ロキ 1 ―田舎の魔女―
「ほらあそこだよ! 魔女が住んでる家!」
「ねえ、やっぱやめようよ。魔女なら僕たち食べられちゃうよ」
「バッカ! 何怖気付いてんだよ! 心配すんな、魔女なんて俺が退治してやんよ!」
俺の住んでる村から少し離れたところにポツンと建った小さい家がある。
まるで人目を避けてるように建つその家には『魔女』って呼ばれる人が住むって噂だ。
でも俺からしたら、その家に住んでるのは魔女って言うにはちょっと怪しさが足りないと思うね。
この噂だって、近所の子供が面白半分で言ってるだけだ。
今話してるこの二人もそうゆう奴だろうな。
というか、俺はその魔女に用があってきたのにこの二人は何してんだ。
その魔女とやらはお前らに構ってらんねぇんだよ。
このまま放っておいて、途中から余計なことされるのも面倒臭かったから二人に近づいて調子に乗ってる奴の方の頭を叩いた。
「いっ! ……てぇな! 何すんだよ!」
「それはこっちのセリフだっつーの。お前らここで何してんだよ」
「んだよ、ロキかよ! お前魔女の仲間だろ! あっち行けよ!」
「あ、ロキ君。ねぇ、やっぱりロキ君も来たしやめようよ、エリク」
「なんだよ! お前までこいつの味方かよ、ペーター!」
やっぱこいつらだ。エリクとペーター。
エリクは村のガキ大将でしょっちゅういたずらばっかしてやがる。
ペーターはオドオドしてエリクに付いて回ってる、やめようとは口で言うけどエリクはどうせ聞きゃしない。
俺からしたらどっちもどっちのしょうもねー奴らだ。
「お前らがどう思おうが別にどーでもいいけど、俺今からその魔女の家に用があるんだから、余計なことすんじゃねーぞ」
「なんだと! やんのかロキ!」
「だからやめなって。エリク一回もロキ君に勝ったことないじゃないか」
うん、確かに。
エリクとは反りが合わないから日常的に喧嘩になるけど、一度でも負けたことはない。
ていうか一発ももらった事はない。
こいつ無駄に声と図体がでかいから周りの奴らビビって相手にしないだけでエリク自身大した奴じゃねーんだ。
エリクもそれは嫌ってほどわかってるから唸ってるだけで向かってこようとはしない。
「くそっ! 今日はこれくらいにしてやる! 覚えてろ!」
「いや忘れた。誰だお前?」
「コイツッ……!」
「もーやめようよー! じゃあねロキ君」
拳を振り上げようとしたエリクの身体をペーターは押しながら村の方に帰っていった。
このやり取り初めてでもねーのによくいちいちキレられるなあいつ……。
「くっそ、みなしごロキの癖にチョーシ乗んじゃねー!」
「ああ!? 今何つったボケェ!」
あのデブ、あんな遠くに行って安全になったからって!
調子乗ってんのはどっちだ!
エリクのセリフに切れた俺は、エリクたちに向けて手を伸ばして手のひらに力を込める。
「ボケはどっちだ」
完全に周りが見えなくなってた俺の後頭部に衝撃が走った。
知ってる、この衝撃は何度もくらったやつだ。
これは何度喰らっても慣れない。
あまりの痛みに、俺は怒りも忘れて蹲った。
「何をしとるのかね、ロキ坊?」
後ろを振り返ると思った通りの人が分厚い本を携え立ってた。
村の子供から魔女って呼ばれる人、マリア姉ちゃんだ。
「いってぇーな! 本の背表紙で殴んなって言ってるだろ、姉ちゃん!」
「言いつけも守れないバカガキには殴んないとわからんだろうが。もう一度言うぞ、何してるんだ?」
姉ちゃんはやれやれと言った風に腕を組んだ。やれやれはこっちだ。
「あいつら姉ちゃんのこと魔女だっつってちょっかいだそうとしたんだぜ? その上俺のことみなしご呼ばわりしたんだ! 言っても分かんないのはあいつらだろ!」
「だから魔法を使おうとした?」
そう、姉ちゃんの言いつけってのは姉ちゃんに教えてもらった魔法をちゃんと使えないうちは自分の意思で使うなってことだ。
せっかく魔法教育もまともに受けられないこんな田舎で魔法を教えて貰ったってのに、これじゃ使えないのと一緒じゃねぇか。
「はぁ……、ちっともわかってないね、このクソガキ」
「なんだよ! 言っとくけど、超初級の魔法くらいならもう完璧に使えんだかんな!」
「そうゆう話をしとるんじゃない!」
姉ちゃんがとんでもなくでかい声で俺を叱る。
こういうときは滅多にないけど、本気で怒ってるやつだ。
「いいかい、ロキ坊。魔法ってのは昔に比べたら随分と使いやすくなった。学校でも必修科目になるくらいだからね。でも本来魔法は前時代に、戦争で必殺兵器として使われるような危険な代物なんだ。確かに低級魔法ならそんな大事にはならんかもしれない。でもそれで味をしめて犯罪に手を染めるクズ共も大勢いるんだ。魔法に重要なのは魔力でも知識でもない。使う側の精神の強さが大事なんだ。これも教えたろう?」
