どんづまりの街 28 ―二つの狂気―
爆発の残響と焼け焦げた臭いが充満する倉庫の中に光が灯った。
ロキが配電盤を操作して照明をつけたからだ。
倉庫の中を初めて肉眼で確認しながらロキは自分の実験結果を目の当たりにした。
周囲の荷物を吹き飛ばし、爆心地とすら呼べるそこには人の形をしたモノがあった。
全身が焼け爛れ、裂傷により血だるまになった男が横たわっていた。
虫の息となった男をロキは観察するように見た。
「……失敗だ」
そうロキは忌々しそうに舌打ちしながらそう言った。
「最後の方は音だけでほとんど不発だったな。やっぱ循環させても同じ魔法陣使うのは無理があったか……。いや、そもそも空気中の魔素濃度が一定だとは限らねぇんだよな……。だとしたら……」
実験結果の分析をするようにブツブツとロキは独り言を呟く。すると微かにうめき声が聞こえる。爆心地にいる男が僅かな力を振り絞り、もぞもぞと体を動かしていた。
「く……そ、がぁ……。こんな、モンで……」
あれ程の連続爆発を受けながらも未だ意識を保っている事に流石のロキも驚愕した。
「マジかよ……。くたばりゃしねぇとは思ってたが、呆れるくらいタフだな」
口にしたように呆れた風なため息を吐きながらロキは男に歩み寄る。
「とはいえ、もう指一本動かせやしねぇだろ? そんだけの怪我だ、意識保ってるのが精一杯……。つか、気絶してたほうがまだ楽だったろうにな」
「き……きさ、ま」
ロキの言うとおり、もはや意識を保つことでさえ地獄のような苦しみを伴っているはずの男は、それすらも厭わずロキに怒りの眼差しと言葉を向ける。
「舐めやがって……。こんな、やり方で……勝ったと、思うなよ。マトモに戦えば……貴様なんぞ、蟻を吹き潰すのと……かわらねぇん、だぞ……」
今となってはただの負け犬の遠吠えだが男は構わす口に出す。
散々弄ばれ、嘲笑うようにトドメを刺したロキに尋常ではないほどの怨嗟を込めて。
息も絶え絶えとなって喋り続ける男に対しロキは――。
「はあ?」
心から侮蔑するような声と表情でそう言い捨てる。
「何バカなこと言ってんだ。命掛けてんだ、どんな手使ってでも勝つのが当たり前だろ。マトモに戦うとかほざいてる時点でテメェはもう負けてんだよ」
言われずとも男もわかっている。所詮は生き残った者が勝者なのだから。自分が言っていることがお門違いだということは重々承知だ。
しかしそれでも許せなかった。自分を見下し、打ち負かしたロキのことを。
「そもそも。戦いだとか勝負ってのはお互いの実力が均衡してる奴同士がやるもんだろ?」
男の胸中のことなど知る由もないロキは振り返ってそう言った。自分の懐をまさぐりながら大股で男から離れていく。
歩き去りながらロキは男に向かって一枚の札を投げ捨てた。
ひらひらと舞いながらそれは男のもとへと舞い散る。
「テメェなんざ、俺と戦えるだけの価値もねぇよ」
その言葉とともに、紙切れが発行し『炸裂』とは比べ物にならないほどの爆発が起きた。
ロキはもう男を見ることはなかった。
*
シナロアの最上階の一角、他の部屋とは違い家具や装飾、何気なく置かれた雑貨一つとってもスモッドには似合わない格調高い部屋がある。
そここそがシナロアカンパニーの幹部でありスモッドを実質的に統治しているアルベルト・ホーキンスの書斎であり仕事部屋だった。
ホーキンスは大きく、それでいて細かい意匠が刻まれた椅子に腰掛けていた。
先程まで聞こえていた喧騒は既に聞こえなくなっていた。そのことはホーキンスにとっては喜ばしいことだった。
煩いのは良くない。
それよりもすぐ真下から聞こえた数え切れない拍手のような音が気になった。
――そろそろかな……。
ホーキンスはそう思いながら一枚の写真を眺めていた。その表情は随分と懐かしそうに、そして名残惜しそうな感情が汲み取られた。
しばらく眺めた後、その写真を事務机に仕舞った。まるで子供がどこにでもある玩具を宝物のように箱にしまうような丁寧な扱いだった。
