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どんづまりの街 32 ―妖精少女と―



 久しぶりに自分の家であるアパートに戻ってきたホァンは診察室の椅子に腰掛けタバコに火をつけた。

 煙を深呼吸するように吸い、ため息のように吐いた。


 ホァンは今までブロンズの頼みで怪我を負った住民たちの治療に当たっていた。もちろんそんな面倒なことは御免だと最初は突っぱねたのだが、古くからの知り合いでありこの診療所に質の良い薬を多く仕入れてもらったことを引き合いに出され、渋々と頼みを聞くことにした。


 そして何よりも、ホァンはエルナの近くにいたくなかった。


 もはや数日前のことになってしまったが、ホーキンスによるスモッドの騒動の中でエルナが勝手な行動をとり、軽いながらも怪我をして戻ってきてからホァンの心情は穏やかではなかった。


 無意識のうちに体を動かし、息を乱して走り回り、見つけた途端に普段出しもしない大声を出した。

 それが自分が起こした行動とはまるで思えない。


 ホァンは自嘲げに笑った。


 ――疲れた……。


 ここまで働いたのは何年ぶりだろうか。何十人という人間、亜人の怪我を看て回った。まるで若い頃の自分のようだった。


 もう治療などしたくない。しかしこれ以外の生き方がわからない。

 そうして逃げて逃げて、行き着いた先がこの街だった。

 自分は他の住人のように、泥が腐っていくように死んでいくものだとばかり思っていた。


 皮肉な話だ。逃げてばかりで、そして別の問題に逃げたら元の道に戻っていたなどと。


 そんなことを考えていると診察室の扉が前触れもなく開いた。

 相変わらずノックの一つもせずにその男が現れた。


「毎度。戻ってたのか、お疲れさん」

「黙れ」

「開口一番それかよ……」


 診察室にずかずかとは言ってきたのはロキだった。あいかわらずのふてぶてしさでそう言うロキにたっぷりの怨念を詰め込みホァンは毒づいた。


「貴様のおかげで余計な労働をさせられた。寿命が十年は縮んだ」

「んだよ、医者が怪我人の世話すんのは当たり前だろ。金だってしっかり払われたろ?」

「ブロンズにな。貴様から寄越されたのは迷惑だけだ、このろくでなしが」

「悪態が止まんねぇな……」


 そう、この男が現れてからロキなことが起こらない。


 初めて出会った時から偉そうに説教を垂れ、名前も知らない娼婦崩れの女を治療し、挙げ句の果てには押し付けられ。

 たまったものではない。


「そうは言っても、ここに戻ってきたってことはもう先生のやることは終わったんだろ?」

「……ああ。そもそも命に関わる怪我をしとる奴はおらんかったからな。それにやっとこさ評議会の連中が来たんだ。ここぞとばかりに押し付けてきた」


 ホァンはそう言うが、実際は起き上がることもできないほどの重傷者は多く出ていたのだが、ブロンズが呼んだ大陸評議会の監査官が医療チームと共にこの街にやってきたため、晴れてホァンはお役御免となった。


