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希望の黎明 1 ―凡庸な少年―



 空が(あぐ)んでいる。

 鉛を溶かしたような灰色が吹き抜ける紺碧の空を塞き止めている。


 視線を下に降ろすと空と同じく濁った海が広がる。寄せては返す波は空を覆う天蓋をどうにかして掻き分けようとする手のようだった。もちろんその手が空に届くわけがない。

 どこまでも灰色の世界を見据えた少年は汗で額に張り付く明るい茶色の髪を掻き分けるように拭った。なだらかな丘陵地帯をいくつかの荷物が乗った荷台を引き少年は歩く。初夏の蒸し暑さに潮風が混ざりひどく鬱陶しく感じた。


 丘を登りきるといくつかの家が集まった村が見えてくる。それと同時に見えた人影が少年の姿を見つけ、手を挙げて呼びかけた。


「リカルド君! ご苦労さん、配達かい?」


「はい。ハンスさん丁度よかった、荷物届いてますよ」


 リカルドと呼ばれた少年は荷台に乗った一つの荷物を手に取りハンスと呼んだ男性に渡す。


「はいはい。ありがとさん……っと! 重たっ! リカルド君よくこんなのホイホイ持てるね」


「慣れてますから。宛名はクリスティーナさん……。確か娘さんですね」


「ああ、首都の銀行で働いてるんだ。こうして手紙と一緒に色々送ってくれるんだよ」


「へぇ……。優しい方なんですね」


「まあね、俺の娘にしては出来た子だ。でもほとんど帰ってきやしない。本当は手紙なんかより顔見せてくれるだけで十分なんだけどな」


 ハンスはそう言ってわざとらしくため息をついた。リカルドは相槌を打つように苦笑を漏らした。


「そういうものなんですか?」


「そうさ。その点リカルド君は孝行息子だ。親元でこうして働いてるんだからね」


 ハンスの言葉にまたしてもリカルドは笑ってごまかした。そんなふうに話していると村からちらほらと人が出てきてリカルドのもとへ集まってくる。


「よう、リカルド。配達か?」


「あらあら、リカルドちゃん。いつもご苦労さま」


「リカルドー! 丁度よかった! 倉庫の食糧運ぶの手伝ってくれー!」


 そんな風にリカルドの周りにはあっという間に人が集まった。リカルドは声をかける人それぞれに挨拶を丁寧に交わしていく。


「それにしても、相変わらずすごい量の荷物だな。よくこれだけの荷物運べるな」


 そう言った村人は荷台に積み上がった荷物を見て感嘆と呆然が混じった息を吐いた。さらにその荷物一つ一つも決して軽いものではない。


「いつものことですよ。それに鍛えてますから。でも確かに荷物の重さで荷台の車輪がバカになっちゃうのだけは困るんですよね。道端で壊れて荷物全部手で運ばなくちゃいけなくなったときは泣きそうになりました」


 リカルドはそう言って笑ったが村人は荷台に乗った荷物を全部一人で運んだということを聞き戦慄した。


「ホント、リカルド君はすごいよ。こんな大変なことまだ十五の君がやってるなんて」


「ははは……。でも俺、こんなことぐらいしかできませんから」


 リカルドは謙遜するようにそう言った。


 しかし、言葉の内容は本心だった。

 リカルドはそのくらいのことしかできないと思い込んでいる。



 世界に多大な影響力を持つ世界四大国。その中で長く壮麗な歴史をもつ騎士の国、ブリティア王国。その西端の、海に面した場所にリカルドの住む村がある。

 リカルドが働いているのは村から少し外れた場所に位置する大きな倉庫だ。そこではブリティア国内から集まった荷物や手紙を管理し周辺の地域へと集配する倉庫だ。もちろんその逆で周辺地域からの荷物を預かり様々な地域へ送るための一時保管場所でもある。そしてこの倉庫は世界に物流網を広げるシナロアカンパニーが所有している倉庫だ。


 リカルドはここで倉庫管理と周辺地域への配達する仕事についていた。しかしこの仕事はきつい肉体労働を強いる割に賃金はかなり安い。さらに大人でも音を上げる激務で人では常に不足しており一人一人にのしかかる作業量は想像を絶している。


 そんな中でもリカルドは文句を言うこともなく真面目に仕事をしてた。もともと人より筋力が高いこともあってなんとか耐えられていた。

 そもそもリカルドが住むこの地域では仕事の数が限られている。

 村の住民もそのほとんどが自家栽培の穀物や野菜を育てての自給自足、あるいはそれを出荷することによって生計を立てている。そのため村の若い者は仕事を求め人の多い都会へと出稼ぎに出る者も少なくはない。