それと同時に部屋の扉が開いた。扉を開いた主はゆっくりと部屋へと入る。
いつもはノックくらいしてくれたじゃないか。そう思いながらホーキンスは悲しそうに笑った。
「僕はね、自分のやってきた仕事に後悔や後ろめたさは何一つない。そういう風に教わったし、実際それで失敗したこともない。でもね……チェス友達がいなくなることだけは、本当に残念なんだよ、ロキ」
「よく言うぜ。この部屋でチェスしてた間、俺のこと殺したくて仕方なかったんだろ、ホーキンス?」
薄暗い電灯に照らされたロキはホーキンスに対して怒りや憎しみを向ける表情とは思えなかった。
まるで己の業により地獄へ堕ちた者を見るように、醜悪なほどに、嗤っていた。
「チェックメイトだ、クソ野郎」
ロキの言葉を受けホーキンスはまるで一休みでもするように息を吐いた。
ゆっくりと椅子から腰を上げ、ロキと向かい合えるところまで歩み寄った。
「やれやれ……。ジャックの奴まんまとやられちゃって、何のための見張りなんだか。ジェイコブの方も間に合わなかったみたいだし。いや……? 君のことだから向こうの方にも何かしらの対処はしていたのかな? ああ、ところで気付いていたみたいだけど僕の横にいつもいたあの男、双子なんだよね。下で見張りをしてたのが兄のジャックね。たまに弟のジェイコブと入れ替わり立ち代りで裏でいろいろやってもらってたんだよ」
ホーキンスはいつものように聞いてもいないことを楽しそうに語りだした。
これだ。この人の都合や心情などまるで無視するようなホーキンスのこれがロキは心の底から嫌いだった。
「……なあ。いつも言ってるが、こちとら世間話しに来たんじゃねぇんだよ」
「相変わらずつれないな。いいじゃないか、どうせこれが最後になるんだから」
「そうだな。テメェの悪巧みもこれで終わりだ。後は国の警察。いや、いっそのこと評議会にでも突き出してやろうか?」
ロキの言葉にホーキンスはまるで役者のように大笑いした。
「バカなこと言うなよ。亜人ごときが死んだくらいで評議会が動くもんか。いや、それよりせっかく亜人をいっぺんに間引きしようとしたんだ。むしろ感謝状でもくれるんじゃないかな?」
愉快な声色でそう言うホーキンスに流石にロキは嫌悪感を隠せなくなった。
刺し殺すような視線に気がつき、ホーキンスは今度はうんざりしたように息を吐いた。
「何だよ、そんな顔すんなって。別に間違っちゃいないだろ? 評議会が掲げてる大陸法だって亜人を擁護するようなこと書いてないんだぜ? つまり評議会は亜人のことなんて知っちゃこっちゃないんだよ」
「ホンットに筋金入りだなぁ……。テメェのその“亜人嫌い”」
ロキのその言葉を最後に、ホーキンスが常に携えていた余裕のある笑みが消えた。
「それが何? 君、まるでここぞとばかりに、それはもう自慢げに言ってるけど、僕隠してたつもり一切ないよ?」
「だよなぁ、テメェの言動あからさまなんだよ。亜人を見る目、まるで道端のクソ見てるみてぇだもんな」
そう、ロキの言うとおりホーキンスの心情はわかり易すぎた。
ホーキンスがジュリィを撃ち殺した時もそう。とても同じ人間を殺したとは思えない扱いと感情をジュリィに向けていた。
ロキは知りもしないが、ボボを殺害した際に送った「次は人間になれたらいいね」という言葉が全てを物語っていた。
ホーキンスは、この世の何よりも亜人種を嫌っていた。
「ついには街ごと亜人を皆殺しにしようってんだから徹底してるぜ。『黒い逆十字』使ってまでよぉ」
「ああ……、気付いてたんだ。彼らが『逆十字』だってこと」
ロキはほとんど鎌かけのつもりで言ったことだったが、当のホーキンスはあっさりとそれを肯定した。
ロキがそう思ったの理由は暴徒たちがこの街に入りだしてから今日の事態に陥るまでの速さからだった。
スモッドにならず者が溜まりだしたのがほんの数日前からだった。それが今では何十人の暴徒たちがこの街を脅かしている。
あまりにも状況が早すぎる。
しかしこんなことが昔にも起こった。
十年前になんの前触れもなく、世界中を恐怖のどん底に突き落とした最悪の事件が。