 評議会の人間は流石というべきか、シルヴィアから街の現状を聞いてからてきぱきと復興作業を代行していった。

 さらに監査官は様々な物資、食糧を始め衣服、医療品といったものを持ってきたため住民たちも満足していた。


 こんなことができるならさっさと来てくれれば楽だったのだがという言葉は、疲れのせいかホァンは口に出さなかった。


「そいつぁいいや。今まで散々この街をほったらかしてきたんだ。そんくらいやらしてもバチ当たんねぇよ」


 しかしロキは気にすることもなく堂々とそれを口にした。

 この神経の図太さはある意味賞賛すらしたくなる。


「で、よ。ホーキンスの野郎も消えて。俺がこの街にいる意味もなくなった。そろそろ俺は元の道に戻らせてもらうぜ」

「ということはこの街を去るのか?」

「ああ。先生には今まで世話になったからな。一度きちっと礼を言っとこうと思ってな。いろいろとありがとな。先生がいてくれてマジで助かったぜ」

「礼はいいから金を寄越せ。これまでの薬代、治療費、迷惑料。ここできっちり清算してもらう」

「こぉんの野郎……。ここは涙流す場面だろうがよ」

「ふざけるな。泣いたら金になるのか?だったらいくらでも滂沱の如く涙を流してやる」

「あんたにゃ人の血が流れてねぇのか……」


 そういうロキだったがしっかりと用意していたのかまとまった紙幣を取り出し乱暴にホァンに投げよこした。


「ところで、お前。エルナはどうするつもりだ」

「っとそうだ。そのことも言っとかねぇとな」


 ホァンの言葉でロキは本来の目的を話した。

 自分がシルヴィアについていくこと、そしてエルナもロキに追随するように仲間になったこと。

 それについては一度、ロキの口からエルナの面倒を見るのはやめると言ったことも話した。


「……なるほどな」

「ああ。あいつが決めたことなら俺はそれを尊重させてやりてぇと思ってな。先生から言わせたら何の問題解決になってねぇって言われそうだけどな……。結局俺に依存してることには変わりねぇってよ」

「……お前は何を言っている? 依存することの何が悪い」

「……あ?」


 まるで想像していなかった言葉にロキは理解できずに間の抜けた声を出してしまった。


「例えばこいつだ。俺はタバコを吸う。おそらく俺は一生こいつをやめることはできん」

「いや。そんなこと堂々と言われてもよ……」

「まあ確かにこいつは吸い過ぎは毒かもしれが、どんな人間も何かしらに依存しながら生きている。何にも縋らずに立てる奴などおらん。要は加減だ。やりすぎは良くない。俺は今まで依存そのものをやめさせるように言ったことがあるか?」