 しかしリカルドは生まれ育った村を出ずに、シナロアの倉庫で働いている。それには避けがたい理由があった。


「ただいまー……」


 陽が傾きそろそろ夜の空気が広がるといった時間帯、リカルドは疲労の溜まった体を引きずり家に帰ってきた。その声は何故か小さくまるで寝ている人を起こさないように気を使っているようだった。


 リカルドはキッチンにある溜め置きされた水をコップに汲み一気に飲み干した。昼間の熱がこもり少し微温かった。都会の方には水道がきちんと配備され、いつでも冷たい水が飲めるそうだが、こんな田舎では贅沢すぎるなとリカルドは肩を落とした。


 リカルドがコップにもう一度水を汲んだところで部屋の扉が開く音がした。


「おかえりなさい、リカルド。お仕事お疲れ様」


「母さん。出迎えなんかいいって。無理しないで寝てなよ」


 リカルドは出迎えた母に焦った様子でそう言った。実際リカルドの母は断続的に咳をし苦しそうだった。


「大丈夫よ、今日は調子がいいから。それより夕食も用意しないでごめんね」


「だからいいって。夕食くらい自分で用意するから」


 リカルドはそう言って母親を寝室に押し込もうとする。母親は何かと抵抗するが弱々しい足腰はリカルドの力に抵抗できない。


「リカルド……。貴方は私に気を使ってる」


「使ってない」


「私の為に村を出て行かず村はずれの倉庫で働いてる」


「母さんは病気なんだ。そんな母さんを置いて行けないよ」


「でも貴方には夢がある」


「ないよ」


「うそ」


「うそじゃない。もう、俺に夢なんてない」


 リカルドには夢がない。もう、ない。

 その夢は、捨ててしまったものなのだから。



      *



 陽が昇り東の山からぎらぎらした朝日が差し込む。今日はきっと熱くなる。

 そんな朝早い時間、リカルドは村近くの山の中を走っていた。リカルドは毎日朝の早い時間、シナロアの倉庫に仕事に行く前に走っている。倉庫管理・配達は体力仕事だ。突然の怪我を防ぐためにも日々こうして体力作りに勤しんでいる。


 と、いうのが建前だ。自分に対しての、建前。言い訳とも言える。


 木々が乱雑に生い茂る中を走っているとふと開けた場所に出た。そこからリカルドの住む村。そしてその先の海が見える。日の光が反射しきらきらと煌く海が目に入りリカルドは足を止める。荒い呼吸を整えると視界の端に手頃な棒を見つけた。

 程々に長くて、程々に太い。

 子供が遊びで振り回す剣にはぴったりだった。


 リカルドはその棒を掴み、適当に振ってみた。そして近くにある大きな岩に目を移す。

 大きく息を吸い、そして吐く。棒を構えてから一気に近づく。


 相手は岩のように見えるが、実は大きな魔獣だ。岩の姿に化けていたんだ。こんな奴を放っておいたら村に行ってしまうだろう。

 リカルドは渾身の力を込めて剣を振り下ろす。そうか、日々鍛えてきたのはこのためだ。そう信じ剣を魔獣に振り下ろす。


 しかしリカルドの振り下ろした剣は魔獣の肉を断つこともなく粉々に砕け散った。

 そこでやっと、リカルドは現実に戻る。しびれる手を見るとそこには腐ったところから見事に折れた棒が握られていた。魔獣の方を見ると、いつの間にか魔獣は岩の姿になっていた。


「……はははっ」


 自分の頭の中で思い描いていた空想を、リカルドは笑った。何を考えているんだ。子供じゃあるまいし。


 リカルドは手にした棒キレを思い切り森の奥に投げた。がさがさと音を立てて剣だったものは消え失せた。


 何故かひどく虚しく、そしてそれ以上に恥ずかしくなって、リカルドは家へと帰ることにした。


 リカルドには夢があった。リカルドくらいの年の少年なら誰もが夢見る、ありふれた希望。

 貧しいながらも買ってもらえたとある冒険小説。勇者が正義の心を持って世界を混沌に貶める魔王を打ち倒す物語。もちろん、この世界に魔王なんていないことくらい理解している。それでも信頼しあえる仲間と共に、世界を、人々を脅かす驚異に立ち向かう英雄の存在を夢見た。


 リカルドは、勇者に憧れていた――。



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