ロキがこの十年間、自分なりに『血の宣戦』について調べて真に驚異に感じたことが膨大な人数を完璧と言えるほどにまとめあげる組織力と統括力。そしてこれほどまでに大きな事件を起こしているにも関わらずその存在を未だ明るみにさせない機密性だった。
集団というものは大きくなれば大きくなるほど扱いづらくなる。しかし十年を費やしても『黒い逆十字』の存在を四大国、大陸評議会までも一切暴くことはできていないのだ。
そして今回の騒動もこれだけの人員が投入されているにも関わらず、ロキですら事が起こるまで察知できなかった。
これほどの手際の良さを見て、ホーキンスの手腕を抜きにしても『黒い逆十字』の介入であることは明白だった。
そもそも、今の時代でならず者が大勢徒党を組んでいる時点で『黒い逆十字』に少なからず関係があると思ってもいいくらいなのだ。
ロキがその答えを導き出すのに時間はいらなかった。
「とうとう性根の先までクソ野郎に成り下がったな。よりによって『逆十字』に手ェ出すなんてよ」
「『逆十字』を使うことで何でそこまで言われるのかわからないけど、一つ訂正がある。僕は『逆十字』を利用してるわけじゃない」
「どういうことだ? 利用じゃなきゃなんだんだよ」
「僕は、僕の意思は……、『黒い逆十字』そのものだ」
その言葉の意味がわからないほどロキは察しが悪くはなかった。
つまりホーキンスは、自分の利益や自己満足のために利用してるのではなく。『黒い逆十字』が掲げる世界の転覆を望む者だということだった。
「テメェ……、どういうつもりだ!?」
「そもそも、『黒い逆十字』って何のために在るかわかる?」
突拍子もない質問にロキは眉を寄せた。しかしホーキンスはロキの答えを待たず話を続けた。
「世界中の人間は『黒い逆十字』は面白半分に世界を壊そうと思ってるらしいけど、本来の意思ではない。『黒い逆十字』の意思は、“世界をあるべき姿に正すことだ”」
想像だにしない言葉が飛び出し、ついにロキは言葉を失った。
「そこら辺の下っ端連中はただ暴れたいだけだけど、『逆十字』の上の人たちは皆そう思ってるよ。だから僕らは正すんだ。神様が建てた十字架を逆さにして訴えてるんだ。この世界は間違ってるって」
「……そうか、そういうことか。やっとわかったぜ」
ホーキンスの言葉でロキは理解した。それホーキンスに突きつけるように言った。
「テメェ、狂ってんだな」
「何言ってんの? 狂ってるのはこの世界でしょ」
ロキの言葉に対抗してホーキンスは、自分は間違っていないと言うように返した。
「考えてご覧よ。今までの歴史の中で亜人共のせいで生じた歪みの数を。人間はどれだけ言い繕うが亜人共のことが嫌いなんだよ」
「テメェもその口ってことか……?」
「そりゃそうでしょ。だって……」
言葉を切って、ホーキンスは真正面からロキに相対し――。
「だって亜人共気持ち悪いじゃん」
まるで当たり前のように。空が青いこと、雲が白いこと、木々が青く生い茂ることを言うようにホーキンスはそう言った。
「あいつら見てごらんよ。肌とか髪が変な色してるし、耳がとんがってたり、変なとこから生えてたり。挙げ句の果てには大人になってもガキみたいな背格好だったりするし。角が生えてたり、羽が生えてたり? 挙げ句の果てには人の血を飲まないと生きられないような連中までいるんだよ? ははは……、ただの化物じゃないか」
ホーキンスの言い方はこれまでとは違った。こちらに訴えかけるように、同意を得るような、すがりつくような語り方だった。
「そのくせあいつら、まるで人間みたい過ごしてるんだぜ? 化物のクセに、僕らと同じ言葉を使って会話するんだぜ? 同じように食事して、同じように仕事して、同じようにベッドに眠るんだぜ? 気持ち悪くて仕方がない。正直ね、僕この街が大嫌いなんだ。僕らと同じように生きてる化物と同じ空気吸ってるだけで気が狂いそうになるんだよ。化物のクセに、化物のクセに、化物のクセに」
