ。出来ること、やりてぇことから目ェ逸らして。逃げる口実ばっか作ってる奴はよ」


 ヒカリの方を見向きもせず、ロキは苛立った表情でずんずんと歩く。


「闘気が使えねぇ? コントロールが下手だぁ? んなもん理由になるか。そこからどうやって前に進むかが重要なんだろうが。あんな思考停止野郎知ったことか」


 ロキのその言葉を聞いて少し思うことがあったヒカリはロキを責めるのをやめた。それでも、ロキがリカルドに向ける感情はお門違いだとも思う。


――誰もがロキ坊みたいに強くないんだよ……?


 ヒカリは大きくため息をついて、もはや姿が見えないリカルドの方に振り返る。


「あーあ、もったいない……」


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