覚えてるに決まってる。俺は記憶力だけはいいんだ。
姉ちゃんが言ったことも一字一句全て覚えるくらい聞いたんだ。
だからこそ俺はあのデブが調子に乗らないようにちょっとお仕置きするつもりだんたんだ。
そんな俺の気持ちを悟ったのか、姉ちゃんは腰をかがめて俺の顔を覗き込んでくる。
この姉ちゃんの見透かした感じの眼が苦手だ。
「ロキ坊、あたしのために怒ってくれたってのは嬉しいよ? だがね、それだけじゃなくって君は自分のために魔法を使おうとしたね? 懲らしめるために使おうとしたんだろうが、お前がやろうとしたことはその子以下のことだよ? 自分でクズになろうってのかい?」
そう、こうゆう言い方も苦手だ。
姉ちゃんが間違ったことを言ったことはないのもわかってるんだ。
そんな風に言われたら、謝るしかないじゃないか。
「すみませんでした……」
俺が素直に謝ると、満足したのか歯を見せて同い年の女子みたいに笑ってくる。
「よし、じゃあ今日の授業を始めるか! 全く、手の掛かる子供のお守りは大変だよ」
「ガキ扱いすんな!」
姉ちゃんの思い通りになるのは腹が立つからなんとか対抗したくてそう言ったけど、
姉ちゃんは悪戯っ子みたいな笑顔で振り向いた。
「そんなセリフ使ってるうちはまだまだガキだよ、ロキ坊」
姉ちゃんはズルい。
魔法が使えることも、美人なところも、でも笑顔は子供っぽいところも、年上だからって俺をガキ扱いするのも。
全部ズルい。
*
俺が姉ちゃんに初めて会ったのはちょうど一年くらい前だ。
その頃から、村の外れに若い魔法使いが住んでるって噂が流れていた。
途端に俺くらいの年の奴は魔女が住み着いたって面白半分に騒いでた気がする。
俺は最初っから魔女とかどうでもよかったけど、魔法ってのには興味があった。
今の時代は魔法の勉強は必修科目になってるって言うけど、この村は田舎すぎて学校なんてものは無い。
だから俺が住んでる教会で神父様と修道女様が交代で勉強を教えてくれてるんだけど、その二人共魔法の知識がからっきしだから、結局魔法なんてちっとも学んでない。
他の子供は魔法なんて別に知っても知らなくてもいいって感じだから、むしろ魔法に興味がある俺が浮いてる感じだ。
だから、近所に魔法が使える人がいるって知ったときは、これだと思った。
なんとか魔法のことを勉強できないかとその魔女が住んでる家まで来たんだけど、その時は家の中には誰もいなくて扉も鍵が掛かってないから、俺はコッソリ忍び込んだ。
家の中はなんていうか本だらけだった。
雑に並べてある机には変な形のガラス瓶が並んでてその中にピンク色のモヤモヤしたものとか、緑色の水とかキモイものがいっぱいあった。
――なんか、想像してたのと違うな……。
見たことかないけど、魔法使いって派手なイメージだったからこんな本だらけな陰気な部屋とは思わなかった。
何か冒険小説で読んだように山に篭ったり、古代の洞窟に行って大昔の大魔法を習得するみたいなイメージだったからなぁ……。
「てゆうか、魔法使いって本読むんだな」
「当たり前だよ、魔法ってのは、知識と理論を理解していないと使えない高等技術なんだからさ」
「うぉわあああ!」
誰もいないと思ってたのに後ろから急に声をかけられた。
あんまりにも不意を疲れたせいで変な声出しちゃったじゃないか!
「一体誰だい、人様の家に勝手に入り込んで? ……まぁ、田舎だからって戸締りをしなかったあたしが言えたことじゃないか」
振り返ると適当に束ねた真っ白な頭をポリポリ掻きながらため息をついてる女の人がいた。
この人がどこからか来た魔法使いのマリアだった。
「か、勝手に入ってゴメン! 俺、魔法のこと知りたくてつい!」
「ん? ああ、そんなことだと思ったよ。ハッハッハ、こんな田舎じゃ魔法も珍しいだろう」
思った以上にノリが軽い人だ。
だったらお願いしたら魔法のことを教えてくれそうだ。
「そうなんだ! こんなとこじゃまともに魔法なんて学べないからさ、俺に魔法を教えてくれよ、オバサン!」
「だれが行き遅れの年増オバサンじゃあ!!! こぉんのクソガキがあああああ!!!!!」
俺はこの日に“失言”という言葉の意味を身をもって学んだ。
それから、毎日のように姉ちゃんの家に通って、
平謝りと魔法の授業のお願いをし続けて、姉ちゃんの機嫌が治って魔法の勉強を見てもらえるようになるまで半年位掛かった。
女の人にオバサンっていうのは、もうやめよう……。