化物のクセに。ホーキンスはその言葉をうわごとのように繰り返す。
「君はどうなのさ、ロキ? 君はあいつらのこと同じ人間だと思えるの? 心の底からなんの垣根もなく対等だと思える?」
つらつらと言葉を続けるホーキンスはロキにそう問いかけ、言葉とともに人差し指を突きつけた。
「もしそうだとしたら君、異常だよ?」
断言するようにホーキンスは言った。
しかし、ホーキンスの言い分が完全に間違いだとは言えるだろうか。
極論だが、ホーキンスの言葉は言うなれば人類の代弁でもある。
事実これまでの長い歴史、数多く行われてきた人種間の戦争や差別の根底にはそういった感情があったのだ。
いつしかギルバートも言っていた。人は自分と違うというだけで驚くほど恐怖を覚える。しかしそれに立ち向かうのは非常に困難だ。
受け入れることはもっと難しい。
だったら排除してしまったほうがいい。驚異を排除することは何も間違ってはいない。本能なのだから。
ホーキンスは自身の本音を、現実をロキに突きつけた。
挑発するようなホーキンスにロキは口を開いた。
「知らねぇよ。知ったこっちゃねぇんだよ、テメェの能書きなんざ」
戦慄するほど感情のない顔でロキはそうホーキンスに言った。
「お前よぉ、俺が何でここまでキレてっかわかるか? お前、俺のダチに手ェ出したよな? 俺の目の前で俺のダチ殺して、俺のダチを顔もわからねぇ有様にしてくれたよなぁ?」
ロキは忘れることができない。
しかしそのことをロキは疎ましく思ったことはなかった。
それよりも、記憶にはへばりついているくせに自分の手元から無くなることの方が嫌だった。
「ついにはこの街消そうとしたよな? 俺の部屋も、俺にうまいコーヒー入れるマスターも、俺に仕事押し付ける目つきの悪ぃ医者も、俺が必死こいて立ち直らせた女も。ざけんな。全部、全部、全部俺のモンだ!」
かつて自分の未熟さゆえに失うことになった大切な人のことが、何よりもロキにとって大きな後悔と傷を残した。
もう失ってたまるか。
その思いだけでロキは今まで生きてきた。
魔法の知識もそれに伴う人間関係も失ったものを取り返すために貪欲に集めたものだ。しかし集めれば集めるほど、それすらもロキにはかけがえのないものになった。
「いいか、ホーキンス。俺はお前にこの一言だけ言いたくて来たんだ」
人も物も、知識も経験も、全てを自分のものと言わんばかりに集める蒐集欲。そしてそれをどんなことがあろうとも手放そうとせず誰にも渡そうとしない独占欲。
「俺のモンに手ェ出すな……!」
狂気とすら言える底なしの強欲。それこそがロキの全てだった。
ロキのその言葉を受け、ホーキンスはとても悲しそうな顔をした。
心から信頼していた友人に裏切られたような、あるいは信頼できると思った人からにべもなく拒絶されたような、そんな寂しそうな顔をしていた。
「……残念だ。僕らは、分かり合うことができないみたいだ」
「最初っからそんなつもり俺には無ぇよ」
「そう、悲しいな。じゃあもう終わりにしよう。これ以上話しても益はなさそうだし」
「テメェいい加減にしろよ? この状況で逃げられると思ってんのか?」
「ロキの言うとおりだな」
ロキが低い威圧的な声を出した後にロキの背後からそう誰かが語りかけてきた。
咄嗟にロキが振り返ると入口の扉にドンが寄りかかっていた。
「爺さん……? なんであんたがこんなとこにいるんだよ?」
「なぁに、最後に責任を取りに来たのさ」
ロキの質問に答えながらドンは部屋の中に入ってきた。
「しばらくぶりだな、アルベルト。元気そうでなによりだ」
まるで友人のように挨拶をしてドンはホーキンスの名を口にした。
その言葉に何も返さないホーキンスにドンはわざとらしくため息を吐いた。
「おいおい、数年会わんだけで声まで忘れたのか? なら、これでどうだ?」
ドンはそう言って目深にかぶっていた帽子を外した。
「本来なら幻を見せる魔法とか使うんだろうが、あいにく儂は魔法はからっきしだからな。それにお前もロキも感が鋭いから下手に魔法を使うと怪しまれかねん」