「ねぇ、な。そういやねぇや」

「そうだろう。薬から人に成り代わったんなら大分健全だ。俺はそれについては何も言うことはない。むしろ厄介者が減るんだ。勝手に連れていけ」


 言いたいだけ言ってホァンはロキに背を向けて診察机に向いた。

 そしてロキは何がおかしいのか愉快に息を漏らすように笑っていた。


「厄介者は言いすぎだろ? 聞いたぜ、先生あんたエルナがいなくなった時そこら辺駆けずり回ったんだろ? そんなことしといて説得力ねぇぜ?」

「こっちの都合も考えんと歩き回られても迷惑だっただけだ。後でお前にとやかく言われると考えたら気が狂いそうになってな」


 どこまでも口の減らないホァンの態度に笑いながらもロキはどこか面白くなかった。

 ホァンは出会った時からこうで、知り合って二年近くが経ったがホァンの心を揺さぶらせたことはついぞなかった。


 だからこそ、エルナの件は本当に驚いた。まさか自ら走り回って探すとはと。

 そう考えているとロキの後ろからノックが聞こえた。


「すみません。ホァン先生いますか?」


 ロキとは違って丁寧に扉の向こうから声が聞こえた。


「入れよ。先生なら居るぜ」


 応えようとしなかったホァンに代わりロキが返事をした。そうして扉があき入ってきたのはエルナだった。


「なんであんたが応えんのよ」

「しょうがねぇだろ、先生なんも言わねぇんだから」


 ロキとエルナはそう言い合っていてもホァンはそちらに見向きもしようとしなかった。


「あの、先生。実は私、ロキと一緒にシルヴィアさん達についていくことにしました」

「ロキに聞いた。好きにしろ」


 エルナの言葉に食い気味に言うともう言うことはないとでも言うように言葉を切った。


「……その、先生には本当にお世話になりました。仕事のこともそうですし。医学も教わったり。いきなり転がり込んできたのに本当に良くしてもらって……」

「全くだ。一人で悠々と暮らしていたところに貴様らのおかげで余計な心労が耐えなかった」


 強い語調に傷ついたようにエルナは顔を落としたが、ホァンは関係なしに話を続けた。


「挙句要りもしない雑用までするようになって、使えるようになった途端どこかに行くという。迷惑この上ない。出来る助手が急にいなくなる俺の苦労も考えろ」


 とても褒め言葉とは思えない言い方だったが、それはエルナもロキさえも聞いたことがないホァンが他人を認めた言葉だった。

 文句に混ぜてしか言えないホァンに嬉しさよりも可笑しさしか込み上げてこず、エルナは困ったように笑った。


「今まで本当にありがとうございました。先生への御恩は絶対に忘れません」


 エルナはそう言って丁寧に頭を下げたが、とうとうホァンは何も言わなくなった。


 早く出て行けということなのだろう。

 終始そんな様子のホァンのことが心底面白くなかったロキは不機嫌な表情だったが、突如にやりと笑い何がよからぬ事を思いついたようだった。

 その妙案をエルナにこっそりと耳打ちして伝えてみせた。


「ええっ!? 嫌よ、絶対怒られるじゃない!」


 ロキの提案に小さな声で抵抗したがロキはいいからやれと唇だけで伝えた。

 エルナは頭に手を当てて呆れたと呟いたが、その表情は少し楽しそうだった。


「じゃあな先生。お互い生きてたらまた会おうぜ」

「そうだな。できればもう二度と貴様の顔は見たくないが」


 最後まで憎まれ口で挨拶を交わしてロキは診察室を出た。

 しかしエルナだけは動こうとも、何かを言おうともせずその場に佇んだ。

 そして意を決して大きく息を吸い込み、ホァンに心からの感謝とほんの少しだけ悪戯心を込めて言葉を放った。


「いってきます。お父さん」


 朗らかに、優しく奏でられた言葉がホァンの耳に届いた瞬間、凄まじい形相でホァンは椅子から立ち上がり体ごと振り返った。

 既にそこには誰もおらず、開け放たれた扉の奥から二人が足早に去っていく音が聞こえた。


「二度と戻ってくるな!!!!!」


 凄まじい怒号が後ろから響き、それを聞いたロキは階段を駆け下りながら本当に面白そうに笑った。


「ハッハッハッハッハ! やったぜ! 先生に一泡吹かせてやった! ザマーミロ!」

「もう~! 何言わせてんのよ! すっごい恥ずかしかったんだからっ!」


 必死にロキの後ろについて走るエルナは、そう言いながらも笑っていた。

 少し申し訳なさそうで、少ししてやったりと言いたげな、そんな感情が混ざった笑顔だった。


 そして一人取り残されたホァンは、力なく椅子に座りがっくりと項垂れた。

 最後の最後にやられてしまった。

 そう思い、鈍い痛みのする頭を押さえた。


 腹立たしい。何が腹立たしいというと。少しだけ。本当に少しだけ悪い気がしないでもないと思っている自分自身が腹立たしかった。


 もうすでに声が届かない少女に何か言おうかと思ったが、やめた。

 余計なものまで出てきそうだったから。



       *



 ロキたちがホァンの診療所をあとにしてすぐスモッドの街の端でシルヴィアたちと街の住民たちが集まっていた。


 シルヴィアは評議会の監査官に引継ぎを済ませたあと直ぐに荷物をまとめ街を出発することにした。

 街の復興作業はすでにほとんどが終了しており、後は住民たちの身体と心のケア位だったためそれくらいならもういいだろうと後を任せることにした。


 本来ならここまで急ぐ必要はなかったのだが、住民たちのシルヴィアに向ける羨望の眼差しに疲れ、出来れば一刻も早く去りたかった。


 そして何より、ギルバートが街中の女性を軒並み虜にしてしまい、最近では娼婦の女がギルバートに積極的にアプローチするのを目の当たりにしてもうこれ以上とどまることはできないと判断しこんなにも急な出発になった。