喋りながらドンは帽子を床に捨て、鬱蒼としていた髭を掴んで思い切り引き剥がした。
突然大量の髭がドンの顔から剥がれロキは唖然とした。
今までずっと帽子と髭によって隠されてきたドンの素顔は、その辺の浮浪者とは思えない威厳と自信。それを勲章のように刻まれたシワは老紳士と呼ぶにふさわしい面持ちをしていた。
そして今までの好々爺然とした雰囲気は一気に霧散し、余裕のある笑みは不敵さすら感じられた。
あまりの変化に目を見張るロキをよそに、ドンは髪を適当に後ろになでつけ一つ息を吐いた。
「ふぅ、やれやれ。やはり付け髭は痒くて仕方ない。どうだ、これでわかったか?」
「……いやいや、まさかそんなみすぼらしい格好してくるとは思いませんでしたよ。社長」
社長とホーキンスが口にしてようやくロキも合点がいった。
ホーキンスがそう呼ぶ人間は一人しかいないだろう。
シナロアカンパニー幹部でありスモッドを支配するホーキンスが、敬語を使い社長と呼ぶ存在。
三代目シナロアカンパニー総帥であり、世界の物流・貿易を手中に収める物流王。暴力と金で世界中に根を張る、裏社会の首領。ブロンズ・シナロア。
「ドンって、そう言う意味かよ……」
「はっはっは。わかりやすくていいだろう?」
からからと笑いながらドン改めブロンズはそう言った。そんなブロンズにロキは「テメェでドンとか言ってんじゃねぇよ」と悪態をついたがブロンズは聞こえないふりをしていた。
「ホントに社長自らおいでになるとは思いませんでしたよ。お忙しいのではなかったのですか?」
「そりゃあそうだが、休みも取れんほど怠けてはおらんさ。こうやってお前の仕事ぶりも見たかったしな」
「そうですか……。この街を一任すると言ってくださいましたが、やはり僕のことは信用できませんでしたか」
ホーキンスが落胆したふうに言うとブロンズは肩を竦めながらそうじゃないと言った。
「お前のことは誰よりも信頼してたさ。この街はな、儂が若い頃に親父のシルバから任せてもらってたんだ。将来シナロアを統べる者ならこの街ぐらい治めて見せろと言われてな。儂もお前に同じ想いを持って任せたんだ。お前のことは孤児院から引っ張ってきた時から知っておる。儂の跡を継ぐのはお前しかおらんと思っておった。だからこそ、この街を任せたんだ。あわよくば、儂ができんかったこの街を正すことを期待してな」
「でも、結局は見に来てるじゃないですか。いえ、責めているんではないですよ。流石経営者と言わざるを得ません。飽くまで部下は信頼しても信用はしない」
ホーキンスの言葉を遮るようにブロンズは大きくため息をついた。
「そうじゃないんだよ、アルベルト……。息子が頑張ってるところは見たくなるのが親心ってもんだろ」
「……へぇ。そんな風に思ってくださったんですね」
ブロンズがやや気まずそうにそう言うと、反対にホーキンスは嬉しそうに笑った。
「それならどうですかね社長、僕の仕事ぶり?」
「ああ、流石だ。お前らしい徹底ぶりだ。しかも教えた通り容赦も無いし、後悔もなさそうだ」
「そりゃあもちろん。あなたならご存知でしょう? 僕が亜人のこと心の底から憎んでるって」
「バカタレ。仕事に私情を挟むなとも教えたろ。こいつは帰って折檻でもしてやらんとな」
「おお怖い。いい年こいて叱られたくないんで僕逃げますね」
「大概にしろやホーキンス、何度も同じこと言わせんじゃねぇよ」
二人の会話にとうとう痺れを切らしロキは噴火寸前の怒りをにじませてホーキンスを睨んだ。
「いや、悪いけど逃げるよ。僕にはまだまだやることがある。この世から亜人を根絶やしにしなくちゃいけないんだ」
「そこまでだ、アルベルト」
飄々とロキにそう言うホーキンスに対して行動をとったのはブロンズだった。
どこから出したのか金色の装飾が施された拳銃をホーキンスに向けた。
「お前は出るとこに出て罪を贖ってもらう」
ブロンズの決別するかのような言葉と行為にホーキンスは何も反応しなかった。何事もなかったようにロキとブロンズに背を向けた時ブロンズの持つ銃から撃鉄を起こす音が鳴った。
「頼む、アルベルト。儂に引き金を引かせんでくれ」
これまでと違って切実な声色でブロンズはホーキンスに懇願した。
しかしそれでもホーキンスは振り返ることもなく、長い息を吐いた。
「社長。悪いけど……、もう遅いよ」
ホーキンスが言い終わった瞬間、部屋が闇に没した。
「何っ……!」
「こいつは……!?」
淡いオイルランプに照らされてた事務机や本棚、いつもロキとチェスをしていたテーブルとソファたちがあっと言う間に暗闇に飲まれた。
しかし不自然だったのは暗闇に飲まれたのは背景だけでロキやブロンズ、そしてホーキンスと言った面々の姿だけははっきりと見えていた。
例えるなら真っ黒に塗りつぶされた絵画にロキたちだけが上から描かれたようだった。
突然の周囲の変化に戸惑っていると、ロキの足が闇にゆっくりと捕らわれていった。まるでゆるい地面に立ってずぶずぶと沈み込んでいくかのようだった。
間違いなく魔法の仕業だ。それは直ぐに理解できた。
しかしそうだとしても不可解だ。
背景を塗り替えるなら幻惑魔法の類だが、この足にまとわりつく重い油のような感触は明らかに現実のそれだった。
古今東西の魔法を知り得たロキすらもここまで五感に干渉する幻惑魔法は知らなかった。
「アルベルト!」
自身の足元に眼を向けていたロキはブロンズのその声ではたと現実に戻されホーキンスを見た。
背を向けたホーキンスの体はところどころから虫食いのように穴が空いていき、それがゆっくりと広がっていった。
ロキは考える前に動いていた。
足にまとわりつく闇を渾身の力で抜け出しホーキンスに向かって手を伸ばす。
だがロキの伸ばした手はホーキンスの体をすり抜け、誰もいない空間に転がった。
「無駄だよ。この魔法が発動した時点で僕はもう君とは違う次元にいる。これは積層次元の壁に干渉して次元間を移動する魔法らしくてね。ここにいる僕はもはや遠い次元にいて触ることもできないんだよ」
ふざけるな。ロキはホーキンスの説明を聞きそう心で叫んだ。
そんな魔法は――魔法なんかではない。
奇跡の力を生み出すと言われているが、飽くまで魔法は物理学に則った化学反応だ。ホーキンスの言うような次元に干渉する魔法などもはや魔法では無い。
しかしロキはそれをずっと求めていた。
理から外れ、世界そのものに繋がるもの魔法。それは――。
「ホーキンス!!! 待ちやがれテメェ!!!」
ロキは一瞬脳裏によぎった言葉を捨て吼えた。
思考すらかなぐり捨てこの事件の元凶、いやこの街の悪意を詰め込んだような男の名を叫ぶ。
もう一度飛びかかろうともしたが、まとわりつく闇はもはやロキの体の自由を許さなかった。
「ところでさ、ロキ。僕らのチェスの戦績って、丁度僕が一勝優ってたよね。今回はチェスとは違うけど君に一勝あげるよ。これでイーブンだ。いつか決着をつけよう。必ずね」
「待て……、アルベルト!」
ロキと同じく闇に捕まり身動きを取れないブロンズが叫ぶ。
もはや穴が広がりホーキンスの体はほとんど消えかかっていた。
「……じゃあ、今までありがとうございました」
ホーキンスはほとんど消えかかった顔をブロンズに向けて、悲しそうに微笑んだ。
「体には気をつけろよ、親父」
「行くな……。行かんでくれ、アルベルト!」
ブロンズの悲痛な声が出た瞬間ホーキンスの体は完全に闇に喰われた。
ホーキンスが消えて間もなくロキたちを覆っていた闇はあっという間に晴れた。
あまりにもあっさり消えたため夢でも見ていたのかと錯覚するほどだった。
しかしどうしようもないほど現実だ。その証拠にこの部屋の主、この街を恐怖のどん底に叩き落とそうとした男の姿は影も形もなくなっていた。
「く、そがああああああああああ!!!」
言い知れない悔恨と怒りの感情をロキは叫ぶことによって発散することしかできなかった。
なんにしても、ほんの数時間の悪夢はこうしてあっさりと幕を閉じたのだ。
ロキに言い知れないほどのわだかまりを残して。