「何もよお、監査官が来たその日に出発するこたぁねぇだろ、お嬢?」

「いいんですぅ! 早くブリティアと連絡をつけたかったんですぅ! ここじゃ電話もないからずっと連絡できなくて心苦しかったんですぅ!」


 復興作業の疲れが癒えていないギムレットが肩を回しながらそうぼやいたが、シルヴィアは頬を膨らませ拗ねた口ぶりでそう言った。


 シルヴィアのいじりやすさが気に入ったギムレットだったが、流石に組織のボスがここまで子供っぽいのはどうだろうかと内心不安だった。


「ところでロキ。本当にホァンさんに挨拶に行かなくてよかったの? いろいろとご迷惑をおかけしたから謝礼とかお渡ししたかったんだけど……」

「ああ、いいんだいいんだ。てかやめとけ。いま先生めっちゃ不機嫌だと思うからよ」


 そう言うロキは何故か満足げに笑っていた。


 確かにホァンはここ数日の間でかなり働いてもらっていた。

 睡眠を削って怪我人を見てもらっていたから流石に休ませたほうがいいのだろうかと無理矢理思い、ロキの言葉に従うことにした。


「では、皆さん。私たちはこれで。まだまだ復興に時間はかかると思いますが、どうか心を強く持ってください」

「はい! もちろんです!」

「シルヴィア様のおかげで立ち向かう勇気が出ました!」

「本当にありがとうございました、シルヴィア様!」


 住民たちの力強い声を聞き、シルヴィアは満足そうに頷いて踵を返した。


「それでは! 頑張ってください!」


 そう言って歩き出したシルヴィアたちに住民たちは万歳三唱をして送り出した。


 シルヴィアが早めに街をあとにすることにしたのは住民たちのこの扱われ方も原因だった。

 確かに命の危機を救ったから英雄視されるのもわかるが、ここまでもてはやされるとはシルヴィアは思わなかった


 しかしそれを知らないのはシルヴィア本人だけだった。

 実はシルヴィアは復興作業とギルバートの監視に躍起になっていたため気がつかなかったが、シルヴィアの存在は特に街の男性らから崇拝対象のように扱われていたのだ。


 強く気高く暴徒に立ち向かい、自分たちを奮い立たせた銀髪の女性はいざ面と向かってみてみれば、顔立ちはまるで硝子のように繊細で、刃のように鋭く、それでいてふとした時に見せる笑顔は百合の花のように可憐だった。

 そして忙しなく動くとそれに合わせ豊満な胸が上下に揺れる様は誰もが目を追った。


 皮肉なことに当の本人たちには預かり知らぬところで、ギルバートは女性を、シルヴィアは男性を徹底的に骨抜きにしていたのだった。


 そんなことを露程も知らないシルヴィアは面白半分に持て囃されているのだと思い気苦労が耐えなかった。

 だから住民たちには申し訳ないが、シルヴィアは出発できるこの日が待ち遠しかった。


「いっよおーっし! ここからしーちゃんの覇道がはじまるのであったー! 俺たちの戦いはこれからだっ!」

「ヒカリちゃん、私たちは人助けをするのよ?」


 訳のわからない言葉を意気揚々と叫ぶヒカリに呆れるような口ぶりでシルヴィアが追いかけるように続く。


「ようやくブリティアに帰れるぜー! まさか一ヶ月も離れることになるとは思わなかたな」

「そういや、俺ブリティアいくの初めてだな……。ってかギル、お前十年ぶりの故郷じゃねぇか」

「いや、実はシルヴィア達に出会った時はもうブリティアだから十年ぶりじゃないんだ」

「お前はマジで空気読まねぇな! そこはいかにも女好きしそうな顔して『ああ、楽しみだ……』とかスカして言っときゃいいんだよ!」

「ロキ……、お前そういうことばっか言ってるからモテねェんだぞ?」


 そしてシルヴィアのあとを男性陣が賑やかに話しながら続き、最後尾にエルナが所在無さげについて来ていた。


 そして一行は街の外へ向かう。

 この街には明確な境界はないが、道の途中から突然石畳から唯の土の道になるためそこが境界のようになっていた。


 エルナはそこでふと足を止めた。

 今まで生まれてから一度もこの線を越えたことがないエルナはつい躊躇って立ち止まってしまった。


 ついて来ないエルナに対し先を行く面々は振り返ってエルナを待った。


 誰も何も言わなかった。

 誰もがエルナの勇気を待っていた。


 エルナもそれをわかっていたが、それでも怖かった。

 今まで囚われ続けてきた街の呪縛。

 ぼんやりと引かれた境界線。


 ここを超えていいのか。超えられるのか。

 エルナはそんなことを自分に問いかけていた。


 すると、垂れ下げた腕の先。少し震えていた手に自分よりもっと小さい手が握られていた。

 視線を移すとそこには、いつもの笑顔でヒカリがエルナを見ていた。


「行こ? えるえる!」

「……うん!」


 つられるように笑って答えると、もう恐怖はなかった。

 エルナは自分から足を踏み出した。


 ――ああ……、なんだ。こんなに簡単だったんだ……。


 二歩目は一歩目よりも簡単に踏み出せた。

 足が軽い。二人はどんどん駆け足になっていた。


 妖精の名を与えられた少女は、妖精のような女の子と手をつなぎ軽やかに歩みだした。

 スキップをするように歩む二人には、まるで羽が生えているようだった。


 もう、大丈夫だ。先を行くロキたちは皆そう思い行く道に向き直る。

 ロキは、肩の荷が降りたような笑顔を少女達に向けた。



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